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1/1「発火点」

1/1「発火点」

 UF309年

 ルビエール・エノーは特別な推挙により大尉となる。

 ルビエールの家系「エノー」は貴種と見なされる一族であり、ある種の共通の才能をもった人間同士を掛け合わせることを繰り返してきた。

 人間サラブレッド。ノーブルブラッド。スペシャル。

 このような家系は一様に高い能力を保持し、上流階級としての地位を確立していき、それもまた極端な血継主義へと走らせる要因となった。

 ルビエールもまたその遺伝子のスパイラルの生み出した一つの結果だった。

 欧州士官学校を首席卒業したルビエールは第14特殊戦略師団、通称ローマ師団の秘書官として軍運営の何たるかを学ばされた後に実戦部隊の指揮官としての任を与えられる。

 それ自体はよくある話だった。一つ異なるのはその部隊の名に「試験」という冠のあることだった。

「恨まんで欲しいのだが、上層部は貴様の血の価値を否定する気はないらしい」

 通信画面向こうで辞令を読み終えた男はデスクの上で両手を組ませると悪びれもせずに切り出した。

 無造作に伸ばされた髪と締まりのない体型、真っ白く階級をひけらかす制服がなければ到底高位の軍人とは思えない。その男は新設される試験部隊の責任者で名をトロギール・カリートリーといった。

「お気遣い、痛み入ります」

 無表情に応じたルビエールも見た目と階級が乖離しているという点では同じだった。

 ノーブルブラッドを証明する銀の髪と青白い肌は極端な交配を繰り返してきた一族に共通する特徴でそれもまた軍人という単語のもつイメージとはかけ離れている。

 それでもルビエールがこの場にいることは血の定めたものだった。エノーは代々において軍との強い繋がりで発展してきた家系だった。ルビエールも決して才覚にかける軍人ではなく、欧州士官学校首席卒業に恥じることのない才幹の持ち主ではある。しかしそのことと今回の推挙にはほとんど因果関係はなかった。

 有体に言えばルビエールはホワイトタイガーのようなものだった。軍にとってみればルビエールという個人よりエノーという名と血に価値がある。

「クサカは一筋縄ではいかんぞ。振り回される立場にならんよう手綱はしっかり握っておくんだな。多少は融通してやる、困ったら連絡をしろ。以上」

 どこまで本気かわからない言葉を手向けにしてカリートリーは通信を切った。


 第14特殊戦略師団第8大隊属 特務試験小隊

 地球連合において最大の軍需企業の一つであるクサカインダストリアル開発の新型HVの実地運用試験を任務とする小隊である。

 第14特殊戦略師団、通称ローマ師団は昔からこの手の試験運用を多く担ってきた。目立つ・運営費を企業側に負担させられるなどなど、打算的な理由の見え隠れするこの施策においてルビエールのような人材は打ってつけなのは本人も否定のしようがなかった。

「畜生め」

 ルビエールは美貌を歪ませ吐き捨てた。



 309年初旬 テルメア宙域ピレネー移動要塞

 地球連合少尉リーゼ・ディヴリィがルビエールの下に召喚されたのはその2週間後のことになる。

 欧州士官学校でひよっこのプライドをへし折り、士官の何たるかを叩き込む崇高なる任務を担っていたリーゼは士官候補生たちに「軍服を着た悪魔」と評されている。

 クサカ社の新鋭戦艦エスクード級3番艦「イージス」のブリッジに踏み込んだリーゼの目に映った光景にリーゼは即座に顔を顰めた。

 大小様々なスクリーンとそれを操作するためのコンソールは真新しく、見たこともない機器類で埋め尽くされている。新鋭艦であるからそれは問題ではない。気に入らなかったのはそこに座っている人間たちのほとんどがクサカ社からの出向であることに由来する。その肩には民間出向を現す階級章をつけているもののリーゼの目には一挙手一投足でも容易に判別できた。

 リーゼは周囲を観察しながら艦橋中央の一段高い席に向かって歩き出した。

「職業体験かなにかですか?」

 小隊指揮官ルビエール・エノーはキャプテンシートで不機嫌そうにモニターを見つめていた。視線をリーゼに向けて、すぐに戻す。

「その台詞は私にも刺さる」

 ルビエールは美しい女性だった。ノーブルブラッドの証である銀髪と青白い肌はただならざる要素ではあるが目鼻立ちの妙でそれを彫刻的な端麗さに仕立て上げている。しかしそれも「いまここにあるモノ」としては異質だった。

 これもまた遺伝の賜物であろうか。初めてその姿を目にしたときのことをリーゼは覚えている。リーゼが面倒をみた数多くの士官候補生たちの一人としてルビエールは現れた。その均整の取れた居姿とそこに内包された知己に内心は圧倒されたものだ。

 軍というのは特別扱いを許すところと許さないところの二面性を持っている。軍にとって役に立つと思えば特別に扱うし、邪魔であるなら潰す、身も蓋もないが一貫はしている。それゆえ、ルビエールはその名と血を優遇される一方でプライドと人間性をことさら叩きのめされることになった。それによって持たざる者たちの留飲を下げることも計算の上で。

 その役を担ったリーゼは精々恨まれていると考えていた。それがどういうことか実戦部隊任官にあたりルビエールはリーゼを召致するという個人的要望からことを始めたという。

 リーゼはその理由を実直に質問し、ルビエールは素っ気なく答えた。

「私を特別視しない人間が必要だと思った」

 それでリーゼは自分の任を了解した。

 リーゼは亜麻色の髪と長身、きっちりとした佇まいから、そうと聞けば納得する程度には軍人らしさを備えている。それでも後方勤務の事務官といった程度の印象に落ち着くだろう。リーゼにプライドをへし折られてきた候補生たちなら全く相応しくない見た目と口を揃えるだろう。曰く、リーゼ・ディヴリィの本質とは軍人の規範そのものである。

 この点でルビエールの考えはより過激だった。

 リーゼ・ディヴリィは軍人というよりは軍の備品だとルビエールは考えている。課せられた役割を淡々とこなす、自発的に滅私し、非効率的な命令であっても実行し、他の効率的な手段は無視する非人間的な愚直さを備えている。

 それはルビエールに欠けているものを思い出させる。規範。自分のいる場所。

「ピレネー司令部で火星共和の侵攻について対策会議が行われることはご存じかと思いますが、そちらに大尉ご自身も出席なさって欲しいと要請が来ております。如何しますか?」

 リーゼの言葉にルビエールは怪訝な顔を向けた。

「出席というのは…言葉通りなのかしら」

「そういうことでしょう」

 不可思議な話だ。会議に参加するだけならVRで済む話だ。ほとんどの参加者はそうするだろう。ルビエールの身を運ぶ必要。つまり会議本来の目的とは異なる何かがあるのだ。

 この手の要望がルビエールにとって嬉しい展開になった経験はほとんどない。

「客寄せパンダのつらいところ」

「心中お察しいたします」

 形ばかりの労いを報酬にルビエールは重い腰を挙げた。


 ピレネー要塞は現存する地球連合の移動要塞の中でも最古のものながら地球連合の宇宙戦略に重要な役割を果たし続けてきた。その価値は単にその巨大さにある。小惑星「ピレネー」をくり抜いて簡易な重力制御によって居住性を確保したこの要塞は内部に巨大なドックと工廠を備え、艦艇凡そ500を収容、外郭には2000を係留することを可能とされている。それに対応するだけの食料プラントも擁する地球連合の一大軍事拠点として機能していた。

 宇宙戦略において重要なことは戦力をどこにどれだけ配置するかという部分にある。多くはコロニーにその役割を兼ねさせるものの前哨部隊ともなると民間人を擁さずにある程度は自由に移動できる移動要塞は貴重となる。

「さすがに古い」

 ピレネー内部の回廊歩きながらルビエールはボヤいた。なんにでもケチをつけたい心境だった。

 実際、古い。星間大戦中期の頃に建造され150年に及び現役のこの要塞も近代化改修を何度も繰り返してはいる、それは機能的な部分ばかりで所々に「様式」の差を生んでいた。回廊はその最たるものだった。

「ピレネークラスの小惑星でも手に入らない限りは新造というわけにもいきませんでしょう」

 ルビエールの隣、ロドニー・エディンバラは応じた。

 柔和な雰囲気を持つ壮年の男はイージス隊の開発プロジェクトにおけるクサカ社系スタッフの長にあたり、場合によってはルビエール以上の意思決定を行える立場にある。軍内部においてはルビエールの下にくるが、実社会においては明確にルビエールより上の存在である。この特殊な立場のスタッフもまたイージス隊の特殊性を物語っていた。

「維持しているだけでも相当な金食い虫でしょうに。私に言わせればもう少し効率的なやり方があるとは思いますがね」

「高説あれば承りましょう」

「駐留コロニーを増やせばいいんですよ。機動要塞は経済性0です、都市コロニーであれば経済活動を行いながら軍を維持できます」

「平時の理屈と言う奴ですね」

 険の強い言葉にエディンバラは眉を微妙に動かした。彼はルビエールの虫の居所の悪さのとばっちりを受けているだけなのだが付き合いの薄い企業人には嫌味な人間と映った。それには彼女の白磁の肌と髪色も多分に影響している。

「またの機会にさせていただきましょう」

 エディンバラは話を続けることは避けた。実際にはエディンバラの論は続きを用意しているわけではない。思うところはあっても、言い重ねたところで門外漢の言葉に根拠のあるわけでなし、ルビエールにはそれを看破している節もある。墓穴を掘る可能性が高いと判断したのだ。

 この二人は互いを全く信用していない。一歩控えた位置で二人に続きながらリーゼは両者の関係性を黙視すべきかを考えていた。


 ピレネー要塞の作戦会議室は半円錐の劇場のような形をしており舞台にあたる位置の戦略スクリーンで参席したものに臨場感の欠ける数字情報を提供している。

 薄暗いこの劇場にいるほとんどの者は佐官以上で新参かつお客様のルビエールたちは完全に浮いている。

 ルビエール、リーゼ、エディンバラ、それぞれに居心地の悪さを感じながら席に座っているとピレネー要塞の司令官フェロウズ中将が肩を怒らせ中央に歩を進めた。同時にそれまで戦略スクリーンに映されていた情報は戦区のものにフォーカスされ室内の人間の意識を惹いた。

「昨日、哨戒部隊が火星共和の艦隊を発見した。数にして2個師団程度。所属は共和軍の主力4兵団の一角、ボルトン兵団だ。進路はここテルメア宙域である。つまりは、こういうことだ」

 司令官の切り出しを理解するために周囲の喧騒は一気に静まった。これに満足して司令官は言い放った。

「火星人が攻めてくる」

 会議室だけでなく、VR上で参加していたものも一様に視線を交わし、中には密談をはじめるものもいた。火星側からの侵攻。それは恐れていたことである一方で、ある意味で待ち望まれていたことでもあった。

 長年に渡る星間大戦は自然休戦期と皮肉される膠着状態を何度か迎えている。何のことはない、ただ連合国側が手詰まりになっているだけの状況である。こういった時期、連合軍側の将兵はあることを考えるのだ。

 向こうから仕掛けてこないものかと。

 地球と火星には現在においても3倍以上の国力差がある。にも拘わらず大戦に決着を見ないのは火星側の戦略が守備一辺倒なところにある。

 そう考え、相手に攻め込ませれば大戦の流れを大きく変えるのではないかと信じている者は少なくなかった。

 ほとんど願望に近い。ルビエールはそう考えている。こちらも攻める時に勝算を得るように。敵も攻めてくるときにもそうするはずだった。

 しかしそれにしても。

「2個師団は少なくありませんか」

 共通の疑問を抱いていた者から声があがった。

 宇宙戦争における機動要塞は難攻不落である。小隕石ピレネーの質量は通常兵器では破壊しきれる規模ではない、そこに防衛の部隊と艦隊を常駐させているのだ。事実上、艦隊によって機動要塞を攻略することは不可能といってよかった。故に現代宇宙戦争においては機動要塞のおかれる宙域は避けることを常識としている。

 にもかかわらず2個師団を侵攻させてくる。これは敵の狙いに何らかの工作が含まれる可能性を提起する。

「諸君らも知っている通り、テルメア宙域は豊富な資源小惑星帯を有しており、そのために我らがピレネーは配置されている。相手の思惑が何であれ、これを阻止する。これに何ら変わりはない」

 司令官の返答はけんもほろろだった。この時点で敵の狙いを勘繰ってもしょうがない。小細工を弄するに前に捻りつぶせばいいという論理だ。

 続けてピレネー駐留艦隊司令のコーネフ大佐が登壇すると侵攻部隊を迎撃する艦隊の陣容を述べ始めた。2個師団に対しては過剰と言える物量であったものの先の方針に沿ったものであるし、何より久方ぶりの会戦の予兆に気のはやっている兵士たちのガス抜きという側面もあるだろう。

 そんなところだろうな。とルビエールもピレネー司令部の方針に抵抗はなかった。王道中の王道。大兵力をもって相手を粉砕する方針が間違いであることは極局地的なレベルでしか起こりえないことだ。

「いかがなさいますか?」

 リーゼが静かに口を開いた。

 参加するかどうかということだ。イージス隊は員数外として作戦に参加するかどうかの裁量権を持つ。

 ルビエールは正直なところ乗り気ではなかった。本格的な会戦で試作機をデビューさせるなど聞いたことがない。哨戒部隊での小競り合いくらいでつつましやかに行うくらいでいい。

「プロジェクトチーフのご意見は?」

 話をふられたエディンバラは怯んだ。彼も緒戦の構想はルビエールの抱いていたものと似たり寄ったりで不意の火星人襲来は想定外のことだった。プロジェクト的に考えれば会戦でのデビューは広報的なメリットはあるだろう。ただ、それはあくまで副次的なものに過ぎない。企業人で軍人ではない彼にとって大規模な会戦自体に気後れするところもある。

「私からは特に。大尉殿のご裁量にお任せします」

 エディンバラにそう投げられるとルビエールは考え込んだ。

 ご裁量次第とは大変結構な話だったが、そこには常に責任もついて回る。

 自由を得たいなら自重せよ。

 ルビエールの教育係の至言である。それに、ルビエールがここに呼ばれていることに含みはないとするのも能天気な話だろう。

「何事もなければ参加は見送るつもりだけど、準備は進めておいてちょうだい」

 両者はそれぞれの想いを抱えつつも頷いた。すべき話はこれだけだった。


 含みは会議の終了後に訪れた。帰りかけたルビエールはピレネー要塞司令官に呼び止められた。二人を先に戻らせるとルビエールは司令官の執務室に通された。部屋には司令官とルビエールの二人だけとなった。

「先々代のエノー。つまり君のお爺さんには大変お世話になってね。息災かな?」

 要塞司令フェロウズ自身によって出されたグラスのワインにルビエールは顔を顰めた。こう言った状況は何度かある。

 ルビエールの家系エノーはかつて大きな権勢を誇った軍人家系であった。ただそれは現在の当主、ルビエールの祖父の時代までの話だ。ルビエールの父は軍人ではなく実業家になっていた。祖父は軍人家系というエノーの枠組みを変えようと試みたのだ、そして、失敗しつつある。

「とっととクタバレばいいと思っています」

 語勢の強さにフェロウズは驚いたようだったが次いで同調するように頷いた。

「はっはっは。私も苦労させられた口だよ」

 そう言いながら懐かし気に目を細めた。フェロウズ自身はエノーに対して好意的な人物のようでルビエールはいくらか緊張を解いた。

 ルビエールにとって忌々しいことだったが祖父の持っていた軍人としてのコミュニティは世代間空白によって消滅することはなかった。これらの人脈は概ねルビエールを好意的に迎えてはいる。しかしルビエールにとっては赤の他人である。その人物が本当に祖父の伝手であるかどうかわからない場合もある。

「知らせておくべきだと思うことがあって呼び止めさせてもらった」

「作戦に参加しろと?」

 ルビエールの先回りした返答にフェロウズは口元を綻ばせた。

「その辛辣さと単直はお爺さんを引き継いでいるな」

 言うべき言葉もなく、ルビエールは憮然とした。

「まぁ話は聞かせて貰っている。お爺さんの方からのお願いもね。実際、参加すべきと私は考えているし、君がその気なら作戦に多少の修正もやぶさかではない」

 ルビエールには使命があった。軍人家系エノーの再興である。父と兄の行う事業が上手くいかなかったとき、その保険としてルビエールは軍に送り込まれた。ただ、それはルビエールを介して祖父によって行われているものでしかない。

「まぁそう不機嫌面をするものではないよ。君のような立場の人間をやっかむ者も多いんだ。そういった手合いを黙らせる方法を君は心得ているだろう」

 そう問われてもルビエールは黙っていた。返す言葉のないというわけではない。フェロウズの言う通り、そういった手合いのあしらい方をルビエールは心得ている。実力を見せつけることである。

 ただ、事はそう簡単ではない。ルビエールの預かっている部隊は新型機の試験小隊である。その名で何者を主役としているかを示している。もっとも、それを口にしても言い訳にしかならないだろうが。

 だんまりを決め込むルビエールだったが老獪なるフェロウズはその急所を見抜いていた。

「君が試験小隊というものをどう見なしているかはわからないが、功績というものは必ずしも戦果によって示されるものとは限らないのではないかな」

 そんなことはわかっている。さすがに言えなかった、ただ表情には出た。痛いところを突かれた。試験小隊という難物を御すこと、それも難題で、解る者には解る実績になるだろう。

 さて、どうする。乗ってやるか、抗うか。まだ固辞するための理屈はあるがそこまでして拒否するデメリットに釣り合うかどうか。フェロウズはルビエールを引きずり出したという結果をあげることが目的になっている。それにルビエールが抗ったところで次の裁量に悪影響を及ぼすことになりかねないか。

 どうやら、ルビエールの裁量権は早くもMIA(戦闘中行方不明)になったようである。

 自由を得たいなら自重せよ。

「微力を尽くさせていただきます」

 憤懣を押し込めて何とか答えたのだった。

 それにしてもあのクソジジイは!


 グラハム・D・マッキンリーの講義「火星の政権交代」

 長年にわたって火星共和連邦の第一党だった火星共和党に陰りの出始めたのは250年前後の話だった。ダラダラと続いた星間大戦と地球連合の脅威は彼らの一党独裁を後押ししていたが、時勢とは変わるものだ。酸素のある限り腐らぬものはないのと同じように権力のあるところには腐敗もつきものだった。

 いや、しかし火星共和党のそれは歴史的に見ればかなりマシな方だったと擁護しておこう。火星共和党は国父ブレナーの理念を組織として維持していた。地球連合という巨大な脅威が常に存在していたこともある。危機感は組織を維持する支柱となるからな。

 だが、皮肉なことにその理念こそ最終的に火星共和党にとって仇となった。時間と共に大きな組織となった火星共和党は一部の派閥によって政権を維持するための工作を行うようになっていき、理念と自浄作用に矛盾を抱えていくようになった。

 そんな腐敗の匂いが誤魔化しきれなくなってきた折にその男は現れた。はじまりはごく、ありきたりなものだった。

 その男は若く、鋭気に満ちた政治家だった。彼は国父アルフレッド・ブレナーの熱心な支持者であり、火星共和党の中でも突き抜けた保守派だった。揺るがぬ信念を持つ彼は火星議会の中で腐敗の撲滅に成果を挙げて国民の人気を得ていき、それに伴って徐々に力を増して手段に対するこだわりも持たなくなっていった。

 彼が火星共和党に見切りをつけて保守政党「マルスの手」を立ち上げたとき、ほとんどの政治家はそれを愚挙と笑った。彼自身には大した後ろ盾もなかったからだ。しかし…彼には正義があった。いやはや…こんな表現はしたくはないがね。

 火星共和党の楔から解き放たれた彼は火星統治における不正・腐敗を次々に暴露していく。これは暗殺されてもおかしくはない行為だった。実際、暗殺未遂はあった、と言われている。

 どうしてこんな言い方をすると思うかね?私はこの暗殺未遂は自演だったのではないかと思っているからだ。なんとなれば彼はその暗殺未遂も利用したからだ。腐敗を暴く正義の政治家の暗殺未遂。見世物としては秀逸な題材だ。彼はあの手この手で注目を浴びると大衆の聞きたがっていることを話し、望んでいることを約束した。

 歴史は繰り返す。

 私はこの話をするときにどうしてもこの言葉が頭を過る。気づくべきタイミングはいくつもあったはずだ。

 独裁者と呼ばれる指導者は数多く存在するが、そのほとんど全ては民衆の熱狂的な支持、そして「正義の名の下に」生まれたことを歴史は証明している。たとえそれが建前であったとしても。多くの者にとって目を背けたい事実ではある。

 彼が支持を得ると力は集約され、それもまた支持者を熱狂させ、酔わせた。大衆に望まれ、作り上げられたヒーロー。支持者はそう思い込んでいた。しかしそれは彼の作り上げた欺瞞でしかなかった。

 そしてその勢力は徐々に過激さを増していき、制御不能になっていった。残念ながら、歴史の教訓はまたしても活かされなかったのだ。


 火星共和連邦議会はその規模に比して議員420名の小規模な組織である。その中から選ばれる総統及び、大臣14名からなる総統府が共和連邦の中枢を担っている。

 長らく独裁一党の座にあった火星共和党が過半数を割ってから12年、ついに第一党の座から転落して3年たっていた。多くの年老いた名士たちは姿を消し、若き政治家たちであふれる議事堂は異様な熱を帯びている。

 ジョセフ・ハーマンはその熱気を好きになれなかった。古き良き火星共和党の生き残りである彼は新鋭勢力である「マルスの手」との連立府で外務大臣として席に座っている。

 その日の会議の議題には火星共和連邦の出兵案の是非も含まれていた。

 会議の冒頭、ハーマンは出兵反対の立場を明確にした。

「こう言ってはなんですが、我々火星はこれまで地球連合の脅威に対しての防衛で戦いを行ってきたのです。あくまであちら側の都合に付き合う形でしか戦争を行っていない。こちらから出兵するとなると、どこに落としどころをつけるのか着地点が定められない」

「自国の防衛が大義にならないとでも言うのですか」

 若い国務大臣は不愉快そうに言った。心情はハーマンも同じことだった。こいつらは外交を理解していない。

「ならない。いや、この際名目などどうでもいいのです。戦争をするのに理由が大義である必要もない。私は落としどころのない状態で戦いを始めるべきではないと言っている」

 多くの場合、その落としどころと大義は密接に関係している。そしてほとんどの場合で落としどころは大義に対して妥協を求める結果になる。ゆえに最初の大義の設定を曖昧にしたり過大に設定すると泥沼に陥ってやめることができなくなる。国を救うための大義は時に国を滅ぼしかねない。

 資源大臣のコーネリアス・リンツがハーマンにかわった。

「仮にはじめるとして、どこまでやる気なのかが問題ということです。自国防衛ということは脅威がなくなるまでやるということですかね。つまり、あちらが降伏するまで?現実的とは思えませんね」

 リンツも数少ない火星共和党からの閣僚の一人だった。

「我々としては地球連合を打倒するまでやれと言われればそこまででもやってごらんにいれますが」

 軍務大臣の言葉をハーマンは茶々と受け取った。

「軍務大臣殿は我々よりはるかに勝る国力の地球連合が250年に渡って大戦にカタをつけることができなかったという事実をどう考えておいでなのか」

「それはつまり、我々火星共和が強い団結力をもって革命の理念を証明したということです。もしくは我々の強さを」

「つまり具体的な勝算はないわけですな」

「…まぁこれから決めることですから」

 軍務大臣の返答は暗にハーマンの問いを肯定していた。勝てるわけがない。彼自身もわかってはいるだろう。プロパガンダ紛いの答弁をせざるを得ないのはすでに出兵ありきで話は進みだしているということだ。

 リンツは落ち着けと目で訴えて再び論陣を張った。

「出兵となると大規模な資源・財政の出動が必要です。資源大臣としてはっきり申し上げておくと、そんな余裕はありません。物質的な物はともかく、人的なモノが追い付かない。財務大臣としては如何か?」

 水を向けられた財務大臣はまた別ベクトルの不機嫌さで答えた。

「健全な状態を維持するなら大規模な増税か国債発行となるでしょうね。財務大臣としても裏付けをとってから始めていただきたいところです。仮に出兵したとして、何か実入りでもあるんでしょか?」

 比較的中道なこの大臣はどちらかというとその仕事を自分の名でやらされることを嫌っているようだった。

「しかし、このまま守るだけの戦いでは国も民も疲弊し、やがては戦争そのものに負けることになるだろう」

「勝つか負けるかの二元論で戦争を語らないでいただきたい。講和という道筋もある。それが外交というものだ」

 ハーマンは熱心に説いた。

「戦争そのものは手段であって目的ではない、如何に勝つかよりも如何にやめるかが重要なのです。地球連合とて長年の戦争で疲れている。むしろいまがやめるチャンスだと考えてもらいたい」

「ですが、その外交とやらが実を結んだことがあるのですか」

 劇中台詞のような透き通った声だった。その声の主、アマンダ・ディートリッヒは火星情報大臣という肩書よりも際立った保守論客であることに本質がある。ハーマンにとって相手にしたくない人間だった。

「火星共和の建国以来、特使の派遣を無視し、講和の道を拒絶し続けてきたのは他ならぬ地球連合です。彼らは今もって我々を叛乱勢力と呼び、討伐の名のもとに軍を送り込んでいる。もはや対話で解決するという時期は逸しているのではないでしょうか」

「これまでがそうだったからといってこれからの選択においてそれを破棄する理由にはならない。目指すべきが火星の独立平和だというのであれば猶更のことだ」

 ハーマンの熱弁は冷笑で返された。

「そんなだから支持されないのです。火星共和党は250年に渡って大戦にカタをつけることができなかった。この事実をどうお考えなのでしょうか」

 腰を挙げかけたハーマンをリンツが制した。

「我々には崇高な義務が課されています。地球連合との250年に渡る確執に終止符を打つこと。それこそがマルスの手が過半与党となった理由であり、火星国民の総意なのです。250年に渡る消極的な人道策こそ戦争を長引かせてきた原因です。そんな非現実的な人道主義のために国民の総意が無視されることなどあってはなりません」

 これだ、これこそ危険なのだ。民意。火星共和党の失ったもの、マルスの手が得たもの。

 ハーマンはこの腐敗を暴くことで正義となった集団、それ自体の理念に正義の裏付けはないことを解っていたし、民衆の中にもそれを理解している者は決して少なくはなかった。それでもこの集団に力を掌握されていくのを止めることは叶わなかった。

 いま、火星は大きな瀬戸際に立たされている。大衆の多くは自分たちの望みと一部の人間たちの望みとを混同している。月並みな大義と理想を実現可能な目標かのように無責任に語り、人々を駆り立てている。それを否定するものは白眼視される。それがいまの火星世情だった。

 火星共和党が第一党から転げ落ちたとき、その時点でも共和党の多くはこの流れはちょっとした過ち、一過性のうねりでしかないと見做されていた。マルスの手は半ば素人の集団であり長きに渡って政権を維持することは不可能と見做された。実際、マルスの手は火星共和党に連立を持ちかけてきた。共和党はこの要請に応えるよりもマルスの手の失策を待ち、捲土重来を期そうという意見が大半を占めた。自分たちが権利の中央に座るに相応しいという驕りがそこにあった。

 共和党内にはその方針に疑問を持ったものもいる。ハーマンとリンツはその中の2人だった。一時的にであれマルスの手に政権を完全に委ねることで取り返しのつかない事態になったらどうするのか。誰がそれを止められるのか。外務と資源という重要な役職を抑えておくことでマルスの手の暴走を抑えるため。裏切り者の誹りを甘んじて受け入れ2人はその場にいた。そして今恐れていた事態が訪れていた。

 かつて、若く強い指導者がいたことも強く影響しただろう。アルフレッド・ブレナー。偉大なる指導者。火星の父。彼らはその再来を望んでいるのだ。自分たちではできもしないことを実現して貰わんとする無責任な夢想。

 マルスの手はそれを利用した。

 この流れはもはや外部どころか内部からも止めることはできないかもしれない。せめて落としどころを定めて軟着陸するためのとっかかりを作らなければならない。

 ハーマンが反論を模索していたとき、沈黙を破ったのは総統ジョン・サウスバッハだった。

「外務大臣のいうことであれば出兵後の講和という道筋もある、ということだ」

 全員の注意を集めると総統は続けた。

「国父アレフレッド・ブレナーは死の間際に地球連合と国交を持つべく、特使を派遣しました。この叶わなかった一手を目標とする。つまり…地球連合を対話の席に着かせること。これであれば極端な話、出兵はすれども戦闘に発展させずに終結させることも可能かも知れません」

「示威行為を主体とするということでしょうか」

 軍務大臣の投げかけに総統は黙って頷いた。

 難しい。とハーマンは思った。地球連合が自領域内に敵の侵攻を許してどういったリアクションを示すかは未知数である。

 しかし、ハーマンの目論みである目標の設定としては上々とも言えた。この場合、必要なのは外交的な勝利であって軍事的な勝利を必要としない。であれば、ハーマンの働き次第では無秩序な戦端の拡大も避けられるかもしれない。


「いつかあんたが短気をおこすんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」

 総統府ラウンジのソファでリンツは政治家らしからぬ崩れた姿勢で息を吐いた。

「若僧どもの相手はいつでもそんなもんだろう」

「俺たちもそんな年かね。しかしまぁ上出来っちゃ上出来だ」

 ハーマンは苦い顔をして頷いた。そこがいまの自分たちの限界であることに大いに不満はあるにしても今は受け入れるしかない。

「しかし、あの男も案外と消極的なのかね」

「そのための我々なのでしょう」

 財務大臣ジェレミー・エサリッジはどこか他人事のように口を開いた。その言葉の意味を反芻してリンツは天を仰いだ。

「出兵もありき、失敗もありきかよ。畜生め」

 そんなところだろうなとハーマンは思った。もともとこの出兵案は一部の熱狂的で夢想家の保守論客によって提出されたものだ。成功するかどうかもコスト計算すらされたかどうか怪しい。そんなものでもマルスの手が語ってきた夢とやらのためにも無視はできないのだ。

 サウスバッハは失敗しても政権ダメージの無い人物に詰め腹を切らせ、かつ被害を最小にする手立てを講じたのだ。「そのための我々」だった。

 だが成功すれば尚にことよし。ハーマンとしては一縷の望みとしてもそれに乗じることは悪い選択ではないと考えていた。

 UF309年

 厳密にいえば終了していない第一次星間戦争を継ぐ第二次星間戦争が始まろうとしていた。


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