6/5「身中の虫」
6/5「身中の虫」
シュガートの後方で誘蛾灯の役割をするデルフィナス、オライオンの2隊の戦いも程度の差はあれど一方的なものになっていた。
「8時、今度も4機だ」
「稼ぎ時だねぇ」
2隊の戦い方は囮役のオライオンが敵編隊を誘い、暗礁に身を隠したデルフィナスで蹴散らすというシンプルなものだった。そもそも相手は主力とは言い難い二線級であって成熟しつつあるXVF15には役不足だった。所属する隊が異なるためかバラバラに来襲しては撃退されるを繰り返している。しかしこの間隔も徐々に長くなっていた。これに不吉を感じたのはロックウッドだった。
「ぼちぼちまとまったのが来るな」
怖じ気づいたならいいのだが、リベンジを企図しての準備と考えた方がいい。いずれにせよ、頃合だ。
「んじゃ、移動するか」
ロックウッドの考えに沿うようにエドガーがあっさりと決断する。元々シュガートがホーリングスを収容するまで目立って敵を惹き付けるのが役割である。無理に大戦力を相手にする必要はない。必要ならまた別の地点に狩場を設けてそこに敵を誘引すればいい。
「にしても、うちの司令はいまいちわかりませんね」
狩場を捨てて移動する傍らでオライオンの3番機を駆るアドニスがボヤいた。本来ならデルフィナスら試験機の護衛として編成されたオライオンは役割を二転三転し、今は何の所縁もない小隊を守るために囮役をさせられている。不満と言うほどでもないにせよ、境遇を嘆きたくなるのも無理はない。
「ボヤくなよ」
ロックウッドの言葉は形式的には窘めるものではあったがアドニスの言葉を否定しているようには受け止められなかった。実際、ルビエールのやっていることはよくわからない。
「しかし、自分たちの役割は一体何なんです?新型機を守れってのは解るんですが、どこの馬の骨とも思えん連中のために命を張れってのもおかしな話でしょう」
「やれるだけのことをやってるんだよ。実際、うちの戦力はここら一帯じゃ圧倒的だ。持つ者の責任ってやつさ」
オライオンの副長であるウィルフレッドが代わった。実際守られる側の気苦労もあるだろうことはテストパイロットたちとの付き合いでも解ることだった。もっともそれを理解したところで付き合わされる方が慰められるわけでもなんでもない。
「なるほど、後ろめたいもんだからたまにはまともなことをやろうって気にもなるってわけですか。ご立派なものだ」
アドニスの言葉には明確な毒が混ぜられていた。普段は他人を犠牲してでも生き残るために自分たちを利用し、次は赤の他人を助けるために自分たちを利用する。アドニスは状況に振り回される被害者意識に支配されていた。
「言い過ぎだ」
ロックウッドの遮りにアドニスは納得しなかった。
「隊長はそうは思わんのですかね?」
「愚痴は下から上に流れるんだ」
この独特な言い回しを理解するのに苦労する間にアドニスは毒気を抜かれたのか黙ってしまった。
ロックウッドは自隊のモラルに綻びが生じていることを認めた。ロックウッドにも思うところはある。しかしルビエールたちは命令と役割に従ってきただけで、好き好んでそれを選択してきたわけではない。この状況は本来の彼らの性質が顔を見せただけと考えるべきだろう。自分たちと変わりのない兵士としての姿。それは本来なら好ましいことであるはずだった。しかしアドニスの中ではテストパイロットとしての彼らが本質であると映っているようだった。あるいはそうであってほしいと願っている。
普段ならアドニスも彼の言うまともなことに意義を唱える必要などないはずだった。アドニスもまた信頼のおける軍人であり、仲間を守ることに意義を感じないほど腐っているわけではない。
つまるところ彼はいま本来の精神状態にないのだ。ベテランであっても危機的な状況にあって平静を保つことは難しい。
モラルの低下は軍組織に致命的なダメージをもたらすとロックウッドは長い経験の中で目の当たりにしてきた。これは戦闘時に関わらず日常的な部分にすら影を落とすのだ。しかしアドニスらの抱える感傷を沈める理屈をロックウッドは持ち合わせていなかった。あったところで彼の口からでは効力を発揮しないだろう。
かなりの時間が経った。これまでの最長戦闘時間を大幅に更新している。デルフィナスとオライオンは2度狩場を変えて陽動を完遂していたがさすがに軽口は減り疲労の影が差し始める。如何なる機械も人間も疲労の影響を無視はできない。機械はまだいいが人間のそれは本人すら気づかずに忍び寄り、じっくりとパフォーマンスを削り、突如として牙を剥く。
エドガーは自機の状態を確認した。忌々しいことにXVF15はいまだに根を上げることなく全ての機能を維持している。エドガー自身もまだこの程度なら問題はないだろう。ただし、他のメンバーは違う。弾薬の残りも心許なくなってきている。
「そろそろやれることがなくなってきたかな」
「そうですね」
エドガーの皮肉気な言葉にマリガンまで同調した。そろそろ区切りをつけなければマズい。切り上げること自体はイージス隊にとって妥当な判断だったが別の鬱陶しい問題がある。
やれるだけはやった。そう言い切るのはそう容易な話ではない。ましてその結果、誰かが犠牲となる場合は言い切れたところでしこりは残る。
幸いと言うべきか。エドガー自身はリアリストで、シュガートとホーリングスの生き残りに関しては自分の器量外と割り切っていた。それでも実際にその判断を下すのは気持ちのいいものではない。この、効率だけで判断のできない問題こそエドガーのみならずルビエールの判断を迷わせる原因になっていた。
結局のところ見捨ててしまうのなら最初から関わるべきではないのだ。関りを持ってしまった時点で見捨てるという選択肢は自発的に選択することが困難になる。
もっともそこで合理的な判断をしてしまう指揮官をエドガーは好んでいるわけではないが。
「お前はどう思うよ?」
エドガーの言わんとするところと自らの言うべきこと。それを整理したうえでマリガンは答えた。
「正直なところ、そんなに悪い気はしてませんよ。そもそも試験小隊なんてものが真っ当じゃなかった。ここに至って俺たちは真っ当な軍人として振る舞えるようになったと言うことでしょう」
自分たちはテストパイロットであるがそれ以前に軍人である。軍人の定義は個々人で異なるがマリガンにとっては軍人とは守護者だった。その対象がどこの誰であるかは大した問題ではない。
「初めてお前と意見があったかもな」
エドガーは満足げに言い、マリガンも苦笑でそれを受け止めた。
「もう少し気張るぞ。文句のあるやつはいるか?」
「了解、了解」
「了解です」
マックスは飄々と、エリックは生真面目に応じた。エドガーたちのやり取りを聞いていた2人も気持ちは同じだった。
「そっちはどうする?」
問いかけにロックウッドは唸った。エドガー自身はロックウッドらに離脱の択を与えているつもりだろう。しかしオライオンにその選択肢はない。ここに至ってそれに拘る必要はないかもしれないが彼らとて同じ連合軍人だった。ロックウッド個人としても継続に異論はない。しかいアドニスらの摩耗も無視はできない。
さて困ったな。答えに窮していたロックウッドを救ったのは時間だった。
「こちらシュガート。ホーリングスの連中を収容した。さぁー逃げるぞー」
「ヘリクセン少尉。イージスに通信をつなげたまえ」
ホーリングス隊の思い切った策が功を奏し、収容作業は想定以上より短い時間で完了した。条件が整ったと判断し、アンダーソンはルビエール、そしてブラッドレー隊のオオサコと対面した。
「こちらシュガート隊です。ただいまホーリングス隊の一同を収容しました。協力に感謝すると共に引き続き戦域離脱の協力を願いたい」
オオサコが何か言うより先にルビエールが口を開いた。
「無事で何よりです。座標2ポイント6にそれぞれ急行。そのまま一気に戦域を離脱します。これに遅れた場合は付き合いきれないのでよろしく」
アンダーソンの視線を受けたヘリクセンは座標を確認して思わず苦笑した。イージスとブラッドレーの2隊もそれぞれシュガートに注意が集中しないように陽動を行うために距離をとっていた。指定された合流座標にもっとも遠いのは他でもないイージス隊だった。
「了解しました。早急に向かいます。ブラッドレー隊もよろしいですかな」
「既に向かっている」
軍人らしい硬い口調でオオサコはそれだけ言った。このぶっきら棒な態度にアンダーソンは不安を感じた。しかし一瞬の間にその感情は自嘲に伏された。不穏なこと考えているのは自分たちの方だった。
「うちのデルフィナスは合流までそちらにお預けします。では、現地で」
あっさりと通信は切られた。アンダーソンにしてみると消化不良な感はあったがとりあえずは戦域離脱を優先すべきだろう。
「デルフィナスを回収し次第進発」
アンダーソンの静かな号令によってシュガート、ホーリングスの合同隊は移動を開始した。
「司令、ホーリングス隊の代表からです」
アンダーソンが頷くと艦内通信に女性パイロットが映し出された。
「ホーリングス隊のマージュリー・ライナス軍曹です。この度は救助救援を感謝いたします」
うら若い風貌に確かな意思の強さを感じさせるライナスはシュガートではまず見ることのできない模範的な敬礼で老兵を感服させた。
「重責ご苦労だったライナス軍曹」
アンダーソンはほほ笑んで敬礼を返した。老兵の温和な笑みにライナスの表情にも安堵が拡がる。
「君たちホーリングス隊は私、トーマス・アンダーソンとシュガート隊が預かる。まず君たちHV戦力はこのままシュガートの戦力として参加してもらうことになる。戦いはまだまだこれからだ。互いの生還のために力を尽くしてほしい。それと他の人員にも手伝ってもらうことはあるだろう。各員の技能履修をまとめてヘリクセン少尉に渡してもらいたい。他に何かシュガート隊に関して聞きたいことある場合も彼を頼ってくれればいいだろう」
「はい。現在整備班長のアルトマン少尉が取りまとめています」
「大変結構だ」
アンダーソンはホーリングス隊を受け入れたことに大いに満足した。同じ命であってもやはりその価値を計りたくなってしまうのは人情である。
「コンテナの各員はすぐに部屋に案内しよう。しかし君たちパイロットはすまないがこのまま警戒待機に移ってもらう。慰めにしかならないが食事を運ばせよう」
「ありがとうございます」
通信が切られるとヘリクセンは皮肉気な笑いをアンダーソンに向けた。
「困っちゃいますね。ああも健気だと贔屓しちゃいたくなりますよ」
どの口で言うのか。アンダーソンも思わず皮肉を言いたくなる。しかし気持ちは同じだった。ホーリングス隊の態度はあまりに真正直過ぎて権謀を張り巡らす自分たちが恥ずかしくなってしまうのだった。
こうして4つの隊、3隻の艦は集った。それぞれの事情と思惑を抱えながら生存という共通の目的を果たさねばならない。誰が誰を利用するのか、敵は必ずしも外にだけいるのではなかった。
合流点に到達した3艦は散発的な追撃を振り切り、戦場を離脱することに成功する。とはいえ、3艦は味方の誰もいない火星の支配宙域にあって生還への挑戦はまさにここからはじまる。
「随分と面倒ごと抱えましたねぇ」
パイロットスーツのままブリッジに現われた少年を見て安堵したのはルビエールだけではなかった。やれやれ、と言いたげにコールは溜息をついた。ようやく慣れない参謀役をおりて自分の仕事に集中できそうである。
ルビエールは諸隊の指揮権を預かるという責任に持ち味を殺されている。言動に気を遣って話の展開に不自由している。本来ならその横に明け透けに物を言う少年があって議論を展開させるのだがコールの立場ではその役割は果たせない。マサト・リューベックという存在が如何に特殊で、かつルビエールにとってありがたい存在なのかをコールは再認識した。
しかし問題はここからだ。離脱できたのはいいとして。指揮権の異なる4つの部隊。これを率いて生還を果たす。問題は内部統制にある。それをルビエールは乗り切れるだろうか。
「このまま4隊で連合領域まで逃げ延びたい」
ルビエールの投げかけにマサトは皮肉に口を歪めた。
「単独の方がやりやすくありません?」
この誰もが口にすることを躊躇する一言をあっさりと口にできるのが少年の強みだった。ルビエールも同じような顔をしてそれに同意を示したが決然とした表情で言い切った。
「それを考えるのはいまじゃない。この編成で行く」
コールも我知れず口角を上げている。ここにイージス隊にとっての万全の態勢が整ったのだ。
「了解」
指揮官の決断に満足を示すとマサトは考えを述べた。
「まずはどの方向でもいいので火星支配宙域から離脱するしかないでしょう。実は腹案があるんですけど。まずは諸隊の意思統一が先決です。話を聞いていた限りでは主導権を取れそう、というよりは取るべきなのは大尉か、アンダーソン少佐のどちらかです。彼との連携は必須でしょう」
ルビエールは頷くとコールに視線を向けた。コールはその意を汲んで述べた。
「現場指揮官の中ではかなりの古参です。私の見たところでは部下の言うことをよく聞き、任せる。我を利かせることより部下の能力を信頼することに重点を置く指揮官です。あくまで私見ですが、大尉の話もよく聞いてくださるでしょう」
「知り合いなんです?」
一連のやり取りを聞いていなかったマサトの言葉にコールは頷いてみせた。
「大昔の話ですが彼の指揮する艦を預かっていました。少々型破りなことも黙認するので部下次第なところはあるかもしれません」
ルビエールはシュガート隊のやり取りを思い出した。先に通信をこちらに送ってきたヘリクセン少尉の言動を思うにコールの言っていることは間違ってはいなさそうだ。
「ブラッドレー隊にも賛同は得ておきたい。オオサコ少佐に不信感を持たれても困る」
「それ一番難しいのは大尉じゃありません?」
マサトの言葉にルビエールは悔し気に反発する言葉を呑み込んだ。実際、ブラッドレー隊に不信を抱かせる原因となりそうなのはルビエールの肌の色と年齢で、そういった覚えには事欠かないのだった。
「となると、アンダーソン少佐に任せるべきか」
自分の個人識別が自分自身の足を引っ張る状況は何度となくあった。一方でそれが自らの立場を押し上げ、構成してきたことも事実である。しかし今回ばかりはそれを蹴飛ばしたくなった。自分一人ならともかく、事は部下たち、また仲間たちにも影響しかねないのである。
「いえ、自分はそうは思いません」
コールがはっきりと言い切る。驚いた様子のルビエールに言い聞かせるようにコールは理屈を並べた。
「まず一つにはアンダーソン少佐の背後に我々が立つとオオサコ少佐とアンダーソン少佐の間に不信感が幕を張るでしょう。これはよろしくありません。我々が黒幕となっては疑心暗鬼を生むのです。二つは大尉、あなたには資質があるためです」
ルビエールは顔が赤らむのを感じて目線をあらぬ方向に向けた。コールの理屈は一つ目はともかく、二つ目は完全な主観混じりで理屈になっていない。
ルビエールの様子をニヤニヤしながら観察していたマサトはタイミングを計ってルビエールに取るべき道を示した。
「堂々としてればいいんじゃないですかね。小細工して不審がられるよりもいっそのこと嫌われた方が楽でしょう。ブラッドレー隊には焦げを喰ってもらえばいいんです」
この言葉にルビエールは目を瞬かせた。考えたこともなかった。
万人に好かれることも納得させることも難しい。ならば最初から嫌われることで相手の意識をコントロールする手もあるのか。
無自覚に失点をなくすことを意識しているルビエールにとっては目から鱗の論法だった。
「嫌われ役をやれってことか」
「それでブラッドレーには損する役をやってもらうってことですね」
これはシュガートの思惑だった。ヘリクセンらシュガート隊はマサト・リューベックに気に入られることでイージスとブラッドレーの2隊を手玉に取ることに成功しつつある。もちろん、マサトはそれを自覚している。そのうえで敢えてシュガートの手に乗じている。それがイージス隊に、何よりルビエールにとってプラスになると判断してのものだった。
ルビエールはこの方針に全面的に納得したわけではなかった。信頼を置く2人の進言を排除することの方が面倒なのに加えてもう1人のリーゼですら2人の案に拒否反応を示していないことが消極的にではあってもこれを受け入れる理由になった。
さて、女優の才能はあったかな?
ルビエールはそんなことを考えた。好かれるよりは簡単なことかもしれないが大根役者を晒したくはない。いっそのこと演技の必要もないほどにオオサコ少佐がルビエール好みの人物でなければいいのだが。
イージス隊に秘匿通信がもたらされたのはこのタイミングだった。通信士官はこの日何度目となる不可解な通信にウンザリしながらルビエールに伺いを立ててきた。別に彼に非はないのだがこの日の彼は不幸の使者となっていることにバツの悪さを感じていたのである。
もちろんルビエールは首を傾げて不信がった。
「秘匿通信ですって?」
「ええ、短距離通信ではありません。所属は名乗らずに大尉につなげと。なぜうちの回線コードを知ってるのかはわかりません」
短距離通信は通信妨害の影響がもっとも少ない一方でその名の通りに短距離でしか機能しない。また距離内では容易に傍受されてしまうという欠点も持っている。要するに大声で話しているのとあまり変わりがない。秘匿通信もまた名前の通り秘匿情報をやりとりするための通信手段でこちらは互いの暗号コードによって傍受の危険を回避する。長距離でも使える一方で通信妨害には弱く、また暗号コードと所在を知る者としか交信はできない。
戦域を離れたことで妨害が薄まったことは納得できる。相手は誰か?イージス隊の暗号コードを知っている者であれば名乗って問題ないはずなのでローマの関係者ではない。そして相手はイージス隊の位置を把握した上でルビエールを名指しでご指名した。そんな芸当をできる連中とは、まぁ出れば解ることだ。
呼び出し相手にルビエールは心あたりがあった。つなげるように指示をするとその推測は的中した。
「チャオ、奇遇だねぇ。大変なことになったじゃないか。逃げる算段はついているのかな?」
画面に現れた男にルビエールは嫌悪感を露わにした。
ジェンス社CEOソウイチ・サイトウはその視線に動じるどころか茶化す風におどけてみせた。
「やっだなぁ。そんな怖い顔しないでくれよ。まぁ、美女に軽蔑の目線で見られるってのも刺激的な体験ではあるけども」
「どういった御用でしょうか。目下こちらは戦闘態勢ですので手短にお願いします」
剣もほろろな応対に苦笑しながらソウイチは口にする言葉をまだ選んでいるようだった。
「いやぁ、君らを拿捕しちゃいたい。ってのが本当のところなんだけどね」
口にしながらソウイチは明らかにルビエールのリアクションを伺っている。この発言に対するルビエールの反応は無だった。
やれるものならやってみろだ。逃げるだけならイージス単艦でならやりようもある。アンダーソンたちには悪いが連中の興味はあくまでイージス隊にしかないはずだ。それにドンパチをはじめれば付近の敵軍も興味を示すだろう。そうなればジェンス社にとっても面倒なことになるはず。
「OK。なかなか落ち着いてるじゃないか。それなら話を進められる。実は頼みがある。冷静に考えてから返事をしてほしい」
要求ではなく頼みという表現にルビエールは表情を変えた。
「ちょっと預かってほしいものがある」
ルビエールは目でマサトを伺った。同じように怪訝な表情を浮かべている。
「どういったものでしょうか」
当然の質問だったがソウイチはこれを拒否した。
「内容に関して言及は避けさせてもらう。ともかく、僕らとしてはそれに関わり合いになりたくないんだ。黙って受け取ってくれ。その後に君らがそれをどうしようが僕らは関知しない」
「冷静に判断すれば、我々に何のメリットもないのでお断りすべきでしょうね」
ルビエールの挑発にソウイチは不敵な笑みを見せた。
「逃げる手伝いをしてやる。それと個人的な好意も付けておこう」
ソウイチの見返りは2つ目はともかく、1つ目は見過ごしようのない内容だった。
それでも不可解さは無視できるものではない。
「断った場合、その預かり物はどうなります?」
ソウイチは肩眉を釣り上げた。想定していない質問だったようでしばしの間を置いてから答えた。
「そうだな。こちらで内密に処分することになるだろう」
つまり、なかったことになる。とルビエールは解釈した。
「だったら、それでいいのではないですか?」
「おいおい。それ以上は勘弁してくれよ」
ソウイチは降参のポーズを見せた。
ジェンス社がそれだけの対応をしなければならないほどの預かり物とはなんだ?この極めて不可解な疑問はそれを受け入れることで容易に解決される。条件も破格と言っていい。
ルビエールの答えはほぼ出ていた。後は他の者たちだった。
とはいえリーゼ、マサト、エディンバラとルビエールに対して意見する立場の3者は共に否定的な見解は示さなかった。強いて言うならエディンバラがジェンス側の陰謀の可能性に慎重な姿勢を見せた程度で、その彼でさえ預かり物に対する好奇心と提示された条件を無視できているわけではなかった。
「では、受け入れましょう。こちらのストレージに納まる範囲内であれば」
「ベッドの一つくらいは余ってるだろ?」
ソウイチの発言から預かり物が人間であることが示唆された。ルビエールはそれを言及しなかった。そういう約束だからだ。
ルビエールの態度に満足気な表情を見せるとソウイチは合流地点を通達し、また共和軍に対しては欺瞞報告をすることを約束して通信を切った。
「思い切りましたね。そこまでやれと言った覚えはありませんが」
ドースタンでの事態を耳にした火星総統ジョン・サウスバッハは即座にその演出をしたであろう人物に当たりをつけて呼び出していた。まるで予期していたようにその人物は総統府に待機していた。
「さて、不幸な事故のように思えますが」
呼び出されたアマンダ・ディートリッヒは平然としていたがサウスバッハの言わんとすることを理解しているに関与していることは明白だった。
「事故で済む話かね」
「ならないならならないで、ご老人の名誉が傷つくだけのこと。そのために彼を派遣したはずです。まさか戦争を止めるためではないでしょう」
サウスバッハは憮然とした表情を見せた。それでももっと穏便に済ませる方法はあったはずだ。取りうる手段の中でもとりわけ悪辣な手段を選択した理由は他にある。ディートリッヒはマルスの手の理屈を独自に解釈して自己に都合のいい展開を招き入れたに違いない。
とはいえ、今さらそれを詰っても詮無き事ではあった。何よりこの女に任せたのはサウスバッハ自身だった。
「君を敵にはしたくないものだ」
冗談めかしながら言うサウスバッハだったが、一方でこの女を味方のままにしておくことの危険性を計算しなければならないと考えていた。
「それで、この先はどうする」
問いかけにディートリッヒはスラスラと答えた。
「まずは連合大統領の訃報に対しての連合諸国の反応を見ましょう。国内向けの発表に関しては事故として、連合の対応次第で彼の独断という処置にします」
火星の総統は失笑を浮かべた。ディートリッヒの冷淡さに今さら感慨はない。哀れな旧時代の老人は徹頭徹尾利用され、この先も利用されることになるのだ。それを知ることがないのはささやかな救いであるかもしれない。
「それでいいだろう」
しこりを抱えたながらもサウスバッハは重々しく頷く。戦争は始まった。さがることはおろか、立ち止まることもできない。総統の決意に比してディートリッヒのそれは軽々しいものだった。
「ようは5年。そこまで優勢で耐えれば済む話です。そこに合わせて政治的な下準備を行えばいいだけのこと。ただし、我々の国力では一度でも劣勢になれば挽回は厳しいことも事実です」
改めて言われずとも解っていると言いたげにサウスバッハは手を振って退出を促した。ディートリッヒの退出を見送ると両腕を組んで思索を巡らす。
随分と予定が狂ったものだ。本来であればこれまでの火星の基本的な戦略を踏襲しつつ5年をかけて連合政権を圧迫していくシナリオだった。それが狂ったのはピレネーでの想定外の勝利に端を発する。これによって状況は激変した。ならば今さら軌道を元の方向に修正するよりは中継点を変えて目的地を目指すべきなのだろう。
しばらくして彼は軍務大臣を呼び出し、最初の一手を打った。
「全員死亡したのですね」
総統府を後にする車の中でディートリッヒは念を押した。通信相手の答えは全く同じだったがディートリッヒはそれに満足しなかった。ディートリッヒによって計画された連合大統領暗殺テロは歴史にはジョセフ・ハーマンによるものと記録されなければならない。これは事実であったが、その事実は決して覆せない事実ではない。少なくともディートリッヒにとってはそうだった。
ハーマンによる連合国大統領暗殺。これを演出するためにディートリッヒは子飼いのエージェント2名を犠牲した。2人のエージェントは表向きハーマンの護衛、裏向きにハーマンの裏切りの粛清、あるいは連合大統領の暗殺という任務を与えられながら、実際には諸共に消し飛ばされる運命を知らず強制されたのである。この2人にだけは生きていてもらっては困る。
「よろしかったのですか」
補佐官を務める大柄な男は憂いを帯びた表情で聞いてきた。長年ディートリッヒの補佐官を務めてきた彼にとっても今回の権謀はやり過ぎたものに映っていた。その感情を読み取ってディートリッヒは苛立たし気に語気を強めた。
「どのみち、あの会談はどちらに転んでも我々にとって不利にしかならない。会談をしたという事実のみあればいい」
ディートリッヒはゴールドバーグの策を予測していたが確証があったわけではなかった。推測通りならそれはマルスの手にとって致命傷となる。実際、その洞察は正しかったわけだがディートリッヒはこの可能性を潰すために両方を消し飛ばすという挙にでた。
危険すぎるその賭けはライザ・エレファンタの賭けと掛け合わさって想定外の結果をもたらした。誰にとっても予想外。だからこそ、これを利した者に歴史は握られるだろう。
ディートリッヒは唇をなめた。
情報大臣であるディートリッヒは自分の行使できる権利の強力さを心得ていた。情報は何にも勝る最強の武器であるとディートリッヒは信じている。その武器はそこら中に転がっていてそれを集め加工することでより鋭利となる。
その武器の組成に必ずしも真実は必要ない。
ジェンス社の指定した合流地点に現われたのは1隻のシャトルのみだった。まさかグレートウォールそのものが来るとは思っていなかったにしてもサイトウの言う逃げる手伝いとやらが物質的なものでないらしい。想定内とはいえルビエールは多少の失望を感じた。もっとも欺瞞報告だけでも義理を果たしたと言われればそれまでのことだったが。
最初からそこまで期待してはいない。それでもイージスに接続したシャトルから仮面の男が現れたことにルビエールは仰天した。
なんでこんなところに。呆気に取られているルビエールを小馬鹿にするように仮面の男ディニヴァスは礼をした。
「しばらくぶりだな。お嬢さん」
ムッとしてルビエールは切り返した。
「果たして本当にそうでしょうか?」
この仮面の男が前回会った人間である保証はないのだ。それはディニヴァス本人がもっとも承知している。彼は身振りでルビエールの疑念は当然だと理解は示したものの、結局のところ解答につながるものは何一つ与えなかった。
「で、まさかあなたが預かりものですか?」
「さすがにそれはない。俺はこいつを届けに来た」
そういうと一つのメモリーをルビエールに差し出した。同時にルビエールは自身の周囲に遮音層が作られたことを察した。リーゼと警護兵が警戒するのをルビエールは手ぶりで制した。自分に危害を加える意味はどう考えてもない。
「共和軍の哨戒シフトだ。まずこれがジェンス社からの報酬」
しばらく間を置いてからルビエールはギョッとした。事もなげに言うが超軍事機密である。当のディニヴァスはそんな大層なものではないとでも言うように自身の端末でもそれを表示して見せた。
「もちろん、こいつは現在のであって共和軍の体勢が整えばより強力で効率的なシフトに切り替わるだろう。行動するなら早ければ早い方がいい。共和軍は壊滅した第七艦隊の生き残りを処理しながらフランクリンベルトを包囲しつつある」
ルビエールは表示された哨戒網をマジマジと見つめた。それはフランクリンベルトを中心とした綿密なもので共和軍が封じ込めを画策しているのは明らかだった。これを掻い潜る隙を見つけるのは困難であるか、さもなくば不可能に見える。
ルビエールにそれを確認させるとディニヴァスは次の報酬を切り出した。
「そこでソウイチからの提案だ。こっちがソウイチからの好意。まぁこれを採用するかはあんた次第だが」
そう言うと分厚い手袋の指でディニヴァスは哨戒ラインを避けるルートをなぞってある地点で指を止めた。
「ここまでのルートに火星の目が及ばないよう手配しよう」
ルビエールは努めて無表情を装った。ディニヴァス、そしてソウイチの意図をまるで読めなかったのである。彼の指し示した地点は連合領域からはかえって遠ざかり、全く安全な領域とは言えなかった。
しかし、そこにあるものにルビエールは心当たりがあった。地球とも火星とも、そしてジェンスとも異なるもう一つの勢力の支配領域。
「何か手回しがあるのですか?」
「あると言えば、信じるのか?」
ディニヴァスの茶々にルビエールは憮然とした。信用できるかどうかの問題ではないのだ。仮面の男はくくくと笑いを溢した。
「残念だが連中と俺たちは相互不干渉というやつでね。こっちからも向こうからも関わり合いにはなりたくないのさ。とはいえ、お前たちにも手札はある。切り拓ける道はあると俺は思うがね」
ディニヴァスの言動はルビエールを試しているかのようだった。恐らく、サイトウ・ソウイチにも。
確かにイージス隊の価値を用いれば糸口にはなるかもしれない。しかしそれは明らかにルビエールの権限を逸脱した思考だった。
「さて、後はお前たちの領分だ。後は彼を引き渡して、俺はお暇させていただく」
そういうとディニヴァスは彼らの言う荷物を招き入れると入れ違いでシャトルに戻り、そのままハッチは閉じられた。
後にはただ1人、着崩れながらも高級さの伺えるスーツを着込んだ青年が所在なさげに佇んでいた。
ルビエールはその青年に全く覚えがなかった。そのまま知らぬままでいた方がよかったかもしれない。
その青年は目の前に現れた銀髪白肌の少女に明らかな不信感を持ちながらもやむを得ずに名乗った。
「どうも、ロバート・ローズ大統領補佐官です。…たぶん、元ですけど」




