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3/3「そこにある選択」

3/3「そこにある選択」

 かつて世界の中心でもあったロンドンは歴史の様々な激動の渦中にあっても落ちぶれることもなく、名誉ある古都として存在し続けている。多くの国家で遷都、あるいは大幅な都市整理によって生まれ変わっている首都の中では異例のことでそこに住む者にはある種の反骨精神とでも言うべき心理を持っているようだった。

 そんな古都の一角、決して華やかではない地元民しか行き来しないような通りにカリートリーはいた。プライベートを装い、服装は観光客を意識したもの。護衛要員でもある副官はパブに送り込んで一人だった。もちろん観光にきたのではない。

 通りを当てもなく歩いていたカリートリーは文字通り空気が変わったのを察した。音声遮断のための空気層に立ち入ったのだ。

 小さな咳の音にカリートリーは注意を向けた。ベンチに腰かけている老婦人。つばの大きな帽子を深く被っていてその顔は見えない。その傍らには盗聴防止のための小さな機械。空気層はそこから作られているとみて間違いない。その婦人こそカリートリーの探していた人物であることも間違いないだろう。

 カリートリーは婦人の座っているベンチの隣のベンチを示した。婦人が頷くとそこに腰を降ろした。

「あなたがローマのエース?思っていたのと違うわね」

「ただの小間使いですよ」

 誰の言い出したことだか…。カリートリーは苦笑した。

「あなたがM」

 老婦人の口元にうっすらと笑みが浮かんだ。地球連合軍第二特殊戦略師団。通称「ロンドン師団」司令官モーラ・マッケンジー。老婦人はその風貌とイニシャルから大昔の娯楽映画のキャラクターに準えて「M」と呼ばれている。没個性的な地球連合軍人の中では異彩を放つ存在であり、市民レベルでも人気のある人物である。

 それにしてもやりすぎだ。わざわざ密談をするのに外の通りを選ぶ理由はない。人気は少ないとは言え0ではないのだ。それでも態々こんな演出するのはMという愛称あってのものだろう。

「周りの期待に応えてるのよ」

 そういうM自身もその名をそれなりに気に入っているようだった。

「で、クリスティアーノはどんな悪巧みをしているのかしら」

「悪巧みとは参りましたね」

 Mにもクリスティアーノの、というよりもマウラ家の素行は知るところらしい。自らの情報力を誇示することで安易に思惑に乗る気はないとMは示そうとしている。

 カリートリーは相手を交渉相手として手ごわい存在でと認めた。

「今回の話は政治的な話ではありません。まぁ結果的にマウラが政治的に利用することになるでしょうが、私としては知ったことではないのです」

 Mは意外そうに首を傾げた。

 カリートリーとしては自分をクリスティアーノの、ひいてはマウラ家の手先であると認識されるのは心外だった。カリートリーにはカリートリーなりの信義というものがあり、やり方もある。

「あら、これは失礼。認識を改めなければならないわね。モーラ・マッケンジーよ」

 帽子をとるとMは手を差し出した。その手をとってカリートリーは名乗った。マッケンジーはカリートリーを個人として認めたのだ。

「トロギール・カリートリーです」

 最初の入りは上手くいったようだ。計算したやり取りではなかったにせよマッケンジーのプロファイルからして政治的な手法、マウラの権威を傘にしたやり方は通用しないだろうという考えはあった。まずはカリートリーをメッセンジャーではなく、個人として認識させたのは大きい。

 モーラ・マッケンジーはその虚飾部分とは違い、実務的には良くも悪くも癖の強い軍人であるとサネトウの資料は分析している。戦略的な部分は基本的に上層の設定を踏襲するタイプではあるが解釈をこねくり回して屁理屈を作り上げることもある。どちらかというと戦術家に属するタイプで「対処」を得意としている。これは特殊部隊的な要素の濃いロンドン師団司令官としてそうなったとみるべきだろう。つまり御膳立て次第ではマッケンジーを動かすことはできる。このプロファイルは実際に会うことで確信になった。

 さて、とカリートリーは唸る。

 作戦の立案と上層への提案そのものはクリスティアーノの仕事であり、そのように根回しされる。いずれ軍部はその作戦に参加する師団を募ることになるだろう。つまりカリートリーの説得とはその時にロンドンが手を挙げるようにすることだ。

 政治的な手法を嫌うマッケンジーであればその裏にマウラの意思を察すれば無視を決め込むのは間違いない。それを止めることは不可能だろう。ならばカリートリーが試みるべきは作戦そのものの有用性を事前に示すことだった。

「先のピレネーでの件でマウラは戦端が開かれる、と推察しています。それも野放図に。これは私も同じ考えです」

 マッケンジーは唸るようにため息をついた。

「火星人どもの思惑をマウラはどう分析しているのかしら」

「純軍事的に考えれば何らかの陽動という推測もできますが、その後に続く動きが見えません。政治的動機が切っ掛けというのがマウラの今のところの見解です」

「あなたの個人的見解は?」

 試されてばかりだな。苦笑しながらカリートリーは続ける。

「結論はだせません。政治的な動機そのものは納得できますがそのやり方が腑に落ちない。この件は多分に個人的な意思が含まれているように思えます」

「政治と軍の思惑が一致しているとは限らないということね」

 老婦人は頷いてカリートリーの見解を支持した。というよりもマッケンジー自身も同じ見解にたどり着いていたのだろう。

 さて、と軽く咳ばらいしてカリートリーは本題に入る姿勢を示す。

「政治と軍が一致しないのはこちらも同じこと。各国の思惑も入り混じって反攻案の策定は紛糾するでしょう」

 マッケンジーは憮然としている。反論するまでもない明白な予測であり、その被害者でもあるからだ。

 地球連合のなかにはこの時を待っていたものもいる。元々の火星主権の主張と火星脅威論を展開してきた主戦派たちと連合内のパワーバランスを揺り動かそうという政治的目的でそれを道具としている者たちである。

 主戦派は地球連合のイデオロギー、つまり地球こそ人類の覇権国家であるということを信じる夢想家に過ぎない。いまや火星を「奪還」するのは不可能と言っていい。にも拘わらず、火星共和を叛乱軍と呼称し、名目に過ぎなくなっている「火星奪還」を諦めずにいるのはその主戦派たちを道具として扱う政治屋たちのパワーゲームの賜物だった。彼らは主戦派を巧みに取り込み間接的にその熱狂的な支持基盤を得ながらも表にはでてはこない。彼らはどちらに転んだところでダメージも責任も負うことはない。

 たちの悪いことに彼らは「勝つ」ことを目的にしていない。彼らにとっては負けることも勝つことも使えるカードとなりうる。ただ相手にダメージを与えられればいいのである。

 戦争が起こることによって生じる揺らぎに乗じて立場を強化していく勢力。それは軍人にとってもっとも忌むべき存在だった。

 政府上層はいまこの獅子身中の虫の思惑と火星共和の思惑に挟まれて疑心暗鬼に陥っているだろう。それと同時に軍部もまた政府に疑心を持ち始めている。

「マウラはこの状況を面白く思っていません。盤面をひっくり返せるならそうしたい、と思ってはいますが…」

「そこまでの力はない」

 カリートリーは頷く。

 和平派というにはほど遠いにせよマウラもまたこの勢力の台頭を快く思っていない勢力の一つだった。かといってマウラの勢力は主要国家のそれともまた異なる。決して多数派ではないマウラにできることは要するに「どちらの思惑にも乗らない」ことでしかないのだが、クリスティアーノはそれで充分だろうと考えているようだった。

 ほとんどの勢力で疑心の広がっている最中、むしろこちらの思惑にこそ乗ってくれる勢力もいるのではないか。

 その思惑はカリートリーだけでなく、マッケンジーにも同調できるはずだ。

「我々の提案は政治的なものではありません。戦場の整理、縮小のための整地作業。むしろ政治的な思惑を受け付けない戦線管理を実現するためのものと考えていただきたい」

「我々に塹壕になれというのね」

 カリートリーは殴られたような表情を浮かべた。

「…こちらの案をご存じで?」

 老婦人は満足そうな笑みを浮かべながらも首を横に振った。

「我々に頼もうなんて案がまともだったことがあると思って?昔から無茶を押し付けられてきたものよ」

 カリートリーはかぶりを振った。この老獪なご婦人は自分よりも多くの難題をこなしてきたのだろう。

「要するに。連合全体が落ち着いて戦線を見渡すことができるように、激戦区を意図的に作り出したいというわけね」

「おっしゃる通りです」

 カリートリーは具体的な案を説明した。老婦人はその中身を別段に驚くこともなく黙って傾聴し、全てを聞き終えて一言呟いた。

「清々しいほどに損な役割ね」

「おっしゃる通りです」

 しかし、極めて有効で重要な役割だ、と付け加えるところをカリートリーは控えた。それはかえって老婦人の見識を侮るものだと考えたのだ。

 長い沈黙がおりた。カリートリーにはこれ以上付け加える言葉はない。作戦案に関しては十全な理解が為された。この歴戦の老婦人はその案に自らの部隊を賭すだけの価値があるかを図っている。老婦人そのものともいえるロンドン師団、その価値に口を出す資格を有しているとは思えない。

「今一つ欲しいわね」

「は?」

 予想外の言葉にカリートリーは口を開けた。その顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて老婦人は言った。

「見返りよ」



 カリートリーの推測の通り、火星共和においても政治と軍の乖離は確かに存在した。共和軍部の中にはそもそも出兵そのものに反対するものと戦略的な方針の食い違いから反対するものと主力兵団4将ですら立場を異にしており、その明暗は分かれた。

 共和軍4将の一人ディエゴ・カルタゴは無益な出兵であるとして明確に否定した。結果的に彼はピレネーにおける大勝利によって評判を落とす羽目になる。このことが第二次星間大戦におけるカルタゴ兵団の命運を決してしまう。

 ライザ・エレファンタはピレネー攻略の策を挙げるところまではやったものの政府のもつ戦略目標の不明瞭さから戦術的に成功しても戦略的に成功しないだろうとの予測を示しており、これは後日的中することになる。さらに彼女自身の提出した作戦案は事実上、ボルトンによって横取りされた形となった。ライザはただボルトンに呆れる以外のリアクションは示さなかった。

 スコット・ボルトンはその功績を絶賞される一方で戦略的な頓挫は彼の範疇外とされた。

 4将最強格と見なされるキース・サンティアゴは沈黙を貫いている。

 共和連邦ではピレネーでの大勝利は熱狂的に報じられたが、一方で戦略的には後の続かない、無益な勝利であったことは伏せられた。

 ある日、共和軍の統合本部においてカルタゴとエレファンタの両将軍は顔を合わせた。両者ともに予測される地球連合の侵攻に対するため戦力構成見直しとその具申のために訪れていたのである。どちらからともなくベンチに座ると話は当然ピレネーの件になった。

「勝ち方があるからといって無邪気に実行するとかバカげてます」

 4将の中では若く、さらに直近の後輩だったカルタゴは先輩にあたるエレファンタには素の態度で苦々し気に言った。

「あまり言いたくはありませんが、ライザさんの策が見事過ぎたのも悪かったんですよ。ボルトンだけじゃ絶対にあんな勝ち方はできなかった」

 後輩の称賛とも苦言ともつかない言葉にライザ・エレファンタは煙草を燻らせながら苦く笑った。160㎝程度の細身に最上級の軍服をまとった女将軍はその相応しくない見た目に破壊神と言われるほどの苛烈さを秘めていた。

「あたしが破棄した意味も分かった上でやったんなら、悪びれる必要もないさ。万事で周りの期待に応えるだけが能じゃない」

 それこそ厄介なんだとカルタゴは思った。ボルトンがそれを実行したのは極めて個人的な理由によるとカルタゴは考えているがこれはカルタゴだけのものではなく大方の見解であり、真実にかなり近しいだろう。

 今回の出兵に際して4兵団のどこを充てるか、反対派のカルタゴは最初から選択に含まれていなかったにしても、攻勢作戦に無類の強さを持つとされるエレファンタではなくボルトンが充てられたのはマルスの手、つまり現政権の意向であるからとみられている。

「まぁ、あいつ自身に本当にプラスになったのかは疑わしいけど」

 ライザはどこまでも他人事のようだった。

 そもそも今回の出兵案の策定においてピレネーの破壊という想定はなかった。ライザが物の試しに出した作戦案も苦笑されるだけで鑑みられることもなかった。この時点でライザは自身がお呼びでないと判断した。

 ボルトンが出兵し、自分の作戦案を実行したときはさすがに驚いた。ボルトンが選ばれたのはマルスの手に近いというところも大だろうが、一方で「エレファンタではない」という側面もあったはずなのだ。となれば自分の紛い物を演じたボルトンに政府のご機嫌麗しいとは思えない。

「成功しても意味がない…で済めばいいんですが。勝ってはならない時に勝ち過ぎて滅んだ例はいくらでもあります」

 もちろん、そんなことは表には出せなかった。今回の出兵に公に批判的だったカルタゴは臆病者と誹りを受けて評判を落とす羽目になった。この上、言葉を並べても勝者への妬みとしか取り合われないだろう。

「滅んだ時に元を辿ればそういう話もあるだろうな」

 だが、その一手で全てという話でもないだろう。ライザにはそれだけのやらかしを火星は既に積みあげているのではないかと振り返った。そう、例えば3年前の選挙とか。



 共和連邦の交渉口であるジョセフ・ハーマンのいら立ちは頂点に達していた。

 ピレネーでの勝利から即座にジェンス社を通じてコンタクトを図った。これまでも非公式ながら地球連合とは交渉の席を持ったことはあり、これは同じやり口であった。それは毎度ジェンス社の宇宙拠点で秘密裏に行われる。

 しかしひと月を経過してなお、地球連合からの応答はなかった。

「一体、これはどういうことなのか」

 貴賓用のソファに座る仮面の男ディニヴァス・シュターゼンは肩をすくめてみせた。「知ったことか」と。

 ハーマンのいら立ちはこの仮面の男にも向けられた。この胡散臭さが実体をもったような男はジェンス社の非公式な活動に常に姿をチラつかせる。仮面の奥の素性を知るものはなく、本来であればこんな重要な案件に関わらせていいような人物には思えない。それどころかこの男、実際にこれまで会ってきた本人であるという確証はあるのか?いや、そもそも「本人」とは誰を指すのか?

 ハーマンはこの男に何度なく会ってきてもその印象は全く変化しない。それはつまりこの男こそジェンス・エンタープライズという組織の擬人化という印象であった。信用できるところが一つもない。

「そうは言ってもボールを投げたのはあんた方だ。どういうことなのか…なんて台詞はあちらさんこそ言いたいことだろう」

 挑戦的な口ぶりで仮面の男は身を乗り出した。

「実際のところどこまでやるつもりなんだ、あんた達は。勝てると思ってるほどバカじゃないだろう」

 ディニヴァスの探りは当たり前なものだったがそこに答えを引き出そうとする努力は感じられない。

「私の役割は事態を収束させることだ」

 ハーマン自身は嘘偽りなく述べたがディニヴァスに納得した様子はなかった。

「あれだけのことをやらかしてそれは通用しないだろう。言っちゃなんだが、連合の中にもそれを待ってましたという勢力もいるんだ。連中のなかでも投げられたボールをどう投げ返そうか思案中なんだろう。それを知らないあんたじゃないはずだ。ついでに言えば、あんたのとこにもいるだろう。待ってました、ってやつが」

 忌々しいことにディニヴァスの言うことは尽く事実だった。ハーマンのもっとも期待していた結果は「小規模な負け」ついで「小規模な勝ち」だった。前者であればハーマン自身の仕事はやりやすく、また政権、つまりマルスの手にとって打撃となる。後者は困難だが、火星共和にとって決して悪くない展開と考えられた。この期待は「大規模な勝利」という結果で裏切られた。

 政府はどうだったのか。内部でそれを見ていたハーマンの所見では、派遣されたのがボルトンであったこと、第一報を受けての総統サイスバッハと軍務大臣の困惑した表情。この2点を見ても期待外の結果だったと考えて間違いないだろう。

 だが情報大臣アマンダ・ディートリッヒはそうではなかった。政府としては子飼いの将軍の独走した結果などと説明できるわけもなく、その勝利はディートリッヒによってプロパガンダ的に熱狂報道されることとなる。

 これはハーマンにとって、またサイスバッハにとってすらやりすぎだった。主戦派の論調は勢いを増し、政権の支持率は急上昇することになった。政権は引くに引けない状況に陥りつつある。明らかに不要不急な工作で、不用心というほかない。

 ディートリッヒの目は内側にしか向いておらず、敵ではなく味方に向かって戦争をやっている。あの女はボルトンと同じ轍を踏んでいるとハーマンは考えていた。

 結果的に政府は事態を収束させるのとは真逆の方向に舵を切るしかなくなっている。この動きを連合軍はどう捉えるだろうか。ハーマンには悲観的な予測しか浮かばない。

「まぁ、弁解は早やければ早いほどいいってのは道理だ。ただ、連中が席につくときは結論がでたときだ。その時ここでなされるのは協議じゃあない。布告だ」

 ハーマンは仮面の向こうに冷笑をみた。それがジェンス社として最良のシナリオなのだろう。それは恐ろしく正確な予測に思われた。

「連合の道筋としては火星を屈服させての連合傘下入りってところかな。そのうえでなら火星の国家としての承認って話もあるかもな」

 ない話ではない、とハーマンは率直に思った。火星共和という国家を解体させることはいかな地球連合でももはや不可能だ。しかし屈服させた上である程度の妥協をもって連合に組み込む、それであれば国家承認を認めてこなかった地球としてもいい落としどころになるし、火星にもやむを得ないものとして選択できる範囲に思える。むしろ理想的な終わり方ですらないか。

 それに比するとこちら側はどうか。火星共和側の着地点は全く不明瞭だった。独立を認めさせたからといってなんだというのか。対立構造がはっきりとするだけの話でその先の見通しはまるでない。そこに終わりなどあるのか。

 結局のところ勝つか負けるかしかないのか?ハーマンは歯噛みした。

「俺なら連合は国家の集合体ってところを狙うね」

 ディニヴァスの不意な言葉を理解するのには時間を要した。考えるべきは2つあった。言葉の意味とその言葉を投げた意味の2つ。前者にはそれほど時間はかからなかった。

「あちらの和平派と手を結ぶと?」

 小馬鹿にしたような息を吐いて仮面は横に振られた。

「いいか?連合は国家の集合体だ。その中には主導権を握っている列強国があって常にそいつを巡って争ってる。そして負けた国、負けそうな国がいる。そいつらは勝っている国の負けを願っている」

 卑しい話じゃないか。とディニヴァスは付け加えると身を乗り出し、愉快そうに続けた。

「負け組を味方につけろ。そいつらは失ったものを取り戻すためにもっと失ってはいけないものを差し出す」

 それはなにか?ハーマンが口に出さずともディニヴァスは一拍置いてこたえた。

「イデオロギーだ」

 遠方で低く唸る雷鳴のような響きをハーマンは感じた。そんな発想はなかった。しかしその発想の一滴はハーマンの思考を一瞬にして浸食した。

「連合の現政権が転覆するだけの打撃を与え、それにとって変わる勢力と友好的に条約を結ぶ…か」

「ま、要約すればそんなところだな。順序と内容はあんたたち次第だが」

 ハーマンは考え込んだ。

 確かに、火星共和の勝ち筋として現実味はある。地球連合の現政権が民衆の支持を失い、列強国も疲弊すれば連合の反主流派は支持を得る、反主流派にとっては現主流派の力を削ぐことこそ重要であり、本来の敵であるはずの火星とも手を結ぶだろう。その時、存在しないはずの外国「火星」を認めることになる。これをこちら側で主導できれば…。

「あんたをバカと思ってるわけじゃないが念を押しておく。連中の助力なんて期待するなよ。そいつらは勝ち組が負けたときにはじめて価値が生まれる。つまり、あんたらはどう足掻いても勝たなきゃならない。それだけは変わらない」

 仮面の裏の意図が透けて見えた。この勝ち筋には火星共和の解りやすい勝利を必要とする。だが、敢えて口に出さないもう一つの道筋もあってそちらこそもっともジェンス社にとって理想的なはずだ。

 厭戦感情を蔓延させること。つまり泥沼の長期戦こそお望みなのだ。

 それではこれまでの星間大戦と何もかわらないではないか。ハーマンは苦虫を噛み潰した。これまでの戦いにおいてもジェンス社は大きな役割を果たしたことだろう、泥沼化の部分での話だが。

 しかし今回は違う部分もある。今度はこちらが攻める立場にもなれるということだ。それは250年に渡る戦いの大きな転換であり、そこに何かが起こる可能性もあるかもしれない。

 バカな。

 思考が言い訳と口実を探し求めている。ハーマンは闇に包まれる感覚を覚えた。自らの為すべきを見失いつつあった。どう思索を巡らしてもこの男の言う勝ち筋がもっとも現実的であり、自分が望んでいることは主戦派たちの夢想と同じ類のモノでしかないのではないかという感覚が脳裏に焼き付いていた。

 彼は望まざる選択を強いられていた。


 仮面の男は思考の深淵に沈む男を嘲笑った。

 歴史上、多くの善良な施政者が酷薄な決断を迫られてきた。それは実際のところは選択などという代物ではなかった。後世の者に限らず、選択というものを知らぬ者は責任というものもまた知らず、それを非難する。

 歴史では往々にして功績によって人物は評されるがディニヴァスはこれを冷笑する。ジョセフ・ハーマンは善良である。だが、後世、彼は無能と評されるか、策謀を巡らした悪人と評されるか、いずれにしても平和的な人物とは評されることはないだろう。歴史はその登場人物の人格を全く立証するものではないということだ。


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