表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/152

5/4「同じ色の駒」

5/4「同じ色の駒」

 連合大統領の突然の行動は火星を相手取るもので、その影響は即座に共和軍にも波及した。

 前哨戦を不本意な結果で終えたライザはドースタンで体勢を立て直している中でその情報を知ることになる。

 総統府はこの連合大統領の提案に応え外務大臣ジョセフ・ハーマンの派遣を決定し、同時にドースタンを守る軍に軍事行動の停止を指示していた。

「意味が解らん!」

 司令官の癇癪に兵団幕僚たちは顔を見合わせた。

「我々に説明を求めてますか?」

 フートが代表して声を上げた、それは上官に対する明白な皮肉だった。この上官を宥めるのにもっとも効果的なやり方をフートは心得ている。

 ライザはフートを睨みつけたがそれ以上は言わず、唸り声を上げながらブリッジ内をぐるぐる歩き回った。

 何がどうなってこんな展開になるのか。そしてこの展開はどこへ行きつくのか。ライザにはまるで見当がつかなかった。

 ハウの懸念が予想の範疇外から的中した。こうなってくるとハウに別動隊を任せたのは失策だったかもしれない。

「チェスキー」

「はい?」

 ライザの呼びかけに驚きながらレインは一歩前に出た。

「連合の和平は本気だと思うか?」

 この質問にレインは臆面もなく顔を顰めた。

「そんなわけないでしょう」

 忌々し気に吐き捨てたレインをフートはそのサングラスの奥から観察していた。

 戦争と呼ばれることのない名もなき戦いによって両親を失ったその少女は復讐を心に刻み軍に志願した。

 血の連鎖。それが生み出したのか、それとも導いたのか。確かなことは一匹の怪物が誕生したということである。レイン・チェスキーはHVパイロットとして、特に重攻撃機であるライノスのパイロットとして驚異的な才覚を発揮し、ブラッディレインの異名を得ることになる。

 この怪物は数々の奇異な巡り合わせによってライザと出会う。ある意味で必然だったのだろう。レインのパイロットとしての才覚は特に対艦・対物に対する攻撃性に現われる。ライザの戦術思想にとっても得難い才能だった。

 一方でこの怪物は軍人でありながらも戦争を忌み嫌うごく普通の少女であった。フートはこの少女が戦果を上げると共に怪物として完成していき、人として壊れていく様を見ることになった。

 軍人としての名声に比例してその手は血濡れていく。忌避しながらもより深く連鎖に呑み込まれていく少女はいつしか自身をライザ・エレファンタの剣と定義するようになった。戦場においては自身の思考を凍結させ、機械的に任務を遂行する。それによって自身の所業全てをライザに被らせたのだ。ある種の依存関係である。

 ライザはレインを好きなように使うがその剣のもたらす結果は全てライザの業となる。これはエレファンタ兵団全体にも言えることであったがレインは言わばその象徴なのだ。結果、レインはライザ・エレファンタにとっても欠くべからざる存在となった。

 レインの存在はライザにとって自らの為したことの作用に対する反作用であるのだ。人間というのは自らの行動に対する確証を欲するものだ。特に軍人の場合、その結果が劇的であればあるほど称賛される。ライザは名誉に関しては有り余るほど受けており、必要とはしていない。そもそも称賛とは進んだ道の後に転がっているもので、先にあるものではない。ライザにとっては不要なシロモノだった。

 ライザの必要としているものとは突き進むべき道を選ぶとき、その足元を照らすものだった。

 ライザがレインを必要とすることは人間の証明であるとフートは考えている。翻ってそれを必要としなくなるとき、ライザ・エレファンタはシヴァ神と化すだろう。

 ライザの思案はかなり長きに渡ったものの何の結論も出さなかった。幕僚たちに困惑が広まり始めたところで兵団に朗報がもたらされた。


「さすがの早さだな」

 ライザは上機嫌に通信画面の向こうの相手を称賛した。それとは好対照にサンティアゴは聞いていたのかどうか怪しい無感動さで実務的な話題を切り出した。

「前哨戦の情報を共有したい」

 予想をはるかに上回るスピードでサンティアゴ兵団は到着したのである。当然ながらライザの欲している情報も携えているはずだった。

「すぐに用意させるが、まずは本国で何が起こったかと、どうするつもりか聞かせてもらおうか」

 まだこの時点でライザはサンティアゴの到着をただの朗報としか受け取っていなかった。しかしサンティアゴの表情に兆している困惑はその風潮を変えた。

「その点に関しては私の方から説明させてもらおう」

 画面に割り込んできた老人にライザは目を見張った。

「外務大臣ジョセフ・ハーマンだ。エレファンタ中将の勇名は聞き及んでいるよ」

 ライザは普段あまり見せることのない敬礼で応え、後ろに控える幕僚たちも慌ててこれに倣った。

 見るからに取り繕われた応対にハーマンは苦笑を浮かべた。聞き及んでいるのはエレファンタ兵団の勇名だけではないということだ。

「連合政府はジェンス社を介して正式な会談を持ちかけてきた。これは火星独立宣言以来の快挙と言えるだろう。総統府はこれに応じることにした。これも単に君たち共和連邦軍の健勝のおかげだが、引き続き火星勝利、独立のため、また会談を成功させるための尽力を頼みたい」

 ハーマンの言葉にライザは違和感を抱いたもののその原因を形式的な言葉に過ぎないからだと判断した。思ってもいない言葉でも言わなければならない時はあるものだ。次はライザの番だった。

「身に余る恐悦。この上は火星独立の宿願における第一歩に不肖共の命を捧げたいと存じます」

 自分で口にしておきながらライザは自分の舌を噛み切ってやりたくなった。不肖共というのは実にライザらしい言い回しだったが本音を言えば勝利はともかく、独立などという得体の知れないもののために捧げるには不肖共は貴重過ぎるとライザは思っていた。

「発言の許可をいただけますでしょうか外務大臣」

 フートが割って入った。これをライザではなく、ハーマンに直接断るのがエレファンタ兵団のらしさだった。ハーマンが黙って頷くとフートは誰もが聞きたがっていたことを口にした。

「連合政府はどのような要求をしてきたのでしょうか」

 一瞬の間を置いてからハーマンは慎重に口を開いた。

「平和的な交渉とのことだけで要求に関しては現時点では何も知らされておらん」

 途端に軍人たちの空気が凍った。例え軍人でなくとも納得したものはいないだろう。これでは連合軍がドースタン攻略の体勢を整えるための遅滞作戦であってもおかしくはない。それどころか会談の場に集ったところで奇襲を仕掛けられることも考えられるのではないか。

 政治側の無責任な楽観で現場が振り回されてはたまったものではない。

 一方でハーマンにも事情はあった。軍人側の空気を察したハーマンは言葉を連ねた。

「もちろん政府側もこれをまともに受け止めているわけではない。しかし事は火星独立という大義にも関わることなのだ。ここで連合政府の提案を蹴れば我々火星人の望んできた独立とはどのようにして実現されるものなのかを定義しなおすことになる」

 ライザは首を傾げた。考えたこともなかったことだった。そして違和感の正体にも気付いた。このジジイは和平派じゃなかったか?

 一方でハーマン自身も自分の言葉を反芻していた。

 火星の独立とは一体なんだ?

 地球連合にそれを承認させるというのは現実的な道理ではある。しかしそれは存在の承認を別の誰かに委ねるという不可思議な理屈でもあった。

 実体として見れば火星は既に独立している。単に地球がそれを認めようとしないだけなのだ。そして、これからも認めはしないだろう。それは火星にとってそれほどまでに重要なものなのだろうか?


 ハーマン外務大臣が会談に派遣される前段階でも議論はされた。

 総統府では連合政府に対する不信感が先立ったものの積極的にこれを拒否する意見もまた出なかった。連合政府の承認を求めてきた火星政府自らの手で交渉の機会を蹴っては本末転倒の誹りも当然である。

 ゴールドバーグの提案が総統府に与えた感情は困惑であったかもしれない。火星の政治において本当に火星の独立承認を得られると思っていた者、またそうなった後のことを考えていた者はほとんどいなかった。いざそれが叶うとなったとき、本質的にその実現を望んでいたのかどうかを彼らは答えられなかったかもしれない。それは彼らが火星人の代表として振る舞うためにこれまで最大に活用してきた武器が失われることを意味しているのである。

 とはいえ独立承認と引き換えとなる連合政府の要求が受け入れられるものである可能性は限りなく低い。喉元にナイフを突きつけられたこのタイミングでの和平交渉は恫喝と考えるのが自然でかえって火星にとって不利に働く可能性は高い。火星にとっては連合の作戦行動を挫いた後こそ交渉のタイミングとして望ましい。勝つ見込みがあるのなら蹴ってしまえばいいという意見もあった。

 皮肉なことにここで連合政府側の提示が“白紙”であったことが作用する。連合側の要求が具体的であれば議論はより深く、また明確な結論を必要としたであろう。しかしこの不明瞭な招待状はそれを棚上げにする効果を持った。要するに何を要求されるのかを確認しようという意見が支持を得たのである。

 そしてその確認役という生贄にハーマンが選ばれたのは必然と言えた。本来であればマルスの手の重役が担うべきであろう大役ではあったものの場合によってはだまし討ちの贄にされると想像を働かせた役員たちは二の足を踏んだのである。そうしてハーマンは存外の役割を任されることになった。もともとそのために用意された立場である。ハーマンはこれを受け入れた。

 もちろん派遣されたハーマンには二重三重に制約を課された。ハーマンに課されたタスクはあくまで連合政府の意向を確認することのみであらゆる決断をしないことを念押しされている。彼がその約を違えたとき、その咎は彼の肉親たちにも及ぶだろう。

 火星政府は知る由もなかったがここまではゴールドバーグの計算の内だった。つまり火星政府はゴールドバーグ一人のスタンドプレーに振り回されたことになる。後世、ゴールドバーグが政治家として非凡であったとされる所以である。ただし、そんな彼も一人の人間の心情までは計算には入れることはできなかった。


 出発直前、ハーマンは情報大臣アマンダ・ディートリッヒの来訪を受けた。もちろん招かれざる客だったが表面上は押し隠してハーマンは迎えた。

 火星の現政権を掌握するマルスの手にあっても特に過激な理念の持ち主であるディートリッヒと旧勢力の火星共和党出身で穏健派の代表的な存在であるハーマンは互いを危険視、あるいは邪険にする存在だった。率直に言えばハーマンにとっては人格的にも、思想的にも相容れようのない人物であり、今すぐにでも縁を絶ちたいとすら思っている。しかしそんな人物がわざわざ来訪する意味を確認しないわけにはいかなかった。

 使用人の類をおかない主義のハーマンは客への対応も自ら好んでやっていたがこの時ばかりは自慢のティーセットを用いる気にはならなかった。

「出立前にいくつか話しておきたいことがございますの」

 礼儀上の行程をいくつかこなしたところでディートリッヒは切り出してきた。ハーマンは黙然として続きを促した。ともかく、この女のやること対しては何の肯定も示したくなかった。ディートリッヒも決して疎くはなく、ハーマンの非礼に苦笑と不敵の入り交ざる笑みを見せながらも目的を優先させた。

「情報大臣として得た情報です。今回の連合側の交渉。これはどうやら大統領個人の独断による行動のようです」

 ハーマンは表情を無にしようとして失敗した。和平交渉という前提が根底から破壊されるような情報だった。

「つまり、これは罠であると?」

 ディートリッヒはハーマンの推測を明け透けに嘲笑った。

「大統領個人でそれをやる意味があるとは思えませんわ。彼個人がどう考えているかはともかく、私たちにとって重要なのはこの会談が地球連合の総意によって成り立っているわけではないということで充分でしょう」

 つまりルーサー・ゴールドバーグは交渉相手として成立しない。

「それが事実であるなら先の議論は無意味なものとなる。君個人の考えで黙っていたのかね」

 この情報が真実であるならそれを踏まえてマルスの手の閣僚間で話し合うべきことだろう。閣議において何の議論もされなかったのはなぜなのか。

「もちろん、サウスバッハ総統のお耳には入れてあります。そのうえでこの話は内秘との判断に至ったのです」

「なぜ?」

 ハーマンは苛立った。情報の小出し、人を人と思わない仮面の笑顔、その全てが我慢ならなかった。とはいえ、ディートリッヒの、と付けば何でも不愉快にならずにいられないのがハーマンの心情でそれぞれの要因は本来なら取るに足らないものだった。

 ディートリッヒはそれを承知の上で無視していた。彼女は彼女でハーマンに気に入られる必要を認めていないのである。

「我々にとっての勝利とは何かをお考え下さい。わたくしたちとしては地球から本来なら引き出せない妥協を引き出すことこそ勝利の必須条件です。この点で連合大統領との直接交渉はそれ自体が一つの材料となりえる。それで閣議の通りの結論に至ったのです」

「つまり交渉を行ったという事実のみあればそれでよいと」

「ええ。総統としては連合大統領が何を考えていようが関係ないということです。あくまでこちらの都合で会談を利する。ですから連合大統領の思惑に関しては議論するだけ無意味なのです」

 ハーマンは黙考してディートリッヒの言葉に針が混ざっていないか確認していた。

 意外なことにディートリッヒは火星の勝ち筋に関して現実的な視点を持っているようだった。確かに戦争をはじめたとして実力的な勝利はまずありえない。火星にとっての勝利とは地球に勝ち切ることを諦めさせる、というよりも妥協させることにしかない。

 火星と地球が公式に交渉を行えば長年に渡って火星を国家として認めてこなかった地球の公式的な立場に矛盾を生じさせる。それ自体が連合の足場を揺り動かす事態だろう。行って、帰ってくる。それだけでも政治的な価値はある。特にディートリッヒにとっては大きな武器となるだろう。

「なるほど。それで、そのことを私に伝える意味はなんなのか」

 それだけの秘密情報を敢えてこのタイミングで伝えてくる意図はまるで解らなかった。ここまでの行程はハーマンを派遣するだけで達成できることなのだ。

 悪い予感しかしない。そんな様子を察しながらディートリッヒは回りくどく言葉を紡いだ。

「何か勘違いしているようですわね。確かに私たちは思想においても立場においても対局に位置する者同士ですが、盤面においては同じ色の駒ですのよ。そこまで敵愾心を持たなくてもよろしいでしょうに」

「正論ですな。ですが、それは協力しあう者の台詞であって利用しようとする者が語れば詭弁というものだ」

 ハーマンの返しにディートリッヒは形のいい顔をニコリとさせるだけで話を続けることはしなかった。このやり取りの勝利を確信しているのである。

「話を戻しますわね。会談そのものは総統府の意向通り行ってもらいます。それとは別に、私の個人的な考えを聞いていただきたいのです」

 ハーマンの沈黙を了承と解釈してディートリッヒは続けた。

「総統のご判断は理解しております。しかし、連合の思惑を丸っきり考慮しないことは情報大臣として承服しかねる問題です」

「探りを入れたいと?」

「そう解釈をいただいてもよろしいのですが。もう一点確認しておかねばならないことがあります」

 ディートリッヒは初めて不敵さや軽蔑の気を消し、その美貌でハーマンを真っすぐに見つめた。恐らく、それはアマンダ・ディートリッヒという女の切り札というべき所作なのだろう。

「連合大統領ルーサー・ゴールドバーグとは如何なる敵なのか、です」

 この投げかけはハーマンも受けざる得ないものだった。自らの所作の成功を確認したディートリッヒは続ける。

「今回の会談が連合の意思であるならそれほど問題ではありません。しかし大統領個人の意思によるものだというなら彼の今後の影響力を計算しないわけにはいきません」

「影響力?」

「目下、わたくしたちはあの男一人に振り回されていますわ」

 自嘲気味に言ったディートリッヒの目はハーマンもその範疇にあると言っている。この考え方はハーマンの意表をついた。

 ルーサー・ゴールドバーグ。確かに個人の意思でそれをやっているのなら火星政府どころか地球すらその男一人に翻弄されていると言える。多くの人間に共通する考え、地球連合大統領とは列強国の傀儡である。という考えとこの男の存在は切り離して考えるべきなのかもしれない。

「とはいえ、あの男の考えは解りません。解ったところで我々に利する可能性は低い。ですから総統の方針は間違っていないと私も考えています。しかし、やはり私はもう一つの可能性を考えてしますのです」

「お聞きしよう」

 もう既にディートリッヒの言葉の続きを予見していたハーマンは素っ気なく続きを促した。

「ええ、ええ。つまりルーサー・ゴールドバーグは我々にとって利用価値があるのではないか、ということです」

 言葉の意味を理解した時、ハーマンは目をそらし居心地を悪そうに息を吐いた。かつてディニヴァス・シュターゼンに吹き込まれたシナリオが思い起こされた。連合政府を揺り動かして火星にとって都合の良い政権を生み出すというシナリオ。

 ゴールドバーグと言う男はその重要なキーとなるだろうか?ハーマンは考えようとして断ち切った。この考えは時期尚早だろう。

「戦争そのものはどうする。どれだけ足場を揺らしても連合側が勝ってしまえば過程など無視されるものだ。そもそも政権には戦争そのもののプランはあるのか」

 ピレネーの想定外の勝利からなし崩しに戦争の再開が既定路線になった政権にそんなものがあるとは思えない。あったとしても急造ではないか。

「ご心配なく、戦争を終わらせる方策に関しては既に走らせております。どれだけ長くとも5年以内に戦争は終結することになる。肝要なのはそれまでにこちらに有利な状況を作ることなのです」

 ハーマンは耳を疑った。そんな方法があるとは思えない。まともな方法ではないのは間違いない。なにより如何わしいのはそこに5年という区切りを設けていることだった。

 5年後?そこに何があるのか。

「どういうことだ」

「それに関しては今のところ内秘となっていますの。わたくしに言い切れるのは、5年、その制限の中で優勢でいられれば勝てるということです」

 5年。それで戦争が終結することを信じるのであれば前提は大きく変わってくる。その程度の期間であれば火星の国力でも一時的な勝利をそのまま維持できるかもしれない。そう考えれば軍部がこの戦争にすんなりと加担するのも納得できる。

 ハーマンは唸りを上げた。これは信じるに値する言葉なのだろうか。

「地球の戦力を叩くことには無理がありますが、彼らの戦争には常に利害が付きまといます。列強は地球のために戦いはしても犠牲になることはありません。いざ、守る体勢に入るとなればその役割を中小国に押し付けたがるでしょう。わたくしたちとしてはこのシナリオを現実にするために戦略的には守るだけでなく、攻める状況を手に入れなければならない。もっとも、これは軍部の仕事です。しかし5年という制限と共和軍の現在の布陣であれば決して不可能ではないでしょう。私たちの仕事はその5年後のビジョンです。このビジョンのピースにルーサー・ゴールドバーグは使えるかもしれない」

 これまでハーマンはディートリッヒの識見を楽観と見做していたがこれを修正せねばならないようだった。ディートリッヒの描くシナリオは一点を除けば論理的で矛盾もない。しかしやはり問題はその5年と言う根拠だった。これを無条件に信じられるような信頼をハーマンは抱きようがなかった。

 ハーマンが尚不審の城から出てこないと判断したディートリッヒは真剣な顔を維持して言い連ねた。

「ハーマン様。あなたの敵は一体誰なのでしょう。わたくしは確かにあなたにとって信用のならない相手でしょう。しかし同じ火星の将来を憂う同士であるはず。まずは眼前に迫る共通の敵を排除すること。これは私たちの共通の目的であるはずです」

 ハーマンは吐き気を覚えた。よりによってこの女に言われるとは。この反発心がディートリッヒの隙を探し求め、もっとも重要な事項をハーマンの手から溢すことになった。

「都合が良すぎるという話だ。5年で何が起こるかは知らんが、それが本当にその通りになると思うのか」

 ディートリッヒはうっすらと愁いを含んだ笑みを浮かべた。妙齢を過ぎたとは言え多くの人間を惑わしてきただろう美貌はハーマンには却って忌まわしさすら覚える。

「残念ですが、わたくしたちにとってもそれほど都合のいい話ではないのです。言ってみれば天災、それも世界レベルの凶事と言ってもいいかもしれない。それはわたくしたちにも等しく降りかかることも考えられるのです」

 最初、ハーマンの浮かべた表情は呆れだった。彼にとって思い浮かぶような天災というと地震程度のものだった。確かにその手の災厄が影響を及ぼした例がないわけではない。しかしそれは古代の話だ。この考えは古く、的外れだとハーマンは自覚した。冷静に考えていくとその表情は困惑にとってかわった。

 5年という目星がつき、世界レベルで起こる凶事とはなんだ?まるで想像がつかない。

「いつかあなたにも解る時がくるでしょう。それは残念ながら今ではありません。とにかく私たちはその時に備える必要があるのです」

 ディートリッヒはそれ以上その件を語る気はないと示した。到底納得できるものではなかったが総統府でそう信じられているならハーマンに打つ手はない。その中身を知ろうとするならば、そこから弾かれずにしがみ付いているしかないようだった。

 そうであるなら話を元に戻すべきだろう。ハーマンは先ほど留めた思考を再開した。

「ではその件はいいだろう。話を戻すがゴールドバーグの扱いに関しては抜け落ちている想定があるように思う」

「伺いましょう」

「ゴールドバーグが強い影響力を持つ反体制側の指導者であり、かつ火星の敵だった場合だ」

 この仮定も十分に可能性はあるはずだった。もしくは会談を皮切りにそうなっていくことも考えられる。この場合はこの場合で考えてもしょうがない要素が多数あるがもっとも懸念すべきはゴールドバーグが列強の立場を崩そうと火星を利用している場合だった。

「我々の勝ち筋として連合側の体制を不安定化させる必要はある。しかしそれは当然ながら弱体化の結果であって貰わねば困る。ゴールドバーグの思惑に乗った結果として、彼を中心としたより強力な体勢が地球に生まれては元も子もないのだ」

 このようなケースにハーマンは心辺りがあった。このケースをディートリッヒは考慮しなかったのか、した上で無視したのかは定かではなかったがハーマンの言葉を静聴し、真剣な表情をして考え込んでから口を開いた。

「なるほど。それはわたくしたちにとってはもっとも悪いケースですわね。確かにこれだけわたくしたちを振り回している相手を利用のできる相手と見做すのは甘い考え方かもしれません」

 言葉を切るとディートリッヒはハーマンを真っすぐに見据えた。その眼にはこれまでの蔑視とは異なる感情が感じられた。

「ルーサー・ゴールドバーグという男を見極めなければなりません。つまり、あなたの役割はより重要なものとなったと考えなければならない」

 この言葉はハーマンにとってあまりに意外だった。ハーマンの言葉に同調したこともあるが何よりハーマンの役割の重要性を説く発言はまるでハーマンを味方として信頼していると言わんばかりだった。

 自分はアマンダ・ディートリッヒという女を見誤っていたのか?ハーマンの思考は土台を揺るがされて確信を失っていた。一方でディートリッヒの思考は明晰だった。

「なるほど。あなたはわたくしたちマルスの手のような存在が地球に生まれる可能性を想像なさったわけですね。それはわたくしたちでは思い至らない考え方かも知れません」

 皮肉っぽく笑うディートリッヒにハーマンはバツの悪さを感じたが相手は親近感すら感じさせる笑みでそれを肯定してみせた。

「解りますわ。敵と味方とはその時々で変わるものです。わたくしたちは政治という局面においては敵同士。しかし、理念という場においてはその垣根は取り払わなければならない。違いますか?」

 ハーマンはついに重々しく頷いた。完全に信用したわけではない。しかし、この女を無視して火星の勝利を図ることなど不可能であることを認めたのだ。

 アマンダ・ディートリッヒを評する言葉は良し悪し問わず数多いがその中の一つには「人心掌握」も含まれている。この時、ディートリッヒはジョセフ・ハーマンを自分の側に引きずり込み、考えを刷り込むことに成功したのだった。



 想定外の形で状況を停止しなければならなくなった火星軍人たちは内心で悪態をつきながらさらなる想定外に備えて通信に集まった。と言っても集まったのはサンティアゴ、エレファンタの両兵団とドースタン守備軍のみ。どう考えても不十分な面子にも関わらずサンティアゴは口火を切った。

「それで会談の手筈だが」

「それよりボルトンはどうした」

 ライザの横やりにサンティアゴの表情には失望の色がよぎった。如何にも答えたくなさそうにサンティアゴは吐き捨てた。

「準備の遅れだ。それに大臣が付き合わなかった」

「呆れた話だ」

 今度はライザが失望する番だった。準備の間に合わなかったボルトンも失笑ものだが、それよりも味方の体勢も整わぬうちに行動するハーマンもハーマンだった。いきなり交渉を提案してきたのは地球なのだ。待たせたところで文句は言えないはずだ。

「政治屋が軍人を信用しないのは世の常です。ことに穏健派はボルトン閣下を嫌ってらっしゃるでしょう」

 なるほど。フートの言葉に含まれる皮肉にライザは思い至った。穏健派のハーマンには事の発端になったボルトンを嫌う理由があるわけだ。それでも個人的感傷の域を出ない稚拙さは失望するのに十分だった。

「やれやれ。で、戦力比は?」

「推測になりますが総数では65:35で劣勢です。加えて守りの利点もなし。正直なところやり合いたくはありませんな。会談の結果に関わらず後退してボルトン兵団を待つ方が得策でしょう」

 ライザは顔を顰めた。守備隊を含めても大幅に劣勢だ。これは実際に布陣すればより顕著になるだろう。会談の場となるグレートウォールを所有するジェンス社は両軍が戦術的に優位な場を取り合うことを認めないだろう。両軍の展開する場を指定してきてもおかしくない。

「つまり外務大臣の狙い通りということだ」

 ライザは臆面もなく悪態をついた。両軍の衝突を抑制しようとしているのは間違いない。しかしこの制限は共和軍には強く働くわりに連合軍にはさほど効力を発揮しない。迷惑この上ないやり方だった。

 戦力が十全でない状態だと言う問題もあるが味方間で連携する気がないという状態は後で必ずしっぺ返しを生む。これは論理的な説明を必要としないお約束である。

 さすがにここはフートの言う通り、ボルトン兵団の到着を待ってドースタンで迎え撃つ方が得策だ。戦力的にも充実するし、守りの利点も生まれる。

「数は劣勢、味方は揃わないのに政治屋はいる。いいところなしだな」

「しかし、それは相手も似たようなものでしょう。先の前哨戦を見てもワシントンと第七艦隊も連携が良いとは思えません。おまけに相手のVIPは連合大統領です。お互いに会談の場で本格的な戦闘は願い下げと思っているんじゃないでしょうか。そこまで悲観する必要はないかもしれません」

 フートの補足は必要以上に身構える必要はないだろうというぐらいの意図だった。しかしこの一言はライザの思考に新たな回路を切り拓いた。フートの立場から言うなら、切り拓いてしまったと表現すべきか。

「なるほど。お互い様か」

 司令官の顔が神妙に沈み込んでいるのにフートは気づいた。この状態のライザは当分帰ってこない。彼は即座に通信越しのサンティアゴに敬礼をして暗に会議の中断を願った。サンティアゴもこれを首是で認めるとそのまま通信画面は切られた。

 ライザは思索の海に沈み込んだまま、浮上するのには数時間を要した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ