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4/4「私は誰だ」

 4/4「私は誰だ」

 帰路のシャトルの中でルビエールは水気の抜けた花のような気分になっていた。宣言通りルビエールは終始黙っていた。何度かサイトウと仮面の男から好奇の視線を受けた程度で、まるでこちらの事情を慮っているようでもあった。

 与えられた情報、浮上する疑問。いずれも整理されているとは言い難い状態でルビエールの脳内デスクに山と積まれている。しかもこれらの情報は処理する順番を間違えると容易に崩れて収拾のつかないことになりそうだった。

 質の悪いことに、これらの情報は機密性のわりにほとんどがルビエールにとって無意味なものだった。少なくとも現時点では。一方で知っているというだけで取り扱いを厳にする必要のある危険物でもある。ようするにこれ以上ないほどの厄介物を背負わされたのだ。

「わかりませんね」

 エイプリルが口を開いた。

「フォースコンタクトって一体何の話なんですか。それが今の状況と何の関係があるんです?」

「相変わらず部を弁えんな。お前が知ってどうする」

 そう口にするカリートリーの表情はそれ自体を問題視してはいなかった。ただカリートリーもまた自身の情報整理に執心したかったのだ。相手に活用しようのない情報を与えるのに時間を使うのは馬鹿々々しいと思った。

 その代わり、彼はその情報を持っているもう一人の男、少年をみた。こいつは一体なんなのか。それもいずれ明らかにせねばならないが、いまは活用する方がいいだろう。

「また僕ですか」

 さしものマサトもかすかにいら立ちを見せた。マサトの方とて頭を整理したいのは同じこと。しかも要求が子飼いの講習なのだから不満あって当然だった。

 ここでカリートリーのとった行動はマサトの懐柔でも恫喝でもなかった。

「カーラジェラルド。特務中尉が教えてくれるそうだ」

「よろしくお願いします」

 間髪ないエイプリルの畳みかけにマサトは顔面を引き攣らせた。何なんだこの小娘は。助けを求めるようにマサトがルビエールを見やるとそこにあったのは期待したものとは真逆の顔だった。

「私からも頼む」

 カリートリーの哄笑が響き渡った。

 諦めたようなため息をつくとマサトは言葉を紡ぎ出しはじめた。

「この話はサードコンタクトの真相から始まります。ジェンス社の観測艇ナルキッソスで起こった事件の顛末、それ自体は明らかにされている通りです。問題はその後に浮上しました」

 サードコンタクト「ナルキッソス事件」

 人類が史上初めて知ることになった地球外生命体、後にロウカスと呼ばれる存在との接触を持った事件である。この80年前の事件に関してはエイプリルもルビエールもよく知っている。

 セカンドコンタクトによって存在こそ判明していたものの、それは死骸で発生当初は全くの未知の生命体であった。ナルキッソス事件によってその生命体が人類にとって敵性生命体であることが明らかとなったとき、人類は異様な興奮に包まれた。

 有史以来、人類はあらゆる敵を打倒してきた。驚異的な繁殖力と環境適応能力の前にあらゆる個体能力は意味をなさず、地球、はては火星までを生存圏とした。そんな人類が目にした初めての地球外の敵である。人間のなかに眠っていた闘争本能・免疫細胞が呵責なく暴力を叩きつけることを許される獲物を発見したのだ。

 人々は未知の外敵を恐れ、そしてどこかで待ち望んだ。次の襲来を。幸か不幸か、その時は今のところ訪れていない。そのはずであった。

「当然の話ですがジェンス社はナルキッソスで発見された従来種2体と変種1体のロウカスをサンプルとして回収、研究を始めました。いま発表されている情報に嘘はありませんが、発表されていない情報が多数存在します。その中でもっとも注目すべき情報が、いわゆる従来種2体の組成サンプルが全くの同一だった、という点です」

「それはDNAが同一というような意味?」

 ルビエールの問いかけにマサトは伊達眼鏡を押し上げると頷いた。普段の飄々とした雰囲気がなく、淡々と状況を説明しているだけという表情があった。そこには嘘も企みもなく、事実だけを語っている。

「その認識でいいでしょう。外的な損傷を除けば従来種2体は個体識別が不可能なレベルで同一だったんです」

 不自然な話だった。動物であれば例え同一遺伝子から生み出された個体であっても全くの同一個体とはならない。

「現状では状況推測の域を出ませんが他にもいくつか当てになる要素があります。摂食器官がない。というよりは外部から何かを取り込むような器官がないんです。つまり生体としてスタンドアローンになっている。補給を行う必要がないのか、補給する気がないのか。セカンドコンタクトの個体から見るに後者と予測されています。まぁこれは捕獲でもしてみないことには確定できませんね。この特徴は変異種も同じです。これはより上位の何かが存在していることを示唆しています。つまり、これらの個体を生み出している何かが存在している」

「まさか生体兵器説ですか?」

 エイプリルがそう言うとルビエールの頭脳はその言葉に関する情報を引き出した。

 ロウカス生体兵器説。

 古い俗説の一つでロウカスはネイバーあるいは他の地球外生命体の作り出した生物兵器だという主張である。ほとんど証拠がない空想でしかないものの、ロウカスが何者かに作られたものだと仮定するならマサトのいう情報とは一致するものがある。

 しかし、マサトはかぶりをふった。

「もっと信ぴょう性のある推測があります」

 そういうとマサトは一段声を低くした。

「ロウカスは社会性昆虫のような生態を持っている、という推測です」

 ルビエールもエイプリルも言葉の意味を理解するのには時間がかかった。しばらくしてルビエールは自分の知識を基にした推測を慎重に口にした。

「ハチやアリのようなものってこと?」

 社会性昆虫というものがどういうものかを知っているわけではない、ルビエールが知っているのはアリやハチがそれに該当することくらいである。

「ですね。ようするにクイーンがいて、僕らの知ってるタイプを量産してるんじゃないかって推測です」

「突拍子のなさでは生体兵器説とあんまり変わらない気がするけど」

「そうですか?真社会性昆虫は生物界でももっとも成功した部類の存在です。宇宙に進出するだけの発展を遂げてもおかしくはないと僕は思いますがね」

「一体なんの話をしてるんです」

 エイプリルが苛立った。

「私が知りたいのは、いま、何が起こってるか、です」

 カリートリーがおかしそうに苦笑した。いつも苦労させられている部下の探求心が他人に向けられているのは愉快なことだった。それに憮然とした視線を向けつつ、マサトは次の言葉を探した。

「じゃぁ、話を飛ばしますけど。ロウカスが人間を持ち去ろうとしていた話は知っていますね」

 エイプリルは肝をつぶした。未知なる生命体ロウカスのもっとも薄ら寒い情報だった。その情報がここで出てくることに悪い予感を覚えずにいられなかった。

 マサトはしばらく沈黙した後にいきなり思ってもいない事実を突きつけた。

「サードコンタクト以後にもコンタクトは何度となくあったんですよ。ナルキッソス以外にも20年ほどにわたって4度のコンタクトが起こっているんです。それが今さらになって新たに開示された情報の一つです」

「なんですって?」

 エイプリルが呆然と口にした。ルビエールも同じだった。

「意味がわかりません。つまりフォースでも何でもないってことですか」

「というよりは、ナルキッソス以後からの一連のコンタクトをサードコンタクトとしてみるべきでしょう。注目すべきは最後の5件目の後に船員が行方不明となった観測艇がある、ということです。それを最後にロウカスのコンタクトは途切れた。さて、なぜでしょうね?」

 マサトの問いに二人の想像力が不吉な予測をさせた。ハチやアリの社会性昆虫の生態と照らし合わせれば答えは自ずと似たような形で導き出される。それをマサトは聞く必要がなかった。

「つまり最後のコンタクトで連中は目的を達成した可能性が高いということです。働き蟻がエサを探してきたんではないのか。それがロウカスの大規模襲来があるんではないかという根拠になっているわけですね。問題はその時期と、規模です」

 マサトは船外に見えるグレートウォールに視線を移した。

「ジェンス社はその情報をコントロールして、諸勢力を動かしている。それがいまの世界の状況ってわけです。目的が戦端そのものにあるのであればフォースコンタクトそのものはほとんど意味がないんでしょうが、どうやらそうでもないらしいですね」

「そんな、根拠もない無責任な話に私たちは踊らされてるんですか?」

 エイプリルは信じられないと嘆いたが、実際に戦端は開かれようとしているのだ。ルビエールにはその流れが見えた。

 その情報、それ自体にそれだけの爆発力があったわけでもないし、そこが発端だったわけでもないだろう。250年に渡って積み重ねられた軋轢のドミノ、それは歴史の中で曲がり、湾曲し、時に分かれ、また合流することを繰り返し、倒れる時を待っていたのだ。はじめは小さく、ちょっとした出来事でいい、そのバランスが崩れたとき、全てのドミノは連続して倒れ、怒涛の波となる。

「マルスの手」

 ルビエールが呟いた。そこがジェンス社の描くシナリオの起点になっているとルビエールは考えた。ジェンス社が旧来勢力の火星共和党に興味を示さないことがその根拠だ。マルスの手はジェンス社の援護のもとに成立したのだ。

「いいセンスだ。おそらく、そこにジェンス社の影響力が働いたのは間違いないだろうな」

 カリートリーが久しぶりに口を開いた。ルビエールの政治的なセンスに複雑な表情を浮かべていた。

「ちょっと整理させてください」

 エイプリルが頭の痛そうな顔をして言った。

「ジェンス社はマルスの手とフォースコンタクトの情報を使って戦争を引き起こそうとしている。諸勢力はそれに乗った」

 あまりに端的な整理であったがエイプリルの立場から捉えておくべきことは全て備えている、実にらしい捉え方だった。

 カリートリーは苦笑しながら頷いた。

「ジェンス社にとっては戦争そのものが利益だ。勝敗はどっちに転んでもいい。話の内容もさることながら情報元がそんな連中なんだ。だからこの情報も大げさに誇張されている。ほとんどの勢力はそう考えてこの話に乗ったわけだ」

 うんざりする話だった。ジェンス社のやっていることは戦争の煽動ではない。切っ掛けを提供しているだけなのだ。それほど多くの勢力が口実を欲していたという事実にはカリートリーですら鼻白む思いだった。

「実際、俺も半信半疑ではあったんだ。ジェンス社は情報を過大評価して提供しているのではないかとな。マウラでもフォースコンタクトは仮に事実だとしても蝗害のようなものと認識されている」

 実際、その可能性は現時点でも高いだろう。

「だが、うちのボスは違うわけだ」

 クリスティアーノは諸勢力の動きに沿いながらも明らかにロウカスの脅威を過大に見積もっている。そしてジェンス社はそんなクリスティアーノの動向を注視している。

 それは賭けなのだろうか?先刻までは狂気のベットとカリートリーは認識していた。ところが今やそれは得体の知れない実体を伴いつつある。クリスティアーノにはその何かが視えているのか。

「聞いた話では大佐自身もそれを下に行動していたようにとれますけど」

「俺も組織の人間だ。上司が信じるなら、それに従って行動するさ」

 満足のいく答えではないとエイプリルは頬を膨らませて睨みつけるとカリートリーは破顔した。

「俺のことなどどうでもいいのだ。さて、エノー、貴様はどうする?」

 唐突に水を向けられてルビエールはたじろいだ。いまだ積み上げられた情報をどう処理すべきかを見いだせていなかった。

「随分と重大な領域に踏み込んだ気がしますが」

「そうだな」

 言葉と裏腹に大したことではないとでも言いたげにカリートリーは応じた。かといって相変わらず自分たちの陣営の人間としてルビエールを扱う気もなさそうだった。

「クリスティアーノはお前を気に入っている。お前がその情報の取り扱いを間違わない限りは問題にせんだろう」

 明確な特別扱いであった。ルビエールにとってはあまり面白い話ではない。

「私に何を期待しているんでしょうか」

 この言葉を聞いてカリートリーはこの日一番の哄笑を張り上げた。

「まず、お前はその思考から脱却せねばな。クリスティアーノがお前に期待していることなどない。強いて言うなら意外性だな」

 そしてそれは俺もだ。と目でそう付け加えている。

 シャトルがイージスに再び接続されルビエールとマサトの二人は席を立った。

 半日程度の旅程だったがルビエールの内部世界は激変していた。あまりに多くの手土産を持たされてルビエールはあるべき場所に戻る。

 しかし、これから世界はどこへ向かうのだろうか。



 地球連合の名目上の首長である中央政府大統領の座につく者は常にその個人意思を大きく制約される宿命にあった。連合の意思とはつまり列強国の意思であり、連合大統領とはその代弁者に過ぎない。

 時の連合政府大統領ルーサー・ゴールドバーグもそんな一人である。伝統的に列強外の出身者から選抜される大統領は列強によって望まれた者か、さもなくば誰にも望まれなかった者のどちらかになる。ゴールドバーグは後者に属する。

 複数勢力のぶつかり合いで生じた妥協の産物で往々にしてあることだった。就任時は棚ぼたと事情を知る周囲に冷やかされたものだが今となっては同情的だった。

 ピレネーの破壊に端を発する事変は彼の手には余るものだった。ピレネーが破壊されたこと自体の失点の対処、これ幸いと火星侵攻を提唱する列強国の調整。それを実行すればいいだけなら何とかなったろう。

 しかしゴールドバーグは常に疑念と戦い続けねばならなかった。

 このままいけば地球と火星との新たな戦端が開かれる。勝てるならいいだろう。しかし軍部の見通しは悲観的だった。それでも列強国は開戦を主張してきた。列強にとっては自分たちの利益になりさえすれば地球連合全体として成果がなくてもかまわないのだ。

 足並みが揃っていない、このことは思惑がバラバラであることと同義となる。ゴールドバーグは自らの選出経緯から列強に重視されていないことを自覚している。つまり彼の政権は列強たちの思惑によって振り回され、使い潰されたとしても不思議ではないのだ。それが既定路線である可能性すらある。

 ゴールドバーグはいまやほとんど価値のない椅子に座りながら選択肢を並び立てた。現時点ではまだいくつかの道が残っている。いずれも危険な賭けだった。

 一つは征伐に本腰を入れることだ。列強はその気であるし、地球連合の首長としては至極真っ当な選択といえる。ただし、これは列強の既定路線でしかない。成功したとしてもゴールドバーグ自身の功績とはならない。列強のシナリオが最初からゴールドバーグを捨て駒としているならなおのことだ。

 もちろん失敗すれば列強はあっさりとゴールドバーグに詰め腹を切らせて捨てるだろう。ゴールドバーグ自身にとって無難ではあるもののリスクに比してリターンの薄い道筋と言える。

 さらに不安な要素は火星側の動向だった。そもそもピレネー破壊という行動は地球にとっていまだに理解不十分で、軍部からも征伐を誘発する罠の可能性を示唆されている。つまりより苛烈な失敗を歴史に刻む可能性があるのだ。

 もう一つの手段は和平。人道に富み、世間の理解も一定数は得られる。ただしどれだけの勢力がこれを望んでいるのか。その中に火星は含まれているのか?実現性には疑問符がつく。

 征伐が失敗することを見越して列強を弱体化させる方向に舵を切るという手法もある。反列強側に回るということだ。列強の弱体化は地球にとってはマイナスと言えるがこれを渇望する勢力は少なくない。極めて危険で実現性も低いもののゴールドバーグ個人にとって得られるものは多いだろう。しかしゴールドバーグには反列強勢力にコネクションがない。あったら今の立場にはなかった。そして何より列強勢力を打倒する具体的なビジョンがゴールドバーグにはない。

 とはいえ、何もゴールドバーグ自身が中心的な役割を果たす必要はなかった。あくまで反列強勢力に都合のよい展開を導いたらドロップアウトしてしまうという考え方もある。それであればコネクションは一時的に得られれば事足りる。

 こうして考えればゴールドバーグ個人に選択可能でもっとも堅実なのは反列強に恩を売る選択ということになる。保身に振り切った考えだった。

 彼を悩ませたのはどこに軸足を置くのかだった。彼個人を守ることと、地球を守ることは一致するわけではない。また彼の利益と理念においてもそれは同じだった。清廉潔白というわけではないにしてもゴールドバーグにも一定の矜持はあって、そのことは選択を余計に複雑にしていた。

 いっそ辞任して全てを投げ出すか?そんな考えまで頭を過ってゴールドバーグは自嘲を浮かべた。

「お加減が優れませんか?」

 ゴールドバーグの補佐官ロバート・ローズは生気のない雇い主を心配していた。というよりはこの雇い主と共に歩む先行きを、と言うべきか。

 この若く、溌溂とした政治家のひよっこの気力と熱気もまたゴールドバーグを悩ませる一つの要因になっていた。個人的な縁で補佐官として納まった彼の能力とキャリアまでも犠牲にすることは彼の望むところではない。

 ゴールドバーグは首を軽く振ってローズの懸念を振り払った。

「ローズ。君に質問がある」

 聞いてどうする?そんな自問をしながらもゴールドバーグはそうせずにいられなかった。それほど彼は選択への気力を失っていたのだ。

「君がどういった返答をしようが私は気にしない。ただどうしても口に出して考えたいのだ。もちろん、そのためには君が私の言葉を気にしないという確認がいる」

 この言葉は話題の機密性を示唆するものだった。

「それはもちろんですが閣下。一体なんなんです?」

 補佐官は困惑しながらも予想通りの答えを口にした。ここでお断りですなどと返してくるとは思っていない。ゴールドバーグはデスクから小さな機器を取り出すとローズの反応も気にすることなくスイッチを入れた。

 たちまち二人を取り巻く数メートルに遮音層が作られた。これで読唇でもなければ察知される恐れはない。

 ローズの表情は困惑をより強めていた。いま二人がいる大統領執務室は最大限のセキュリティに守られたエリアだった。そんな場所でそこまでの用心を見せるほどの話題は彼の心当たりにはない。

「何なんです閣下?」

 ローズは再度尋ねた。彼は自分の判断を疑い始めているが今さら前言を撤回するには好奇心がそれを邪魔する。

「このところあることが気になって気になってしょうがないんだ。それはつまり、この戦争を望んでいるのは誰かということだ。果たして、俺は一体誰のために働いているのか。誰に加担しているのか」

 無意識に一人称がプライベートのものになったことに気付いたが訂正するのもバカバカしいのでゴールドバーグは続けた。

「こいつは連合の総意なのか、本当に?」

「お言葉ですが仕掛けてきたのは火星ですよ?。こっちはそれに反撃をしようとしているだけです。それに関して反対してる連中はほんの僅かですよ」

 ローズの顔はいまさら何を言い出してるんだ、このオッサンは。とでも言いたげだった。

 ゴールドバーグの口調が砕けているのに釣られてか、この若者の言葉も知らず礼儀知らずになっていた。

「それは解っているし、事実だろう」

 そう言いながらゴールドバーグは納得しているようには見えなかった。この態度は若者を余計に不安にさせた。

「それに誰の思いがどうこう以前に、アメリカはやる気です」

 それも事実だろう。地球最強国家、奴らがやるというならやる。半ば地球連合の意思とはアメリカを差していると言っても誰もそれを笑わないだろう。不愉快そうに顔を歪める者はいるとしても。しかし、その点こそゴールドバーグの引っかかりだった。

「アメリカが望んでいるのか、本当に?」

 この疑問にローズは怯んだ。考えてもみなかった想定だった。

「一体どういうことです?」

 ローズは一刻も早く、この話に収拾をつけたがっていた。しかしゴールドバーグ自身、収拾をつけて話しているわけではない。次の言葉を紡がれるのには時間がかかった。

「ロバート、お前に聞きたい」

 ついに腹を決めたのかゴールドバーグは口火を切った。ローズは固唾を呑んだ。

「火星が戦争を望み、アメリカが戦争を望む。それは事実だろう。だが、その望みの裏にあるものが世間一般に考えられているものとは全く異なるところにあるとしたら。お前はそれを知りたいか?」

「当然ですよ」

 そんなものがあるのなら知りたくて当然だった。それが危険なものであることは傍らにある機器が物語っている。それでも若者の好奇心はゴールドバーグの次の言葉に集中していた。

「それがアンノウン絡みだと言っても?」

 しばらくの間。

「マジですか?」

 ローズは慎重に口を開いた。質の悪いジョークではないかと確認をするように。

 ゴールドバーグは静かに頷くとまだ信じがたいという風なローズに向けて自分の知る情報を吐き出した。

 セカンドアンノウン「ロウカス」の習性とその襲来フォースコンタクトを予見する情報。


「意味がわかりませんよ。仮にそれが事実だとして、それがどうして戦争をおっぱじめようだなんて発想につながるんですか」

 話を聞き終えたローズがなんとか吐き出した言葉にゴールドバーグは大きくため息をついた。

 表面だけ見れば全くその通りだった。その問題だけを理由に戦争など起こるはずはないのだ。そうであればどれだけよかったか。それでも戦争ははじまろうとしている。

 実際には多数の勢力の思惑が複雑に絡まり合った故の産物なのだろう。250年に渡る地球と火星の争乱。それは二つの国家の体制膠着も招いた。膠着は腐敗を招く、そして反動も。それは長い時間をかけて堆積し、巨大だが脆い地盤となった。

 いまゴールドバーグはその地盤の上に立っている。盤石に見えてその地盤はいつ沈没してもおかしくないほどに脆弱なのだ。

 実際、火星においては既にそれは起こっていた。3年前の火星選挙だ。これを切っ掛けに火星は過激派によって染まった。腐敗によって脆くなった火星共和党という柱は反動によって一気に崩壊した。

 いや、この表現は適当ではない。

 主観的に見ればそれは遥かにゆったりとしたものだったはずだ。誰もが知らずのうちにその流れに乗せられていたのだ。気づかないがゆえに振り返った時、それは「一気に」と表現されるほどの展開に見えるというだけだ。

 本当に急激に変化したのなら誰かしらはその違和感に声を上げたはずだ。まさにローズのように。

 そしてこの変化は地球にも及んでいるはずだった。つまりゴールドバーグの疑念とは、自身の選択が実は地球でも火星でもない誰かのための選択になるのではないかという疑念だった。

 どこの誰がそんな筋書きを描いたのか。そのシナリオはいつの時代から用意されていたのか。そしてこのシナリオに乗ることは何に加担することを意味するのか。

 それに付き合わされることになったゴールドバーグは蚊帳の外だった。

 気に入らないにもほどがある。

「問題は事の始まりが地球でも火星でもないところからはじまり、尚且つ、そいつらは俺たち以上に俺たちに精通しているって部分だ」

 そう。いま自分を悩ませているのは列強でも反列強でも火星でもない。秩序をかき乱し、世界に混乱を呼び込もうとするもの。

「そういうわけで俺は昨夜、ジェンス社を通じて火星にコンタクトを試みた」

「何ですって?」

 ローズは思わず大声を上げて慌てて口を閉じた。遮音装置に感謝せねばならなかった。明らかな独断行動。それも致命的に危険なものだった。

「こっちの要求はこうだ。ドースタンを明け渡せ、さもなくば本格的に侵攻する」

 驚いた顔を見せてローズはゴールドバーグの要求の意味を考えた。

 確かにこの要求であればアメリカ側は納得させられる。軍事行動なしで目的を達成できるならそれ以上の成果はない。しかしそんな要求は通るとは思えない。となるとこれはアメリカのための方便なのだ。

「それは相手に事前告知をしないんですね?」

 ローズの政治的才能の非凡さにゴールドバーグは満足を示した。

「そうだ。こいつはアメリカさんに納得してもらうための要求だ。まずは要求提示なしで火星側を交渉の座に引きずり出す。連中は、火星は乗ってくると思うか?」

「そりゃぁ…乗ってくる…とは思いますが」

 ローズは言い淀んだ。火星は乗りたいと思うだろう。しかし会談それ自体は行えても要求を呑むとは思えない。この方法では戦争は止められない。もちろんそれはゴールドバーグもわかっているはずだった。

 では、この交渉には何の意味があるのか。交渉、それ自体に意味を見出しているのか、それとも別の何かを仕掛ける気なのか。

 ローズは恐る恐る口を開いた。

「一体何が始まるんです?」

 ゴールドバーグは虚ろに笑った。

「さて、ここからが質問だ」

 十分に勿体つけてゴールドバーグはローズに覚悟を強要した。

「250年に渡る星間大戦。これを終結させるシナリオを自分が持っているとするなら、それをどう扱うべきだろう」

 ローズは青ざめた顔をした。自らの雇い主は狂ったのではないかと考えた。

 しかしゴールドバーグは真剣だった。仮に、この戦争を止める手立てを持っているとするなら、それは命を賭す価値のある選択だろうか?引き換えに呼び込むものが混沌であるとしても。

 それを言わば利益を共有する若者に問うことに意味があった。ローズにとってゴールドバーグの去就はキャリアに絶大な影響を及ぼすことは明白だった。

「正直に?」

 本音を言えば答えたくない。この大統領の選択に自らの意思が反映されることをローズは恐れた。しかしこれは余計な心配だった。そもそもローズにはいくら考えても返す言葉が見つからなかった。

「正直に言うと…わかりません」

 この言葉にゴールドバーグは失望しなかった。前置きの通り、答えを期待したわけではない。

 ローズの心情は痛いほどに理解できた。そもそもゴールドバーグも似たような心持だった。この戦争には何の意味があるのか。自分の役割とは何なのか。誰の為に、何を為すべきなのか。それをゴールドバーグ自身、見出してはいないのだ。そんな男が動いたところで余計に混乱を招くだけのことだろう。

 流されるままでよいではないか。そう思えればどれだけいいだろうか。

 それでもゴールドバーグの心の内に生じた気持ちは消えてはくれなかった。これを消そうと願うなら頭に鉛玉でも撃ち込むしかなさそうだった。

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