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6/7「歴史の紡ぐもの」

6/7「歴史の紡ぐもの」

「全くバカげてる!」

 ソウイチの言葉は非難というよりは嘆きに近かった。その身体をカウチに投げ出して天井を仰いだ。

 彼をして今回の件は完全に想定外だった。火星が暴走してくれたおかげで事なきを得たものの、和平など実現されてはたまったものではなかった。

「あのオッサンは一体何を考えてんだ。さっぱりわからない!」

 ソウイチの疑問に付き合う者はその部屋に一人しかいなかった。

「さて、人間というのは常に理屈で動くわけではないさ。その程度は解っているだろう」

 ディニヴァスの言葉にソウイチは満足しなかった。

「ああ、もちろんそのくらいはな。だから、そういうことをしなさそうな奴を据えたんだろう!」

 ゴールドバーグは理性的な厭世家のはずだった。追い詰められて自己保身に動くことはあってもあんな破れかぶれな行動をとるはずはないのだ。

 それがどうだ!

 ソウイチはあのジジィのおかげで散々に振り回された。人生でも稀にみる慌てぶりで酷く無様な気持ちを味わうことになった。

 逆にディニヴァスはその様子を実に愉快そうに観察していたのだった。

「ま、計算違いだったのは確かだが、結果だけ見ればより一層の破断になったわけだ。俺たちが考えるべきは別の方だろう」

 カウチに身を投げ出したままソウイチは視線を泳がせた。

 確かに、考えてみればそれほど思惑違いの結果になったわけではない。後始末に奔走させられて全体の総評を後回しにしていたことにソウイチは気づいた。

 戦争回避しようとする者たちの邪魔は入ったものの、戦争は起こった。むしろこれ以上ないくらいの破断によって。

 しかし想定外があまりに多すぎる。ここからはシナリオ通りというわけにはいかない。修正すべき点はいくつもある。

「火星の勝ち過ぎだ」

 ソウイチの結論にディニヴァスは頷いた。

 勝ち負けは大した問題ではなかった。ドースタン大会戦の目的は戦争の発生にあってどちらが勝つかは大した問題ではなかった。

 そもそもワシントンと第七艦隊に対するはサンティアゴ兵団とエレファンタ兵団。両軍きっての精鋭部隊の激突。これを予測することは誰にも不可能であった。しかし、先のことを考えれば互いに負けを最小限にしようとするだろうとソウイチたちは予測していた。事実、第七艦隊もワシントンもそう動いていた。

 結果はそうした予測をした者たちを嘲笑った。

 第七艦隊の壊滅。これはジェンス社のシナリオにはない出来事だった。ワシントンのダメージも想定以上に大きい。

 ソウイチもディニヴァスも第七艦隊を不甲斐ないとは考えていない。彼らは決して悪手を打ったわけではない。エレファンタの初動が異常だった。これにつきるだろう。あの女は特殊過ぎる戦場要件を読み切ってみせたのだ。

 ディニヴァスすらライザ・エレファンタを過小評価していたことを認めざるえなかった。ピレネーの件といい、まったくあの女には祟られる。

「エレファンタは働き過ぎた。連合は第七艦隊が戦力構成から消滅してピレネーもない。戦争は火星の攻め、で当分は固定されるだろう」

 現状、火星はほとんどダメージを負っていない。あれだけの攻勢を見せたエレファンタですらそれほどのダメージは負っていない。加えて無傷のボルトン兵団とカルタゴ兵団がある。

 一点突破でしか勝機を見いだせない火星にとってはこれ以上ないほどの攻め時と映るだろう。しかも共和軍はかつてないほどイケイケの状態にある。

「困るな。とても困る。動きが早すぎる。5年も持たんぞ」

「そうだな」

 仮面の向こうでディニヴァスは苦笑している。

 火星にとっては千載一遇のチャンスのように見える。しかし、これはかつて多くの小国が陥った罠だ。

 地球と火星の国力差は現在でも3倍。これを破壊によって覆すのは不可能と考えられる。戦術的な勝利に勢いづいて突き進んだ結果、破滅した例は数多い。

 戦争とは結局のところ、相手の戦意が失われない限りは続く。火星唯一の勝利シナリオは地球側の心を折ること。その一点にしかない。

 地球には火星が攻め疲れを見せたところで反転攻勢という誰にでも容易に想像でき、かつ現実的なシナリオがある。このシナリオを抱く限り地球の心は折れることはなく、火星の勝利はあり得ないだろう。

 つまり火星はそのシナリオを打ち砕く手を用意しなければならない。さもなくば遠からず戦力を使い尽くして、壊滅的な敗走をすることになる。

 ゆえに5年という時間制限を火星には吹き込んである。しかしここに困った齟齬が生まれる。ジェンス社として5年は戦争が続いて貰わねばならない。一方で火星は5年以内に勝てばいいという勘違いが生じる恐れもあるのだ。手を誤って5年の経過時点でどちらかに戦況が偏っていては元も子もない。

「さて、じゃぁ俺たちはどう動くべきか。火星を止めるか、地球を後押しするか。政治的にか、軍事的にか」

 ソウイチの投げかけにディニヴァスは首を傾げて思案した。

 軍事的に、に関してはそれほど難しくない。いずれ火星は攻め疲れるがそうならないようにする手立てはいくらでもある、後回しでいいだろう。肝心なのは前のめりになり過ぎないようにすることだ。これには政治的に楔を打ち込んでおく必要がある。

「政治的に、だな。火星を止めるならディートリッヒが邪魔だ。あの女は勝手にやり過ぎる」

「確かに。だがあいつが一番扱いやすい起爆剤でもある」

 アマンダ・ディートリッヒ。火星の情報大臣。火星共和初の女性総統の座を狙うあの女の興味は自己にしか向いていない。ピレネーの出兵からして自らの政治的な立場を強化するための手段として悪用した。さらにはディニヴァスたちを出し抜いてハーマンとゴールドバーグの両方を葬ったのもあの女と考えて間違いない。

 率直に言えばディートリッヒはディニヴァスとソウイチにとってすら敬意を持つことの難しい人物だった。軍事的な素人でありながら戦争を道具にする愚か者。一方でその性質ゆえにジェンス社にとっては都合のいい存在でもある。

 もっとも、そんな人間はいくらでもいた。ディートリッヒの場合はその愚かさに比して影響力が過大ということを二人は問題視していた。

「程よく黙らせられればいいんだが、スキャンダルでも流すか?」

「駄目だな。過剰に反応して周りを巻き込んで暴走する可能性が高い。主敵を別に用意する方がいいだろう」

「主敵ねぇ」

 言葉に含まれた皮肉にソウイチは口の端を釣り上げた。

 火星の主敵は地球であるはずだ。ところがそうではない火星人というのは一定数いる。

「そうなると、ハーマンのジジィが死んだのは実はマズかったんじゃないか?」

 この投げかけにディニヴァスは如何にも居心地を悪そうにした。なかなか見せない様子にソウイチはニヤつく。

「現時点では何とも言えんが、奴の代わりが必要になるかもしれんな」

 ハーマンの死もシナリオにない展開だった。ハーマンに役割があったわけではないものの、今の状況においては活用できる駒でもあった。このことは後々響いてくるかもしれない。

「エレファンタに関してはどうする?」

 今回の件でソウイチはライザに対してかなり強い不快感を持ったようだった。ハーマン・ゴールドバーグと並んでシナリオを無茶苦茶にした戦犯であり、唯一生きている。そのことが不興を買っている。

 ディニヴァスとしてはソウイチの個人的な意趣返しには興味はないし、そんなことに労力を割くことは馬鹿々々しいと考えた。しかしその思考はより悪辣な回答を見出した。

「さすがに、あの女がいくら働いたところで地球が負けることはないさ。それに働き過ぎだと思ってるのは俺たちだけじゃないだろう」

 明らかに皮肉の籠った口調にソウイチはすぐにディニヴァスの言わんとすることを察し、同じく皮肉に口元を歪めた。

「まったく。誰と戦ってるんだかねぇ」

 ライザ・エレファンタは活躍し過ぎた。その活躍は独断専行という隙を孕んでいる。これを使って火星軍の一部はエレファンタの足を引っ張るだろう。

 なかなか愉快な展開だ。そのシナリオを気に入ったのかソウイチは留飲を下げたようだった。

「そんじゃまぁ火星に関してはその方向で行こう。で、次は地球だ」

 ソウイチの切り出しにディニヴァスは腕を組んだ。今度はそれほど考えなかった、というよりは考えてもしょうがなかった。

「まずは次の連合大統領をどうするのか。例によって主要国で揉めるだろう」

 さて、後任は誰になる?

「そもそも後任が出てくるもんかね?」

 ソウイチの言葉にディニヴァスは驚いた仕草を見せたが、次の瞬間には頷いた。

「ありえるな」

 連合内でゴールドバーグの暴走をどのように取り繕うかに関わらず、連合大統領の立場はより強く制限されることになるだろう。一方でドースタンの大敗北で列強の権威は失墜した。誰がどのような候補を立てたところで圧倒的な優勢とはならない。しかも先を見通せぬ今の情勢である。つまり大統領という座は得難いにも関わらずまた何の旨味もない座となる。当面の間は火星への対処が優先され連合国大統領の座は空白となっても不思議なことではない。

 そこに、自分たちの見繕った候補を滑り込ませることも可能だろうか?ディニヴァスのこの考えは口に出す前に否定される。

「空白のままでいいんじゃないか?」

「なるほど、確かにそうだな」

 ディニヴァスはソウイチの考えに納得した。誰かを座につけるよりも誰もつけない方がはるかに容易であるし、空白の椅子そのものにも利用価値はある。

「軍事的にはいまのままで、政体としては混乱してもらう。この方針でいいか」

 ディニヴァスの言葉にソウイチは歯切れの悪い顔をした。何か懸念でもあるのかと言葉を促すとソウイチはどこか気恥し気に意外なことを言った。

「いや、方向性はそれでいいと思うんだ。ただちょっと思ったのは、どうもクリスティアーノ・マウラに都合のいい展開になってる気がしてな。こいつはいいかわるいかはわからないんだが、それだけが気になった」

 思わぬキャストの登場にディニヴァスはハッとした。

 今回の件で地球側の勢力でこの状況を利せるとするなら第三勢力のマウラだった。反主要国勢力に肩入れしていないディニヴァスたちジェンス社にとっても重要なポジションに滑り込んでくるのは間違いない。気づけばジェンス社は必要以上にマウラに肩入れしてしまったかもしれない。

「あの補佐官を預けたのは僥倖となるか、はたまた爆弾となるか。うーん、ますます楽しみじゃないか」

 ソウイチの顔は言うほど楽し気ではなく、複雑そうな表情をしていた。ローズの引き渡しはマウラとのコネクションを確保する一手となるかもしれないが、後に足を引っ張る一手にもなりかねない。

 ソウイチの思考を懸念6、興味4とするならディニヴァスの方はその逆と言ったところだった。楽観できるような状況ではないにしても確かにどこか楽しみな要素とも感じていた。

「まぁ球は転がり出したんだ。追いかけるのはもうたくさんだろう」

 ディニヴァスの言葉にソウイチは首をすくめた。確かにそんな無様は先ほど嫌ほど味わった。

 この球がどれだけの意思を巻き込んで転げ落ちるのか。それを眺めることこそ自分たちらしさというものだ。


 ディニヴァスがソウイチの部屋を出ると直轄の部下が報告すべき情報を手に待機していた。

「イージス隊はWOZに向けて進発したとのことです」

「そうか、結構」

 廊下を歩きながらディニヴァスは頷いた。

 まずはそうしてもらうのが一番だ。自力で生き残れるならどうやってもらっても構わないのだが現実的にもっとも確度の高い選択肢は他にないだろう。

「WOZに手回しは本当に必要ないのでしょうか」

「必要ない」

 部下の進言をディニヴァスは一蹴した。しかし部下の方はまだ意欲を失ってはいなかった。

「お言葉ですが、イージス隊もローズ元補佐官もWOZにとっては願ってもないご馳走です。自分たちのものにしないように釘をさしておく必要があるように思いますが」

「タネが知りたいと素直に言え」

「わかりました。必要ないという理由が知りたいです」

「お前が知る必要はない」

 ディニヴァスの遊びに部下は憮然とした表情を隠さなかった。

 ディニヴァスは仮面の下で感心していた。ここで「お前がそう報告するからだ」と答えたらどういう反応をするのか興味はあったが今はまだその時ではない。

 ディニヴァスとこの金髪美貌の部下との関係は信頼関係によって成り立っているのではなかった。ディニヴァスはこの女がWOZから送り込まれた間諜であることを知っているし、相手も気付いていることを承知のはずだった。そのうえで互いを利用しているのである。この関係は互いの暗黙の了解によって成り立っていてちょっとした領域侵犯であっさりと壊れてしまうだろう。それすらお互いの切り札として温存されている。

 ディニヴァスはこの抜き差しのならない関係を気に入っていた。

 ディニヴァス、そしてジェンスエンタープライズは自分たちにのみ世界を動かす権利が与えられているとは考えていない。

 WOZ。

 この宇宙をジェンス社とは異なるアプローチで侵食する勢力。時に不倶戴天の時として、時には利害によって不可侵となってきた。ここ最近では不可侵で安定しており、これは互いにとって都合のいいものとして積極的に維持されている。少なくともジェンス社にとってはそうだ。もちろん、これからもそうだとは限らない。それを確かめるにもこの女は使えるとディニヴァスは考えている。

 ローズとイージス隊への対応次第でWOZの考え方も見えてくる。確かに美味しい餌なのは間違いないが、発送元がジェンスだと知れば安易に口にはしないだろう。そもそもイージス隊はともかくとしてローズ元補佐官は処理を間違えば特大の地雷になりかねない危険物でもある。ジェンス社としては厄介物としてイージス隊に払い下げたのだからその後はどうなろうが知ったことではない。

「働き過ぎて疲れたな。しばらく休むからよほどのことがない限りは報告しないでいい」

「休むという概念があったのですね」

 スパイ兼部下は不必要に真に迫った驚きの表情を見せたのでディニヴァスは声を上げて笑った。


 自室に入るとディニヴァス・シュターゼンは身体をシルエットごと隠す外套を脱ぎ、同じく人物特定を不可能にする仮面を部屋用の簡素なものに着替えた。

 ルビエールに言った言葉通り、その仮面の下に顔はある。しかしそれは彼にとって意味のないものだった。彼も鏡の前に立つことはあるもののそれは個人識別の可能な個所がないかを確認するためでしかない。ディニヴァス自身は自らの顔をうっすらとしか覚えていない。それも何年も前の情報で今現在どうなっているかは知れたものではなかった。意識して排除しているのではなく、見る必要がなく、覚えている必要もない。彼は何者であってもならず、仮面こそ彼を定義するものであるのだ。

 一連の儀式を終えるとディニヴァスはグラスにウイスキーを満たし、愛用のカウチに身体を預けて大きく息を吐き出し、これまで考えていたことを頭から追い出し、個人的な関心事を並べた。先のことを考えるべきとは思っているのだが、自分の思索を優先したいときもあるのだ。

 主題はもちろん戦犯の二人のことだった。

 さて、今回のテロはそもそもジョセフ・ハーマンによるものと考えていいものだろうか。多少の誤りはあろうが決断そのものはハーマンによってされたと考えて間違いない。大方、その引き金の効力を知らなかったのだろう。

 ハーマンとゴールドバーグ。この二人が平時に邂逅していれば平和の道は拓けていたかもしれない。残念ながらそうはならなかった。二人、特にハーマンには到理解の及ばないところだろうが実のところ和平の道はいくらでもあったはずだ。

 そもそも火星が特別なアクションを起こす必要などなかった。これまで通りに防御に徹していれば連合軍は遠からず行き詰まるはずだったのである。和平とは言えないまでも自然休戦を迎えることはできただろうし、それで十分なはずだった。

 考えてみればハーマンの目的は戦争の勝敗とは無縁だったはずだ。それがいつの間にやら勝つための策謀に手を染めてしまった。どういう変遷でそうなったのだろうか?

 想像は付く。彼の抱く連合脅威論がバランスを欠いていたためだ。ハーマンはこのままでは負けるという危機感に支配されていた。

 なぜそうなったのか?穏健派かつ長らく火星共和党で重役を務めてきた彼なら火星の実情は十分に把握していたはずである。これはもう片方もバランスを欠いていたからだろう。マルスの手による政権奪取。アマンダ・ディートリッヒらの無責任に思える楽観論とそれを支持する世論の先鋭化。これらが反動として悲観論をより煽り、ハーマンたちの危機感を先鋭化させたのだ。

 焦り。

 火星も地球も戦争に突き進んでいるという事実は確かにあった。火星側から仕掛けてしまったというこれまでとは異なる点によって先行きも不透明になった。何より黒幕、得体の知れない何らかの勢力の思惑通りに事が進んでいるのではないかという不信感は明らかな事実すら覆い隠し、これまで通りという無難な選択肢を抹消してしまった。

 疑心。

 マルスの手という内側しか見ていない味方とは呼べない味方、あるいは敵とは呼べない敵。これこそハーマンの戦う相手になってしまった。本来であれば共通した敵と立ち向かう味方。されど互いに足を引っ張り合う敵。

 しかし内側しか向いていないという点ではハーマンすら例外には含まれない。彼もまたそういった連中に対抗する結果としてその視線を内側に向けることになった。

 そして、ディニヴァスもまた一役を買っただろう節がある。彼の決断の裏側にはディニヴァスの吹き込んだ勝ち筋、つまり連合の政権にダメージを与えるという意図も含まれていた可能性は高い。

 結果的にハーマンは本来見るべき相手であるゴールドバーグの姿を見誤った。局地的な変化を大局的な変化と誤認したことに彼の誤算はある。

 ハーマンの歩んできた道程にも大きな要因はあっただろう。古き伝統ある火星共和党の生き残りとして、裏切り者と謗りを受けながらも政権に留まった選択も彼に決断を強要した。彼は止まることも投げ出すこともできなかったのだ。

 責任感。

 最終的に彼を突き動かしたものはそれだろう。

 思索を一度切ってウイスキーを流し込むとディニヴァスは陰気な笑いを溢した。

 ディニヴァスは自分の思考にそれなりの自信をもっていた。しかしこの思考はあくまで裏を知るディニヴァス個人の者でしかない。世間一般においてはどのように彼の人格は評されるだろうか。無知と非礼に彩られた遍歴が記されるのは想像に易い。それを考えると歴史の不確実さを嘲笑したくもなろう。


 ゴールドバーグはどうだろうか。

 ハーマンとは対照的にあの男は責任や使命などと言った類のものは持ち込んでいなかった。ゴールドバーグの背負っていた責任はその肩書に付与されるものでしかない。彼にとってはいつでも脱ぎ捨てられるもの、あるいは単純に価値の低いものでしかなかったのだろう。

 では、彼は個人的な理念を持ち込んだのだろうか。

 それも恐らく違うだろう。ゴールドバーグが個人的な理念を優先する者であるなら大統領の座につくことなどなかった。もちろん、人は変わるものだから、追い詰められた結果としてそういうものに目覚めた可能性は排除できない。それでもゴールドバーグはその例には含まれないだろうとディニヴァスは確信する。

 では、何が彼を動かしたのか。

 ソウイチは理解できないでいるようだが、ディニヴァスには思い当たるものがあった。それをゴールドバーグに当てはめることに釈然としないものはあったが、補佐官ロバート・ローズの証言を得てそれも納得に変わりつつある。

 世の中には、極限状態においてイエスかノーの究極の二択を提示されたとき「糞喰らえ」と返答する人種がいる。それは理屈だけでも感情だけでもない何かに突き動かされる者の最後の意地のようなものだ。チンピラじみた反骨精神と言っても差し支えないが、これをディニヴァスは別の表現で心に留めていた。

 ロックンロール。

 あの男は自分を動かそうとする者たち、世の流れそのものにクソを喰わせてやろうとしたのだ。成功するかどうかは関係ない。意思を示すこと、それ自体に意味を見出したのだ。

 まさか連合大統領にそんなものがあったとは驚きだ。ルーサー・ゴールドバーグ。奴の心の内を覗けば、こちらに向かって中指を突き立ててみせるだろう。

 ディニヴァスは心のどこかでその行為を称賛していた。案外、ハーマン以上に失ったことを惜しむべき男だったかもしれない。

 全く、やってくれたものだ。

 ディニヴァスは一人ほくそ笑んだ。

 さて、この先の歴史はルーサー・ゴールドバーグをどう記すだろうか。人々はどう語るだろうか。こちらはディニヴァスにも予測は付かず、皮肉たっぷりの驚きを提供してくれそうである。

 いずれにせよ確かなことは、この二人の真実は永遠に闇に葬られたということだ。戦争の最初の犠牲者は真実であるという。

 仮面の男はグラスを掲げ呟いた。

 死した真実と休暇をとった平和に。


 グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「ドースタン大会戦」

 UF309年ドースタン大会戦は何とも形容しがたい形ではじまる。なにせ一国の大統領と外務代表がテロによって吹き飛んだんだからな。劇的と言えば確かにそうだが、あまりにも過剰演出と思った人間も少なくない。とはいえ、戦争のはじまりとして記録された間違いのない事実だ。

 この結果、連合正規軍第七艦隊が受けたダメージはまさしく壊滅的だった。参加戦力の実に7割を失い、事実上連合軍の戦力リストから永久に失われたのだ。こいつはピレネー事変の比ではない。ここで失った戦力は連合軍の機動戦力の中核だ。つまり攻める手立てをまるまる一つ失ったんだ。戦略を丸ごと見直す必要に迫られたのは間違いないだろう。

 幸いだったのはダメージのほとんどが第七艦隊に集中していてワシントン師団にはそれほどの被害はでなかったことくらいだろう。

 しかしまぁ何がどうなってこんなことになってしまったのか。残念ながら歴史は確信を残さなかった。歴史ミステリーと言うには不自然だろう。何らかの陰謀によって隠されたのだ。望んだことか、望まざることかこれを知る者は真実を墓場の友としたのだろう。

 歴史なんざ鵜呑みにしちゃいかん。私が言うべきことじゃないがな。


 状況から考えれば火星側が連合政府に激震を走らせるために行ったとする説が有力だろう。結果としてそのような効力を発揮したのも事実だ。会戦そのものの結果が共和軍の先制打によって決したこともこの説を補強する。

 それでも疑問点は残る。

 火星側の代表であるジョセフ・ハーマンは火星共和党の生き残りであり、穏健派という大統領暗殺などという過激な行動からはもっとも遠い存在とされていた。

 そんな彼にそれほどの凶行に走らせる理由があったのだろうか。もしくは彼の意思による行動ではないのかもしれない。そもそも彼の人物評に誤りがあったのかも知れない。

 もう一人の主人公にも謎が多い。

 現代においてルーサー・ゴールドバーグは生前の行動と死後の影響によって平和的、かつ開明的な政治家との評価を受け、その悲劇的な最期から第二次星間大戦における英雄の一人として記録されている。怒られるかもしれんがこれにも疑問の余地がある。

 彼はこの一件までの来歴から言って全く特筆するべき点のない言わば端役だった。人物評から言っても決して大義によって行動するようなタイプとは見なされていなかったようだ。そんな人物が突如として行った会談はまず動機の点から解せない点が多い。

 要するにこういうことだ。

 ルーサー・ゴールドバーグはなぜ戦争を止めようとしたのか?

 ジョセフ・ハーマンはなぜ戦争を始めてしまったのか?

 この二人の歴史的な評価は真っ二つに分かれる。後々に語ることになるのだが、ジョセフ・ハーマンは戦争を始めた者として、ルーサー・ゴールドバーグはそれを止めようとした者として記され、このことが星間大戦の結末にまで影響を及ぼすことになる。

 面白いのはこれらの評価は彼らの人物評とは全く相反している点だ。果たして人物とは人格によって定義されるのか、行動によって定義されるのか、それとも功績によって定義されるのか。この二人の人物はそれを議論する上で格好の材料と言えるだろう。


 さて、かくして第二次星間大戦は始まった。これまでの火星の独立と生存を賭けた戦いは双方の存亡をテーブルの上に乗せた戦いとなる。絶対なる強者が同じ土俵に立ったわけだ。もちろん、それを黙って見ている者はいない。この戦いはそれまで日和見に虚ろっていた者たちの打算と誤算によって無尽蔵に膨れ上がっていき、人類全体の存亡にまで拡がっていくことになるわけだ。


次の更新は3月予定です

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