5/2「スカーミッシュ」
5/2「スカーミッシュ」
待つ、ということは決して容易なことではない。ことにライザ・エレファンタにとっては性に合わないことでもあって、決して長いとは言えない時間を精力的に動きまわった。
ドースタンの防御網を入念に見分し、偵察ドローンの配置に文句をつけ、手持ちをさらに追加。それでも痺れを切らしそうになってフートとレインに窘められること度々だった。
諸々の検討の結果、エレファンタ兵団はドースタン守備隊とは別個に行動することを選択した。元々のドースタン守備ラインを崩すリスクと、兵団の特性を鑑みると防御に役割を固定するのは得策ではないとの判断である。これはエレファンタ兵団に孤立するリスクをもたらすが彼らにとっては些末なことだった。
そしてその時は訪れた。大量にばら撒かれた偵察ドローンの一部が一挙に消息を絶ったのである。
「来たな。防衛ラインに連絡を入れろ」
ライザはどう猛な表情を隠そうともせず呟いた。
「哨戒部隊出せ。敵の勢力と進行方向の確認を厳に。一塊で挑んでくるほど少なくはないはずだ」
フートの指示が飛ぶ。敵と正面切ってぶつかるのは防衛部隊だ。エレファンタ兵団は隠蔽し、まずは様子見。
警報が鳴り響き、エレファンタ兵団の旗艦アイラーヴァタのCICで飛び交う情報は一気に濃度を増した。
「まずは手筈通り。さて、鬼が出るか蛇が出るか」
フートが呟く。連合には潤沢な時間を与えてはいないはず。そこまで絶望的な戦力差はないだろう。それでも悲観的な予測をせずにはいられないのがフートの習性であり役目だった。
「防衛軍より入電。われ出撃す」
防衛ラインの反応は思った以上に良かった。ライザがドースタンに留まり、足繁く通った成果だった。
「よい司令官殿ですな」
フートの言葉にライザはむっつりと頷いた。ドースタンを守る連邦軍司令官はライザの味方と言えるほどのものではないにせよ、その言葉を傾聴する貴重な将校だった。この世界で派閥に属さず、偏見を持たずにいられるということはそれだけで稀なことである。できれば失いたくない人物だった。
この戦いはまだ前哨戦の域を出ない。互いが互いの増援を当てにしており、その前に相手に対処する策を行使させないための牽制行動と考えられる。極端な話、睨み合っているだけでも一定の成果を双方が主張できるだろう。
問題はその先になる。どちらの増援が先か、という話だ。このコンタクトを持って控えていた兵団は急行するだろうが、連合の方も予め移動している本隊があるはずだった。
ここで攻める方と守る方の差が出る。
攻める方は相手の合流を阻止するという手立てもあるし、途中で切り替える選択肢すら与えられている。守る側はそうさせないために動かざる得ない。
可能であるならこの先鋒部隊に打撃を与えてそういった戦術行動の選択肢を削ぎたいところだが、これは守る方の利点を放棄することでもある。防衛専門の連邦軍の役割としては重すぎる。
となれば、それを為すべきはエレファンタ兵団だった。その点で連邦軍との意思疎通は既に取れている。しかし、これは味方の窮地であっても座して見守ることを意味している。
要するに、ライザはまたしても待たなければいけないのである。
6時間後、ワシントンの大艦隊はドースタン防衛ラインに接近した。その艦隊の末席にローマ師団の姿もある。司令官ミラーは艦隊の主たるものを招集して最後のミーティングを行っていた。
「想定内だな」
即応してきた敵艦隊を見てミラーは呟いた。その口調には不信感が滲んでいる。
「やはり別動隊ありと考えておくべきでしょう」
ワシントンの幕僚たちがミラーの不信感を具体的な形にした。火星側も援軍の到着まで戦力を温存しておきたいはずでそのために戦力を隠しておくだろう。これはこちらの戦術にカウンターを仕掛けるための余力も兼ねる。
さて、どうするか。
主導権は連合側にある。小手先の手段は用いずに正面からぶつかって純粋に相手の戦力を削ってもいいだろう。優勢に運べば余力を引きずり出すこともできるかもしれない。戦力の内訳で見てもこちら側の方が優位なのは間違いない。
しかし、ミラーには他に考えておかねばならない問題もあった。補給・補充の問題。
この戦いはあくまでドースタン攻略における前哨戦である。つまり本戦と言うべき戦いは別にあるのだ。戦闘による逸失もさることながら物資は戦うだけで失われるもので無限ではない。
この戦いが長引いて本戦に満足な体で挑めないようでは困る。それでは第七艦隊に主役を譲りかねない。ワシントンは第七艦隊の露払いをするために来たのではない。この戦いにあまり前のめりになるわけにもいかない。
大規模な補給・補充を必要となるほど消耗することは避けておきたい。これがミラーの本音だった。
「ローマの意見を聞きたいな」
話を振られたカリートリーは後ろ手を組んでしばらく戦術情報を睨んでいたがやがてミラーに向き直った。
「異論はありません。相手は防御側の利を持ちつつ、こちらのアクションに対する切り札を温存しているでしょう」
カリートリーの敵対者に対する解釈もほぼ同じだった。これに対して彼の考えるべきことはミラーともまた異なっている。ローマの思惑はミラーとは全くの逆となる。ローマは手柄の取り合いに参加する気はないし、ワシントンにも第七艦隊にも望まれてここにいるわけではない。ローマは本戦にこそ関わりたくない。
被害は受けたくないものの、言い訳の立つ程度に役割を果たして本戦には出てこない。それがローマにとってもっとも都合のいい展開となる。それにワシントンと第七艦隊にとってローマに手柄を立てられることは本意ではないはず。
カリートリーは短時間のうちに考えをまとめると交渉をはじめた。
「敵は守りの利を捨てる気はないでしょう。このまま叩き合いに持っていって構わないと思います」
ミラーは頷いた。
「然りだな。では敵が隠蔽戦力を用いた戦術を行使した場合はどうする?」
無意味な仮定だと思ったがカリートリーはミラーの言葉を慎重に受け止めた。
敵の戦術を何でもかんでも事前に予測して防げるわけではない。今回の場合、仮にそうなったとしても都度対処できるだけの戦力はあるし、そうなってくれれば別動隊の存在を明け透けにできるのだから都合の良い展開ですらある。むしろそこにこそ前哨戦の意義はあるのだ。ミラーもそんなことは解っているはず。
つまり、ミラーは積極的にそれを誘えないかと考えている。ワシントン単独であれば無用なリスクなのでそんなことは企図しないだろう。
ところが今回は都合のいい戦力がある。ローマだ。
なるほどな。内心で苦笑しつつカリートリーはミラーの老獪さに舌を巻いた。この司令官は自らの戦力は最大限温存しつつローマの戦力も活用して前哨戦の成果を得ようとしているのだ。
「では、その時は我々が引き受けましょう。隠蔽の上で独自に行動しますがよろしいですな」
ミラーは我が意を得たりとほほ笑んだ。カリートリーの方も分の悪い提案ではないと不敵に笑い返す。
ミラーは何もローマに盾になれと言っているわけではない。ワシントンの誘いに乗って敵が積極策に出るようならその機先を制すればいい。相手とて決定的なダメージを与えられないと判断すれば退くしかない。前哨戦であるのは相手も同じなのだ。そもそも敵が打って出てこないケースもある。
ワシントンに組み込まれるのでなくローマ単独で動けるので自由が利くというのも重要なポイントだった。
事態が悪い方に展開してダメージを受けたとしてもそれはそれで本戦を避ける口実になるわけだ。
本戦を避けたいローマと本戦に万全な形で挑みたいワシントン。
ここに奇妙な利害の一致が成立したのだった。
ローマ師団の役割が決定することによってその艦隊は密やかにその姿を隠し、ワシントンの艦隊から離れはじめた。
発達したアクティブステルス技術はパッシブ索敵のほとんどを無効化し、遠距離ではよほど優秀な光学機器によるローラー方式の索敵かアクティブ捜索でなければ補足不可能となっている。
それが万能であれば常時姿を隠していればいい話になる。アクティブステルスによる擬装にも欠点はいくつかあった。一番の問題は移動すると極端に擬装効果を減じる点である。待ち伏せにはいいが動きだした時点で補足されることを覚悟しなければならない。逆に言えば動かないでいるうちはよほどのことがない限りは発見されない。
当然、自分たちが姿を隠せるように、相手も同じように姿を隠しているはずだった。この敵の動き出しを即時に察知し、対処することがローマの役割となる。
「本艦であれば多少は動き出しの察知を早められますが、如何しましょう?」
コールは新鋭艦イージスの索敵性能を加味して進言した。
「それはワシントンに譲ります。それよりいつでも動けるように進路確保を優先してください」
確かにイージスの索敵性能は他艦よりは優れているがワシントンの哨戒艦たちも隠蔽戦力の補足という手柄を血眼になって探しているだろう、これらの専門家たちを出し抜けるともは思えないし、出し抜いてもそれはそれで面倒なことになる。それにローマ師団第八大隊の旗艦もイージスと同じエスクード級である。同じ艦隊にある限りは補足するタイミングはほぼ同じだろう。ルビエールはそれよりイージスの速力の方を活かすことを考えていた。
「打って出ることをお考えですか」
リーゼの投げかけにエディンバラは身を縮めた。彼を含めた企業人にとっては不穏な流れだったがいまさら言うべき言葉はなかった。
ここ最近、エディンバラは急激に存在感を失っている。急激に変化する時勢の中でイージス隊の役割は形骸化しつつあり、彼の立場も建前と化しつつあった。
「それほど危険な選択じゃないわ」
エディンバラの心理を慮ってか。ルビエールは気楽に言ってのけた。根拠がないわけでもない。この戦いはそこまで泥沼化しない。むしろこちらの動き出しが迅速であればあるほどあっさりと終結するだろうとルビエールは考えている。そしてその役割にもっとも適しているのはイージス隊だった。今回に限ってはイージス隊の敵の目を引くという習性も特に問題とならない。
ローマの艦隊は徐々にワシントンから離れ完全な別行動になった。臨戦態勢がとられローマはいつでも飛び出せるよう緊張を維持することになる。
マサト・リューベックがイージスのブリッジに姿を見せたのはそのタイミングだった。小柄の体躯をパイロットスーツで包む姿は多くの者を驚かせた。
「出るのか?」
ルビエールは怪訝な表情で聞いた。マサトの出撃はあくまで切り札という認識だった。
「僕だっていきなりぶっつけ本番というのは嫌なんで。ちょうどいい機会ですから出させてもらいますよ」
まぁそれもそうか。ルビエールは納得した。マサトの出撃とその管制に関しては既にルビエールは協議済み。イージス隊の員数外としてマサトは行動することになる。
当然、この処置は軍規を大きく逸脱するものでリーゼやエディンバラの不興を買うことになるだろうが。
「じゃ、その前に今戦闘の展望を一つよろしく」
ルビエールのリクエストにマサトは予め用意していただろう言葉を述べた。
「両者共に、程よく適当に」
ルビエールは頷いた。この戦いは両者ともにどこか上の空なところがある。深追いすると返って両者にとって望ましくない展開となるだろう。奇妙な話、両者ともに最高の結果を望んではいないはずなのだ。
しかしそのような状況であっても命を張る者たちはいる。個人にとって最悪の結末を迎える者もいるであろうと思えばルビエールの心境は複雑だった。
モーリは9番機を出撃させると聞かされたとき肝を潰した。
「だ、だれが乗るんです?」
「イスルギの彼よ」
不機嫌さを隠しもせずにエリカは答えた。この整備主任は最近になってその状態を当たり前にしつつある。
「状態は万全ね?」
「そ、それは当然です」
分解しようと提案していたモーリは不必要に動揺していたが整備は万端、問題はなかった。
それにしてもイスルギの開発主任が直接搭乗するなんてどういう理屈なのか。
「あの、何の意味があるんです?」
エリカは不機嫌そうな顔をモーリに向けたもののその目には少なくともモーリに対する敵意はなかった。
「9番機と10番機はそれぞれ別の役割があるの。10番機はマスターピースで1から8番機のデータを統合するための機体。9番機はそのデータをILS用にコンバートするための機体」
「ILSですか!?」
振って湧いたような単語にモーリは思わず口に出し、直後にエリカに思いっきり頭を叩かれた。
「痛っ…」
「ちょっと考えて喋りなさいよ」
「すいません」
エリカはそれ以上咎めようとはしなかった。その不機嫌な表情もモーリの迂闊さには向けられていなかった。
「そもそもALIOSはイスルギのILSを完成させるためのテストベッドでもあるのよ」
そしてXVF15はさらにそのテストベッドということだ。人間と機械を結びつけるILSは実現すればほとんどあらゆる電子機械を意識によって操作することを可能とするエンジニアならば誰もが夢見る理想のデバイスであり、夢物語である。
「深いところは勘ぐらない方がいいわよ。イスルギがどっからそんなものを持ち出してきたのか。真っ当に研究開発をしてきたわけじゃないことくらいあなたでも想像できるでしょ」
どうやらエリカのイスルギに対する不信感と不機嫌さの原因はそこにあるらしい。ILSは発想だけなら遥か大昔から存在している。言い換えれば夢想である。それが唐突に姿を見せて自分たちのプロジェクトに入り込んで不審がらないでいられるはずもない。しかもILSはその性質から人体実験を得ていると考えて間違いない。人道を汚す開発経緯を得ているだろう代物と付き合わされているのだ。神経質になるのは当たり前だった。
と、ここでモーリはあることに思い至って驚いた。
「え、つまりあの開発主任って」
つまりあのAILOSの開発主任マサト・リューベックはILSの被験者ということになる。ILSは人間と機械を繋げるシステムの都合上、人間側の改変も必要になる。これこそILSに限らないバイオデバイス実現の最大の障害だった。一人一人の人間に処置を施すのはあまりにも非効率的なシステムと評価せざるを得ない。
「だから、黙りな」
そう言いながらエリカはイスルギの守秘にそこまで過敏になる気はなさげだった。そもそもモーリに裏を語ってしまうことも漏洩と言ってもいい。愚痴を垂れ流す相手としてモーリを選んで危うい情報を入れ知恵してくることはこれまでも何度となくあったことである。ただし、今回の場合はその中でも特級レベルで危ういものだったのだが、その時モーリはこれまでと同様に黙していれば問題ないだろうと思っていたのだった。
「よし、始めるか」
ミラーの言葉を切っ掛けにワシントン師団は動き出した。ドースタン防衛ラインと連合軍最強のワシントン師団の戦いが開始される。
既にHV部隊を展開していたドースタン防衛ラインに向けてCSAが実行され、これに続いてHV部隊が進撃を開始した。真正面からの攻撃、これはワシントンの精強さと自信の現れ、またローマが控えているが故の猪突だった。
相手が耐え切れずに崩れるならよし。痺れを切らして手札を切ってくるなら尚のことよし。
無論、ドースタン防衛ラインも黙ってはいなかった。ドースタンは火星共和の最重要拠点となる。宙域資源も去ることながらもっとも火星圏に食い込んだ場所にあるこの拠点を攻略されることは1拠点を失うだけに留まらない。故にその防御はもっとも屈強でありこれまで連合軍の侵攻の対象にはなってこなかった。連合軍もドースタンを攻略することが不可逆な情勢の変化をもたらすことを理解している。ゆえに火星軍人の多くがドースタンは安泰であると理解していた。
連邦軍のドースタン防御司令官テオドール・マシスは火星軍人の多くが来るはずはないと思っていたこの日に備えていた稀有な軍人であった。信頼厚く優秀と評価されるマシスはドースタンの防衛体制にそれなりの自信を持っていたのだがそれでもライザには散々に苦言を呈される羽目になった。自らの備えの甘さを指摘されながらもマシスは嫌々ながら耳を傾けた。ライザの指摘に反発することはそれまでの彼のスタンスを自ら放り出すことに等しいと思ったからである。
それで、この状況である。マシスは自らが優秀ではないが賢明だったことに安堵していた。これで負けても言い訳が立つ。
「敵艦隊よりCSA!」
オペレーターの上擦った声にマシスは失望したが表情には出さなかった。慣れぬ状況に力が入り過ぎている。オペレーターに限らないだろう。前線のパイロットから艦隊の将校に至るまでいまだ状況を受け入れられてはいない。自分も含めて。
マシスは平静にどっしりと構える老人を想像した。この世の事象その全てを把握しているとでも言うように重々しく言い放つ。
「手筈通り」
マシスに状況をどうにかしようという考えはなかった。どう考えても自分の手に余る。手筈はエレファンタが全て整えている。彼は石像のように超然と動かず。この戦いの全てをライザ・エレファンタに放り投げていた。
両艦隊の間で不自然な火球が咲き乱れる。
「CSA迎撃されました!」
「もう少し気の利いた報告はできんのか」
冗談めかすミラーの表情には余裕が伺えた。まぁそう上手くはいかんよな。両者の間に機雷原でもあったのだろう。予め敷設されたものか、相対した時点で巻いたのかは解らないがいずれにせよ手際が良い。
とはいえ悪い状況ではない。CSAをせずにHV部隊を突入させていたらそこに引っかかって痛打されたかもしれないのだ。結果的にCSAは露払いにはなった。
「前面の部隊を散開させろ」
ミラーの指示でHV部隊は複数の塊を形成していく。強襲が挫かれたので今度は部隊を分けて波状攻撃をかける算段である。特定の部隊が深追いをすることなく、入れ替わって相手に圧力をかけ続ける。高度な連携を必要とする戦術で最強師団ワシントンのもっとも得意とするやり口だった。
巧妙なことにワシントンはその潤沢な戦力でその攻撃範囲を広げていく。一点突破では逆に相手に引き込まれて包囲を受けかねない。投入する戦力を調整して徐々に攻撃範囲を広げ、パン生地を引き延ばすように相手の隊形を薄くして、やがて破断させるのだ。
この戦法によってドースタンの防御ラインは徐々に隊形を歪めていった。その様子をマシスは歯噛みしながら観察していた。
一気に突破される方がマシだった。戦術上は相手の動きに合わせて柔軟に隊形を変化させて相手を引き込むやり口もある。しかしそれには極めて高度な戦術遂行能力を必要とする。遺憾ながらドースタン防衛部隊にそこまでの柔軟さはない。また練度に優れる相手がそれに付き合ってくれるはずもなかった。未熟な行動を逆手に取られて決定的な隙を生み出してしまうことも考えられる。
となればマシスの取れる策は一つだった。
「CSA用意、押し戻せ!」
CSAによる戦線リセット。可能ならCSAは相手を痛打するための反転攻勢で仕掛けたいところだった。当然、このCSAは敵にとって想定内のはずだ。つまりCSAを行使したのでなく、させられたのだ。
戦いはワシントンの思惑通りに動いていた。
隠蔽されたエレファンタ兵団の旗艦でライザたちは厳しい表情で戦況を見つめていた。
手強い。それが素直な感想だった。単に精強であるだけでなく、高度な戦術連携を難なく行使している。エレファンタ兵団であっても優勢に立てるとは思えない強さだった。
「さすがワシントンという他にありませんな」
フートの実のない感想にライザは顔を顰めた。
「そんな当たり前のこと言うために給料をもらっているのか、お前は」
フートはこの皮肉に動じなかった。サングラスを押し上げると改めて見解を述べる。
「敵は正面戦力に集中して隙を見せています。が、これは意図的でしょう。敵の狙いはこちらの戦力を引っ張り出すこと。我々と同じような戦力が向こうにも潜んで待ち構えていると考えるべきでしょう。つまり」
一拍置いてからフートはライザにとって不愉快な結論を出した。
「我々は見ていることしかできません」
「気に入らん!」
ほとんど駄々っ子のような癇癪にもフートはやはり動じない。
「それは見ているだけのことが?それとも私の解釈が?」
「両方だ!」
「では、優先順位を変えますか」
むぅ、とライザは黙り込んだ。フートはさらに続けた。
「ありと言えばありです。敵も潜んでいるのが我々エレファンタ兵団だとは思っていないでしょう。だからこそ隠蔽する意味があるというものですが、逆に我々の名前を相手に見せることで相手を威圧するという考え方もあります」
その理論はどちらかというとライザの行動に理由付けをするもので戦術的な意義では不確実性が勝っていた。フートは参謀役としての役割とは別にライザの個人的な衝動に論理的な意味をでっちあげる仕事をしばしば担う。ライザの論理的ではない行動を後押しするのだ。
まともな軍人、まして参謀であれば考えられない行動である。しかし兵団の幕僚の誰一人としてそれを止めようとはしない。エレファンタ兵団はライザの兵団である。彼らの理念は実際にはライザ・エレファンタ個人の理念であった。その意識共有あってこそ彼らは戦えるのである。
最後にライザはレイン・チェスキーを見やった。少女は何も言わずその目で決然と意思を表した。
それを受けてライザは苦笑の後にいつもの不敵な笑みを見せる。結局のところ、ライザ・エレファンタに待つことなど似合わないということだ。
ワシントンの目が戦場に新たな一団を捉えたという報は即座にミラー、そしてカリートリーにも伝わった。
その規模は驚くに値しなかった。ただし展開されたHV部隊の陣容とその動きには眉を動かさずにはいられなかった。
WMV06、ライノスの愛称を持つエレファンタ兵団の誇る対艦攻撃HVが護衛を伴ってワシントンの艦隊に向けて進撃をかけてきたのである。
「エレファンタだと?」
予想だにしない戦力の出現にミラーは困惑した。連中はネーデルラント、ロックウェルに攻撃を仕掛けていたはずではないか。
「迎撃します」
カリートリーが手筈通り請け負う旨だけを伝えたことでミラーの思考は現実への対処に切り替わった。
「頼んだぞ」
そう返したミラーの心を一抹の不安が過った。策は用意していた。しかし充分ではなかったかもしれない。
特殊戦略師団の名を冠するとはいえ1個大隊。しかも寡兵とされるローマである。対するエレファンタは攻撃性能に特化し、目的のためなら犠牲を厭わないバーサーカー集団と評されている。
ミラーはエレファンタの突撃がローマの迎撃を貫通してワシントンの艦隊に届く可能性を考慮しないわけにはいかなかった。
当然ながらカリートリーにとってもエレファンタ兵団の強襲は予想外のことだった。その攻撃を受け止めることになればローマの艦隊など一撃で粉砕されかねない。
しかしカリートリーは不敵に笑う。
「予定外の来客ではあるが策は用意してある。さて、気に入ってもらえるとよいが」
大隊指揮官の号令に応じて第八大隊は擬装を解くとワシントンとエレファンタの間に割って入るように艦隊を進めた。
その速度は驚くべきものだった。むしろ早過ぎると全ての者には映った。ローマの艦隊は両者の間に割っては入ったもののそこに留まることはなく、そのまま通過していったのである。
「何をやっている?」
ミラーは怒り、ライザは疑問でこの言葉を口にした。しかし両者ともに次の瞬間にはその意味を理解した。
艦隊の通過した後に第八大隊のHV部隊が展開を終えて、敵襲を待ち構えていたのである。その陣容の中核は大型異形の重HVで構成されていた。
PDF29スキュラ。このクサカ社の拠点防衛用重HVこそカリートリーの持ち込んだ手札だった。
奇才エリカ・アンドリュースの出世作であり、クサカ社HV部門の躍進を果たさせたその重HVは拠点防衛用に割り切った思想で設計されている。対HV迎撃用に絞った武装と重装甲をシンプルかつ堅牢にまとめ上げている一方でその割り切りゆえに主力機としてはあまりに鈍重。機動戦に対応できないのはまだしも、部隊展開にすら難を抱えている。本来なら拠点のバンカー間で移動砲台に徹する想定で、このような会戦に投入できるような機体ではない。
第八大隊はこれを艦艇で現地まで移送して直接展開させるという強引な手段でエレファンタ兵団に相対させたのである。
エアボーン、航空機で兵士を直接送り込む大昔の戦術の復古だった。
「さて、どうでる?」
カリートリーは不敵な笑みを変えずに嘯いたが平静というわけではなかった。
やっておいてなんだが、危険なやり口であることをカリートリーは隠していた。スキュラは欠点の多いHVである。展開するのに難を持つということは回収するにも難を持つということでもある。回収するとなれば相手を撤収させるか、また艦艇で回収に向かうかのどちらかになる。
そもそもエアボーンという戦術自体もリスクの大きい戦術だった。送り込んだ兵をどうするのか?という点をフォローしておかねば敵中孤立させることになってしまうのだ。敵を追い返せればいいのだがそうでないなら全滅しかねない。
しかしそうはならないという見方もあった。相手は最強の攻撃的兵団エレファンタである。彼らの目的は間違いなくワシントンの艦艇で、そのための重攻撃機。ライノスはスキュラとは逆に艦艇を攻撃するために必要な性能を惜しまずに盛り込んだ重HVでそんな高性能攻撃機と獲物との間に第八大隊の部隊は立ちふさがる。倒す意味のない障害物として。
低コストのスキュラと高コストのライノス。望みの展開ではないにしても刺し合いになってくれるならローマにとっては受けるに値するが相手にとってはそうではない。
この衝突は割に合わない。カリートリーは相手もそれを理解してくれることを期待した。
「HV部隊、交戦距離に入ります」
オペレーターの報告にカリートリーは顔を顰めた。ライザ・エレファンタは聞き分けのいいタイプではなさそうだ。
だったら、やるしかない。痛手を負うのはどちらのほうか。
「交戦を許可する。一機たりとも通すな」
エレファンタ兵団を迎撃するラインのなかにイージス隊の機体もあった。それまで個体識別を持っていなかったXVF15の2小隊は新たに小隊名を付与されエドガー率いる第一小隊にはデルフィナス、フィンチ率いる第二小隊にはハーキュリーの名が付けられた。
「敵の主役はあくまでライノスだ。敵は何としてでもライノスを突破させようと図るだろう。過去の事例で言えば随伴機はそのための捨て駒にされる」
ルビエールは自らの持つ情報から相手の習性と動向を予測した。エレファンタ兵団。破壊神ライザ・エレファンタ率いる攻撃特化兵団。その強さをルビエールはシンプルさと献身にあると考察している。
「健気だねぇ」
「全くだ、同情するね」
エドガーの溢した言葉にロックウッドは毒の混じった同調を返した。戦闘機パイロットとしては御免被る役割なのは確かだったが些か配慮にかける発言でもあった。イージス隊にもオライオンという護衛随伴機はいるのだ。
「イージス隊はその速力を利して突破しようとするライノスを阻止することを役割とする」
ローマの迎撃ラインに対して迫りくる重HVと護衛随伴機の大集団は3倍を越える。とはいえ、その中で有力な戦闘力を持つのは随伴機の方であってスキュラの127ミリ機銃の援護も考慮すれば決して対抗できない相手ではなかった。しかし敵の目的はこちらとぶつかることにはない。随伴機のみを切り離してライノスのみで突破を図ろうとするだろう。
実際に突破できるのかは別として、そうなったときにこれを阻止するならXVF15以上の機体はない。ルビエールの意図は隊員全てに浸透した。
「で、9番機はどうすればよろしいんでしょう?」
ロックウッドが質問した。今回の作戦に闖入してきた員数外の9番機をオライオンの護衛対象に含めるのか、その懸念がロックウッドをイラつかせている。
XVF15のテストが形骸化してきたことでオライオンの役割も曖昧なものになりつつある。実際のところXVF15は問題なく運用可能であることを証明しつつある。護衛小隊を必要とする名目もなくなりつつあるのだ。この期に及んで対象が増えるとなればふざけるなと言いたくもなろう。
ロックウッドの懸念に答えたのはマサト自身だった。
「お気になさらずに、というのも難しいでしょうけど。僕の護衛は考えなくても結構です。それと、僕は基本的にデルフィナスについてます」
「そうして頂けると助かりますね」
そう吐き捨てたロックウッドは安心してはいなかった。この手の異物は常に自分の理論で動くのだ。こちらの規格に納まることは絶対にない。
この先、イージス隊が戦力化していくのならオライオンの立場も再定義するべきだろうし、特務中尉用の枠を設定する必要もある。
それにしてもここまで急激に事態が変化するとは。このままでは致命的な状況に巻き込まれるのではないか?果たしてこの流れから抜け出せるのだろうか?ロックウッドはそんなことを考えはじめていた。
戦闘距離。スキュラの隊列が突出してくる護衛機群に向かって機銃を一斉射した。スキュラの装備する127ミリ機銃はガンナーの用いる小隊機銃を上回る重機関銃に分類される大火力兵装でほとんどのHV装甲を容易に貫通する威力を誇る。ただしその威力ゆえに極めて巨大かつ制御しずらい。スキュラを移動砲台にしてしまう主たる要因であるがそれと同時に存在意義でもあった。
一機の射撃であればガンナーのそれと大した差はない。しかし隊列を組んだ多数からとなると話は違う。127ミリの大火力弾幕は死の嵐となって巻き込んだ機体を文字通り木っ端微塵にする。
その効果は物理的なもの以上に心理的な影響大だった。正面から相対することを躊躇した護衛機に続く攻撃機の突進も緩む。この時、勢いに任せての突破という選択肢は喪失した。つまりエレファンタ兵団の攻撃部隊と第八大隊の対決は不可避となったのである。
スキュラを密集陣形で中央に囲い込んだ第八大隊はその周囲に戦闘機を配置する陣形をとっている。HV同士の戦いであれば同じ役割を果たすガンナーは敵視を集中しないよう分散して配置するのが常道である。
しかし如何な大火力の重機銃でも散発では掻い潜られることは避けられない。密集隊形は重機銃の火力を集中して突破しようとする部隊を確実に阻止すると同時に鈍重なスキュラを守る2重の意図。そしてスキュラを黙らせようとする敵機を誘い込む裏の意図を含んでいた。
面の火力と点の火力。
一般的に迎撃する側の選択は面になりやすい。ガンナーの被害を抑えられるしカバーできる範囲も広いからだ。一方でこのやり口は出血を覚悟した一点突破には弱い。
点の火力は迎撃においてはあまり効率的とは言えない。火力の指向性が強い分だけカバーできる範囲は狭いし、多勢に攻められると迎撃する敵を選ぶことになる。しかし、それが利点でもある。迎撃する敵を選別し、これを大火力で確実に阻止する。
この場合、第八大隊が迎撃すべき敵機はライノスをおいて他にない。エレファンタ兵団は随伴機を犠牲にしてでもライノスを突破させたいが第八大隊は他の何を犠牲にしてもライノスだけは通さないと意思表示をしている。それさえ達成できるならスキュラや他の機体が随伴機に襲われることは許容範囲内。
明らかな挑発にエドガーは苦笑する。つまり第八大隊は自分たちの価値の薄さを押し出した上で相手に犠牲の選択を強要しているのである。第八大隊の指揮官は火力の使い方を心得た上でかなり悪辣な運用をしているとエドガーは考えた。
「これで攻めてきますかね」
マリガンはこのまま睨み合いに移ると読んでいたが懐疑的な部分もあって自然とエドガーに尋ねるような口調になった。
「スキュラは鈍足だ。理性的に考えれば後退した上で大きく迂回しようとするか、後方の艦隊を前に出すかだろうな。それに意味があるかを考えてるところだろ」
珍しく2人の意見は一致した。
常識的に考えて割りに合わない。このような戦いではパイロットの士気も上がらないだろう。かと言って迂回となるとまた時間という大きな代償を支払うことになる。艦隊を前に出せばCSAの援護を行えるがそこまでのアクションをとればもはや強襲としては成り立たない。結局のところ相手の選択肢は犠牲を受け入れての強行か、諦めるかのどちらかだ。
もっとも、そう上手くいくかどうか。
俺ならどうする?とエドガーは問うた。しばらく考えてみたが何一つ思い浮かばなかった。機先を制された時点で終わっていると考えるしかない。
はて…何か忘れているような。
「敵機来ます!」
オペレーターの報告にエドガーは不意を突かれて思考を止めた。
「おいおい、マジか」
「わかった、行っていいぞ」
このとき、ライザは渋々と言った体で攻撃指令を出していた。
攻撃を提案したのはライノスを駆る特殊部隊ブルーだった。実際のところエレファンタ兵団の旗艦では状況に変化あるまでは睨み合いでもいいと考えていた。エレファンタ兵団の来襲の時点で主戦線の動きは膠着したからである。
もちろんライザはそれで満足したわけではないが敵の構成を見た時点でやる気を喪失していた。本来であれば蹴散らして前に進ませるところだがさすがにあの重機銃の嵐を抜けさせるには手間がかかる。そうなれば引き際も難しい。何より戦うに値しない相手と見做したのである。
これは現場の兵士に意識を共有していたが彼らはただ出撃して撃墜されることになった僚機に対する報復感情を抱いている。これをライザは無視できなかった。
「戦術的にはまるで意味のない行為ですが、まぁいいでしょう」
ハウ不在のためブルーの隊長を代行するフートはわざわざこのような発言をブルーの隊員全てに聞こえる帯域で流した。これは攻撃に否定的な発言というよりは自分たちの行動の意義を自覚させる意味合いが強い。
これはただの意趣返しでしかない。だが、死にさえしなければ気の済むようにしろ。と暗に言ったのである。
エレファンタの攻撃部隊は散開して前進をはじめた。まずは随伴機の前進、これに続きライノスまでもバラバラに散開して突進を始める。このスピードは通常の戦闘HVのそれを上回る。敵防空への突入とそれに続く離脱のためにライノスの推進出力はただ前に進むだけなら戦闘機以上である。これはつまり一度振り切られると追撃不能であることを意味する。
「くるぞ!」
「こいつはどっち狙いですかね」
マリガンは忌々し気に舌打ちをした。
互いの読みは外れた。エドガーたちの考えるべきことは2つあった。敵が突破することを目的としているのか、単にHV戦闘を仕掛けてきたのか。また対処すべきは攻撃機か、随伴機か。
それにしても釈然としない。何の目的をもった攻撃なのか。
「仕返しでしょ」
員数外の9番機の事もなげな一言にエドガーは殴られたような衝撃を受けた。全く理論的ではない感情的な行動。しかし極普通の思考だった。そんなことをする相手なのか。だとすると厄介だ。敵の行動には理論的な意味は存在しない。気の向くままに、というのは存分に暴れてこいと言っているようなもので、もっとも得意とし、リスクの低い戦術を行使させる。これは厄介だ。
基本的にHVにはパーソナルな情報を与えるようなことはされない。精々が所属する所属部隊を表すマーキングくらいである。イージス隊などは特に徹底されていて機体番号以外にその機体の個体識別をできる要素はない。
その中でも例外的な処置がエースパイロットに与えられる特殊カラーである。火星にしても地球にしてもエースパイロットには自機のカスタマイズに裁量を許される事例がいくつかある。味方に対する鼓舞というもっともらしい言い訳もあるが軍の装備に対して所有権を認めるようなことを許される最たる理由は個人の名誉と戦意高揚にあった。
しかしその機体が特別なカラーリングを施された理由は少々異なる。特殊部隊ブルーの4番機レイン・チェスキーの機体はライノス標準の暗色迷彩に深紅のパターンを織り交ぜてブラッディレインの異名を体現していた。そのカラーリングが意味するのは敵味方双方に対する警告。そして自らの流してきた血。
エドガーがその機体を何としても阻止しなければならないと判断したのに論理的な理由はない。ローマの阻止線に挑むライノスの中の一機をただ一瞥したのみで問答無用に脅威と見做したのである。
莫大な出力に任せた突進は突破を試みているように思える。スキュラの火線からライノスの移動方向を読むとエドガーは真正面から相対する位置に機体を転じた。基本的にHV戦闘において相手の正面に立つことは忌避される。真正面の撃ち合いは双方共倒れを招きやすい形になる。もちろんエドガーもそれは承知している。今回の場合は相手の進行方向を転じさせればいいと判断しての行動だった。
エドガー機とレインの機体は互いにほとんど最大の速力で相対した。火力・装甲ともにライノスの優勢。ライノスの装甲をXVF15の武器で打ち抜くにはかなりの近距離での直撃を必要とするだろう。もしかしたら直撃させても倒しきれない可能性すらある。一方でライノスのレーザーはXVF15の装甲を容易に貫く。しかしライノスのレーザーはそもそもHVに向けて使うような代物ではなく速射性は悪い。エドガーはよほどの近距離射撃でなければ回避できる自信を持っていた。ライノスは小回りの利く機体ではない。初撃を外せば一気に立場が悪くなる。
一種の度胸試しのような対決であったがエドガーは正面切って撃ち合うことを相手も自分も望まないという妙な確信を持っていた。
距離が近づく。互いにロックオンはなし。もう数秒もすれば射程圏内に入り、相手は必殺の距離を測るだろう。
しかし相手のリアクションはなかった。
臆病者であれば痺れを切らすだろう距離を越え、逆にエドガーが痺れを切らしかけたところで相手はいきなり向きを変えてエドガーから見て真上に打ち上げ花火のように飛び上がった。
この動きは完全にエドガーの意表をついた。HVの急速反転は慣性制御と機体フレームの強靭さ、そしてパイロットの対G適性によって限界が決まる。慣性制御を越えた分のGはフレームの強靭さによって補われなければならない。これは機体に多大なダメージを蓄積するため忌避される機動だった。最悪の場合は機体を空中分解させかねないし、急激なG変動に耐えるパイロットにも無視できないダメージを与える。
このため急速反転はドッグファイト時の緊急回避手段とされ、高速戦闘機は複数のスラスターによって急速反転そのものを必要としないよう設計されている。
皮肉なことにこの急速反転を得意とするHVこそライノスだった。最強の重攻撃機として設計されたライノスはその堅牢な防御性能の副産物として戦闘機以上の堅牢なフレームを持っており、敵中突撃のための膨大なスラスター出力でもって力業で急速反転を行えるのである。
エドガーはこの動きに反応できず視界から消えたライノスを追って視線を転じようとしてその間違いに気づいた。見るべきものはライノスの消えた場所にこそあった。
「マジか」
ECMグレネード。敵機を撃墜するためでなく、その行動を阻害することを目的とするノンリーサルウエポンがライノスの反転した地点にポツンと浮かんでいた。
ライノスの急速反転に意識を奪われたエドガーの機体はこの置き土産への反応がコンマ遅れた。
瞬間、エドガーのみるHUDはグチャグチャに明滅し、外部情報は完全に途絶した。これは物理的な光ではなく、グレネードの範囲内にあるHVのセンサーに誤った情報を叩き込むもので直視しているかどうかは問題にならない。致命的、即時にこの影響下から抜け出さなければならない。相手はその動きを待ち受けているだろう。
次の瞬間、起こった変化はまたしてもエドガーの予測を外した。唐突に視界が復活したのである。エドガーの生存本能は何が起こったかを理解するより先に機体を加速させた。この機動はECMの範囲外から抜け出そうとすると予測していたレインの意表をつき攻撃の機会を失わせた。
とりあえずの脅威を回避したエドガーは視界の端に捉えたECMグレネードをアサルトライフルの一連射で破壊した。不可解だった。ECMグレネードは破壊されるまで健在で視界の回復に説明が尽かない。
実際にはECMを受けた時点でALIOSがセンサーからの情報を遮断してログデータから映像を再現する独自判断をしていた。このことをエドガーが知るのは後のことである。
このECMグレネードの対処とちょっとした思考のひっかかりでエドガー機はレインのライノスをとり逃すことになった。
「なんちゅう動きしやがる」
急激に加速して遠ざかる重HVを見送るしかない。してやられた、とエドガーは苦虫を噛み潰した。よもや純攻撃機のライノスで最新鋭戦闘機を相手に立ち回ってきたのだ。常識的な枠では捉えられないモンスター。エドガーは逃した獲物の価値よりもその危険性を噛み締めた。
一方、レインの意識はそもそも迎撃機の撃破にはなかった。最強のライノスパイロットを冠するレインは愛機の性質を誰よりも熟知している。ライノスは純攻撃機であって戦闘機とドッグファイトを挑めるような機体ではない。チャンスがあるとしたら装甲を利したヘッドオンでの撃ち合いくらい。敵新型の運動性能はレインの想定を大きく上回り、到底勝ち目はないと判断するのに迷う必要はなかった。ECMグレネードも離脱のための手段に過ぎない。
狩猟者の迎撃を回避したレインだったが与えられた時間はそう長くはない。先ほどの敵機ともう一度相対して切り抜けられるとはレインも考えてはいなかった。そこまで甘い相手ではないはずだ。一撃で決めなければならない。
レーダー上の敵機と自機の位置を計算し、攻撃から離脱までを考慮して射点を定める。これまで多くの戦いで発揮してきた悪魔的な才能でレインはもっとも最適なポイントを見出した。
ライノスの両肩にマウントされた並列レーザー砲が展開された。スキュラの存在意義が127ミリ重機銃であるならこの並列レーザー砲“雷電“こそライノスの存在意義である。その重装甲も大出力スラスターもこの大火力レーザーを敵中に飛び込ませるために誂えられたものでしかない。
「撃ちます」
レインの素っ気ない一言は射線上の味方に注意を促す以外の意味を持っていないがそれは知りもしない数名のパイロットにとっては死の宣告となった。
本来なら艦艇を破壊するためのレーザーが隊列を組んだ8機のスキュラを横合いから襲い呑み込んだ。一瞬にして3機のスキュラが爆散し、2機は機体の大部分(パイロットを含む)を失い、3機はパイロットを生き残らせつつも大破した。
連合軍のパイロットはライノスのレーザーの威力に驚愕した。対艦用の武装としてはその威力を知っていたものの実際に目にすることはまずなく、それをまさかHVを相手に使われるとは思っていなかったのだ。そして悪いことにこの8機の中にスキュラ隊を指揮する機体も含まれていた。
懐に入りこまれたこととライノスの攻撃の威力を目の当たりにしたことでスキュラ隊は大いに動揺した。こんな攻撃を何度も受ければ密集したスキュラ隊は壊滅する。そんな悪い想像が一気に走り抜けた。
しかしどちらにとっても幸いなことにそんな芸当をできるのはレインただ一人だった。当然、それはエドガーの洞察の範囲内だった。
「バラけるな!固まってろ!あんなことできる奴は他にいねぇ!」
「しかし…」
「逃げるのはてめぇらの仕事じゃねぇ!だいたい逃げるだけの足があると思ってんのか、死にたくなかったら踏みとどまれ!」
動揺したスキュラパイロットの抗弁をエドガーは一蹴した。スキュラの逃げ足に他の機体は付き合うわけにいかない。実際、彼らの生き残る道は敵を追い返す以外にないのだ。鈍足・低コストの拠点防衛機は護衛の対象とはならない。それを守られる立場で言わなければならないことにエドガーは苛立った。幸いだったのはエドガーの激でスキュラ隊の瓦解は防がれたことだった。
このスキュラ隊の動きに苛立ったのはレインだった。この手の防御態勢を突き崩すなら士気にダメージを与えるのが一番だとレインは直感的に理解している。レインの一撃はその条件を満たしていたはずだった。
「よくやったブルー4。これ以上は俺たちの仕事じゃない。退がれ」
見計らったようなタイミングでフートの指示が飛ぶ。自らの攻撃によって壁に穴を空けることは困難だと認めたレインは素直にこの指示に従った。
「これ以上は無益でしょう。後退すべきです」
フートの進言にライザは不満の形相を見せた。
エレファンタ兵団はあらゆる犠牲を惜しまず、目的を達する。壁は粉砕し、獲物に喰らい付き、貪る。なのに今回は結局のところ壁の前で立ち往生をしただけだった。
「何も達成できずか」
「いいえ、既に達成しています」
毅然として言い切られたのでライザは戦術画面に目を移し、フートの言わんとすることを理解した。
敵主力艦隊が後退を始めたのである。エレファンタ兵団の出現を以って敵は目的を達したということか。それは同時にエレファンタ兵団のドースタン守備隊を救うという目的も達成されたことを意味している。
果たして我が意を得たのはどちらなのか?
「早すぎるでしょ。根性なしめ」
ライザの嘲りは相手の隙のなさに対する称賛の裏返しでもあった。ワシントンの指揮官は先の先を見据えている、少々やりすぎなほどに。もう少し人間らしさを見せたらどうなのか。
出てきてやったんだから付き合えよ、と罵ってやりたいところをグッとこらえた。目的と手段を履き違えるわけにもいかない。
この戦いは連合軍の判定勝ちと言ったところか。エレファンタ兵団は結局のところ引きずり出されたと考えるしかない。
「しかし、ワシントンほどの戦力ですら尻尾を丸めて逃げるとは、我々も有名になったものですなぁ」
フートの呑気な一言にライザは詰るように視線を向けた。フォローのつもりか。
確かに味方を変えればそういうところもある。敵の即応から見てもカウンターを狙う意図はあったはずなのだ。それが優勢な戦況を切り上げてまで後退するのもエレファンタ兵団の名績あってのことかもしれない。
とはいえ、それはライザの慰めにはならない。その功績は過去の自分であって今の自分ではない。名前で威圧するなどライザの趣味ではない。ライザ・エレファンタの功績。それは常に破壊によって彩られるべきなのだ。
要するに一発殴ってやらないことには気が収まらないということだ。それがライザ・エレファンタの性分だった。
フートたちにとって幸いなのはその機会はまだあるということだ。
「引き上げ!ドースタンに戻るぞ!」
吐き捨てるように言うとライザはドスドスと荒い足音を立てながらブリッジから出ていった。ブリッジクルーは呆れた顔をしつつも誰も引き留めようとはせず、かわりにフートの方を見た。
この手の仕事は彼の役割なのだ。サングラスの奥の目はいつものこととおどけた。
そう間を置くことなく、ライザの思考は次に切り替わるだろう。状況は思ったようには展開しなかったが何ほどのことはない。次の機会はすぐに訪れる。ライザはすぐに相手を完膚なきまでに破壊する一手を生み出すだろう。




