7/2「ペテン・詭弁」
7/2「ペテン・詭弁」
連合大統領の暗殺テロをたまさか逃れたロバート・ローズはイージスの一室にほとんど軟禁状態だった。今の彼はイージス隊がWOZに飛び込むための切り札、あるいは特大の爆弾である。不必要な動揺を避けるためにルビエールはローズの存在を隠しており、彼の身元を知る者は今のところマサト、リーゼの2人だけである。
このまま連合圏に帰還するまで隠匿できるならいいのだが実際には難しいことは承知であるし、ローズ本人に状況の説明も必要だった。ルビエールがローズの船室に入った時、彼はちょうど食後の紅茶を口にしているところだった。
「いい茶葉ですね」
ただ事実を言っただけのローズに対してルビエールは皮肉のように感じて食事の貧相さと紅茶の不釣り合いを説明した。食事は節約されている一方で茶葉はクサカのスタッフから取り上げた上物だと。ローズの方は余計な気遣いをさせたと苦笑しながらなるほどと納得するのだった。
後に歴史を左右する2人の最初のコンタクトがそれであった。
「で、僕はこれからどうなるんでしょうね」
「我々イージス隊はローマの部隊です。必然、貴方は我々の司令であるトロギール・カリートリー大佐に引き渡されることになります。彼はクリスティアーノ・マウラに属する者ですので、その手中に入ることになります」
カップに残っている紅茶を回しながらローズは記憶を手繰った。
「マウラは知ってますが、いまの言い方だと少し違和感がありますね」
ルビエールは無意識にマウラとクリスティアーノの差を口にしたことに気付き、それを敏く拾ったローズに驚いた。
「はい。クリスティアーノ・マウラ個人に預けられることになるでしょう」
「なるほど」
ローズはしばらく黙って紅茶の色を見ていた。
「まぁ、その方のことは置いておきましょう。それだけを説明するためにきたわけではないですよね」
ローズは席を示して対話の姿勢を見せた。ルビエールは頷くとイージス隊含む諸隊の現状を説明した。WOZという単語が出たときはさすがにローズも驚いたものの否定的な顔をしたわけでもなく話を全て聞き終えるといきなり核心をついた。
「つまり、僕をWOZに対する取引材料にしたいと」
「話が早くて助かります」
臆面もなく言い切ったルビエールに苦笑しながらローズは残った紅茶を一気に飲み干した。
「僕にそんな価値があると?」
「あるように見せかけることはできます」
このペテンの提案にローズはあっさりと頷いて再びルビエールを驚かせた。
「政治的な才能がおありのようだ。結構ですよ、いくらでも利用してください。責任は持てませんけど」
「助かります。何か不都合はありませんか?」
「贅沢は言いませんが、夕食には程よく酔える程度の酒類があればと」
少し考えてからルビエールはニヤリと笑った。
「かなり上物のワインが目録にありました」
「クサカの?」
言うまでもないだろう。ルビエールは悪戯っぽく笑ってローズと秘密を共有した。そうして次の話に移る。
「私は個人的なよしみでクリスティアーノ・マウラと繋がりがあります。よければグレートウォールで何があったか、お聞かせ願えますか」
一個部隊の指揮官にしては出過ぎた言葉にローズが眉を潜めたのが解る。しかしカリートリーなら間違いなく言うだろう「状況を活用せよ」と。相応だろうが不相応だろうがロバート・ローズはいま現在ルビエールの手にある札なのである。それにルビエールの言い分もまるっきり嘘ではない。確かにルビエールはカリートリーとの縁がある。内容次第ではローズに有利な状況を招くことも可能かも知れなかった。
「知りたくなかったなんて言わないでくださいよ」
そう前置きをしてローズはいまだ表には出ていないであろう真実を語った。まるで自分の黒歴史を白状するような気持ちであったがそれを人に語って聞かせることで彼自身も見過ごしていた部分に気付くことになった。
グレートウォールでの顛末を聞き終えたルビエールは頭痛を覚えてこめかみに指を当てた。
呆れ果てた無責任。
それが連合大統領に対するルビエールの評価だった。思惑はどうあれ結果として特大の利敵行為となった。それが大敗北のきっかけになったのだから同じ現場に居た者としては到底容認できる行動ではなかった。
「あまり言いたくはありませんが、払った代償があまりにも大きすぎます」
「仰ることはもっともです。弁護するなら、あんな結末になるとは大統領も予測していなかった。いや、もっと言えば」
そこで一度区切ると少しの躊躇の後に、ローズはあくまで個人の見解と念を押してから気づいた違和感を口にした。
「おそらく、あの結果はハーマンにとっても予測していなかったことだった。僕はそう思いました」
最後の数刻、ローズはその場にいなかったがその直前のハーマンを見ても彼が自爆テロをする論理的な理由は見当たらなかった。暗殺、それだけで事足りるはずである。ハーマン諸共である必要はないのである。
つまりあのテロを企てた者にはゴールドバーグ以外にも殺すべきものがあったのだ。例えばそれは、真実とか。
「つまり、テロを実行した者と企図した者は別に存在すると」
確認するようにルビエールは呟く。あり得ない話ではないか。どういう狙いがあったにせよ誰かが自らの手を汚さずにハーマンに手をくださせ、その所業を押し付けた。これはローズの推測でしかなく、証明不能ではあるが説得力はあるし、真実がどうであれシナリオとして魅力がある。
これでジェンス社がローズを秘密裏に手放す理由にも筋が通る。ジェンス社はマウラを通じて地球連合にスマートに大義が得られるシナリオを提案しようとしているのだ。
もう一つ明らかになることがある。火星とジェンス社は利害の一致した協力関係にあるわけではないということだ。しかし、この事実は地球にとって大した慰めとはならない。無邪気な平和願望を抱えた大統領が和平を提案し、それを火星に利用されて大敗北の切っ掛けとなったのだ。
ほろ苦い笑みを浮かべてルビエールは連合大統領の愚挙を知った上層部や国民の混乱を想像した。今現在ですら敗北の責任を方々で押し付け合っているなかでその原因が大統領にあると知ればどうなるだろうか。
いや、待てよ。ルビエールはしばし目を躍らせた。
連合大統領の愚挙はそもそも公表されるのだろうか。そんなことをしても誰も得をしないのではないか。しかもその真実を知る人間は極僅かである。ルビエールはようやくジェンスの悪辣なシナリオを読み解けた。
「この話は封殺され、脚色される」
ルビエールの考えを既に経過していたのかローズは同意した。ドースタンには真実がなく、都合よくシナリオを捏造できる状況が揃っていた。そのシナリオに真実味を与える道具としてロバート・ローズは使える。脚色の仕方を考える猶予のためにもローズの生存は伏せられた。
「有り得ます。あまり気持ちのいい話ではありませんが例えば大統領が罠にはまった悲劇のヒーローとすることも徹底的な愚者とすることもできるでしょう」
恐らく前者だな。ルビエールは思考を回転させた。仮にも自分たちの大統領なのだ。ヒロイックに祭り上げる方が列強国にも都合がいいはずだ。そこで思考に引っかかりが生じた。
ジェンス社はローズとクリスティアーノに何を求めている?火星の思惑とジェンスの思惑には差がある。ジェンスは火星だけでなく地球の勢力にも肩入れしている。ジェンスは地球でもマルスの手のような勢力を生み出そうとしているのだろうか?そう考えれば列強国でなくマウラに渡すことには筋が通る。
一方で、マウラはいまだ勢力としては弱であり、シナリオを仮に用意してもそれを通すだけの影響力はない。マウラがローズを活用するなら列強に媚を売る使い方しかない、それでは結局列強の肩を持つことになる。体制転覆には逆行する展開である。さらにややこしいことにジェンスは反列強である4Cには全く興味を示していないし、カリートリーにも関わるなと念を押している。そしてカリートリー自身もこれを受け入れたのだ。
そこでルビエールは重要な材料が抜け落ちていることに気付いた。
「マウラとはどういう存在なんですかね」
ほとんど同じ思考を辿っていたのかローズは同じ疑問を口にした。ルビエールすらその本質的な部分は解っていない。ただ状況に流されてその枠組みに入っているだけのことだった。考えてみれば恐ろしい話だ。自分の属している組織・勢力の考えをルビエールは知らない。ただ、今のところ否定する要素もないのだが。
「マウラは、クリスティアーノ・マウラは5年後を見据えて動いている、と考えられます」
その数字に覚えのあるローズは途端にルビエールに警戒感を見せた。一介の部隊指揮官が持っているはずのない情報だった。
「なぜ、あなたがそのことを知っているのですかね」
危うい情報を与えたことをルビエールは自覚していたが、それは同時にローズからの信頼を得るための賭けだった。
「クリスティアーノ・マウラ、そしてジェンス社から得ました。ただ、私自身はその意味をあまり知らされてはいません。マウラもジェンス社もそこを見据えて動いているとしか」
ルビエールの言葉をどれだけ納得したかは定かではなかったがローズは垣間見せた警戒感を収めた。しかしあまり気持ちのいい状態ではない。ローズはゴールドバーグの行動理由の一端を思い出したのだ。ゴールドバーグはその5年後を見据えて彼を動かそうとした者達が気に入らなかった。つまるところマウラもその片棒を担いでいたのではないか。
「あの人は、大統領はその5年後を利用して自分たちに都合のいい世界を作ろうとした人間に抵抗したんですよ」
吐き捨てられた言葉を咀嚼したルビエールは慌てた様子で首を振った。ローズとの認識にズレがあった。
「マウラは、クリスティアーノは違います」
違うはずだった。先のジェンス社との会談でもサイトウはその点にこそ驚いていた。ローズも同じように驚いた表情を見せたが、そのニュアンスは異なる。
「どういう意味です?」
ルビエールはどう説明すべきか迷い、自分自身でも整理をしながらカリートリーとサイトウの会談の内容を散文的に説明した。この説明は却ってローズからみたクリスティアーノという人物を不可解な存在にした。しかしルビエールにとっても不可解な存在であるのだから上手く説明できたとも言える。
「よくわかりませんね。つまりその人は5年後に何が起こると考えていて、何をしようとしているんですか」
「それが解るのであれば私も旗色がはっきりできるのですが」
ルビエールの率直な言葉にローズは苦笑して多少の理解を示した。ある種のシンパシーを感じたようである。同じ振り回される者として。
「いずれにせよ、僕はクリスティアーノという人物に預けられて、使われるということだ」
話の転換にほっとしながらルビエールは頷いた。
「流れの上ではそうなります。ただ。私はその流れに一石を投じたいのです」
首を傾げたローズにルビエールは説いた。仮にローズを交渉の材料としたところでWOZ側はローズ・マウラとだけ交渉すればいい。イージス隊や諸隊のことなど歯牙にもかけまい。ルビエールとしては餌だけを取られることは防がねばならない。そのためにローズには餌としてだけでなく、釣り針の役割も果たしてもらう必要がある。
そのためにルビエールは覚悟を決めていた。
「この先、ご自分をご自分以外の人間の道具にしたくないのであれば、自分の足で立って、戦うしかありません。私はあなたにその意思があることをクリスティアーノ・マウラとWOZに示しましょう」
これはルビエールがクリスティアーノ閥の一員であることを宣言するのと同義だった。もちろん、ルビエールだけがそう言っても肝心のクリスティアーノがそれを認めるかは別だったが今はローズ、そしてWOZにだけそのように認識されればいい。
ローズはしばらくの間ルビエールの言葉の意味、そしてその奥にあるものが覚悟なのか狂気なのかを見定めていた。つまり彼女はWOZとマウラ両方を相手にペテンを賭けようと提案している。
理はある。実際問題としてローズはこのままいけば政治の道具として振り回されることになる。恐らく、気持ちのいいものではないはずだ。そうならないようにするためにはどうすればいいのか。
ああ、なるほどね。ローズは自身のいま立っている場所がゴールドバーグに近しいことに気付いて苦笑した。すると途端に彼の心にある種の反骨心がもたげてきた。そう、連中の思い通りになってやる道理はない。ペテン上等ではないか。
「なるほど。それは僕にとっても意味のある提案です。散々世の中に振り回されたんだ、少しくらいは身勝手にさせてもらいますか」
ローズは賭けにでた。かつてゴールドバーグがそうしたように。1つ違うのは彼には道連れとなる共犯者がいることだろう。
哨戒艇に付き従ってイージス隊ら諸隊はWOZの領域を進んでいた。かなり食い込んだ位置まで進入しており火星側の脅威を心配する必要はなくなったがWOZ側の哨戒艇に周囲を取り囲まれての道のりは緊張感という意味ではむしろ高まった。
ルビエールも近づく勝負の交渉にはりつめていた。自身の弁舌に隊の命運がかかっているのである。次に相手をするのは先の警備隊長のような末端の現場指揮官ではない。重要な決定権を持つタフな交渉相手となるのは間違いないだろう。
イージスの高性能レーダーが新たな艦影をキャッチしたとき、イージス隊は停止を指示された。
警備艇とは明らかに異なる優美な非武装艦艇が本格的な軍用艦艇に護衛され出現した。WOZ側の外交官に相当する者が乗っているに違いない
「お出ましですね」
マサトが呑気に言う。この少年はルビエールがWOZを相手にどう立ち回るのかを興味深い見世物と見ている。腹立たしいがこの戦いの準備にもっとも強力な支援をしたのもマサトである。
「やれるだけはやってみるさ」
用意した手札を頭の中で再度整理した。物質的な、あるいは実体的な手札としてクサカとイスルギという手札はあるにはある。しかしこれはルビエールの権利の範疇にあるものではない。これを切るときはクサカとの関係も切ることになる。可能なら伏せたままにしておきたい。とすると別の何かが必要であった。
マウラとローズ、そしてエノー。
果たして相手はこの餌に喰いつくだろうか。
交渉は通信でもなければ、相手側の艦でもなく、イージス内の船室で行うと通達された。WOZ側が例え交渉であっても相手を自領域に入れることを認めていないことの現れとも考えられるし、クサカ社最新鋭艦への興味とも考えられる。いずれにしてもルビエール側に選択肢は与えられていない。
交渉が最悪の結果を迎えた場合は、その外交官を人質にすることになるだろうか?考えたくもない想定だった。
イージスのハンガーで連絡用シャトルを出迎えたルビエールは目を見張った。
「初めまして。WOZ外務省外務官マチルダ・レプティスと申します。ようこそ、と言うのは時勢的に相応しくないでしょうね」
長身で均整の取れた身体、白い肌、腰まで及ぶロングストレートの銀髪はそれ自体が一つの芸術作品だった。美しい、という表現で他の女たちと同じ括りにするのは彼女に失礼だろう。自分自身、その枠の中にいながらルビエールはマチルダ・レプティスをそう評した。血に与えられたものとはいえ見た目に関してこれまで劣等を感じる経験のなかったルビエールですら怯むほど、そのノーブルブラッドの女は美しかった。
「同じく、次官キャシー・アグスティンです」
もう一人、こちらは癖の強いウェーブのかかった金髪、小柄の女性が名乗る。誂えたように対照的なアイコンを持つがこちらも美しいと表現するに相応しい見た目をもっていた。
イージスのもっとも上等な船室に案内されると金の方がまずは手持ちの武器の提示を求めた。
「形式的なものですけど、やらないといけないんで、すいません」
ルビエールから武器を受け取った金髪の女の気さくな言葉に戸惑いながらルビエールは席につく。
「あら珍しい」
不意に銀髪の外交官は表情を緩めると部下に手を差し出してその手にある銃を手に取った。
「M87拳銃の士官用モデル。こちらでは見かける機会のないモデルですわ」
交渉相手が銃を持つことでルビエールに緊張が走ったのに気づいてマチルダは弾倉を外すと部下に投げて見せた。
「面白いですわね。火薬で鉛弾を撃ち出すだけの原始的な武器。いまじゃ軍事的にはほとんど役に立たない代物なのにそれでもこうして残り続けて相手に脅威を与え続けている」
銃。人類の戦争を槍と弓から継いだその原始的な武器は現代の発展した防御システムにはほとんど有効打を与えることができず軍事活動には補助的な役割しか与えられていない。しかしどれだけ技術が発展しても人間の基本的な生体は変化していない。つまり、人間は鉛弾を撃ち込まれれば死ぬということ。いくら防弾繊維が安くなったところで日常的な衣類に用いるのはオーバープロダクトであり標準化されることはない。例えそれらが普及しても顔面は基本的に無防備なままである。結果、銃は効率的な人殺し及び脅しの道具として今なお残り続けている。かつて銃にその座を追われた刀剣がナイフとして今も残り続けているのと同様に。
「ステンレス仕上げなのはあなたの容姿に合わせたのですか?」
得体の知れない不快感にルビエールの眦が吊り上がった。それを察した相手はこれまでの相手と違い、その美貌を嘲りに変えた。
「別にそんな物騒な顔をするような質問ではないでしょうに。せっかくのお顔に自信をもたれては?」
このやり取りでルビエールはこの相手を嫌いになった。
マチルダの意識はほとんどルビエールには向いておらず、手に持った銃の方にあった。慣れた手つき状態を確認するくるくるともてあそぶ。弾は入っていないにしても気持ちのいいものではない。
「譲ってもらえません?これ」
「は?」
不意の発言にルビエールは目を白黒させた。
「この手のアイテムを蒐集している友人がおりますので土産にと。もちろんこれは個人的なお願いですので、謝礼は提供しますわ。個人的に」
しばしルビエールは怪訝な顔をした。装備品の譲渡はもちろん軍規違反であるのだがたかが拳銃の一丁なので紛失扱いにして交渉材料にするくらいの裁量はありだろう。問題なのはこのような自由奔放なことをする相手が交渉相手として信用できるのかということだ。
「私に借りを作っておくのは悪くないと思いますよ」
ルビエールの懸念を見透かすように相手は言う。それは確かにあろうが。ルビエールは理屈よりも感情的な理由でこの提案を蹴りたくなっていた。単にこの女が喜ぶことをしたくない気分だった。それを自覚した時にルビエールの理性が働いた。
「紛失したことにします」
「あら、それは大変。武器の紛失なんて物騒ですわね」
ルビエールは口の端が痙攣するのを感じた。個人的な感情でこの女を嫌いになることを決めたが、果たしてこの女を好きになる人間はいるのだろうか?
「さて、目的は既に聞かせてもらっています。さっそくですが、そちらの武器をしめしてもらいましょうか」
銃をくるくると回しながらようやくマチルダは本題を切り出した。
武器。いまマチルダが手に持っている銃のことではない。この言葉の意味をルビエールは即座に理解した。自分たちの目的を果たすための意思伝達手段としての武器。
この女はルビエールたちが何の武器も持たずに交渉に挑んでいるわけがないと踏んでいるのだ。
「我々はとある御仁を連れております。これを何としてでも連れ帰る必要があるのです」
「やんごとなきお方ですか。まさかあなたではありませんよね」
「大統領補佐官です」
その言葉がでた瞬間にマチルダ・レプティスは銃を弄ぶ手を止めた。
「厄介なシロモノですわね」
慎重に言葉を選んでいるのが伝わる。この女はルビエールの言う人物の危険性を即座に看破したらしい。ならばとルビエールは畳み掛けた。
「我々はロバート・ローズ大統領補佐官をジェンス社から引き取り保護しているのです。ドースタンでの顛末を証明するためにも何としてでも帰還せねばならないのです」
ジェンスの名を出すのは賭けだった。ジェンスとWOZは潜在的な対立関係にあるという。ジェンスを貶めるチャンスとWOZが捉えるかもしれない。逆にジェンスがWOZを貶める罠と考えることもあるだろう。
しかしイージス隊の行動を裏打ちするのには真実を話すことの方が重要だとルビエールは判断した。仮にジェンスに不都合に展開してもイージス隊に影響しなければそれはそれでいい。
「なるほど。強引な手段を取るのも頷ける話です。しかし」
上辺だけの理解を口にして銀髪の外務官は口火を切った。
「迷惑な話ですわね。我々WOZは他国の争議、一切願い下げる。巡視隊もそう仰ったのではありませんか?」
「そうお聞きしました。しかし実際にはあなたはここにいて我々の言い分を聞いています。他国との争議に興味があるのではないでしょうか。例えば、ドースタンで何が起こったのか。あるいは、この先、世界はどう動くかなど」
他国の争議には関わらない。本気でそう願っているのなら外務官でなく、軍がここにいるはずである。この先も不干渉でいられるとはWOZも思っていない。そこにイージス隊だけでなくWOZにとっても糸口はある。
交渉相手の不遜な態度にマチルダは美しい唇を軽く歪めた。敵意とは異なる、弱い相手の抵抗を面白がるサディスティックな笑み。
「自分から飛び込んでおきながらこちらを引き釣りこもうというわけですね。いい度胸をなさっています」
「当然でしょう。大統領のこと云々を抜きにしても我々は生き残って帰還したいのですから。相応に腹は括っています」
不遜な物言いには手段を選ばないという脅しも含んでいた。マチルダは判断を迷っている風には見えなかったが結論を提示するのにたっぷりと時間をかけた。
「よろしいでしょう。出られる保証はできませんが、それでよければ入れて差し上げましょう。とりあえずは」
美しい唇はルビエールの求めていた言葉を可能な限り不吉に彩ろうとしていたがあまり効果はなかった。
ステップ2。ルビエールは餌を相手の口に放り込み釣り針をひっかけることに成功した。もっともそれは次の瞬間には漁師ごと引き釣り込んで呑み込みかねない怪魚との死闘のはじまりに過ぎなかった。
ドースタン大会戦での戦いを未曽有の勝利で収めた共和軍ではあったが、その後の処理には頭を悩ませていた。最大の争点はフランクリンベルトをどうするかだった。
第七艦隊が壊滅したとはいえいまだ健在のワシントン師団とフランクリンベルトの自衛軍の存在はフランクリンベルトを難攻不落な拠点とするには十分な戦力だった。
これを陥落させるのか。封じ込めるのか。そしてそれを誰がやるのか。難題である一方で思っても見ない千載一遇のチャンスでもある。
遅ればせながら合流を果たしたハウの分艦隊によって陣容を万全としたエレファンタ兵団は幕僚の全てを集めた。
「まずは戦略目標が決まらんことにはどうにもなりませんな。拠点を破壊するのか、奪取するのか。連合市民をどうするかも問題です」
フートの切り出しに幕僚たちは唸る。
共和軍の中でも多種の作戦に対応可能な彼らであってもこれほどの大拠点攻略の経験はない。どれだけの想定をしても思わぬことは起こるものだ。まして民間人も多数いるコロニーでは起こらない方がおかしい。それに都度対応していくことが求められる。それに自信を持てる者はいなかった。例えそれをこなしたとしても無垢の市民をどう扱うか、管理していくかなど考えたくもない難事も目白押しである。
「追ってボルトンが来るさ。それでだいたいは決まる。むしろ俺たちにこの先お仕事が回ってくるかどうか」
青白い細身の男が口を開いた。フリッツ・ケイロス大尉。エレファンタ兵団の特殊部隊ブルーの一員であるこの男は情報部出身という異色の経歴を持ってロジャー・ハウの元でエレファンタ兵団の敵と定義される相手を調べ上げる役割を持っていた。
「どういう意味ですか」
レインがこの男に噛みつく。同じ部隊内にいる2人はその役割から反目し合う。しかしケイロス自身はこの赤髪の少女を相手にはしていない。
「よく働いてくれたから休暇をもらえるってことだよ。噛みつくな」
「なるほど」
ケイロスの言葉の裏を汲んでフートは呟いた。確かにエレファンタ兵団は総統府の思惑を越えて働き過ぎている。ボルトンに働かせたいという意図があるにしてもエレファンタを休養させることそれ自体は筋も通る話だ。
「ここらでしばらく大人しくした方がよいかもしれませんな」
先のドースタン会戦の独断専行はあまりに危険な賭けだった。総統府は好き勝手に暴れるエレファンタを危険視していてもおかしくはない。つまるところ自主的な謹慎をしようということだ。
もちろんライザは不服そうであった。戦争はまさにここからなのである。サンティアゴはともかく、後を任せて安穏とできるほどライザはボルトンを評価していない。
「隊長はどう思いますか?」
フートに水を向けられてそれまで黙していたハウは幕僚たちの注視を受けた。ハウは全く別のことを考えていた。
「状況が変わり過ぎている。総統府は展望を拓くこととその修正に力を注ぐだろう。ここまで来た以上、戦略的な勝利が必要になる。フランクリンベルトは破壊してでも処理しなければならないだろう。問題はその先だ」
ハウはケイロスに問うた。
「総統府はこの戦争をどう処理するつもりなんだ?」
ケイロスは周囲を見渡して口に指を当て、次の発言の機密性を示唆した。
「情報部が妙な動きをしてましてね。5年間、それだけの期間を優勢に運べれば有利な講和に持ち込めるという話を前提に工作してます」
「5年ですか。何のイベントがありましたかね」
フートは口にしながら考える素振りを見せなかった。それで思い当たるようなものならとっくに誰か思いついているだろう。
「そこまでは。5年後に両者が講和せざる得ない何かが起こるのか。もしくは起こると思わせることに意味があるのか。いずれにしても政治屋がそれで動いてるんだからこっちも付き合うか、振り回されるかのどちらかしかない」
5年。このタイムリミットを信用できるかはともかくとしてあるとないとでは戦争の展望はまるで異なってくる。当然、あるとする方が火星にとっては有利ではある。
「それならそれで総統府の次の動きは予測できる」
ハウの言葉に全員に緊張が走った。ハウは再びケイロスに問うた。
「総統府は共同体と手を組もうとするはずだし、共同体は乗ってくる。違うか?」
誰もが驚愕に捉われるなかでケイロスはニヤリと笑った。
「なるほど。ありえますね」
ここまでくると総統府は腹を括って突っ走るしかない。諸々のデメリットを飲み込んででも地球への打撃を優先するだろう。
「ただ問題は共同体がどこまで本気になるかってとこですよ。連中は内も外も敵だらけで疑心暗鬼の塊ですからね」
ケイロスは軽蔑の色をもってそう評した。
「中途半端に参加されても月が出てきて抑えられたらおしまいってんじゃ意味がない」
共同体を動かしてもそれが一部であるなら話にならない。火星と本格的に相対したくない月は喜んで共同体と相対するだろう。共同体には月と相対した上で地球に対しても戦えるだけの参画をしてもらわなければ意味がないのだ。さらにWOZとの絡みも考えると状況が複雑化するだけで不利益にすらなりかねない。これは幕僚たち全員も共通した見解だった。
「いや、俺はそう思わない」
ハウの言葉に皆は意外そうな顔をした。
「月も揺れているはずだ。総統府もその点を突く」
「月を味方にするってことですか」
「そこまでは無理だろう。しかし大局が地球の防衛戦争であるならば月にとっても身の振りようはかわってくる。5年という前提が月にもあるなら尚更だ」
ケイロスは大きく頷いた。
「なーるほど。共同体が腹を括って参加してくれば月もただでは済まない。5年の間に状況が覆らなければ戦争の終局は地球不利での講和になる。月にとっては骨折り損の最悪のパターン。そう思えるような状況を作るだけでも意味はある」
顎を撫でながらフートもハウの展望を自分なりに辿った。
「そうなってくると余計に5年という設定に確証が欲しいところですな」
この言葉を切っ掛けにケイロスに視線が集った。
「それで俺の仕事ってわけですね。んじゃ俺は本国で動くことにしますよ」
「いいだろう。好きに動け」
もとより、それがケイロスの役割である。そこにライザは完全な自由裁量を保障している。軍人として政治屋の動きを軽蔑しながら、政治的なやり口を選択するライザの矛盾がそこにあった。
「カルタゴ兵団より通信です」
その報告にライザは眉を動かした。このタイミングでの通信はカルタゴも動くことを推測できる。本営が攻勢を本格的に決定したということか。
「どうも先輩。ドースタンでは大活躍だったそうで」
通信画面に現れたカルタゴは冴えない表情だった。ドースタンの激勝はさらに彼の立場を弱めることになっただろう。とはいえ、それを慮ってやる道理もないが。
「お前も引っ張り出されたか」
「ええ、ドースタン及びフランクリンベルトの防御態勢が整うまでの戦力としてですね」
「獲るための戦力でなく守るため?フランクリンベルトはもう取ったつもりか」
気の早いことだ。ライザは嘲笑の表情を浮かべた。フランクリンベルトの攻略はこれからだ。封殺されているとはいえまだ抵抗には十分な戦力があの防衛拠点にはある。
しかしカルタゴの表情は別の前提によって困惑してのものだった。
「それがどうにもフランクリンベルトに関しては攻略戦を想定していないようなんですよ。ボルトンにもそういう動きはありません。サンティアゴも同じでしょう?」
カルタゴの言葉に含まれた違和感にライザは即座に気が付いた。
「おい待て。うちはどうなってる」
一瞬カルタゴの顔は無になって、続けて大きなため息と呪詛が吐き出された。
「まだ伝わってないんですね。いや、違うか。わざと遅らせて僕に言わせる気か。くそ作戦部め」
カルタゴはライザの激発を覚悟しながら慎重に口を開いた。
「エレファンタ兵団には捕虜の本国移送を行うように命令が来るはずです」
「ああ?」
ライザの血相が変わった。他の閣僚たちも不名誉極まる雑用に憮然とした。ただ一人、ケイロスが声を上げて笑い出す。
「状況が総統府の想定を超え過ぎたんでしょ。しかしここまで露骨にやるとはねぇ。お上は相当お冠ってわけだ」
「しかし、それでフランクリンベルトはどうするつもりでしょうね」
フートは強引に話題を戻した。この疑問に皆が考え込む。答えを出したのはハウだった。
「予想はできる。だがどうなるにせよそれほど待たずに結果は出るし、その仕事に俺たちの役割はなさそうだ」
言葉を切ってハウはライザを見据えた。これ以上話してもしょうがない。ここからは戦争でなく、自分たちのことを考える必要があるのだ。
エレファンタ兵団が動けば否が応でも状況は動く、ドースタンの件で総統府はそう結論付けたことだろう。総統府は温存という名目のもとにエレファンタ兵団には大人しくしてもらおうとしている。
幕僚の全員の視線が向いてライザは居心地悪そうに全員を見渡した。
幕僚たち全員が承知しているのである。ライザ・エレファンタは自分から大人しくすると言えばそうするが、誰かに大人しくしろと言われてもそうしないことを。
しばらくしてライザは観念したように宣言した。
「解った。待つよ、待てばいいんだろう」
こうして第二次星間大戦において鮮烈な序章を演じたエレファンタ兵団は一時歴史から姿を消すことになる。しかしこの火星総統府の判断はあるいはその序章以上の激烈な一撃を大戦にもたらすことになる。
グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「ライザ・エレファンタ」
ライザ・エレファンタと言えば第二次星間大戦における最重要人物の1人だ。その破天荒な生き様で人気もある一方で誹謗の対象になることもしばしばだ。
実際、余計なことをしやがったとその業績を酷評する者は当時、さらに現代の研究者にもいる。
いつの時代でも戦争において軍が政府を振り回すことは好ましい状況ではないからな。それも当然だろう。文民統制の観点からも至極真っ当な考え方だろう。この点でライザ・エレファンタは度が過ぎていた。それは事実だ。ただし、全てではない。本来は。
ライザ・エレファンタは戦争を始めた。これも一部分においては真実だろう。そしてその一部分の真実こそが重要視され、やがては全てになった。歴史では往々にあることだ。
結果どうこう以前に何をしでかすか解らんのだ。ドースタン会戦後に事実上の更迭を受けたのも当たり前の処置と言える。
ライザ・エレファンタは政治家に生まれるべきだった。とはよく言われる言葉だ。どうだろうな。私は正直なところ想像がつかない。そもそも政治家になってどこに所属するというのだ。火星共和党?マルスの手?どっちもありえないだろう。
ライザ・エレファンタは真っ当な軍人ではなかった。しかし軍人としてしか生きることのできない人物だった。それは彼女のその後の生き様によって証明される。その生き様は、多くの人間を呆れさせ、驚かせることになる。
さて、再び想定外の大勝利を得た火星だったが、先の展望があったわけではなかったはずだ。戦略上ではドースタンを攻略しようとしていた第七艦隊を壊滅させたとはいえ、ワシントンは健在であり、巨大軍事拠点フランクリンベルトも健在のままだ。軍事的に考えればしばらくはその攻略、あるいは封じ込めで戦線は膠着すると思われていた。しかしここでジョン・サウスバッハは稀有な政治采配を見せた。
火星共和連邦はフランクリンベルトに対して期限付きで無差別攻撃を加えることを布告したのだ。
国父アルフレッド・ブレナーの火星革命における故事に倣ったんだろうな。ゆえに恫喝としては極めて効果的に機能した。
地球連合、そして列強国アメリカは2択を迫られた。フランクリンベルトを固守して膨大な被害を出すか、明け渡すかだ。
選択は後者となった。
フランクリンベルトを放棄したことはあるいはドースタン会戦の結果以上の失策だったかもしれない。最前線たる拠点を放棄したことで連合軍の支配宙域は大きく後退した。それだけではない。火星共和軍は多数の地球連合市民を肉の壁にした策源地を得たわけだ。
ここから戦争は一気に燃え広がり、一気に手におえない状態になっていく。
もっとも、だったら他に何か手があったのか?と言われると私は答えられない。市民諸共にフランクリンベルトを死守しろと言えたものだろうか?そんなことを言えるのは結局のところそれらのものに責任を持たない者たち、つまり我々のような人間たちだけだろう。
火星はお祭り騒ぎになった。またしても想定外の大勝利を勝ち取ったマルスの手だったが心境は複雑だったろう。この戦い以降、火星総統府は明らかな方針の転換を行う。つまり守る戦いを放棄し、攻める戦いに転じたということだ。危険な賭けではあったが加速的に変化する状況が火星の尻を蹴飛ばした。彼らももはや安全な椅子に座ってはいられなくなったわけだ。
もちろん、この影響は両国だけに留まらない。もっとも頭を悩ませることになったのは月だろう。日和見な共同体の多勢も勢いのある方に傾きはじめていた。
バランスが崩れたのだ。
なに、私がエレファンタを好きかどうかだって?
好きに決まってるだろう!




