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26/2「モンスターズシンク」

 グラハム・D・マッキンリーの歴史講義「ヴェヌスの惨劇」

 ヴェヌスの惨劇。概要に関しては説明を省くが宇宙コロニーに関する事件、事故の中でも最大級のもの。…最大と言い切ってもいいかな。

 ヴェヌス居住人口およそ200万人。ヴェヌスそのものが消滅したことでこの数も凡その数字でしかない。実際には直前に疎開した数がそれなりにあるだろうが200万人を一度に脱出させる方法は今もって存在しない。それに限りなく近い数が犠牲者となっただろう。

 この事件はいまでこそある程度の結論が出ているがそれはかなり後の世の機密情報開示によるものだ。それをもってすら真相は判然としていない。この当時を生きる者達の大半がその真相を知るどころか近づくことすらできなかった点は留意しておかねばならない。まして、そこから端を発する彼らの判断を笑うことなど許されるものではないだろう。


 私はこの事件のことを考えると思わずにはいられない。

 他にもこのようにして実態が覆い隠された悲劇はあったんだろうと。真相を語ることもできずに去った者もいたのだろうと。


26/2「モンスターズシンク」

「さて、まずはシナリオ作りと根回しだ」

 未曽有の大惨劇に対してプロヴィデンス構成員アーノルド・ベイカーはそれを誤魔化すと同時に利しようと動き始めた。全くの計算違いから始まる暗中疾走。どれもがベイカーの経歴にはない異常事態。今なお、ベイカーの足元にはいくつもの破滅の落とし穴が口を開けている。

 しかしそれでもなお。ベイカーは震えて立ち止まるつもりはなかった。むしろ彼はこれまでになく高揚していた。

「それで?どう報告します?」

 控えていたカセレスが聞いてくる。コンサルトへの報告。この事態をコンサルトとプロヴィデンスはどう捉えるか。報告の仕方一つでベイカーは失脚しかねないが。

「お前の考えを聞きたいな」

「さっきのシナリオどうりでいいと思います」

 つまり、こちらの真実を包み隠してということ。監視役の立場を平気で逸脱するカセレスにベイカーは不敵な笑みを返す。

「どうした?監視役」

「そちらこそ、どうしました?フィクサー」

 痛烈な切り返しにベイカーの口角は引き攣る。暗躍していた者が舞台を引っ繰り返されて地面をのたうち回る羽目になった。

 しかしカセレスはそんなベイカーを見捨てるでもなく、手を差し伸べ、共犯者となろうとしている。どうやら上下が逆になってしまったようだが、今はそんなことはどうでもいい。

 上等だよ。相棒。

「なに、勝負はこれからさ」

 強がりでもはったりでもなくベイカーは言い切る。やらかしたことはもう取り戻せない。しかし、これで終わりではない。終わってたまるものか。

「早急に筋書きを組みなおす。少しだけ時間を作ってくれ」

 にっこり微笑むとカセレスは話を変えてきた。

「それで、どういう人なんです?あの人は」

 この苦境、惨状の元凶。ジャスティン・キングとは何者であるのか。当然説明しておかねばなるまい。苦虫を噛み潰しながらベイカーは話始めた。

「クーロンは知ってるな?」

「共同体宙域にある企業合同出資の無国籍中立コロニー。ジェンス社のグレートウォールとガニメデと並ぶ国家権力の及ばない企業勢力地帯。あなたも一枚噛んでいましたね」

 そこまで調べ上げてるか。ベイカーは冷たいものを感じながらもすぐに気を取り直した。

「さすがだな。説明の手間が省けて結構だ。奴、ジャスティン・キングは元々クーロンに出張っていた共同軍の駐在武官だった。それがクーロンの企業に抱き込まれてモールになったわけだ。珍しくもない。あそこではそうじゃない奴の方がおかしいくらいだ。クーロンなんて一つにまとまって呼ばれてはいるが企業同士が一つの入れ物に入ってるんだ。表では結託してても裏ではお定まりの暗中闘争は当たり前。脱落する企業も、新しく入ってくる企業もいる。そんなところで我関せずなんぞ通用しない。どんな奴でもどこかしかの勢力、流れに組み込まれ、巻き込まれる」

「いずこも同じですねぇ」

 知ったような口を。カセレスの合いの手に白い目を向けながらベイカーは続ける。

「だが、そんな中で奴が作った立場は特殊だった。活躍の場はいくらでもあったんだろう。奴はその渦中を巧みに泳ぎ、人脈を拡げ、その過程で多くの機密情報を隠し、集め、あるいは人員を確保して自分の勢力を作り上げていった。そうこうするうちにいつの間にやらクーロン内での厄介事を調停する顔役に成りあがっていたってわけだ」

「へぇ、それってまるで」

 プロヴィデンスにおけるコンサルトに近い。ベイカーは頷いた。確かに役割は近い。もっとも、ジャスティン・キングには組織への、クーロンへの忠誠などないが。

「狡猾と言うべきか。奴はその時点でもあくまで共同軍の一軍人でしかなかった。それが厄介だ。実態はともかくクーロンは共同体の保護下にあるコロニーだ。迂闊にキングに喧嘩を売ることは共同軍に喧嘩を売るに等しい。そしてまた逆も然り。クーロンに影響力を持つ奴に共同軍も手出しができなくなっていった」

 かくしてジャスティン・キングは例外的な存在としてクーロンと共同軍の双方に影響を及ぼしながら、同時に双方にとって手出しのできないアンタッチャブルとなった。

「さっさと潰しておけばよかったろうに」

「その通り。まぁそこが奴の巧妙さというべきか。嗅覚の良さと言うべきか。的確に穴を見つけ、すり抜け、弱みを掴み、防壁を積み重ねていく」

 その言葉は自分たちにも言えると気づいたベイカーは不服気に黙った。雪だるま式に膨れ上がる奴の防壁は必ずしも硬くはない、むしろ驚くほどに脆い。しかしその防壁は常にそれを崩そうとするものに向かって倒れ込むのだ。これもまたプロヴィデンスのそれに近い。

「なるほど。ちょっと興味が湧いてきました」

 何だって?ベイカーの脳裏に嫌な予感が噴き出した。まさかこいつ。

「奴を次のプロヴィデンスに入れるとか言い出さないだろうな」

「ああ、それも面白そうですね。でもまぁ、ああいう人は飼えそうにありませんし、内側から無茶苦茶にしてしまう。やめておいたほうがいいでしょう」

 まさに自分がその轍を踏んだ。ベイカーは黙り込んだ。笑いながらカセレスはつぎ足す。

「ですが、僕らのプロヴィデンスを作るための仕事には使えるかもしれませんね。状況の動かない場所に彼を放り込めば嫌でも動くんじゃないですか?誰も思わない方向に。そこに、機会は生まれる」

 なんて野郎だ。こいつも狂ってやがんのか。しかしこちらの怪人は次のプロヴィデンスを“僕らの”と表現した。自意識過剰でないならば、それにはベイカーも含まれている。ベイカーは肩を竦めるだけに留めて続きを促した。

「今のところ彼は僕らと敵対しようとしているわけではありません。もちろん信用には値しませんが。ディアティが犠牲になったことは望んだことではありませんがそれも僕らには関係のない話です。彼自身からそれが漏れることもないでしょう。ならば、僕らがすべきは彼を排除することではない。むしろ満足させてあげるべきでしょう」

「満足ねぇ」

 手法としてはよくある手だ。しかしあの男は一体何で満足する?多くの場合でそれは金や権力であるが。あの男の趣向とは。

「オペラでも見せてやれってのか?」

「あはははは」

 ベイカーの皮肉は渾身のギャグにでも聞こえたらしい。

「彼の様子を見ていると今回の件で大いに満足したように見えます。しばらくは考えなくていいでしょう」

「だが監視はしておくべきだろう」

「いえ、それも危険です。いい気分になるとは思えない」

「放っておけってのか?」

「僕らのやろうとしていることはいずれ彼の関心を惹くでしょう。彼が好意的な関心を向けているうちは問題ありません。むしろ下手に仲間になられた方が厄介です、彼には可能な限り触らないようにした方がいい」

「まるで怪獣だな」

「言い得て妙ですね。映画に登場するような制御不能の怪獣ですよ」

 正体不明、得体の知れない怪獣。それを利用しようとする者は食い殺される。古来からのお約束。

 だが、その怪獣も最後は人類の知恵と勇気で撃退されるのもお約束だ。それが自分たちかは疑問だが、自分たちである必要もないか。

「怪獣はチュロス片手に眺めるに限るな」

 ベイカーの理解にカセレスはにこやかに微笑んだ。



 ディアティの惨劇は誰しも耳を疑う凶事だった。その衝撃は連合軍と共に共同体と相対する月にとっても大きなものとなる。統合国大統領ルイス・テレーズは名うての“女優”であったがその彼女をもってしても動じずにはいられなかった。

「なんということ」

 統合軍長官クラークソンから一報を聞いたテレーズは一言そういうと首を垂れて一言も発さなくなった。このババアでも動揺することはあるんだな。フーシェンは一歩引いた位置で俯くテレーズを見ていた。自らの読み違いによる失態でも他人事のように流した女。その打ちひしがれた姿はさしものフーシェンでもバカにするのは憚られるものがあった。

 テレーズに替わって秘書官が状況を確認する。

「本当にディアティに200万人がいたんですか?」

 くだらないことを聞く奴だ。クラークソンは内心軽蔑しながら秘書官に宣告した。

「200万人を簡易に移送する手段があるとは思えませんし、そのような兆候は観測されておりません」

 200万人をワープさせるような手段でもない限りは不可能だ。そこにいたとするなら、そのまま諸共だったと考えるしかない。200万人の犠牲。いや、虐殺と言うべきか。反応弾が使用されたのは現場にいた独立機甲師団の観測からも明らか。反応弾はその特性から活性化させない限り暴発することはあり得ない。少なくとも何者かが活性化状態の反応弾をディアティに持ち込んだことは事実。それはつまり使用を想定していたことを意味している。

 これは大事になる、はずだが。

「それで、共同体の反応は?」

 続けての秘書官の質問に今度はフーシェンが答えた。

「共同体も連合も今のところ事実、つまりヴェヌスで反応弾が起爆したこと以上の情報は開示しておりません」

「どういうことです?」

「言った言葉通りです」

 私見を述べるのは自分たちの仕事ではない。フーシェンの切り捨てに秘書官は不服そうな顔を隠さなかった。

 テレーズの気力はすぐには持ち直さず。とりあえずその場は一端解散となった。クラークソンとフーシェンは大統領官邸の端に移動すると今後の動きを確認する。

「とりあえず戦線は固定するしかあるまい。こちらだけでは身動きしようがない」

 フーシェンは不満そうに息を吐いた。地球連合が身を竦めるのだからそうなるのは仕方がないが。反応弾を起爆した奴の目的が戦線を硬直させることだとしたらまさに思い通りになる。その間にさらに相手の思惑は進んでいくだろう。良いこととは思えない。

「こちらだけで動くことを地球も望むのではないでしょうか」

 大胆なことを言ってくれる。クラークソンは驚きながらもしかしフーシェンの言わんとすることを即座に理解した。とにかく動いて流れを作ってしまえばいい。地球とて止まりたくて止まっているわけではない。流れさえ出来上がってしまえば身を任せるだろう。

 まったく、軍人的な考え方ではないな。自嘲的な笑みを浮かべながらもされどクラークソンはその思考を止めはしなかった。

「今少し味方が欲しいな」

 月だけでは流れを生み出すのは厳しい。他にも協調してくれる存在が必要になる。忌々しいことに思い当たる勢力は2つある。WOZと、ジェンス社。どちらにも貸しは作りたくないが2択であれば迷うほどのものではない。

「WOZでしょう」

「まぁ、そうなるだろうな」

 WOZならば国家間の連携になるので体裁もいい。WOZとの折衝がいまだフーシェンの管轄であることも2人を納得させる。

「とはいえ、あちらも腰砕けになっていたらどうしようもない。まずは意思確認だな」

「早急に」

 請け負うとフーシェンはその場を後にし、官邸前で待ち受けていたマツイと合流した。

「何か進展は?」

 肩を竦める仕草だけで答えるとマツイは恭しく車への乗り込みを勧めた。国防省へ向けて車が動き出すとフーシェンは口を開いた。

「どう思う?」

「どう思ってるんです?」

 マツイの返しにフーシェンは顔を顰めた。フーシェンの中には既に心証があることをマツイは見透かしている。渋々とフーシェンは私見を口にした。

「やったのは連合でも共同体でもない」

 第五艦隊が巻き添えを食ったこともあって連合軍の所業とは思えない。では共同体、もしくはディアティ自身の自爆攻撃か。これも考えづらい。いくら何でも200万人を巻き添えにするなど狂気じみている。

 やったのはあの場で戦っていた連合軍でも共同軍でもない。誰か。フーシェンの推論にマツイは頷く。

「なるほど。連合に独り勝ちされると困る第三者による罠。となれば考えられるのはジェンス社、WOZ、それと」

「月だな」

 が、それもないだろう。理屈としてそれをやる理由が3者にはあるが手段がない。いくらジェンスやWOZであってもヴェヌスに反応弾を持ち込んでそれを内部で起爆するなど不可能。それは月も同じだ。そもそも反応弾は貴重な戦略兵器だ。使途としては明らかに不適。

 では、そんなことを実行できるのは何者であるのか。マツイがフーシェンの考えを代弁する。

「第三者は国家であるとは限らない」

 共同体ではないが共同体の中のもの、あるいは連合ではないが連合の中のもの。このどちらか。あるいは、その両方。それでいて反応弾を保有している勢力。

 そんな奴がいるのか?思い当たる候補は一つある。ハイペリオンだ。もっとも、それはただ条件に当てはまると言うだけでやはり理由の壁にぶち当たる。自身が作り上げた傀儡国家を反応弾を使ってまで消し飛ばす必要などあるとは思えない。

 フーシェンの推理はそこで行き詰まる。しかしマツイはそこにさらにもう一つの下手人を追加した。

「もしくはその間にいる者」

 間?自身の思考になかった枠にフーシェンは怪訝に伺った。

「どういうこと?」

「考えてみたんですがね。自分たちが反応弾を持っていると仮定するとあんな使い方に辿りつけないんですよ。余るほど持ってるんならともかく、反応弾ですよ?恐れ多くて使おうなんて気にならない」

 反応弾を持っている。その使い方を考える。宝くじを当たったと夢想するより数十倍は酷い想像である。呆れて口を開けるフーシェンを他所にマツイはその想像を深掘りする。

「自分たちの反応弾なら使えない。使うにしてももっとマシな使い方をする。あれがマシな使い方か?答えはNOです。つまり、あれは反応弾を持っていた人間が使ったんじゃない」

 そんなことがありえるか?マツイの言っていることは想像でしかない。しかしフーシェンはその考えに引き込まれた。

「本来の持ち主とは別の誰かが使った?」

 そんなことがありえるか?再度フーシェンの思考が問うがそれはノイズとして無視された。

「ただの想像ですがね」

 マツイが冗談めかすのはいつものことなのでフーシェンは視線を強めて続きを促した。上官の喰いつきを確認するとマツイは表情を怪しく輝かせた。

「問題は反応弾の行方です」

 出所はともかく行方か。マツイらしい着眼点だ。フーシェンは苦笑いしながらも考えを巡らせる。

 反応弾の核たるエリシウムは回収さえできるなら再精製からの再製造が可能になる。しかし宇宙空間において反応弾の爆心地にエリシウムが留まり続ける理由はない。そこで爆発することを理解した上で待ち受けでもしない限り、回収は不可能に近い。反応弾が用いられない理由の一つであるが。

「あなたは散逸したとは考えていないわけね」

「逆から考えてみたんですよ。そこに反応弾があるとして、それをどう使うかを考える。どう使うにしても、それにはまず手に入れる必要がある。では、どうすればそれは手に入るのか?」

 車がトンネルに入り、闇がマツイの顔を覆った。フーシェンはそこに怪人を見た。僅かな笑みをシルエットに溶かしながら怪人は恐ろしいことを言い放った。

「使えばいいんですよ」

 フーシェンはシートからずり落ちた。

「その発想はなかった」

 反応弾を手に入れるために反応弾を使う。バケモノの発想だ。しかしフーシェンはその発想を笑わず、受け入れた。

「つまり“犯人は現場に戻る“なわけだ」

 回収するためにはそこにいる必要がある。あの場にいた者。残った者。

「連合軍は即時撤退しました。必然、共同軍の中の何者か、ということになるでしょうな」

 どこのどいつだ。フーシェンは本能的にその誰かを敵と認定した。立場とは無関係にこの報いは受けさせねばならないと確信する。

「洗い出して。ただし、内秘よ」

「拝命しました」

 内秘、ね。請け負いながらマツイはフーシェンの中にある敵愾心と好奇心の葛藤にらしくなさを感じていた。



 ヴェヌスの惨劇に耳を疑ったのはWOZ外務局代表ニジョウ・リー・マハルとて同じだった。リーはその凶報を一人では受け止めることができず、即座に盟友に意見を求めた。

 火急の用件と言われて呼び出された軍務局代表コウサカ・レオノール・ホロクはしかしその情報に眉を動かさなかった。

「何が起こったと見る?」

「計画的とは思えないな」

「そんなことがあり得ると思うかい?」

「計画的だったらあり得ると思うのか?」

 返す言葉をなくしてリーは唸った。

「何がしかの事故やトラブルだったと?」

「もちろん完全な偶発ってことはないだろう」

 ヴェヌスに反応弾がたまたまあってそれがたまたま活性化状態にあってたまたま誤爆したわけはない。何者かが反応弾を持ち込んでいた。ただ、それを起爆した人間は別の誰かではないか。

「何がしかの計画で用いる、もしくは譲渡する予定だった反応弾が何者かによって起爆された。ってのが俺の第一印象だな」

 しばらくレオノールの見解を反芻してリーは息を吐いた。その正否はともかくとしてレオノールの言葉はリーを落ち着かせる劇的な効果を発揮した。もちろんだからといって気が楽になったわけでもなかったが。

「200万だ。途方もない犠牲だ」

「そうだな」

 合いの手はレオノールにしては沈み込んでいたがそれでも素っ気のないものでリーの心を逆撫でした。しかしその素気の無さはレオノールが冷徹であるからではない。それを思った時、リーは平静を取り戻した。

「OK。心象的な部分は一端置いておこう。これからどうなる?」

「まず事がはっきりしないうちは戦線の動きは停滞する。共同体は追及するし、月は及び腰になるだろう。当然、それはこっちにも及ぶ」

「最悪のタイミングだな」

 リーは大げさに嘆くがその仕草は演技がかっている。

「ま、それはいい。今さらこっちが及び腰になる必要はないさ。むしろチャンスかもしれない」

 先ほどまでとは打って変わってリーは打算を巡らす。今やすっかり調子を取り戻したようだった。

 史上有数の大惨劇。もし仮にヴェヌスの惨劇が地球によるものなら。月はこの戦いにおける大義を失いかねない。並みの国家なら足を止めるところだ。テレーズですら方針の再確認、支持者への説明を果たさぬ限りは迂闊に動けまい。しかしWOZは違う。ホワイトやロマーリオは動いてくるかもしれないがギガンティアの意向が変わらぬ限り、WOZは揺らがない。この国には大義も名分も必要ない。

 むしろ。この状況は月に替わってWOZが主導権を握るチャンスとなるかもしれない。WOZがいち早く動けばそれはテレーズへのこれ以上ない支援となるだろう。

 もちろんリスクは高い。事と状況次第では惨劇の加担者としてWOZは歴史に残る汚名を得ることになりかねない。

 やはりディアティで何が起こったのか。それを知りたいな。リーは切に思った。

「何が起こったかそちらで調べられないかな」

 外交筋ではなく、軍事筋からの調査。それは非合法の手段も示唆している。レオノールはしばし考えたが結論は出さなかった。

「やってもいいし、ロガート辺りは放っておいても調べるだろう。ただし。時間はかかるし、出てくる答えにも期待しない方がいいと思う」

「つまり?」

「真実が人を納得させるとは限らない。今回は特にそんなことになりそうな気がする」

 事実は小説より奇なり、か。そのような事例はリーにもいくつか覚えがある。人に話しても信じられず、受け入れられないような真実。納得しながらもリーは困り果てた。

「つまり、確証なしで突き進めってことか」

「やめても誰も責めはしないと思うが」

 そんなこと思ってもいないくせに。リーは不敵な笑みを取り繕った。

「そうはいかない。海軍は予定通り進発させてくれ」

「解った」


 外務局からの突然の呼び出しに不吉を感じていたオガサワラは戻ってきたレオノールの飄々とした様子に安堵しつつも状況を聞き出し始めた。

「ニジョウ代表からはなんと?」

「狼狽えてたから喝を入れてやった」

 珍しいな。オガサワラは最初そう思ったのだが、200万人の犠牲者。いや、虐殺である。動揺しない自分たちの方がよほど異常だろう。

「では、派兵も予定通りということでよろしいですね」

「ああ。それと、ヴェヌスで何があったか調べろとリーの要請だ」

「昨日の今日で難しいですね。しかも肝心のロガートが明後日の方向にいます」

 参謀調査室のダイスケ・ロガート、そしてゴーストの隊長であるカンナギは現在、火星外務大臣アマンダ・ディートリッヒ及びリブートヒューマン“ハロルド”の調査の為にガニメデに飛んでいる。

「反応弾が絡んでるんだ。そこら中で調べは入る。こっちが本腰を入れる必要はない。とりあえずハイペリオンと統合軍あたりを睨んでおけば何がしか解るだろ。外務局からも応援を取ってきたから派兵に同行させる。あとはそっちにやらせればいい」

「なるほど」

 これは本気ではないな。オガサワラはそう判断した。調べても解らないか、解ったところで藪蛇になりかねない。レオノールはそう考えているらしい。となればロガートがいないのはむしろ僥倖か。

「同行と言えば、今回もマコトさんを同行させますか?」

 ホンジョウ・マコト・ファヴニはレオノールの名代として重要な局面では影に日向に動く。今回のような場面でも同行させるべきだが。

 レオノールはしばし考えた。

「今回はエミリアに任せる」

 つまりマコトを手元に残す。その考えにオガサワラは不吉なものを感じた。

「マコトさんが必要な局面が別にあると?」

「いや、毎度マコトをつけてると拗ねるからな」

 想像に易いな。オガサワラは苦笑して納得した。

「懸念があるとするならミスターノーバディの方だな。エミリア好みのやつじゃないだろう」

 確かに。オガサワラは頷きながらもされど心配はしなかった。

「問題ないでしょう。過酷ではありますがね。こんな微妙なタイミングで送り出されるとは同情しますよ」

「そういう星なんだろ」

 貴方が言うか。レオノールの言葉にオガサワラは乾いた笑みを浮かべた。同時、その星の訪れがオガサワラの端末に知らされた。

「そのハヤミさんが来たようです。同席しますか?」

 噂をすれば。呆れ笑いしながらレオノールはしばし考えて首を振った。

「答えようのないことを散々に聞かれそうだ」

「それはしょうがないことかと」

 お互いに身に覚えがあり過ぎる。苦笑するオガサワラはレオノールが去り際に時計を確認するのを見た。

 またか。そう直感するオガサワラはされどそれを見なかったことにした。


 ISE社実行部隊「モノフィルス」そのハリボテを何とか形にしたハヤミはその出発前日、軍務局に顔を出した。要員を捻出してもらった礼と、連携することになる海軍の情報を得るためである。

「おかげさまで何とか形にはなりまして」

「間に合って幸いです。先に言っておきますが今回に関しては借りと思う必要はありません。彼らの就職先斡旋という側面もありますからね。私からも彼らのことをよろしくお願いします」

 オガサワラの言う“彼ら“モノフィルスに編入された訳あり人員は故合って軍籍を失った元軍人たちである。民間警備会社や保安局巡視隊、果ては農家まで散らばっていた彼らの多くはしかしオガサワラの紹介、そしてマサトの傘下と知るや否やモノフィルスへの参加を快諾したという。

 そこにあるのは忠義か、信頼か、それとも別の何かか。何であれ預かる身としては重いことこの上ない。

「身の引き締まる思いですよ」

 ハヤミ流のボヤキにオガサワラは笑いながら頷いた。

「さらに念を押しておきますが。彼らは軍人ではなく、一個人としてそちらに参加しています。こちらに遠慮せずに使い倒していただいて結構。何か問題があっても気兼ねなく切り捨ててください」

 そうはならないだろう。オガサワラの言葉の裏にはその確信を滲ませていた。

「んじゃ、何かあったら泣きつきますんでよろしく」

 その返しは想定していなかったようでオガサワラは軽く動揺したがすぐに立ち直った。

「こちらとしてもモノフィルスの存在には頼ることもあり得ますし、むしろこっちが泣きつくかもしれませんよ」

「勘弁してくださいよ」

「信頼できる味方は貴重ですからね」

 信頼のできる相手を内ではなく、外に持つこと。二人は互いの信を確認して笑いあった。

「出発は明日と伺いましたが」

「出遅れると追いつける気がしないんで」

「そんなに急いで動くわけじゃありませんよ」

 だとしても即席で作った部隊、それも単艦である。どんなトラブルがあるかわからないので単独では行動したくない。ハヤミは準備期間を削ってでも海軍の進発に合わせることを優先した。しかも聞いた噂では派兵される海軍の司令官はかなりの女王様だという話(スミス談)ではないか。少しでも不興を買うようなことは避けたい。

「んで、その、海軍の、ナガミネって人はどういう人なわけ?」

 エミリア・ナガミネ・アンダーセン。海軍司令。オガサワラやレオノールと並んで黄金世代と言われる現在のWOZ軍の中核を為す人物。有能なのだろう。しかし聞くところの情報を総合するとハヤミにはいい予感がしない。エリカとかマチルダと同種の人物に思えてしょうがない。多分、恐らく、ハヤミの苦手とするタイプ。

 このハヤミの不安に対するオガサワラの回答は全く見当はずれだった。

「所謂ツンデレです」

 は?一人の軍トップを評する言葉として、そしてオガサワラの口から出る言葉としても不適合な単語にハヤミは唖然とした。が、冗談ではないんだろうな。溜息をついて続きを促すとオガサワラは楽し気に説明を始めた。

「私やレオノールと同期です。本来なら海軍司令を務めるような年齢ではないんですがね。紆余曲折あっての父親、さらに兄2人を飛び越えての任命です。才覚は十分あります。ですが若い上に経験も豊富というわけではありません。そういう状況ですから、常日頃から気を張っていてかなりツンケンしているわけです。ですが本質的には末っ子気質といいますか。誰かに褒められたくてしょうがない性分を持っています」

 そんなこと聞かされてどうすればいいわけ?とハヤミは口に出しかけて呑み込んだ。聞きようによってはコケにしているようにとれるがそこには確かな敬意と愛着がある。オガサワラは同期の将軍ではなく、友人の話をしていた。

「褒め殺せってこと?」

 ハヤミの冗談にオガサワラは声を上げて笑い逆にハヤミを驚かせた。

「バレたら殺されますよ。まぁ、切り札の一つとして考慮する価値はあるかもしれませんね」

 冗談なのか本気なのか判別に困っているとオガサワラは要点を示した。

「回り道をしましたね。エミリア・アンダーセンはツンケンしてるのがデフォなんでキツイことを言われても気にする必要はないって話です」

 本当に回り道だな。オガサワラらしくもない、と思ったハヤミだったがすぐに思いなおした。こっちの方がオガサワラの本質に近いのかもしれない。

 ナガミネ何某の情報はこれ以上深堀しても困惑するだけだな。そう判断するとハヤミは話を個人的な興味に切り替えた。

「ほんで、あのハロルドってのはどうなってるわけ?」

 リブートヒューマン“ハロルド”のその後。さらなる調査の進展までは棚上げ、までは聞いているが。

 それまで楽し気だったオガサワラは途端に苦い顔をした。がその表情はポーズに過ぎなかった。

「相変わらずですよ。強いて変わったことがあるとするなら、警戒する必要がほとんどなくなったことと。たまにレオノールと面会するようになったことくらいですね」

 あ、とオガサワラは表情が変わった。余計なことまで喋ってしまったオガサワラと余計なことを聞いてしまったハヤミ。気まずい沈黙がしばらく続いた。やがて、ハヤミが好奇心に負けた。

「会ってんの?」

 本心では聞いてほしかったのかもしれない。オガサワラはしばらく愚図っていたが答えた。

「あれから2度ほど」

 そして今日で3度目になるだろう。心の中でオガサワラはそう付け足した。ハヤミの反応は予想通りだった。

「なんでまた」

 その疑問にオガサワラは答えを持っていなかった。自分自身、そしてレオノール自身も解っていないのだ。

「気分転換、ですかね」

 明らかな苦し紛れに何を理解したのか、ハヤミは同情的な顔をしてそれ以上は追及しなかった。


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