3/5「ビジター」
3/5「ビジター」
「急ぎ過ぎではありませんか」
ローマ師団の基地の一室でカリートリーは不快感を露わにした。彼の正面にはクリスティアーノの忠臣サネトウがいた。白髪の老紳士でその居姿は物語から引っ張て来たかのような執事ぶりであった。立場上では上とも下とも言えない、確かなのはカリートリーがこの老人の人柄と知謀に推尊の念をもっているということだ。
「少々厄介な状況にありまして、こちらも困っているのですよ。クサカはXVF15にはほとんど興味を失っております。X16に早いところフォーカスしたいのでしょうね」
サネトウの説明にカリートリーは溜息をついた。
ハイエンド機にあたるXVF15は採算の取れる見込みは薄く、採用・量産するにあたっても少数に留まることを予想されている。廉価量産型とされるX16にクサカが軸足を移したいことは自然な話ではある。だがしかし。
「XVF15の試験にX16の試験を兼ねさせるというのはロジックが飛びすぎでしょう」
「全く同感です」
サネトウも頷いた。
「ただクサカの懸念も解ります。状況が思った以上に早く動いている。本格的な戦争状態に突入してしまえばX16の量産を待たずに軍部が現行機の追加生産をモーリスに要請する公算が高い。そうなれば割りを食うのはクサカということになります」
「取らぬ狸だ」
カリートリーの切り捨てをサネトウもほろ苦い笑みで肯定した。軍需産業の覇権を狙うクサカにとってX16こそ本命で、そのX16の埋めるはずだった枠をモーリスにとられたくないということなのだろう。しかし仮にX16の実用化を早めたところで新型機への機種転換はそう容易な話ではない。X16よりもVFH11を優先する判断も大いにありえる。
「ここで厄介なのがイスルギなのです」
カリートリーの身体が硬直し、ついで萎み始めた。なるほど、そうなるのか。
イスルギの新世代OSは汎用OSとして従来機にも更新可能なシロモノだ。これが現行機増産を後押しする要素になるかもしれないのだ。つまりOSより前、悪くても同時にX16を採用可能な状況にもっていきたいのだ。
「マウラとクリスティアーノのお考えは?」
派閥の人間らしい聞き方だった。この二人は自らの本当の主君は誰なのかを心得ている。
「マウラはクサカには精々恩を売っておけばいい程度に考えています。クリスティアーノ様はイージス隊には他の使い道があるのではないかと考えておられるようです。これに関しては貴方の方が詳しいのでは?」
サネトウの投げかけにカリートリーは唸った。クリスティアーノの考えはわかる。ルビエール・エノーだ。
「モノをとるか人を取るか、ということでしょう。クサカにどれだけ恩を売ったところでお嬢には実入りはほとんどない。お嬢としてはルビエール・エノーに華を持たせて、陣営に引きずり込む方が好ましい、と考えるようになったのでしょう」
恐らくそれは最近になって急浮上した選択肢であるはずだ。
「モノになりますかね?」
カリートリーはしばし考え込んだ。
「率直に言って、わかりかねますな」
老紳士の眼光が鋭く光り、カリートリーは気圧された。
「随分とお優しくなられたように見えますな。カリートリー様であればクサカの要求を受け入れつつもエノーのご息女様も同時に養成なされるものと思っておりましたが」
過保護に過ぎるとサネトウは言っている。
そうは言ってもルビエールはエノーから預かった人材なのだ。磨り潰すような使い方は安易にできないだろう。と、考えたところでカリートリーはその切り口は分が悪いと思い直した。
軍人家系としてほとんど没落しているエノーの不興を買ったところで今さら何だというのだ。潰れたならそれまでのことだろう。ただ軍人家系としての名籍を残しておきたいだけのエノー本家の意向など捨て置けばいい。
「全部まとめてやらせてみればよろしい、とサネトウ殿は考えているわけですね」
「モノになるというなら、その程度はやってもらわないと困ります」
しゃあしゃあと言ってのけるサネトウにカリートリーは苦笑した。こちらは過保護かもしれないが、そちらは期待過大だ。
「戦争ははじまっています。いずれにしても過酷な現実が待っているのです。これはエノーのご息女だけでなく、我々にも同じことです」
カリートリーの葛藤を見透かすようにサネトウは言った。
それはわかっている、と言いたいところであったがカリートリーとてこれから起こるであろう戦争の規模や趨勢を見通しているわけでもない。それを楽観的に捉えるだけの情報も、気質も持ち合わせていない。
「まぁ、どちらにせよそちらの判断はカリートリー様にお任せいたします」
解りきっているだろうに。カリートリーは腕を組んだ。
どうするか、受け入れるにしても引き延ばすという手もあるが大した意義はないだろう。快諾してこちら独自でまたクサカから何か見返りを引き出すか…。
「もう一点。お耳に入れておいてほしいことがあります。これは本家の話になりますが、最近になって立て続けにMPE及び4Cの諸氏と接触をしております」
「バカな。沈んだ大陸を引き上げようとでも言うのか」
その報告にカリートリーは驚愕の表情を浮かべ腰を浮かせた。MPEは地球至上主義の極右勢力で、4Cはかつての地球内戦で没落した国家群の俗称だった。特に4Cという単語はカリートリーに不吉な予感をもたらした。
カリートリーの言葉に虚ろな笑みを浮かべてサネトウは続けた。
「マウラは戦況の推移次第では彼らと結ぶことも視野に入れていると見えます。キャスティングボートを握ろうということでしょう」
失望感がカリートリーに去来した。マウラの勢力を伸ばそうという考えは理解するがそのために地球そのものの勢力を減退させるような真似をしてどうするというのだ。本末転倒と云う他ない。
「とはいえ、本家の行動も焦りからくるものでしょう。世の行く末もさることながら、お嬢様の動きに本家は警戒を強めているようです」
「このタイミングで、ですか」
身内争いをはじめる時期ではないだろうとカリートリーは溢す。しかしサネトウの見解は違うようだ。
「時化時を出し抜く好機とされてきた人らしくもない言い草ですな」
そう言われると返す言葉がない。波乱が波乱を呼ぶのは世の常だし、それを読み取ってクリスティアーノはマウラの中で独自の立場を築き上げてきた。その過程で大きな役割を果たしてきた二人である。
サネトウはマウラの中でも古株の食客である一方でもっとも若輩な勢力であるクリスティアーノについている。マウラ一党の中でも多くの者に一目置かれる彼がクリスティアーノに肩入れするのは不可思議なことでもある。もっとも、これはサネトウの立場からみるカリートリーも似たようなものだったろうが。
「サネトウ殿は、この流れをどう泳ぎますか」
老紳士の眼光にこれまでにない冷たさを帯び、カリートリーの背筋に悪寒を走らせた。
「多少、強引ですがここらでマウラをお嬢様とすること、さもなくばマウラは時流に翻弄されるだけの身となることでしょう」
大胆な選択肢だった。家内クーデターというわけだ。カリートリーは自分でも驚くほど静かな心地で老紳士の提案を受け止めた。来るべき時が来たというわけだ。
これはカリートリーという人間の全てをクリスティアーノ・マウラにベットすることと同義であった。
「お互い、分の悪い賭けを好みますな」
「とんでもない。私はお嬢様の忠臣でございますから」
おどけて見せる老紳士に苦笑しつつカリートリーも静かに覚悟を決めるのだった。
老紳士を見送るとカリートリーは一人、思案の海に潜った。熟考の後、カリートリーは自らのデスクに座ると通信画面を開く。
程なくして画面に伊達メガネの少年が姿を現した。
「定期報告の催促じゃありませんよね。こんな時間に呼び出されるんですから、よっぽどロクでもない話なんでしょうね」
少年の言い草にカリートリーは破顔した。
クサカの動向を一通り説明する間、マサトは渋い顔を崩さずにいた。
「なるほど。状況は解りました」
「それで、クサカの要求を呑むとして、その先、連中はどう動くと思う」
マサトは軽く首をかしげ、後に皮肉に口を歪めた。
「こっちを抑えにかかるでしょうね」
ふむ。カリートリーは腕を組んで考え込んだ。
抑えるとは、イスルギのOSを独占しようとする、ということだ。イスルギの新世代OSをXVF15及びX16の専用OSとして発表して量産配備を進めた後に汎用OSとして展開する。それがクサカにとって最良のシナリオだろう。
「イスルギはそれでいいのか?」
イスルギはクサカの傘下だが、そのことはクサカグループ全体が一枚岩であることを保証するわけではない。
この問いにマサトは肩を竦めた。
「さて、もともとALIOSを展開するときにはクサカに引き渡すことになるんで、それをどう扱うかは向こう次第なんですよね。遅いか早いかの問題に過ぎませんね」
「イスルギ単独で展開する気は元々ないということか」
「独占されて展開が遅れることが良いことだとは思ってませんがね」
「それに関してはこっちの方が切実だな」
ALIOSの効果はレオニードドクトリン以来の軍事ロジスティクス革命を起こす可能性をもつ。純軍事的な視点から言えば今すぐにでも実現展開してもらいたいシステムだった。
とはいえ、イスルギにその気があったところでクサカにはないことくらいカリートリーにも想像できている。クサカは最大限、手持ちのカードの効果を高めようとするだろう。ただイスルギ社という勢力がどう考えているかを確認しておく必要があった。
カリートリーは組んだ手に顎を乗せるいつもの姿勢に戻って本題に入った。
「では、聞くが。イージス隊でX16の試験テストを同時並行させるとして貴様の計画に支障はあるか?」
「ありませんね」
即答だった。大いに結構。懸念の一つは消えた。残るは一つだ。
「ルビエール・エノーにとってはどうだ?」
この質問はマサトにとって想定外のようだった。その顔にどう返答するかという迷いが生じた。
「クサカの影響力が強まるでしょうから、苦心することになるでしょうね」
「そんな当たり前のことを聞いているわけではない」
このカリートリーの言葉にマサトは憮然とした表情をしたがそれはカリートリーの思惑を図りかねている故の駆け引きだった。
「何を求められてるのかわかりませんね」
大隊指揮官は迷った上で本当のことを言うことにした。
「状況は変化しているということだ。クサカがXVF15よりX16に価値を見出しているのと同じように、こちらもルビエール・エノーの方に価値を見出しているというわけだ」
場がしんと静まり返った。
またこの流れか。ここに至ってマサトは自身にとって不穏な単語をルビエール・エノーの先行きに結び付けることになった。
―運命
マサトは戸惑いを隠しきれず、今度はカリートリーが怪訝な顔をすることになった。
「そういうことであれば、僕は個人的に反対ですね」
熟考の後に出された言葉はカリートリーに衝撃を与えた。伊達メガネを押し上げるマサトの表情は淡々としており、そこには何の駆け引きも打算もない。
カリートリーはこの少年の素性を全て知っているわけではないにしろ、一定の信頼を置くだけの積み重ねをもっている。この少年はこれまでこのような私情を挟んだ意見を述べたことはなかった。
「では、聞くが。ルビエール・エノーは貴様にはどう見える」
多少の躊躇いの後にマサトは率直に思うところを述べた。
「どちらかというと現場に好かれるタイプの指揮官です。理論派ではあるけど、頭でっかちではない。不器用ではあるけども率直で、善良です。自隊の置かれた状況を読み取り、受け入れる能力に優れている。傍若無人で言いたいことを言うタイプや、規格外のタイプには特に受けがいい」
ふむ、とカリートリーは意外そうな顔をした。
「確かに僕にとっても意外です。思うに、あなたにとってこれはかなり貴重なタイプの人材ではないですかね」
「そうだな。俺の手駒にはいないタイプだ」
カリートリーは素直に認めた。基本、謀略の盤面で戦うカリートリーにとってそのような人材はコネクションを持ちづらく、得難いものであった。もっと言えば軍全体でも極めて貴重なタレントだった。確かにカリートリーにとってはそちらの方が貴重だ。
しかし困ったことでもある。エノーとマウラの求めたものはそういうことではないはずだし、クリスティアーノの求めも同じだろう。エノーは系譜的には戦略畑のものであり、その再興を期すルビエールが戦術畑で華を開かせることは期待外のことだろう。
「戦略的な才能はどうだ?」
「それを判断するには材料が足りませんね。無責任な推測で言うなら知略はあるでしょう、ただ資質的には未知です」
凡庸ではないだろう、少なくとも知略の上では。大抵のより者は柔軟な発想をできるとマサトは考えているが、どちらかと言えば精神的な部分に不安を見ていた。戦術と違って戦略は戦う相手を異にする。戦略には味方と戦うという不条理に腐心しなければならない時がある。そこに心理的な耐性を求められるのだ。人間の泥臭い嫉妬や羨望、権利を手にする者と奪おうとする者との争いに轢殺された者など星の数ほどいる。そこに飛び込ませるにはルビエール・エノーは無垢過ぎるとみていた。
マサトの「未知」という評価を正しく理解したカリートリーは溜息をついた。
「才能が人を活かすのか、才能が人を殺すのか。貴様のみるルビエール・エノーの才は戦場にあるというわけか」
「戦略に移すにしても今ではないと思います。あの人は急がなくても真っ当に実績を出します。無理に箔をつけて若いうちに畑を変えては、枯れます」
回りくどい言い回しにカリートリーは苦笑した。
「ずいぶんと気に入ったように見える」
「そりゃー、僕も規格外の一人ですからね」
なるほど。とごちてカリートリーは顎をさすった。思えばクリスティアーノもこの少年も、そして自分も、規格を内外から揺さぶろうとしている人種なのだ。
「しかしな、マサト・リューベック。人はどう導かれるかわかったものではない。あまり言いたくはないが、うちのボスもあれで昔は純粋無垢なお嬢様だった」
耳を疑うと言った表情でマサトは口角を上げた。
「御冗談を」
マサトもクリスティアーノには何度かあったことがある。あれは泥水を啜るどころか生き血を啜るマンイーターのような存在だ。例え事実であったとしても受け入れがたいことはある。口にしたカリートリーも気持ちは解ると頭を縦に振った。
「まぁ、実戦指揮官として活躍すること、それはそれで大いに結構なことだ。何も戦略畑で使うことが現時点で決まっているわけでもない。第一本人の希望というものもある」
口にしながら虚しい言葉だなとカリートリーは自嘲した。結局のところ彼は先ほどサネトウとしたやり取りの模倣をせねばならなかった。
「だが、結局のところ奴はノーブルブラッドだ。いま、負担を減らしたところでいずれは上の思惑に振り回されることになる。それならいまのうちこそ、奴自身で自分の地盤を築き上げるチャンスとすべきではないか?」
マサトの方は理として納得できても心情的に承服できないという風であった。ただ、マサトの側に決定権があるわけではない。カリートリーのすべきことはその決定にマサトが協力的になれる理由付けだ。
この時、カリートリーの脳裏にある可能性が浮上した。半ば質の悪いジョークのようにも思える内容だったが。
「何なら、お前が育ててやればいいではないか」
しばらくの間、少年は素っ頓狂な顔を見せて後に腕を組んで考え込んだ。カリートリー自身も思い付きで口にした可能性を吟味していた。是非はともかく、面白いことになるのではないか?
「あなた、頭がおかしいんじゃないですか」
それがマサトの返答だった。カリートリーはその言葉を大いに気に入って破顔した。マサトにとってもその可能性は決して不快なものではないのだろう、憂鬱そうに微笑んだ。その顔に深い影が潜んでいるのをカリートリーはみた。不思議なことにそれは決して闇のように冷たいものではないと感じた。
光に寄り添う影。そんな表現が頭をかすめた。
いい表現だ、気に入った。らしくもない思考にカリートリーはその笑みを自嘲に歪めた。
ジェンス社の本部を兼ねる巨大宇宙客船の一室でCEOソウイチ・サイトウは腹心を相手にポーカーに興じていた。
「さて、各陣営の手札が見えてきたかな」
2枚を交換してソウイチは眉を吊り上げた。
「まだまだ。役を作るには足りないな。精々高い役を作ってもらわんと困る」
同じく2枚を交換したディニヴァスは応じた。
「おいおい、俺たちにだってそれほど時間猶予があるわけじゃないんだぜ?」
時間は自分たちの味方だ。だが、女神の忍耐は無限ではない。癇癪を起されて、テーブルを引っ繰り返された者は歴史上少なくない。
「もちろんだ。連中の中にだってそれを知ってる奴はいる。その機に乗じようとしてる連中の方が多いのは笑わずにいられんな」
ソウイチはわざとらしくキョロキョロと周りを見渡した。
「俺たち以外にもいるもんだなぁ」
仮面の奥に苦笑が見られた。
「で、ハーマンはどう出るかな?」
「奴に用意された選択肢は多くない、その中に奴が積極的に選べる選択肢は用意されていない」
「可哀想にねぇ。ほんとにいいジイさんなのに」
微塵もそうは思っていまい。ディニヴァスはソウイチの悪趣味なリアクションに肩をすくめて見せた。ソウイチはさも心外と口を尖らせた。
「おいおい、俺だって悲劇を見れば心が痛むし、利用して申し訳ないとも思ってるさ」
はいはい、と受け流してディニヴァスはチップを追加する。
「全く、面白いよな。あのジイさんに与えられた選択肢。お前ならどうするよ」
「俺には火星人としてのイデオロギーなんかないからな。辞表を出す」
「いいねぇ。俺もその選択肢が残るように立ち回るな。だが、気づいてるか?それができるのは、悪人だ」
ふふ、とディニヴァスも面白がった。自分のことだけを考えれば辞任するのが一番だし、先々のことを考えればその方が火星のためにもなるかもしれない。だが、ハーマンの善性は選択することを投げ出させないだろう。その善性こそ最悪の選択肢を選ばせるのだ。地獄の道は善意で舗装されるとはよく言ったものだ。
一般的に施政者の人格と行動選択は直結しているように語られる。善人は善政を敷き、悪人は悪政を敷く。逆もまた然り、善政を敷く者の人格は善であり、悪政を敷く者は悪である。そう信じられているし、信じようとする。
実際は違う。
人格と行動選択は直結しない。行動選択とは人格により生み出されるのではない。環境によって与えられるものだ。人格、イデオロギーはその与えられた選択肢の選定に影響を及ぼすが、ほとんどの場合は選択肢を狭めるだけで拡げることを滅多にしない。
「さて、まぁそれで火星共和が最悪の選択をすると仮定しよう。俺たちはどう動くべきかな」
ソウイチの言葉に首を傾げてディニヴァスは自らの脚本を披露した。
「そうだな、まずは火星の道程に光が差すように御膳立てをしてやらないとな」
「希望こそ地獄への入り口ってやつだな。地球の連中はどうだ?」
地球の連中とはいまの連合中央政府ではなく、内戦によって没落した負け組のことだ。火星共和の勝ち筋には欠かせない。
「もちろん、連中にも希望を…。手札にジョーカーを渡してやれば、自ずとデカい役を狙おうとするものだ」
ディニヴァスは一枚のカードをひらひらとかざして見せた。
「そして、デカい役のためには犠牲も厭わなくなるってことだな。悪どいねぇ。希望が最悪の選択肢を選ばせる。破滅の王道だねぇ」
「人は過ちを繰り返す」
ディニヴァスはそう切り結んだ。もっとも今回ばかりは繰り返されると破滅的な結果になるのだが。
それも、まぁいいだろう。
グラハム・D・マッキンリーの講義「セカンドアンノウン」
さて、宇宙開拓歴のはじまりはファーストコンタクトと同時に起こったことは既に述べた。そのアンノウンの遺物「ネイバーギフト」というアーティファクトによってもたらされた技術的な発展は宇宙開拓歴のもっとも重要な成果となる。一方、地球外生命体、つまりファーストアンノウンに関する情報、そちらの系統に関する調査は遅々として進むことはなかった。唯一進んだことと言えば「ネイバー」という名称が定着したことくらいだろう。
ま、現代の我々ですら大した解析はできてはいないんだ。当時に至っては何をかいわんやというわけだな。
50年もたってしまえば技術的な抽出も限界に達してしまい、地球外生命体の話題など一部のマニアたちの間で交わされる程度のネタになっていた。中にはそもそも地球外生命体なんてもの自体が火星人のでっち上げで存在していなかったんじゃないかという説まででているし、それは現代にも残っている。私は個人的に支持しないがね。
私の友人が常々言っている言葉がある。
「地球に地球人という生命体が現実に存在している、それ自体が他の星に生命体は存在しないという説に対する反証となる」とな。
一つ存在するのであれば必ず別のルートを辿ってたどり着くということだ。
UF156年。人類はそれを知ることになる。
木星圏で資源探索を行っていたWOZの調査船団が暗礁宙域においてその物的証拠を発見する。
残念ながらそれはマニアたちの期待するようなものとは違った。
それは死骸のように思われた。サイズは大型犬くらい。虫、あるいは甲殻類を思わせる外皮に覆われ、肢と思しきものが複数見られた。欠損によりその時点では本来の数は知れなかった。
慎重に回収されたその死骸は空気に触れたことによって急激な風化を起こし組成を残して崩れ去った。かなりの長期間にわたって宇宙を漂流していたと考えられている。
この出来事は多くの推測・想像を喚起した。
中でも盛り上がったのはそれがファーストコンタクトの生命体、つまりネイバーと関連あるのかどうかだ。
多くは否定的な見解を示した。要因はいくつかあるが最大の根拠となったのはセカンドアンノウンの残された映像資料からは人類の基本的なイメージにおける「知的」生命体とは見なせないという部分にあっただろう。まぁこれは私も全く同じ印象を持っただろうし、現実も遠からずというところだった。
しかし、あくまで推測は推測だ。それにセカンドがネイバーそのものではないとしても両者に関連がないと断じるには尚早だ。
セカンドはネイバーの用いる生物兵器だ!なんて推理もあった。これは外見イメージだけで語られる妄想の類ではあったが、説得力はまぁまぁある。
これらの推測は悪い方に当たる。
UF234年のことだ。この頃にはセカンドアンノウンもまた忘れ去られ、宇宙の気まぐれがもたらした質の悪いジョークと見なされるようになっていた。
そんななか、ジェンスエンタープライズに属していた宇宙観測艇「ナルキッソス」が救難信号を発し、行方を絶った。
本社の捜索部隊がナルキッソスを発見したとき、そこに残っていた生命体は一人だけだった。乗組員7名の中の1名。後の6人と2体のセカンドアンノウン、そしてその変種とみられる個体1体は死骸として発見された。
生存者の証言・観測艇に残された記録は衝撃的だった。
未知の宇宙生物の襲撃と乗組員との死闘。言ってみればそれは誰もが映画でみて、想像を膨らませた世界の出来事そのものだった。
この事件で人類はセカンドアンノウンを敵対的、あるいは有害な生物と知ることになった。
この事件によって明らかとなったセカンドアンノウンの事実は4つだ。
1つ、人類に対して攻撃的である。乗組員が接触、意思疎通を試みたもののセカンドは問答無用で襲い掛かり、これを殺害した。この記録ははっきりと残されている。到底、直視できる内容ではない。それをセカンド側の友好的な挨拶と仮定しても人類側には到底許容できるものではなかった。
2つ、鉛弾によって殺せる。1つめが明らかとなった時点で乗組員とセカンドは交戦状態となった。パニック状態の乗組員による乱射で1体目のセカンドは活動停止する。このことからセカンドは銃弾で駆除可能であることが実証された。ただし、必要とされる銃弾は人間に撃ち込む量の10倍と証言された。実際には主要箇所であれば5倍程度でいいようだ。これはみんなも覚えておくといいかもな、もちろん冗談だ。
3つ、複数種存在する。侵入したセカンドは2体と変種1体だった。この変種は従来種より大型で宇宙を移動していることを説明可能な推進器官を保有していた。従来種より上位の存在と推測される。死骸を調査したところ従来種はこの大型種に寄生するような形で移動してきたのではないかと推測された。この事実はセカンドアンノウンが2種だけだと全く保障しないわけだ。
4つ、人は喰わない。従来種・大型種ともに摂取器官と思しきものは見当たらなかった。また、この時、犠牲となった乗組員の遺体は摂取されていないと判断できるだけのグラムで回収された。つまり捕食対象として襲われたわけではないと推測できる。しかし、遺体の見つかった場所に問題があった。大型種が乗組員の死骸を解体して従来種を格納していたのであろう部分に収納していたのだ。この事実は調査員を戦慄させた。これは…つまり何らかの調査行動なのではないかという薄ら寒い推測を呼んだのだ。
4つめはセカンドアンノウンの生態を読み解く上では特に重要だった。活動エネルギーはどうしているのか。解体した死体をどうしようというのか。どこにもっていこうとしたのか。複数種による社会性をもっているのか。さらなる上位種の存在はあるのか。
その時点で人類に推測できることには限界があった。それでもこの時点でセカンドのもたらすかもしれない脅威を一部の人間は大きな危機感を持って受け入れた。それゆえにナルキッソスでの事件は人類史においても大きな転換点と言える。
当時の人類社会全体ではこれをどう受け止めたのかと言えば…まぁそうだな、狂想曲と言ったところだな。
判明当初からセンセーショナルな報道に想像を掻き立て、情報が明らかになるにつれそれは具体的となっていった。実際、セカンドアンノウンの群体襲来を恐れ、まるで実際に起こることであるように語り、どう対処すべきかが議論された。
しかしこれもお定まりだがその熱が続いたのも精々2年程度だった。やがて忘れ去られ、そのための備えは無駄な労力と罵られることになる。
唯一、その時に決まって後に役に立ったことといえば名前くらいだ。我々人類は以後セカンドアンノウンを「ロウカス」と呼ぶことになる。
あとで振り返れば、この時もっとちゃんと備えておくべきだったんだろうな。とはいえ、実際にそれが起こったのは諸君らもご存じの通り、80年先の話だ。危機意識をもっておけと言う方が難しいだろう。
もちろん、備えていた奴もいるにはいた。彼らはそれぞれの思惑を抱えつつ、その時を待っていた。ある者は生存のために、ある者は理念のために、またある者は終焉のために。
ま、これは宇宙開拓歴のフィナーレを飾る物語だ。またの機会にするとしよう。