8/1「グッドネイバー」
8/1「グッドネイバー」
ドースタン会戦から1か月。いくらかの人間が予測したとおりに状況は一気に動いた。中でも地球連合にとってもっとも恐れていた事変はリーズデンで起こった。
リーズデンは共同体から離反した地球連合側のコロニー国家であり、共同出資によって建造された農業プラントの領有権を巡って共同体側のコロニー国家であるベルオーネと戦争状態にあった。この両者の戦いはピレネー事変後の連合軍の攻撃作戦によって鎮静化したと思われていた。実際、ドースタン会戦がなければそうなっていたはずである。
しかし現実は思うようには展開しなかった。
ドースタン会戦より3週間後、コロニー国家共同体はリーズデンに対して攻勢をかけ、連合駐留軍を粉砕した。戦力を失ったリーズデンは事実上の降伏と言える条件で講和を受け入れ共同体傘下に戻ることとなったのである。
先の攻撃作戦の成功によって防御態勢を緩和していたリーズデン戦区の連合正規軍は思ってもいない奇襲攻撃に対応できなかった。油断があったのは間違いない。それでも鎧袖一触となった主たる要因は共同軍の主戦力が最精鋭たるAABを中心とした大兵力であったためだった。
この戦力は常識的に考えてあり得ない物量だった。それもそのはず、投入されたのは共同正規軍が動かすことのできる戦力の凡そ30%にあたった。この物量は火星に対しての備えがほとんどそのまま差し向けられたと考えられる。
それだけの物量が戦略的にそれほど重要とは言えない線区に投入されることなど予期しようがない。予期して備えようとしても笑われるのがオチであったろう。粉砕された連合正規軍は多くは戦区から撤退し、いくらかはリーズデンと共に降伏することになった。
この戦いはこれまでのベルオーネ・リーズデンの二国間問題の決着に過ぎない。それを持って必ずしも共同軍が本格的に大戦に参戦したと見做すことはできない。しかし、そのための準備であるのは明白だった。この勝利によって共同体内部の日和見であった勢力は態度を大きく変えた。
そのための勝利、そのための一点突破だった。
この戦いは倒れ出したドミノの列において大きなポイントとなった。この顛末に戦慄したのは地球だけではない。あるいはもっとも難しい立場に立たされたのは月であったかもしれない。
「さて、これで俺たちの尻にも火がついちゃったわけです」
マツイの軽い一言にフーシェンは特に何の反応も示さなかった。細部はともかくとして共同体がそのように動くことは予測できた。こちらの思うよりも手際が良かっただけだ。それすらフーシェンの考えるべきことからは遠い。問題は相手ではなく、こちらの腹づもりである。
ここに至っても月統合国大統領ルイス・テレーズは動きを見せてはいない。もし仮にこれまでの方針を転換するのであるなら早いところ動かなければならない。共同軍は既に動き始めているのである。共同体は基本的に月を敵対者と見積もっているはずだ。現場レベルで小競り合いが始まってしまえば旗色を変えるのは難しくなる。
地球は地球で月に対して本格的な参戦を求めてきていることだろう。態度を決めかねている状態はどちらにも悪印象を与えることになるのは間違いない。そしてそれは身内にとっても同じだった。
「どっちでもいいんですが。とりあえず、誰が敵かくらいはそろそろはっきりしてほしいところですよ。言いたかありませんが、裏切るのに最高のタイミングはとっくに過ぎてる」
マツイの言うことはもっともだ。しかし信頼のおけない味方ほど厄介なものはない。果たして火星と共同体もしくは地球。信用のおける味方足りえるのはどちらだろうか。
「現状でも地球の勝ち筋はいくらでもある。状況次第では火星・地球双方から勧誘を選り好みできる展開にも持ち込めるかもしれない」
火星と共同体双方合わせてもまだ地球を攻めきるには足らない。それにこの2つの勢力の結束は強固とは言えないだろう。
フーシェンが地球連合の立場ならまずは火星軍とは対峙するのみにして共同体を集中的に対処するだろう。そうなれば元々日和見だった共同体の勢力はまたしても手のひらを反す。火星はさらなる攻め手を求めて月にも接触してくる公算は高い。
「現状のイケイケの火星よりは攻め手を欠いて焦り出した火星を相手にした方がいい。というならわからんではない。弱みを持っている相手の方が信頼できる」
「信頼ね。できるかどうかも重要ですが、されるかどうかも重要だ。まさか大統領はバトルオブ関ヶ原を知らないわけでもないでしょう」
マツイの言わんとするところをフーシェンは理解していたが答えることはなかった。
バトルオブ関ヶ原。旧時代の島国で起こった戦いは影響力を失いつつある政治体制下で起こった権力抗争で、その戦いは「裏切り者」によって決着した。ただし、その裏切り者たちの報酬は彼らの思ったようなものではなかった。
ぎりぎりになって裏切るような者は信用されない。むしろ都合よく使い捨てられることになる。それを知らぬテレーズではないだろう。何よりあの功名心の塊のような女は自身を歴史のページに裏切り者と記させるつもりはないはずだ。
となれば、大統領の不動は地球が泣きつくのを待っている。そんなところだろうか。
「そういやボスの個人的な意見は聞いたことがありませんね」
「私は軍人だぞ」
そう言って拒絶したフーシェンにマツイは低い笑い声を上げた。
「果たしてその枠にあなたへの期待は収まりますかね。クラークソン長官がいるうちはいいでしょうが。その後は」
言葉の意味を咀嚼してフーシェンは不機嫌に黙り込んだ。統合軍の勢力は現状ではクラークソン・フーシェンのコンビによって事実上寡占されている。
この先、統合軍が期待通りの活躍を見せたとき、それに報いる手は限られている。何より、彼らを取り囲む期待は軍人という枠を大きく逸脱している。要するに二人は軍人としては大きくなりすぎたのだ。
クラークソンはいずれ国防長官に任命されることが確実視されている。フーシェンも順当にいけばその後を継ぐと見做されている。軍人であり続けることに限界が来る日は決して遠くない。
フーシェン個人にとっては有難い話ではなかった。それを承知でマツイは尚も言う。
「才能が人を活かす、逆ではない。あなたには精々偉くなってもらわないと。さもなきゃ才能があなたを殺しますよ」
その言葉はフーシェンにあるシナリオとして現実感を伴った。
ルイス・テレーズ。あのババアはフーシェンとクラークソンを利用して軍を意思持つ集団へと変え、その力を以ってして統合国大統領にのし上がったのである。
今はまだ両者の関係は軍と政府の間に存在する壁によって保たれている。しかしクラークソンらが政治の場に押し出されたとき、その関係が維持される保証はない。
テレーズであればその時を待たずして布石を打っておくことくらいはするだろう。もしかしたら既に打っているかもしれない。
そしてもう一人。フーシェンには気を緩めてはいけない人間がいる。いま目の前にいる男である。
行く先の地雷を避ける、と同時に自らの無防備な背中を隠すのであれば、やはりフーシェンは軍人の身に留まることはできないのかもしれない。
うんざりする話だ。
「月がよりよく自立できるならそれでいい。が、火星相手にそれを望めるとは思えんな」
率直なところを白状されてマツイは頷いた。
「ええ、そもそも火星の勝利条件と言うのはわりと後先を考えていません」
火星に加担したとしても勝ったあとのことを考える必要がある。有利な講和を結ぶことに成功したとしても地球には逆襲する機会がいくらでも訪れるだろう。その逆襲の矛先が真っ先に月に向くのは間違いない。地球に逆襲を許さないほどに追い込むというのも無理がある。やはり火星に加担したとしても都合よく使われると考えるべきだろう。
「そのくらいをあのババアが解ってないはずはないんだがな」
何を待っているんだ?フーシェンは理解に苦しむ。
「と、なると考えられるのは二つ。地球に恩を売るのに最適のタイミングを待っているか。地球に加担した上で勝てない可能性を考えているか」
前者だと思いたいところである。後者はあまりにもテレーズの人物像からはかけ離れている。あの女は自らの手札を熟知しており、状況に対しては積極的に働きかけるタイプだ。勝てなかったらどうしようなどという考え方はしないはずだ。
待てよ。フーシェンの思考回路は別の可能性に僅かな道を拡げた。そう、あの女は積極的に状況を作り出し、動かすタイプの人間だ。積極的に状況を作り出すのであれば何もどちらかに加担するという選択肢の限定は必要ないのではないか。
そうか、あのババアの狙いは。
「一つ聞いてもいいか?」
フーシェンの唐突な切り出しに好奇の色を見せてマツイはどうぞと促した。
「どちらにも味方せず、どちらとも渡り合う。月にできると思うか?」
途端、マツイはニヤリと笑った。まるでその言葉を待っていたかのように。
「やっぱりあなたは軍人の枠に収まるべきじゃない」
各国がドースタンにおける想定外の事態に暗中模索に陥っているなかでディニヴァス・シュターゼンは巨大な影となって真実を翻弄していた。
「結構、そちらの言い分は承知した」
火星総統府情報大臣のアマンダ・ディートリッヒの報告を聞き終えたディニヴァスは仮面の奥で失笑していた。彼の仮面に実利的なメリットがあるとするなら表情筋を気力によって動かす必要がないことだろう。
さほど驚くような報告ではなかった。
ドースタンでのテロはジョセフ・ハーマンの独断であり、総統府は全く関与していない。ハーマンは現在の火星総統府を主導するマルスの手に敗れた旧勢力火星共和党の者であり、政権に対するダメージを与えるための凶行だと総統府は考えている。そういう主張、建前だった。
まぁ、筋は通る。そして解ったことはやはり火星の意識は自分たち中心でしかないということだ。それで結構。傾き過ぎた秤を戻すためにいましばらく火星には盲目でいて貰わなければ。
ディニヴァスはローズの存在に関しては黙った。ディートリッヒはゴールドバーグ暗殺に関して黙ってジェンスの面に泥を喰らわせたのだ。馬鹿正直に教えてやる義理はない。
「確認しますが、生存者はいないのですね」
「まるでいては困るような言いぶりだ」
ディニヴァスの言葉にディートリッヒは見事な遺憾の表情を取り繕ってみせた。もちろん、この程度のゆさぶりでボロが出るようであっても困るのだが。
「わたくしの部下もハーマン大臣の凶行の犠牲となったのです。彼の行動は我々にとっても理解に苦しむ所業です」
実に白々しい。ディニヴァスは内心でこのやり取りを茶番だと思いながら形式上の手順として我慢していた。火星を遊ばせ過ぎないためにも今はまだ火星とは協力体制を維持せねばならない。ジェンス社の立場として火星の言い分は受け取っておかねば不必要な疑心を生むのである。
「結構。では地球にはそのように伝えさせていただこう。納得はされんだろうがね」
「当然でしょう。故に、我々も突き進むしかないのです」
自らも望んだ開戦ではあったがディートリッヒの奸計によって開かれたという一点を以ってディニヴァスは不快さを感じていた。それは次の言葉に滲み出た。
「前のめりになり過ぎて自滅しないことだ。お前たちの足場は砂でできている。そいつは手を伸ばして端に体重をかければあっさりと崩落する。よくある末路だ。分不相応な高望みをして歴史に愚か者と刻まれた者は数多い。その列に並ばないようにするんだな」
この言葉にはさすがにディートリッヒも気を悪くしたように眉を潜めた。ジェンスと火星の協力関係には不要な挑発だった。しかしこれくらいは言わせてもらわねば。
この女は自己を統制しているように思っているだろう。しかしディニヴァスに言わせれば自己を見失っていると云う他ない。この女の野望は火星初の女性総統の座で戦争の勝敗など駆け引きの材料に過ぎない、というのが本来のスタンスだったはずだ。状況に踊らされていつの間にやら戦争に狂奔していることに気付いていないようだ。それが何とも滑稽であり、危険であった。
通信を終えたディートリッヒは即座に腹心を呼び出した。ディートリッヒはディニヴァスが嘘をついていることを確信していた。論理的な根拠はない。強いて言うなら勘である。ディニヴァスには嘘をつく理由がある。あの男もまたディートリッヒの嘘を確信している。それを示唆し、互いに黙るために見え見えの嘘をついていると感じており、実際その洞察は的を射ていた。
生存者がいる。それは間違いない。問題は誰かだ。ディートリッヒは冷たい汗が背を這うのを感じた。連合側の人間であれば火星にとってはともかくディートリッヒにとっては大した問題ではない。連邦側の者であったなら火星にとってはともかくディートリッヒにとっては致命傷になりかねない。それだけは何としてでも確認しておかねばならない。そしてもし連邦側の人間であるなら抹消せねばならない。
「お呼びでしょうか」
「ドースタン以降のジェンス社の動きを再確認したい」
即座に情報が集められた。ほとんどの者がそうであるように火星もジェンス社を信用などしていない。ましてディートリッヒであれば内部に自身の手の者を送り込むことはルーティンとも言えるほど標準的な手順だった。
当然ながら生存者に関する情報は含まれてはいなかった。それほどの重要人物であれば厳重に管理されるはずだが、そのような痕跡は見当たらない。生存者など存在しないというディニヴァスの言を補強するものだったがディートリッヒはその可能性に傾くことはなかった。今現在はグレートウォールにいないというだけだろう。
ディートリッヒは情報をドースタン直後にまで遡った。
「何をお調べになりたいのでしょうか」
情報に満足していない様子のディートリッヒに情報官は恐る恐る尋ねた。彼が職責を果たすには情報が不足していた。もちろんディートリッヒがそれを与えることはなかった。
気まずげな情報官を無視していたディートリッヒの目がある一点で留まった。ドースタン会戦の最中、グレートウォールからディニヴァスが姿を消していたというのである。
あのディニヴァス・シュターゼンが一時的にグレートウォールを離れる。しかも会戦の途中に。何のために?
なるほど。得心してディートリッヒは邪に笑った。
ジェンスは会戦の最中に生存者の譲渡を済ませたのだろう。それが連合軍相手であるなら生存者もまた連合側の人間と考えて間違いない。これで少なくともディートリッヒの懸念は回避されたと考えられる。
ここでディートリッヒは改めてこの生存者への対処を検討した。地球側の生存者がいたところで大した問題はない。生存者の証言はシナリオに多少の影響を及ぼすかもしれないがディートリッヒに繋がることはない。場合によってはこの生存者の証言は利用できるかもしれない。
さて、どこの誰なのかしら。頬に手を当ててディートリッヒは考え耽る。それほど悩まずに答えは出た。
会談の場に立ち会うことを許される者は3名。地球連合大統領、その補佐官と護衛。ゴールドバーグではない。ハーマンがいくらジジイでも倒すべき相手を見失うほど蒙昧はしていないだろうし、生きているならとっとと生存報告をするはずだ。護衛が大統領から離れるとも考えにくい。となればもっとも可能性が高いのは補佐官だろう。
ディートリッヒは自身の推測に満足した。で、あれば急を要するほどの案件ではない。ディニヴァスの対応もこちらに対する意趣返し以上の意味はないのだろう。
さて、この哀れなキーホルダーはどこで何を考えているのだろうか。まさか戦闘に巻き込まれて死んではいないだろう。ジェンスが預ける以上は確度の高い生存の道に誘導されているはずだ。その道をディートリッヒは一つしか思い浮かばなかった。
「WOZのモールに連絡を」
「WOZ、ですか」
「調べてもらうことができた」
ジェンスに続けて出てきた不穏な名前に戸惑いながら、情報官は部屋を後にした。ディートリッヒは腕を組んでジェンスの思惑と自身の推測を再度整理した。
あのジェンスがWOZに頼ることがあるのか?今度はディートリッヒも自身の推測を完全には信頼してはいなかった。ただ状況と地勢を考えるともっとも理にかなった道に思える。WOZもWOZで生存者をどう扱うだろうか。
この時点でディートリッヒはこの件を大した問題ではないと認識していた。しかしこの何気ない一手はディートリッヒの肝を潰させる情報を招き入れることになる。
カリートリー視点でイージス隊が行方不明になってから一か月が経過した。そろそろどうやって捜索するか、からどうやって決着するかを考え始めていたところ。ほとんど目のないと思っていたところからその行方はもたらされた。
「いいニュースが入ったぞ」
言葉と真逆にカリートリーは悪い予感がした。通信画面の向こうでクリスティアーノはニヤニヤしてカリートリーの反応を楽しみにしている。
「イージス隊の所在が解った」
一瞬呼吸を止めたカリートリーは覚悟を決めて問いただした。
「どうなりましたか」
「無事だ。最悪の状況は回避できた。ただし、予想外の状況ではある」
ほっとするのを先送りしてカリートリーは続きを促した。クリスティアーノは目を爛々と輝かせている。これは危機、あるいは好機におけるクリスティアーノの特徴だった。
「連中はWOZに逃げ込んだ」
しばし言葉を咀嚼してカリートリーはその手を自身で検討した。
なるほど。なくは、ない。火星とWOZは不可侵で地球とWOZの間でも同じだ。逃げ込むには悪くはない。しかし思い切った手をとったものだ。WOZからすればカモがネギを背負ってきたように見えただろう。
しかし、生還を計るという一点に限れば勝算は十分にある。ルビエールは自身が持つ手札の価値を押し出してWOZに自分たちを保護させ、そしてカリートリー達に救出させようとしているわけだ。
やれやれ手間のかかる。苦笑するカリートリーだがこれは実に彼好みの策だった。
「竜の懐に逃げ込んだわけですな。取り戻すのに苦労しそうだ」
ただでは取り戻せまい。カリートリーの考えにクリスティアーノは顔を横に振った。
「そうでもないさ。連中はとんでもない毒を身体に持っている」
「と、申しますと?」
さらに詳しくクリスティアーノから状況を聞き出したカリートリーは徐々に困惑の色を濃くしていった。
「大統領補佐官」
確認するように呟いたカリートリーはまだ事態を飲み込み切れていなかった。どういうことだ?
ドースタン会戦のきっかけとなった大統領暗殺テロ、その生き残り。これをジェンス社自身が活用するのでなく、イージス隊つまりマウラに預けようという。
「さて、考えるべきことが多い。まずはジェンスからだ」
状況を把握できていないのはクリスティアーノも同じなようだった。順を追って整理しようとするにカリートリーも頷いた。
「ジェンス社としては大統領暗殺には無関係であると非公式に訴えているわけですね」
そうでなければ大統領補佐官をわざわざ生かしておく理由がない。つまり火星とジェンスは必ずしも全面的な協力者ではないのだ。これはかなり重要な情報になる。
「そういうことだろうな。それを公式にするかどうかはこちらに委ねているわけだ。こっちのご機嫌を伺う辺り、ジェンスの望みにはこっちの動きもかなり重要らしい」
その相手としてマウラが選ばれた理由は先のカリートリーとジェンス社CEOサイトウとの会談にも求めることができるだろう。
しばし考えてからクリスティアーノは溢した。
「連中の本当の狙いが少しばかり見えてきたな」
「と、言いますと」
「連中は火星と地球の政治体制を変えて、両方に自分たちの影響力を植え付けようとしている。ありきたりだがそんなところだろう」
「なるほど。考えられます」
カリートリーも納得した。大筋で間違ってはいないだろう。マウラに肩入れする理由にもなる。
しかし、それだけではないだろう。
「ジェンスは貴方の5年後に対する姿勢に強い関心を抱いていました。彼らにとって5年後は手段であると同時に目的でもあるのではないか。最近はそうも考えるようになりました」
5年後、つまりフォースコンタクトである。この予測される事態を前にクリスティアーノだけは独自の立場をとっていた。
カリートリーの言葉にクリスティアーノは深い思案の海に沈み込んだ。ジェンスはマウラには不干渉と言ったが、それは現状のマウラの話だ。この先、クリスティアーノが力をつければその限りではない。その時、ジェンスはクリスティアーノにとって何者になるのであろうか。敵としてはもちろん、味方になられても困るというのが正直なところだ。
「その話にもつながるが、次はWOZだ」
クリスティアーノの不自然な転換にカリートリーは首をひねった。
「エノーのお嬢ちゃんはその大統領補佐官を使ってWOZに脅しと交渉を仕掛けた。その結果、WOZはイージス隊を受け入れ、秘密裏に地球に帰還する手助けをする羽目になったわけだ」
おっと、これは面白い。カリートリーは思わず笑みを漏らした。ルビエール・エノーはWOZをジェンスとクリスティアーノの案件に巻き込んだわけだ。大胆なことをする。
「なるほど、それでWOZからこちらにコンタクトを取ってきたわけですか。何とも異なものですな」
「全く想定外だ。エノーのお嬢ちゃんは何かの特異点か?」
苦笑しながらクリスティアーノも面白がっているだけでルビエールの行動を問題視しているようではなかった。
「さて、そういうわけでWOZとの付き合い方も考えなければいけない。WOZがエノーお嬢ちゃんに乗ったということはこの先、我々と新しいチャンネルを作る気があるか、それを見定める気があるということになる」
ジェンスとWOZの関係は明確ではないにしても潜在的な敵対関係と言える。もっとも外部からはそう見えるというだけで内実は違うかもしれないが、クリスティアーノにとっては神経を使うところだろう。
ジェンスとWOZ。この両者を相手取る。どちらを敵にしても、味方にしても神経がすり減らされる立ち回りになるだろう。カリートリーですらあまり考えたくない想定だ。
「WOZ側からはなんと?」
「黙っててやるからさっさと引き取ってくれってところだな」
本音だろうな。とカリートリーは思った。ただ、引き取った後はだいぶ変わってくるだろう。相手に握らせた真実の価値を高めないために大統領補佐官への対応を考えておかねばならない。
「さて、どう思う?」
クリスティアーノの主語のない問いにカリートリーはすぐに答えられなかった。選択肢が多すぎる。
「使いどころの難しい手札ですな。とりあえず、死んでいることにするのはリスクが大きすぎますね」
補佐官もテロに巻き込まれたことにする方が楽、というのが実際のところなのだがジェンスだけならともかくWOZも既に知ってしまった。相手に起爆装置を握らせるようなものでこの選択肢はなしだ。
では表に出すか?こちらの用意したシナリオに沿わせるならば上手く利用できるかもしれない。しかしまぁこれもかなりリスクが高く、理屈通りに動く保証がない。そもそもその大統領補佐官がどのような人物であるかをカリートリーは知らない。
とりあえず無難なのは匿うことになるだろうか。つまり、棚上げだ。
「お前は帰還を一旦繰り下げてWOZ側からの引き取りを迅速にできるように待機しろ」
「承知しました」
やれやれまたお使いか。カリートリーは憮然としたが本営でゴタゴタの後処理をしなくて済むではないかと自分を納得させた。
クリスティアーノはその大統領補佐官をどう扱うかに意識を奪われているようだった。これはしょうがない。僥倖。クリスティアーノにはそう映っている。マウラを手にし、これから外部勢力との争いに本腰を入れようとするのにその手札は強大な影響力を持つだろう。
強大過ぎる。カリートリーはそう思った。これは取り扱いを間違えれば破滅を呼び込みかねない手札である。とはいえ、この手札を切る資格をマウラは現時点では有していない。どちらかと言うとローズを利用したシナリオを用意した上でいずれかの陣営に提供するのがマウラの手になるだろうか。
しかし奇妙なことになったものだ。ロバート・ローズというジョーカー。それを招き入れたルビエール・エノー。船出したばかりのクリスティアーノ閥をこの2人はどこに導くのか。知らずカリートリーの表情もクリスティアーノと同様に目を輝かせていた。