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26/3「暗闇への二歩」

26/3「暗闇への二歩」

 忌々しいことに準備は全て整った。軍務局への挨拶も終えたハヤミは最後にマサトの秘密基地に顔を出すことにした。

 マサトの秘密基地にはハヤミ以外に何人かの出入りがある。エディタ・ジョーダン、クローナ・ベリサリオの2人はマサトの主要活動におけるコアメンバーとして計画進捗などの打ち合わせで度々訪れる。

 ギガンティア左の羽エルンスト・ティアフォルクはマサトから装備を調達するという名目でよく遊びに来ている。マサトが言うには“監視“のためらしいがハヤミには純粋に暇つぶしに来ているようにしか見えない。

 マサトの主治医エレノア・イグナチェフは定期的に訪れてマサトを検診している。後は自称マブダチのマルゲが資産管理の打ち合わせを口実に遊びに来る。

 その日、先客として訪れていたのはそれらとは違う人物だった。来客用の駐車スペースに止められている車で誰とブッキングしたのかは察せる。白いクーペとイエローの魔改造車。外務局の金銀コンビ。マチルダ・レプティスとキャシー・アグスティンの2人である。

 キャシーの方は基地には入らず、つなぎを着て自身の車を整備中だった。

「どーも、おこんにちは」

「どーも、お邪魔してまーす」

 こっちも邪魔する方ですがね。マチルダの姿がないことを確認するとハヤミはキャシーの隣にしゃがみこんだ。

「時間かかりそうな感じ?」

「そうですねー。整備しようと思えるくらいには」

 まいったな。“あの2人“の間に入るのは気が進まない。出直した方がいいか。

「マサトさん、お昼寝中でして」

「ああ。で、それを眺めていると」

「解ってらっしゃる」

 その光景は何度か見たことがある。マサトの秘密基地に出入りしてそこそこ。ハヤミもマサトの生態と交友関係にもだいぶ詳しくなった。

 そのうちハヤミにも影響するマサトの特性が睡眠に関する点である。マサトは電池が切れたように急に眠り出すことがある。数時間寝て起きると元気になるのがだがあまりに度々見かけるのでエレノアに聞いたことがある。

 エレノア曰く。

「子供が急に眠くなるのと同じだよ。見た目通りの体力しかないからな。回復力はあるから寝ればすぐに回復するが上限は高くないんだ」

 まさに子供の電池切れだった。かなり困った特性だったがマサトの多忙さを思えばむしろマッチしているのかもしれない。

「でもまぁもう2時間たってますから。ぼちぼち終わるんじゃないですかね」

 粗方は終わったのか。キャシーは道具を片付け始めた。しかし外務局のエース級の人材がこんなところで2時間以上も時間を潰しているとは。

「わざわざこんなのに付き合う必要なくない?」

「いやいや、自分のことに使える時間は貴重ですからね。いくらでもお付き合いしますよ」

「左様で」

 こっちもこっちで大変なんだろうな。

「出発は明日でしたね」

「よくご存じで」

「そりゃー今回の派兵は私たち外務局の依頼のようなものですからね」

「あぁ、やっぱそういう感じなのね」

「お願いしたのはコウサカさんの方になんですけど。どうしてまぁハヤミさんまでくっついていくことになったんですかねぇ」

「俺が聞きてーよ」

 マジでどうしてか聞きたい。誰に聞いてもロクな答えが返ってこないのだ。どーせこの人も面白がってるだけで答えは持ってないだろうが。

 片付けの締めに手を叩くと同時、へらへら笑っていたキャシーの表情は冷たくなった。私人として時間は終わり、仕事モードに入ったのだ。

「ディアティの件は聞いていますね」

 世界を震撼させた惨劇。当然、それはハヤミの耳にも入っているし、無関係な話ではなかった。

「ニュースで知ってる程度のことはね。そっちに詳しいことは?」

「残念ながら、今のところそっちと同じです。ですので、今回の派兵のタスクにはその件に探りを入れることも含まれることになりました」

「まさか俺にやれって言ってる?」

「さすがにそこまで要求したらマサトさんもブチ切れですよ。うちの人材が海軍に同伴することになりました」

「そいつはよかった」

 よくないが。ますますきな臭いことになってきたじゃないか。もう悪臭だらけで鼻がマヒしてきたぞ。

「WOZとしてはどう考えてるわけ?」

 不明瞭な問いは答えを期待しているものではなかった。敏くそれを察知するとキャシーは悪戯な笑みを浮かべる。

「聞きたいんですか?」

 勘弁してくれ。ハヤミのウンザリ顔に満足するとキャシーは表情を戻して答えられる範囲でハヤミを安心させようとした。

「うちは関わってませんよ」

 ならいいけど。それ以上を聞く前に基地の中からマチルダ・レプティスが出てきた。普段の険のある顔つきは柔らかかったのだがそれはハヤミを認めた瞬間に消え失せた。

「どーも。お邪魔してます」

 ハヤミの挨拶を無視してマチルダはキャシーの方を見た。つなぎ姿のままのキャシーはバツ悪げに肩を竦める。

「着替えてきまーす」

 キャシーは駆け足で基地に引っ込んでいく。残されたハヤミはしばしマチルダの反応を伺ったがマチルダの方は機嫌が悪いのか、全くの無視。

 おかしい。いくらマチルダでもここまであからさまに態度が悪いことはこれまでなかったぞ。マサトと過ごした後のマチルダは機嫌がよく幾分かは丸くなる。基地から出てくるまではそんな感じだった。それがハヤミを見た瞬間にこれである。

 なんかやらかしたか?ハヤミは自己の所業を掘り返してみたがどれでもありそうだし、どれでもなさそうだった。聞いてみれば済むんだろうがハヤミの気は進まない。

 そのまま無言で5分。とっとと基地に入ってしまえばいいものをハヤミはタイミングを逃して固まっていた。

 戻ってきたキャシーは全く動いていない2人を見ていつもの悪戯な笑み、ではなく本心からの呆れ顔をマチルダに向けた。

「まーた。ハヤミさんは何にも悪くないでしょー」

 窘められたマチルダは拗ねたようにそっぽを向いた。

 なんだ?眉を傾けるハヤミにキャシーは語らず、無言を貫くマチルダの背中を押して行ってしまった。

 どうにもあのマチルダ・レプティスという人物はよく解らんな。首を傾げながらハヤミが基地に入ると寝起きで調子の悪そうなマサトがお茶を入れていた。

 ハヤミには気づいているがこちらも無反応でいつもと様子が違う。痴話喧嘩でもしたのか?取っ掛かりをなくして黙っているハヤミにマサトはカウチを示した。

 出されたお茶を見るに歓迎されていないわけでもないだろうが、ハヤミは最低限の報告だけして退散することにしたのだが。

「一応、見てくれだけは整った。明日出発するぜ」

 しばしの無言を挟むとマサトは話をすっ飛ばした。

「ディアティの件ですが」

 うわ。いま一番不穏なワードに嫌な予感が爆発的に膨らむ。そんなハヤミの様子に苦笑いを浮かべるマサトの顔には影が差していた。

「本当はその件を聞いた時点でハヤミさんを派遣するのは止めにしようと思ったんです。WOZとしてはこの件に首を突っ込むべきではないと僕は思ってます」

 まぁ、それが普通だわな。事がはっきりしないうちは足を止めるべきだろう。ところが軍務局のレオノールと外務局のニジョウは足を止めない選択をした。マサトとしては悩ましいところなわけだ。

「ギガンティアの動きは?」

「当然。ロマーリオは大反対してますし、カタリナさんもちょっと及び腰になってます」

 まぁ想像しやすいな。元々ロマーリオは反対してたって話だし、中道派のカタリナもこの状況の変化には躊躇するところだろう。アスターはいつものだんまり。つまり誰も賛成していないのだ。

「それでも、突っ込むと」

「まぁあの2人がそう判断するなら僕には止めようもありません。ですが、ハヤミさんの件は別です」

「あー…つまり俺たちは行かないでいいってこと?」

 マサトは答えず、お茶を飲んだ。

 ISEはこの件から手を退く。ハヤミにとっては万々歳ではないか。もとより手に余る事案だったがさらなる倍プッシュだ。ここは戦略的撤退が妥当。今回の件はどちらかというとレオノールとリーが常軌を逸しているのだ。

 しかしそれを表明するとなるとハヤミの口は重い。それでいいのか?そんな出所不明の疑問がどこかに引っかかる。

 そんなハヤミを試すかのようにマサトは問う。

「ハヤミさんはどう思いますか?」

 そういう話の流れか。ハヤミは頭を掻いた。マサトはその判断をハヤミ自身に委ねる気だ。

 いや、どう考えても取りやめでいいだろう。何が起ころうがハヤミには荷が重すぎる。その場にいたところで何もできやしないって。

 それでいいのか?

 いいんだよ。いいに決まってる。

 頭で思っていることと、やるべきこと、やりたいことが一致するならそれほど簡単なことはない。結局、ハヤミは理屈よりも義務感とか、直感とか、衝動を優先させた。なんでそんな結論になったのか。後になっても説明はできなかった。

「まぁ、どっちみちモノフィルスの実地訓練は必要だしなぁ」

 その選択を期待していたのか。恐れていたのか。マサトの方も解ってはいない。ただ苦笑いを浮かべながらハヤミの選択を否定することなく受け入れるのだった。

「解りました。後のことはハヤミさんにお任せします。くれぐれも気を付けて」



 ディアティの惨劇によってスティルタイドをはじめとした元共同体コロニーの情勢が不安定化するのは必定だった。実際、スティルタイドでは市民による大規模な抗議デモが発生、送り込まれたばかりの方面軍の統治部隊を難儀させた。戻ってきた第三艦隊の威容によってデモは鎮静化するものの占領統治の難度は跳ね上がりリカルドらもそれぞれの艦艇に引きこもることになる。

 機動遊撃艦隊司令ジョン・アリー・カーターがリカルドに呼び出されたのは凶報の翌日のことである。

 以前に訪れたスティルタイドの政府庁舎と同様に第三艦隊司令室は素気のない内装に僅かばかりの栄光が飾られる控えめなものだった。カーター個人としてはリカルドに好感を抱く。一方で別の意識野では警戒を強めもしていた。

 リカルドは以前から第五艦隊と旅団から距離を置きたがっていた。彼らを中心に何かが起こることを警戒していたからだ。ヴェヌスの惨劇。第五艦隊の悲劇がそれであるとするなら。この男はそれをどこで知り得たのか。ただの勘とはカーターには思えなかった。

 前回と異なりコーヒーでもてなすとリカルドは早々に表情を引き締めた。

「さて、まずは今後のことだ。方面軍司令部からとりあえずの令が出されたから共有しておく」

 内容は予想できている。カーターの表情からそれを読み取るとリカルドは苦笑を浮かべた。

「当面は動くな、だそうだ」

「でしょうね」

 軍司令部からでなく、政府から釘を刺されただろうことは予想に難くない。しかし今の状況では動かないということもまた簡単な注文ではない。

「混成艦隊の方はどうします?」

 第五艦隊の残存と第11旅団はこのスティルタイドに向けて撤退しているが第三艦隊と機動遊撃艦隊だけでキャパオーバーのスティルタイドにこれ以上の艦隊駐留は不可能である。もっとも、どちらが居残るかなど議論にすらならないだろうが。

「補給の手筈はしておくが早々に御帰り願うことになるだろうな。もちろんこちらが言わずとも方面軍司令部がそうしろと言うだろうが。しかし敗残兵ほど扱いに困るものはない。慎重に対応する必要があるかもしれん」

「旅団の方は問題ないと思いますがね」

 カーターが旅団の肩を持つことに眉を傾けつつもリカルドは否定しなかった。アントン・ハミルの部隊は扱いづらいがモラルだけは維持している。問題は第五艦隊だ。果たして首魁を失った第五艦隊の残りはどう動くか。よもや捲土重来を期そうなどと考えてはいないだろうが。自己保身のために第三艦隊に取り入ろうとしてくる将校は出てくる可能性がある。たまったものではない。

 腕を組んで唸るリカルドに藪から棒にカーターが口を開いた。

「では、補給の間だけでもこちらは席を外しておきますか」

 機動遊撃艦隊の居座っている場所が空けば補給もしやすくなるだろう。妥当な提案だったがリカルドはそれだけだとは思わなかった。カーターも方面軍司令部と懇意の上位将校である。リカルド同様に第五艦隊の残党に取り入られかねないのだ。

 この野郎、逃げるつもりだな。そう思いながらもリカルドは形の上ではカーターの申し出を有難く受け取ることにした。

「そうしてくれると助かる」

 旅団辺りとコソコソされても困るし、その辺をうろついてもらうだけでも周辺コロニーへの牽制になるだろう。そう自分を納得させてリカルドはひとまずこの件は棚に上げる。それよりも確認しておくべきことがある。

「時に、例の件はどうなっているのかな」

 リカルドと方面軍司令部との密やかな連携。この件はカーターを窓口にして進んでいるとリカルドは思っている。実際にはカーターはそれを黙殺して握りつぶしていた。当然、このタイミングでリカルドはその進展を気にするだろう。カーターは既に用意していた大嘘をすらすらと言ってのけた。

「この状況でお伺いなんてできませんよ。言っては何ですが状況が前と変わり過ぎています。このまま有耶無耶にしてくるんじゃないですかね」

 そりゃそうだろうな。予想していた通りの答え。疑うこともなくリカルドは肩を落とした。リカルドとカタラーン戦線司令部との連携は対コノエを見据えてのもの。そのコノエがいなくなったのだからハモンドにはリカルドに配慮する旨味はほとんど残っていない。

 実際にはカーターはハモンドには何の報告もしていないのだがリカルドもわざわざ食い下がってはこないだろう。この件はここで終わり。カーターは労せずしてリカルド側に組み込まれるのを避けることに成功したわけである。

「逆によかったんじゃないですか?話がついた後にアレでは却って足枷になっていた可能性もある」

 カーターの言にリカルドはしばし黙考してから躊躇いながら口を開いた。

「結果論ではあるが、確かにそうかもしれんな」

 第三艦隊がカタラーン戦線にありながらヴェヌスの惨劇の当事者とならずに済んだのはただの幸運ではない。第五艦隊と距離を置き、干渉せずの立場であったから。方面軍司令部と組んでいたらなにがしかの形で関わる羽目になっていた、さもなくとも痛みを分かつことになっていた可能性は高い。それを思えば。

「運が良かったな」

「全くですな」

 しゃあしゃあと同調するカーターにリカルドは苦笑いを浮かべ、ジョン・アリー・カーターなる人物との関係も見直す必要があると感じた。


 第11旅団及び第五艦隊の生き残りがスティルタイドに辿り着いたのは惨劇から2日後のことである。待ち受けていた第三艦隊から必要最低限の補給を受けると混成艦隊は方面軍司令部の帰還指令を受けてその日のうちにスティルタイドを後にした。

 スティルタイドにはそれだけの部隊を駐留させる余裕がないという名目だが実質的には追い出されたという方が近い。惨劇の当事者である混成艦隊の存在は周辺国を刺激する。そもそもコノエを失った今の第五艦隊はリカルドと駆け引きができる状態ではない。ヒルボネンは何ら抗議することなく補給を済ませるとスティルタイドを後にした。

「随分と大人しいもんだったな」

 直接の面会もなしに早々にスティルタイドを去った混成艦隊にリカルドは拍子抜けしていた。第五艦隊の主要将校がほとんどいなくなっていたためだろうか。残存艦隊を率いていたのが客将のヒルボネンだと言うこともリカルドらを驚かせた。

「これは立て直しには相当な時間が必要でしょうね」

 リカルドの副官デトマソが素朴な感想を述べた。この若い副官をリカルドはそれほど評価していない。あまりに純朴すぎるのだ。

「立て直す気があるなら、な」

「解隊、ですか」

 半数壊滅で主要将校も蒸発しているのである。立て直すくらいなら解隊して再度組み上げた方がよほど早い。今回の場合はとりあえず方面軍で吸収して活用されることになるだろうか。

「第八艦隊に続いて今度は第五艦隊ですか」

 デトマソの嘆きにリカルドも釣られてため息をつく。ドースタン大会戦における第八艦隊。そしてヴェヌスの惨劇における第五艦隊。どちらも事故のような形ではあるがあまりにも心証が悪い。連合軍はこれまでも、そしてこの先も戦力的なダメージ以上にイメージ的なダメージでのたうち回ることになる。ウンザリする話だ。

 そういえば。ふとリカルドの脳裏にある符号がチラついた。デトマソが怪訝な面持ちで伺う。

「如何されました?」

「いや、何でもない」

 それで何でもないことはないだろう。我ながら下手な韜晦に苦笑しながらリカルドは今しがた去来した符号を反芻した。

 そういえば。あのルビエール・エノーはその“どちら“にも関わっているんだったな。


 月は10月に入った。混成艦隊がミンスターに戻るのはこれが2回目。いずれも想定外の事態による出戻り。さらに混成艦隊の面々は完全なる待機を命令されることになる。徒労感以上に惨劇の当事者どころか容疑者のような扱いはやむを得ない妥当な処置ではある。そう理解しながらもその仕打ちは彼らの心を叩いた。

 一時的に混成艦隊を預かり、帰還を果たしたヒルボネンはそこで自らの役割は終わりだと思っていた。あとは方面軍が第五艦隊の残存を吸収するだろうと。しかしヒルボネンの予測、というよりも願いは裏切られる。残存艦隊はそのまま待機を命じられ、必然ヒルボネンもその責任者の立場に留まることになったのである。

 詰め腹を切らせるつもりなら覚悟はできている。しかしそうであるなら放置する必要はない。ヒルボネンは特段監視されているわけでもなかった。不可思議なのはヴェヌスにおける惨劇の聴取すらろくに行われないことだった。

 この種の動きにはヒルボネンも覚えがあった。何らかのシナリオが動き始めているのだ。そしてそのシナリオに残存艦隊はキャストとして組み込まれているらしい。

 もう一つ。ヒルボネンにとって不吉なのはシドがいまだにヒルボネンの下に残っていることだった。それはつまり奴には仕事が残っているか、もしくは新しくできたということだろう。

 ヒルボネンはついにシドを呼び出し、問いただすことにした。司令室に呼び出されたシドはあっさりと白状する。

「巻き込みたくはなかったんだがな。俺にできることはなかった。申し訳ないと思ってる」

 大きなため息をつくとヒルボネンは席を立ち、棚からボトルを取り出した。

「酒はいけるくちか?」

 シドは上着のポケットからスキットルをチラリと見せると無表情のまま言った。

「人生の友だと思ってる」

「いい表現だ」

 シドからの友好の証に屈託のない笑顔を見せるとヒルボネンは2つの小さなグラスにウォッカを注ぎ、シドと同じ卓についた。

 どちらともなくグラスを掲げると一気に飲み干し、再び注がれる。その間、二人は無言でその杯を何に捧げたのかも語らなかった。

 3杯目を注ぎながらヒルボネンが口を開いた。

「残存艦隊はどうなる」

 まさか惨劇の罪を着させられないだろうな。いくらなんでも無理筋だとはヒルボネンも思っているが得体の知れない黒幕の考えは読めない。不可思議なことにシドはその答えを持っていた。

「一部を残して解隊されることになる」

 解隊。それが一番いいだろう。大半の将兵にとって第五艦隊という肩書は足枷にしかならない。第五艦隊という存在自体が惨劇を想起させる存在になっている。とはいえまだ後始末は残っている。それがシドの言う一部であり、ヒルボネンもそこに含まれているだろう。

「一部とはどれだけ?」

 ガンマ戦隊の将校たちとヒルボネンら。それだけあれば充分のはず。ヒルボネンは自分のデルタ戦隊の将校たちを可能な限り解放してやりたい。交渉に挑もうとするヒルボネンだったがシドの反応は寛解を期待する重病人に余命を宣告する医師のそれだった。

「デルタ戦隊はそのまま維持される」

「なんだと?」

 状況を呑み込めないヒルボネンにシドは努めて穏やかに言い聞かせた。

「有体に言うなら。コノエが率いていた第五艦隊は解隊される。だが、あんたの率いているデルタ戦隊はそのまま残される、ということだ」

 ヒルボネンは愕然とした。これはデルタ戦隊が第五艦隊になるという意味ではない。第五艦隊の解隊に紛れてデルタ戦隊を非正規部隊として丸ごと隠匿する気なのだ。

 どこのどいつが。言うまでもない。シドの背後にいる人物だ。視線を逸らしながらシドは自白する。

「そうしないことにはあんたらの安全は守れなかった。俺と関わった形跡は残しておけんからな」

 ヒルボネンはシドの存在を知っており、その配下がヴェヌスで活動していたことを知っている。ヒルボネンはベイカー目線で放置できる存在ではなくなっていた。ヒルボネンを助けるためにシドにできることは鯨の口の中に彼女を放り込むことだけだった。

 これが報いかよ。ヒルボネンは天を仰ぎながらウォッカを一気に流し込んだ。しばしの沈黙の後に無理矢理気持ちを切り替える。

「ま、貴殿に任せると言ったのは私だからな」

 灼ける喉に顔を顰めながら酒の勢いを借りながら口走る。

「次の標的は第11旅団か」

「最初から奴らが標的だ」

 おいおい。ヒルボネンは口角を痙攣させた。

「そのためにコノエとヴェヌスを犠牲に?」

「そこはもちろん予定外だ。とんでもないブギーマンがいてな。そいつのせいで計画は大破算だ。それで、今は立て直しの真っ最中」

「で、第11旅団をどうしたいんだ」

「聞きたいのか?」

「今さら抜けれんのだろう」

「そうか」

 そう言いながらシドはしばらく無言で考え込む。

 何も知らず、ただ道具として使われること。一部でも知り、自らの足で闇を歩むこと。果たしてどちらが“生きる”ことに近いのか。知ることは幸福なこととは限らない。納得は慰めに過ぎない。それでも人は後者を選ぶし、歩むべきと嘯く。シドは、必ずしもそうは考えていなかった。知らぬままでいることこそ幸せである術だ。それが知り過ぎた、踏み込み過ぎたシドの結論だった。

 もっとも、いまだ足をはまらせた程度のヒルボネンはそれを理解しないだろうが。そう知りながらもシドはその選択をヒルボネン自身に委ねた。

「もう一杯くれたら話そう」

 無言のままヒルボネンは4杯目を注ぐ。透明でいながら、されど劇物の液体を凝視したまま、シドは話始めた。

「物事の本質を知るには適切な距離がある。近すぎれば全容が見えず、遠すぎれば細部が見えない。この話は一人の人間には大きすぎ、俺たちは近すぎる。俺の知っていることも、その一部に過ぎない」


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