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8/2「メインキャスト」

8/2「メインキャスト」

 暖かいベッドから出ることは困難だ。外が嵐であるならば尚更に。

 WOZ入港時にアンダーセンが漏らした懸念は実現しつつある。安穏としたWOZドック内での時間は確実に兵士たちの士気を弱体化させていた。

 恐慌状態の方がまだ対処が楽なくらいである。生きるためには行動するしかないことが明白であり、尻を蹴飛ばせばよいからだ。いま現在は行動しない方こそ危険がない。なぜわざわざ危険な環境に飛び込まねばならないのか。そうしなければならない理屈は理解できても納得はできないという感情が徐々に蔓延りつつある。目に見えていないだけで、皆がそう思っているかもしれなかった。

 アンダーセンがオオサコに相談を持ち掛けられたのはその危機を肌に感じ始めたタイミングであった。

「うちの隊のことで少佐に知っておいてもらいたいことがある」

 シュガートの司令室でオオサコは切り出した。

「うちの部隊にはいわゆるやんごとなきお方がいてね」

 その言葉にアンダーセンは一瞬怯んだ。しかしオオサコの表情を見てそれが皮肉であることに気付いた。

「誰の、とは言わんでおくがとある高官の子息だ。お付きの監督官もいてね。うちの隊はその御守りをするための隊と言っても過言じゃない」

 何たることだ。アンダーセンはここにきてオオサコが他隊との連携に消極的な理由に合点がいった。

「優秀な士官ではある。だが、かえって優秀な分だけ質が悪い。ブラッドレー隊を自分のための隊だと思っているし、実際問題そういう性質の隊ではあるから基本的には俺たちがお気持ち伺いつつやってきたわけだ。で、この状況だ」

「ご苦労なさいましたな」

 こんなことを外には言えようはずもなかろう。話したところでかえって隊内でのオオサコの立場を悪くするだけだ。単に羞恥心だけの問題ではないだろうとアンダーセンはオオサコの心境を慮った。

 しかしこのタイミングで話すことを決断したと言うことは状況が変わったことを意味している。それも悪い方に。

「ここまでは俺が抑えてきたが手におえん状態になりつつある」

 危機的状態の隊内で主導権が指揮官の手を離れる。よくある話だ。

「孤立が裏目に出ましたな」

 アンダーセンの率直な言葉にオオサコは返す言葉もなく唸ると椅子に身体を沈めた。イージス隊はともかくとしてシュガートと協調していればそうはならなかったかもしれない。今さら言っても詮無き事だった。積極的に協調しなかったのはシュガートも同罪なのだ。オオサコが選択した孤立である一方でシュガートの望んだ孤立でもある。同情すべき点はいくつもあった。

「正直な話、ブラッドレー隊は急造でむしろ私こそ外様なところがある。いざ子息が行動を起こせば味方してくれる者がどれだけいるものか」

 今度はアンダーセンが唸った。情けのなさそうにオオサコは頭を掻いた。子息が他の兵士たちの共感を集め、隊内の主導権をかすめ取った。そしてオオサコは信用を失い孤立しつつある。

「それで、如何しますか」

 アンダーセンにしては珍しく低く、重い口調がオオサコの肝を冷やした。

 規律的には制圧してでもねじ伏せるべきである。ブラッドレー隊の状況がシュガートとイージス隊にまで波及することは何としてでも阻止せねばならない。今は子息側の意識が自隊に留まっているが同じような状況に転がる危険性を2隊も抱えているのである。猶予はない。

「子息とその取り巻きのことはどうでもいい。だが他の連中は曲がりなりにも私の部下で子息側とは関係ない。手荒な真似も、キャリアに響くような事態も避けてやりたい」

 心情は十分に理解できる。しかし容易な話ではない。ここでアンダーセンはオオサコに断った上でヘリクセンを呼び状況を説明した。

「確認しますが、その倅殿はどっちの側なんです?」

 話を聞き終えたヘリクセンの言葉にオオサコは首を傾げた。ヘリクセンはオオサコやアンダーセンとは全く異なる視点でこの話を捉えていた。

「お2人にも理解してもらいたいんですがね。いま兵士たちの考えは大きく3つに分かれてます。1つはイージス隊と共に何とか生還しようと考えている。これは俺たちと同じですね。もう1つはこれ以上動きたくないと考えている。ここは安全ですからね、心情は理解できる」

 2つ指を折ったところでヘリクセンは2人を見比べ、3つめの指を折った。

「そしてもう一つはイージス隊を信用できないタイプ。つまりイージス隊こそ動きたくないのではないかと疑っているタイプ。俺が聞きたいのは、倅殿は動きたいのか、動きたくないのか。イージス隊を信用しているのか、いないのか。この2つです」

 オオサコは目を白黒させて、思ってもいない想定に身を震わせた。

「つまりイージス隊が亡命でもする気と思っているわけか」

「疑心暗鬼になってる人間ならそういう見え方もするって話です」

 アンダーセンは驚きを隠せなかった。しかし改めて考えれば解らないでもない。イージス隊にはそのための材料があるのだ。それにWOZ側の厚遇も不自然なところがある。実際にイージス隊がこのままWOZから出ないというのは外部の者からしたら現実的なシナリオに思えるかもしれない。

 意表を突いた指摘にアンダーセンは唸りながらオオサコに確認を求めた。件の子息がどちらの考えを持っているかで状況は変わってくる。

「なるほどな。確かに連中はイージス隊を信用してない」

 言葉を切ってオオサコは真剣に考え込んでいる。ヘリクセンの指摘に新たな視点を得て、自隊の思ってもいない故障個所を見つけたのだ。

「合点がいく。あの倅はプライドも高くて、怖気づくタイプじゃない。不自然だとは思ってたんだが、准尉の考えに当てはめれば納得がいく。だとすれば」

 オオサコの危機感は一気に増大した。

「連中は行動に出る可能性がある」

 奴はイージス隊を疑っている。とすれば、事態はより深刻である。現在の状況に危機感を抱いており、主導権を奪おうと画策している。それはブラッドレー隊だけの話に留まらないのだ。

 ヘリクセンは皮肉に口を歪めながら一言に断じた。

「だったら暴力の出番しかないですよ」

 飄々と口にされた言葉はオオサコを打ちのめした。説得して穏便に解決する方法はない、潰せということである。

「とりあえず子息とその取り巻きを拘束するっきゃないでしょう。軍規的にも問題はないはずです。その後のことはそっちの問題ですがね」

 シンプルだがそれゆえに有無を言わせぬ解決策である。

「実力行使はこちらで行いましょう」

 アンダーセンが請け負った。オオサコにやらせようとしても部下が分裂して身内争いになりかねない。やるのであれば外部から強制的に迅速にだ。

 しばらく俯いていたオオサコも腹を括った。

「わかった、私が責任を持つ。貴隊が責は問われることはない」

 オオサコは気丈に言い切った。この覚悟にアンダーセンも応えた。

「では、我々で処理をしましょう。イージス隊はこの件に関わらせない。ホーリングス隊のメンバーも同じです。よろしいですな」

 イージス隊はローマ師団所属だ。仮に事態を内密に処理することができなかった場合にイージス隊が関わっていると話がややこしくなる。指揮者のいないホーリングス隊も関わらせるのは酷というものである。

 話を大きくさせたくないオオサコもこれには異論はなかった。


 オオサコを一旦戻させ、ヘリクセンに行動に移すための人選を任せるとアンダーセンはイージスに向かった。関わらせないと言いはしたものの完全に無関係で事を運べるというのは楽観であってアンダーセンとしては保険をおけておく必要があった。

 慎重に事情を説明する間、ルビエールはこめかみに指を当てて頭痛を我慢するような顔をしていた。

「事情は解りました」

 ルビエールの身ではその倅をバカにはできなかった。何ならルビエールとその倅のやっていることに基本的な差はない。やっていることの大胆さではルビエールの方がよっぽどぶっ飛んでいる。単に上手くいっているか、そうでないかだ。ルビエールとてその選択が支持されなければ拘束されていてもおかしくはない。そしてその危険性はまだ足元に存在するのだ。

「関わらないでいることは承知しました。必要に迫られない限りは、ですが」

 拘束が失敗して状況が制御できなくなるようなら介入せざるをえない。アンダーセンもそれは理解していると頷いた。

「オオサコ少佐は最終的にこの件がなかったことになることを望んでいます。個人的に私もこれを支持しております」

 生還してからの話になるが、拘束した子息側の逆襲を封殺する上でもこの件はなかったことになるのが好ましい。それに諸隊がWOZに身を寄せていることは軍規違反に近しい行為である。どっちが正しいという言い争いになることは避けたかった。

「帰ったあとのことですか」

 アンダーセンの説明にルビエールは目を細めた。努めて頭から排除していたことではあるがルビエールも無関係でいられる話ではない。自身の独断で部隊を他国に移動させて政治的な案件を使っているのである。

「我々はもちろん大尉の判断が正当であったと主張させてもらいますよ」

 それはどうだろう。ルビエールは口角を歪めた。

「それも状況次第です。場合によっては私に騙されたと証言することも考えてください」

 怪訝な顔浮かべたアンダーセンにルビエールは最低限の情報を選ぶのに苦労した。彼らを政治劇に巻き込むわけにはいかない。

「私は今回の件で物的な代償でなく、政治的な代償を払いました。場合によっては軍規違反どころの話では済まない可能性もあります。つまり私は軍事犯でなく、政治犯として処罰される可能性がある、ということです」

 この言葉は図らずもアンダーセンに生じていた疑心を払拭したがもちろんアンダーセンはそれを表に出さなかった。要するに自分たちの領域を大きく上回った場所で状況は動いたのだろう。それならWOZ側の厚遇も納得ができるし、ルビエールが黙していることも理解できる。

「それでも、大尉は我々の生還に大きく寄与した恩人であることに変わりはありませんよ」

 アンダーセンの言葉にルビエールは虚ろに笑った。アンダーセンの言葉には誠意と覚悟がある。しかしいまのルビエールにとっては大した効果のある言葉ではなかった。


 アンダーセンがそうであるようにルビエールも預かった情報をそこで留めて置くわけにはいかない。とはいえ、現状でルビエールの「上」は存在しないためするべきことは下と横への情報共有になる。不要な情報拡散を防ぐために予め口裏を合わせるのだ。今回はリーゼ・マサト・ギリアムがその対象となった。

「なるほどねぇ。うちも他人事じゃぁないが関わり合いになるのも御免ってことだ」

 ギリアムは何がおかしいのかニヤニヤとルビエールの反応を探っている。リーゼの方は明らかに不快そうに顔を顰めている。子息の行動を理解に苦しむ愚行と捉えているようだった。

「こっちは関わらんわけですね」

 ルビエールが頷くとリーゼは異を唱えた。

「本当にこちらから関わらないでいるべきですか」

「そうだ。異論があるなら聞こう」

 この返しにリーゼは憮然とした。ルビエールは未然に防ぐという考えからは目を背けている。その筋合いがないからだ。相手側からの願いもあるだろう。しかし同じ軍人として味方同士で争っているのを座視するという考え方はリーゼにはなかった。しかしルビエールがその意見を求めていないのは明らかだった。

「ま、そんな方法があるなら俺らがやるよりアンダーセン少佐がやる方が効果はあるはずだし、それを選ぶでしょうよ」

 ギリアムもその話は終わっているとばかりに言う。オオサコも考え抜いた上での決断だろう。

 苦々し気に矛を収めたリーゼを横目にギリアムは事後に舵を切った。

「まず確認すべきはオオサコ少佐が収拾をつけられずこちらに助けを求めた場合、もしくは状況を拡散させた場合の対応ですな」

「どう思う?」

 質問に質問で返されることをギリアムは許さなかった。

「それは大尉の覚悟次第でしょう」

 これにはリーゼも無言のままに同意する。ルビエールは渋々とあまりしたくない決断をすることになった。

「鎮圧する」

 言質を得たとギリアムはニヤリと笑った。

「まぁそうするしかないでしょう。なに、そうなればこっちが力業にでる筋合いは出ますよ。ご指令あり次第俺たちは動きましょう」

 必要なのはルビエールの指令だけ。ギリアムは気楽に請け負った。

「では、念のために備えておいてください。人選と方法は任せます」

「了解」

 とりあえずはそれでいい。願わくば無駄な備えで済めばいいのだが。

「さて、次は外部に対してだ」

 もう一つ、最大の問題はWOZ側に説明をしておくべきかどうかだった。この問題にギリアムは両手を上げて自分の領域ではないと意思表示をした。もちろんルビエールはこの問題に関しては主にマサトに問うつもりだった。

「連中はこちらの艦艇内を連合領域と認識している。つまり状況が艦内で収まれば連中も何も言わないと思う。こっちの問題もやはり外に波及した場合だ。事後報告では何を言われるかわからん」

 波及した後に説明をしたのでは後手に回る。ここは先に根回しをしておくべきか、とはいえそれもまた藪蛇になるかもしれない。

「別に向こうはこっちの隙を伺ってる状況ではないでしょう。そこまで過敏になる必要はないと思いますよ。言えばいいんじゃないですか」

 マサトの言葉はこの状況を大したことではないと言っている。これはルビエールの認識と大きなズレがあった。

「状況が明るみにでたら困るんだ」

「それこそ、向こうは知ったこっちゃないでしょう」

 ルビエールは息を飲み込んだ。全く持ってその通りだった。

「いいですか。向こうにとって身内で争ってるうちは好きにしろという話になるでしょう。ですがしくじって騒動になったらそれじゃすみません。言うならどのタイミングがいいか、という話です」

「なるほど。ドンパチするから黙っててくれと言うのと、やらかしたあとに黙ってくれと言うのじゃ全く違うか」

 ギリアムも言葉を添えた。

 このマサトの意見を覆すような理屈をルビエールは全く思いつかなかった。つまりルビエールはまたしてもあのマチルダ・レプティスと交渉をせねばならないのである。実際のところはそれこそがルビエールが黙っていたい原因だったかもしれない。


 いつもの待合室で相手を待ちながらルビエールは天井を見上げた。最近は外交官のような役割をやらされている。自分で飛び込んでおいてボヤくわけにもいかないが。

「なるほど」

 話を聞き終えたマチルダは紅茶を飲む時間の中で考えを整理し、口にした。

「ドックに被害が出なければ、我々の関与するところではありません。仮にドックに被害が出た場合はこれの責任を問うことになるでしょうが、それはあくまで被害に対するものであって騒ぎに対するものではありません。これがWOZとしての返答になります」

 この言葉には続きがある。ルビエールはそう思って口を挟まずに続きを待った。するとマチルダは表情を崩した。

「ご苦労なさいますわねぇ。事情を知らないとは言え信用されないというのは」

 不意の気遣いにルビエールはポカンとした。

「我々も立場上、味方に信用されないことには慣れていますがあまり気持ちのいいものではありません」

 外交の者であればそういうこともあるだろうな。ルビエールはうすぼんやりと考えたが意識はこの雑談の裏に何かあるのではないかという疑心に向いていた。

「しかし、なかなかの妙案かもしれませんね」

 意味を計りかねてルビエールは眉を寄せた。

「何の案です?」

「ですから、亡命です」

「は?」

 冗談なのは明らかだったが完全に虚を突かれてルビエールは絶句した。その反応にマチルダは笑みを浮かべた。

「我が国は優秀な人材を常に歓迎いたしますわよ」

 もちろん冗談なのだろうがWOZはそういう風に各地から優秀な人材をかき集めて発展してきた国でもある。ルビエールたちがその選択をすれば歓迎するというのも本当なのだろう。

「ま、それはともかく。今さらあなた方を追い出すわけにもいきません。我々の交渉相手はあくまであなたとロバート・ローズ補佐官です。つまりそれさえ守られるなら後は些末なこと。と言うことにしておきましょう」

 まさか負けませんよね?と小馬鹿にした風にマチルダは付け足した。ルビエールはふんと鼻を鳴らすだけに留めた。

「話は変わりますが」

 不意にそう前置きするとマチルダは懐から拳銃を取り出してルビエールをギョッとさせた。

「先日の銃はかなり友人に高評価でした。これはその恩と言うわけではありませんがその友人からのお返しです」

 そう言って手渡された銃をルビエールはしげしげと見つめる。既製品ではなく、カスタム品のようでかなり実戦的なパーツで組み上げられている。あまり詳しくないルビエールでもそれなりの高級品であると確信できる。

「これは、どうも」

 発信機でも仕込まれてるんじゃないか?そうは思ってもこの場で調べるのもどうかと思ったのでルビエールはとりあえず礼を言うが相手の方はそれ以上のリアクションを望んでいるようだった。

 仕方なく弾倉を外したりスライドを動かして感触を確かめる。可動部の動きは正確でブレはなく、それでいてシブくもない。トリガーは遊びがほとんどなく、ルビエールの今まで触れてきたものより明らかに鋭敏だ。プロ仕様というやつだろう。

 やはりかなりモノがいい。良すぎて自分には全く必要がなさそうだった。

「豚に真珠ですね」

 この感想にマチルダは破顔した。ノーブルブラッドが自分自身を豚に例える自虐が最高に皮肉だった。

「あなたが使わないなら別の人間に渡してもいいでしょう。道具の価値というものは持つ者によって変わります。そして、持っていた者によっても」

 なるほど確かに、著名人がもっていたというだけで価値が跳ね上がる例はいくつもある。その言葉の意味をルビエールは字面だけで理解し、その裏にある真意を知ることになるのは遥か先の話だった。



 ブラッドレー隊に所属するオリバー・ヤング中尉は出身国の自衛軍を統括する将軍の子息で将来的にやはりその自衛軍内での地位を約束されていた。ヤングは必ずしも無能な士官とは言えず、むしろ有能な方に分類される能力があり、それが活かされる場を欲していたし、与えられて当然だと考えていた。それは当然ながらブラッドレー隊という領域では足らない。

 彼の意識は確約された将来の方に集中しており、ブラッドレー隊はキャリアの踏み台としか見なしていなかった。

 平時におけるヤングのブラッドレー隊での役割はオオサコに言わせれば「口を出す役」である。なまじ有能な士官であったヤングの言は的を射ていることも多く、また隊の役回り的にもその意見は大抵の場合は通されることになった。

 そういうことを繰り返すうちにヤングは自ら隊内での主導権を持ちたがった。というよりは与えられて然るべきだと考えたのだ。ヤングにはブラッドレー隊で実績を上げる必要はなかったが彼の旺盛な向上心とプライドは置物であることを拒否し、自身をブラッドレー隊の最上位と規定し始めた。

 そうしてブラッドレー隊の実質的な指揮者はヤングへと移っていき、オオサコが彼の意見を聞くのでなく、彼の方からオオサコに意見し、部隊は動くようになった。彼にしてみればオオサコを通して隊内に影響力を行使するという手順は無駄なものでしかなかったがそれでも軍の規定を無視するところまでいかなかったのは彼も軍人であるという証左だろう。

 ヤングのこのような動きは隊内を二分したがオオサコの側は多数派とはならなかった。ヤングの指揮は出過ぎた行動ではあったが結果を出している。一般兵にはヤングは新進気鋭の指揮官と映っており、少なくともそれはドースタン会戦までは事実だった。オオサコはむしろ規定を盾にヤングの邪魔をするドラマの悪役となってしまっていた。

 もっとも、それ自体はブラッドレー隊にとって問題ではなかった。他がどうであれブラッドレー隊はそれで上手く回っていたのだ。先日までは。

 状況が狂いだしたのはもちろんドースタンからの敗走である。

 この突発的な悲劇の中で隊内の意識はヤングのヒーロー性に縋った。危機的な状況においてもヤングは動じることなく非凡な才覚を見せて隊を死地から離脱させることに成功。これによってヤングの隊内での地位は決定的となった。

 しかし、オオサコから見ると全てが順調に行ったようには見えない。ヤングは周辺の部隊をまとめあげようとしたのだがその全てに失敗したのだ。無理もない。ヤング自身は中尉、その監督官であるリードも特務大尉で他隊に強制力を行使できるような階級ではない。にも関わらずヤングはブラッドレーでのやり方が通用するものと思った。他の隊の人間が訝しむには十分だろう。この失敗をヤングは規定に従う相手側の姿勢に求めた。ヤングには規定に固執する者は愚鈍であるという妙な確信が生まれつつあり、それが自身の正当性の根拠となっていた。実際にヤングに従わなかった隊は次々と壊滅し、ブラッドレーだけが生き残ってしまったこともヤングの正しさを補強してしまった。オオサコに言わせればただの結果論だったが説得力には欠け、ヤングはより自信を持ち、頑なになっていった。

 この時点で隊内のヒエラルキーはほぼ完全にヤングによって掌握された。隊の多くが生き残るためにヤングを優先した。こうなればオオサコとしても為す術がない。

 このことに気をよくして、以降のヤングは表に出ることを控え、オオサコを使うようになった。少数派とはいえオオサコの側につく者はブラッドレー隊のブリッジ要員の大半だったためヤングとしても蔑ろにはできなかった。彼にしてみればオオサコの顔を立ててやっているということだろう。しかしこの小細工がヤングにとって致命傷となった。

 そしてローマ師団イージス隊の登場である。その特異性に彼らはヴィランを見た。実際、イージス隊がWOZへと進路を提唱したことでその疑念は段飛ばしで確信へと変わった。胡散臭い部隊が胡散臭い国家に逃げ込むのである、ストーリーとしては刺激的である。オオサコですら最初の内は警戒感が勝っていた。

 そして滞在が長引くにつれて警戒感は疑惑へと変わり、いつのまにか確信を伴うようになった。イージス隊のいくらかの人員が艦を離れたという噂も悪い方に作用した。

 ヤングはそこまで愛国心や義務感の高い人間ではなかったのだがイージス隊が安全な場所に引きこもっていることである感情と理屈が構築された。

 いま祖国は戦争の真っただ中にある。ドースタンでの結果から言っても火星は嵩にかかって友軍に襲いかかっているだろう。一刻も早く帰還し、戦いに復帰しなければならない。

 ドラマは出来上がってしまっていた。ヤングと彼のシンパたちは自分たちを主役だと考え、主導権は彼らが握るべきだし、与えられるものだと考えていた。それを遮る者は悪であり、倒されるだろう。

 現実は違う。生存を賭けた場において誰が端役を引き受けたがるだろう。両者は互いに主役であり、それぞれの立場で最大限の手を打っていたのである。


 どうしてこうなってしまったのか。

 ブラッドレーのブリッジでオオサコは独語した。

 ヤングは決して無能ではない。順調に経験を積んでいけば指揮官として一門の人材になったろう。ボタンを掛け違うとは使い古された表現だが、果たしてどこがこの破局の起点であったのだろうか。

 自分がもっとヤングに言い聞かせればよかったのだろうか。後から振り返ればああすれば、こうすればと浮かびはするものの、どれにしても現実性には乏しく思える。

 益体のないことを考えていることに気付いてオオサコは頭を振った。

 イージス隊らの入っているドックは3隻の艦艇を係留可能でイージス・シュガート・ブラッドレーの順で並んでいた。この配置はシュガートからブラッドレーに秘密裏に人員を送り込むのにもイージス隊を関わらせないのにも最適でアンダーセンらにとっては幸運な配置と言える。

 ヘリクセンらがミーティングと称してブラッドレーに入り込むことに不信感を持つものはいなかった。今回に限らず何回かあったことだったからだ。選ばれた8人はシュガート隊の中では体格もよく、訓練でもそれなりの成績を集めた兵士たちになる。専門の白兵訓練を受けた者はおらず、人数も考えると心許ない。しかし取り押さえるべきはヤング中尉とその取り巻きになる数名。拘束さえしてしまえば事足りるはずである。ヘリクセンたちとしても撃ち合いになるのは御免被るので何としてもそれで済んでほしかった。メンバー誰しもが後で振りかえって何と希望的な観測かと臍を噛むのであるが。

 ブリッジでオオサコとその部下たちと合流するとヘリクセンたちはブラッドレー艦内の武器庫へと向かった。ヘリクセンたちも武器は持ってきたが、威嚇する武器はデカいに越したことはない。ライフルのような長物となると隠して持ち運ぶには無理があったし、万が一に備えて抑えておく必要もあったのだ。

 事件はそこで始まった。

「なんだ貴様ら!」

 オオサコが叫ぶと武器庫の先客たちは予期せぬ司令官の登場に硬直し、首だけを動かしてその姿を目にした。

 状況が徐々に解ってきてオオサコは青ざめた。先客の兵士たちは20名ほどで武器を物色しており、その中のいくらかがヤング派として旗色を明確にしている男たちだった。彼らも何らかの行動のために武器を必要としていた。そのタスクの中にはオオサコの拘束が含まれているのは想像に難くない。そこにオオサコは姿を晒してしまった。対してこちらの人数は12名。ガンラックを挟んで対峙している。

 状況を理解しようとしているのは相手も同じである。この一団を率いていた事務官トインビー少尉は早くからヤングに取り入った男だった。彼の転身は事務チームの中では白眼視されており、それが却ってヤング派として引き返しようのない状況を作っていた。彼は突如として現れたオオサコらの目的と自分たちの目的を照らし合わせ、何をしなければいけないかを理解し、そうするしかないことを覚悟した。彼の普段の態度から言えばあり得ない行動選択であり、ほとんど恐慌状態での行動だった。その目を見てオオサコは無駄だと知りながら叫んでいた。

「撃つなバカ野郎!」

 カチン。事実としては撃鉄が空の薬室を叩いた音が響いただけである。慣れないトインビーは弾丸を装填することを失念したのだ。しかしその音は空気を伝って各員の肝を叩いた。

 撃ちやがった!

 誰も考えることをせずに反射的に行動した。ヤング派の人間たちは同じ轍を踏まぬようにそれぞれ弾丸を装填し、オオサコたちはそれぞれ伏せて自分が生き残ることを祈った。

 広くない室内を過剰な爆発音が充満した。自動小銃の乱射にオオサコたちの叫び声はかき消され、代わりに着弾と跳弾の不気味な音が銃弾の破壊力を証明する。

 銃声の残響が消え、静寂が訪れた。室内で無遠慮に乱射したため銃煙が立ち込め、ヤング派は自分たちのやらかしたことに呆然としていた。

 幸か不幸か。彼らの銃撃は全く効果的ではなかった。この素人集団は相手がガンラックの向こう側で伏せているという明白な事実を無視して腰だめで眼前を撃ち続け、銃弾の全てはオオサコらの頭上を飛び去った、跳弾の方がはるかに脅威だった。

 無事であることをいまだに信じられないでいながらオオサコはこの窮地をどう脱するかを考えた。残念ながら思いついたのは劇的な方法でなく古典的かつ、ひどく投げやりな方法だった。

「点呼!」

「はい」

 1人が声を上げると次々に思い思いの返しで生きていることを表明し始めた。

 この妙なやり取りをヤング派は呆然と聞いていた。オオサコの声であることは理解したのだが、何をやっているのかは彼らの精神状態では理解できなかった。本質的に彼らが死んでいることを望んでいなかった彼らは自分たちの銃撃の結果報告を聞くことを優先したのである。

 全員分を聞き終えたかどうか。オオサコは自信がもてなかったがこのやり取りの間に幾分か冷静さを取り戻して決断した。

「よし、逃げろ!」

 徐に立ち上がるとオオサコは姿勢を低く、武器庫から飛び出し、何人もがこれに続いた。

 これでヤング派は硬直から抜け出したが手に持っている武器が役立たずになっていることに気付いて慌てて再装填を始めた。ほとんどがもたつき、1人か2人が手際よくリロードを終えたが霧で狙いをつけられず発砲はなかった。

 武器庫を飛び出して来た道をいくらか走り抜けたところでオオサコたちは一息をついて面子を確認した。何人逃げられるか不安視していたオオサコを驚かせたのは12人全員が揃っていたことだった。それどころか何人かはあの騒ぎの中で手近の武器を持ち出していた。

「驚いた。お前さんよくそんなもん選ぶ気になったな」

 いささか呆れ口調でヘリクセンが1人を称賛した。

「手近にあったのがこれしかなかったんですよ」

 大型の機銃を大事そうに抱えてシュガート隊の1人が笑う。要領よく弾薬箱を持ち出してきた者もいる。いずれもシュガート隊の者たちでオオサコは例の物資リストのことを思い出して苦笑いを浮かべた。物資を確保する、ということが末端レベルで浸透しているということなのだろう。何と逞しくも図太いことか。

「しかしまぁこれからどうしますかね」

 先んずるつもりが遅きに逸したようだ。ヤングたちの行動そのものはまだ先だったかもしれないが、状況がバレた以上は行動に移すしかなくなっただろう。もはやヤングの拘束どころの話ではなくなった。それどころか自分たちの身を守らねばならない。

 オオサコは鉢合わせた20名ほどの兵士たちを思い出そうとしていた。どれも主体性の欠けた若い兵士たちだったが数名は隊の核として物言える者だった。彼らはヤングに対して積極的に加担したと考えられる。

 すぐにドカドカと荒い靴音が廊下に響いてきた。オオサコらは角に身を隠し、確保してきた武器を構えた。相手もそれに気づいて互いに角の向こうで睨み合う形になった。

「オオサコ少佐。あんたを拘束します。手荒な真似はしたくありません。大人しく投降してもらえるとありがたいんですがね」

 その声の主に当たりをつけたオオサコは舌打ちをした。

「デランシー。厄介な野郎だ」

「どういう人です?」

「HV部隊の副隊長だ。ベテランだがあまり品行方正とは言えんな。ヤングに与しているというよりはヤングを利用している、と本人は思っているだろうよ」

 オオサコの評には明らかな侮蔑が込められていた。

 デランシー准尉はヤング派というよりは反オオサコ派と呼ぶのが正しいかもしれない。どういう経歴を歩んできたかはオオサコすら知らないが上官嫌いのベテランである。デランシーのような上官を尊重しないタイプの兵士はいる。過去に上官の命令によって酷い目にあったりして信頼できなくなったり、自らの能力に自負を持ち、命令する者に階級以外の素養を要求するタイプである。本来なら士官のひよっこであるヤングもデランシーの侮蔑対象に含まれるはずである。しかしオオサコとデランシーの間には個人的なわだかまりが存在した。デランシーはそちらを重視したようである。

 デランシーはベテランとしての実績を考えれば副隊長でなく、隊長でもおかしくはなかった。パイロットとしてエースの称号も近いデランシー自身もそれが当然だと思っていた。しかし素行を問題視したオオサコは彼より実績の劣る者を隊長に指名した。隊を預かる者として理のある措置ではあったがデランシーはそうは考えなかった。ゆえにこの両者の関係は悪かった。ヤングがオオサコと対立する構造となったことでヤングに与する方を選択したことも不思議ではない。

 オオサコにとってみればデランシーとの対立は予測できたことであり、彼の能力を厄介だと思ったに過ぎなかった。しかし次のヤング派の勧告はオオサコの想定をはるかに上回った。

「あんたに味方する奴はこの船にはいないぜ」

 オオサコはデランシーのこの発言そのものは信用しなかった。しかし直後に艦を微妙に揺らした振動には動揺した。その振動の意味を察したとき、事態の急転を悟ったのである。

「おい、なんでハンガーが開く!」

「ハンガーからオーバーライドされています。HVも2機が起動、フィリップ軍曹とウェイド伍長の機体です!」

 ブリッジからの返答に言葉を失っていると、ブリッジからの凶報を補強する情報が艦内通信によってもたらされた。

「こちら、リード特務大尉だ。これより、この艦は我々が指揮権を引き継ぐ。イージス隊及びシュガート隊はオオサコ少佐らと共謀して連合軍を離脱しようと画策していると疑われるためだ。これは明白な背信行為である。信じられないと思う者もいるだろうがそういう者たちは安易に動かず、状況を注視していてほしい。どちらが正しいかは結果によって明らかとなるだろう。オオサコ少佐らに与するという者は自分たちのやっていることに疑問を持ってほしい。我々は地球連合軍人である。速やかに地球連合への帰還を果たし、原隊に復帰すべきであるが、イージス隊はこれを怠っている。安全な場所でやり過ごしたいがゆえに見て見ぬ振りをする諸君らの気持ちは解る。しかし、我々は地球連合軍人である。国のために戦い、祖国を守る義務がある。自らの安全ためにその義務を怠ることは許されないのだ。彼らにこの隊の指揮を任せてはおけない。我々がやむを得ざる判断をしたことを理解してほしい」

 オオサコはヤングの演説の内容には耳を貸さず、艦内の受け取り方に注意を払っていた。ほとんどリアクションがない。これはつまりハンガーだけでなく艦のほとんどがヤング派によって抑えられたこと、隊のほとんどがヤング派に与したことを意味していた。その手ごたえがあるからこそヤングは行動に出たのだ。

「ま、そういうわけです」

 デランシーの勝ち誇ったような声が通路に響く。

「全く持って事実無根だ。貴様らは大きな誤解をしている。イージス隊もシュガート隊も帰還を諦めているわけではない。交渉の結果と、安全性を重視して時期を計っているだけだ」

 オオサコは抗弁するが、それはデランシーにとっては大きな問題ではないだろう。デランシーにしてもヤングにしても事実の是非など実際に制圧さえしてしまえばどうとでもなると計算しているはずだ。そのためのシナリオも用意しているはずである。

「そいつは結果として示されるでしょうよ。言い訳は法廷でしてください」

 デランシーは嘲るように言う。やはり、示し合わせがあるのだろう。しかしその態度は結果としてオオサコたちに腹を括らせることになった。オオサコたちが事態を打開するためには強硬策しかないことをデランシーは示してしまったのである。

「奴らの想い通りにさせるわけにはいかん」

 オオサコは決然と断言しヘリクセンらもそれに頷いた。

「貴様らの行動は反乱だ!」

 事実上の宣戦布告だった。これを受け取ったデランシーは待っていたと言わんばかりに宣言した。

「そこまで強硬になられちゃしょうがないですなぁ。不幸な結果にならんことを願いましょう」

 それが望みだろうに。オオサコは内心で毒づきながら身内同士の撃ち合いを覚悟した。


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