22/2「蛇の道」
22/2「蛇の道」
新型機とALIOSに関する情報は互いに慎重を期すために後日ということになったが手付金とでもいうのか、アトミックハウザーに関する戦闘記録とフラットラインの戦いの記録はその日のうちにイージス隊に送られてきた。
「デザートが前菜になりました」
メモリを渡されたロックウッドは何のことかと首を傾げるがルビエールの表情は満足げで他にも収穫はあったのだろうと受け取る。
「お手間をかけました」
「相手方は役に立たない情報だろうって言ってました」
「でしょうな」
ログを見ただけで解ることがあるなら機密扱いだろう。エドガーであればそこから何かを見つけることができるかもしれないがロックウッド自身そんなことは期待していない。この仕事は部下へのサービスの一環なのだ。それはルビエールも同じだろう。
「それなりに手間をかけたんですから覚えておいてくださいよ」
思わぬ言い草にロックウッドは愛想笑いを浮かべるので精一杯だった。姫様もなかなかに強かにおなりだ。頼もしい一方で今回支払った代償がどう返ってくるものか。予測ができないだけに不安になるロックウッドだった。
そんなロックウッドの苦労も知らず。データを受け取ったエドガーは「助かる」の一言で済ませてしまった。
「念のために言っておくが」
「他言無用だろ。他の奴には見せない。どういうルートで手に入れたかの詮索もしない。アファーマティブ。解ったことだけ伝える。それでいいだろ?」
全部言われてロックウッドは頭を掻いた。この機微をもうちょっと普段の仕事に使ってくれないものか。
いいものが手に入った。ジェニングスとウェイバーはそう言われて呼び出された。データルームで2人に披露されたのはフラットラインの戦いの詳細な記録だった。その顛末ゆえにWOZしか保有していないだろう情報をルビエールはどこからか手に入れてきたのである。
当然機密情報であり持っていると知られれば追及されかねない代物である。ウェイバーは思わず口走った。
「こんなものどうやって手に入れたんです?」
「蛇の道は蛇。見たくないわけ?」
ルビエールの言葉には余計な詮索をするなという針が含まれている。ウェイバーも引き下がるが凡その察しはつくだけに不安が募る。
ジェニングスの方はニコニコしながらルビエールを見つめている。
「何よ?」
「いやぁ。頼もしいなぁって。カーターさんに似てきましたね」
ルビエールは複雑に顔を歪めるだけで端末操作に集中した。3人にフラットラインの顛末が表示された。鮮やかな敵中突破、後の反転追撃。3人が知恵を振り絞っても出なかった解答がそれだった。あまりにあっさりとした解に3人共しばらく黙り込んでしまった。
「レベルを上げて物理で殴るって感じですねぇ」
ジェニングスがわけのわからない例えをしたが2人とも言いたいことは解った。艦隊としての行動力が違い過ぎる。WOZ軍は通常の艦隊が一つ一つ順繰りにこなしていく行動を同時並行しながらもとんでもない速度と精度で実行したのである。まさにレベルが違う。こんなものと真正面から戦うだけでも悪夢だが共同軍はこのレベル差を知らずに戦いを挑んでしまった。これが見つけようのない判断ミスを招いてしまったのだ。
WOZ軍は接近と展開の両方を同時並行することによって交戦開始までの時間を劇的に短縮した。実際にはその間にCSAまで実行しており反転中の共同軍はWOZ軍以上の行動をWOZ軍以上の速度で処理しなければならなくなった。その結果、スタートそのものが決定的に遅れた。共同軍の唯一にして致命的な失態はただ一つ。距離を誤ったことになるだろう。
「口にすると簡単に聞こえるのが癪に障るわね」
無言のまま2人はそれぞれ同意した。これを実現するための要件は多岐に渡る。
まず密集陣形を維持した大艦隊での高速突撃。これは小部隊ならできなくはない。しかし数が増えれば増えるほど困難になり、陣形も間延びする。一歩間違えれば収拾のつかない混乱を生むためリスクも高すぎる。まともな軍人なら実行しようとする前にその意味を考えて足を止めてしまうだろう。
第二に突撃しながらのHV部隊の機動展開。これも小部隊でならできなくはない。しかし艦隊そのものが高速で突撃しているためにHVと艦隊の相対速度がほとんど変わらない。後続の艦とHV部隊ほど渋滞して危険に晒されることになるだろう。衝突回避のために想像を絶する管制能力を必要とする。
この2つを同時並行しながらCSAまで実行する。ここまでくると小部隊でも困難極まる。ルビエールは頭が痛くなってきた。艦隊としての基礎能力が違い過ぎる。エノー支隊でもできるかどうか怪しいことをWOZ軍は正規艦隊レベルで実現しているのである。現状、WOZ軍は宙域戦においては無敵と言っても言い過ぎではないだろう。こんなものと戦う羽目になった共同軍には同情する。そして感謝も。
「共同軍には同情しますよ。にしてもWOZはこれだけの隠し玉を見せちゃってよかったんですかね」
ジェニングスが首を傾げる。この手段であれだけの戦果を挙げられるのは一度きりだ。これを見た他の軍は戦闘距離を大幅に見直すだろう。それくらいはWOZもわかっているはず。手札の使いどころとしては微妙ではないか。
「確かに、これが通用するのは一発限りでしょうね。だからと言って勝てる策も見当たらないわ。当面はWOZと喧嘩しようって勢力は出てこないでしょうね」
距離を取ればフラットラインの戦いのような一方的な負けにはならないだろう。あくまで一方的に負けないだけ。それだけでは不十分、戦う以上はある程度は成果が見込めなければならない。しかしこれだけの行動力と統率力を持った部隊とまともに戦って勝てる方法などあると思えない。つまり現状で対WOZにもっとも有効な対策とは戦わないことに他ならない。それこそが相手の狙いだ。
「なるほど。むしろ見せつけたわけですね」
示威行為。WOZ軍と戦っても何の意味もないことを見せつける。そのために共同軍は血祭りにあげられたわけだ。
「益々ご愁傷様ですが。もう一つ疑問なのは、これがWOZ軍の標準なのかどうかですね」
ウェイバーの抱える疑問。その圧倒的な練度はWOZ軍全体に共通するのかどうか。そのヒントをルビエールは既に得ていた。
「これは内秘だけど。独立機甲師団でもALIOSを試用し始めてるらしいわ。それも、HVだけでなく艦船でもね」
ウェイバーは目を大きく開いたが辛うじて口は閉じられた。線を繋げたジェニングスが確認する。
「ああ。それであの旧式艦なわけですね」
「そういうこと。あっちもALIOSの性能に呆れてるみたいだけど。ここからいくつか解ることがあるわね」
ここでルビエールは言葉を切った。視線を向けられたウェイバーはムッとしながらも考えを整理して解答する。
「まず統合軍とWOZに軍事的な繋がりができたということ。次にALIOSは既にHV以外のシステムにも適応し、実証段階にあるということ」
ルビエールは頷くとウェイバーの疑問に対する推論を提示した。
「恐らく、WOZはALIOSを用いた艦隊の運用システムを開発している」
WOZ軍の圧倒的な強さ。ケープランドはその要因にALIOSが絡んでいるのではないかと推理した。顛末を見たルビエールもこの推理を支持する。当たっているだろう。人間側の練度どうこうでここまでいけるとは思えない。WOZ軍はALIOSを用いた艦隊運用システムを開発したのだ。
この推測が確かなら、WOZ軍はシステムによって強さを得ていることになる。つまりWOZ軍は今回の戦いに限らず、また部隊によらず、いつ、どこでもフラットラインと同様の練度を発揮できると考えるべきだろう。
不都合で不服な推論をされど否定もできず。ウェイバーは頭を掻いた。まぁ今のところWOZは敵ではない。むしろ統合軍と関係が強化されるならば味方の公算が高い。相変わらず不可解な点は多いが。
「WOZはALIOSを活用しつつ統合軍にもALIOSを拡散していると。で、やっぱりそれにもシミズ何某が関わっているわけですか」
「そういうことでしょうね。今のところ統合軍もALIOSに関しては懐疑的なんだけどあれだけの性能見せられたらそうも言ってられないでしょうね」
ああ、そうか。自分で言いながら新たな筋がルビエールの前に開かれた。
「そうか。フラットラインの戦いはALIOSのデモンストレーションにもなったわけね」
唐突な呟きに2人は怪訝な顔をしたがすぐにその意味を理解した。
「つまり、WOZ軍に対抗しようと思ったら当然こちらもALIOSに頼るしかないわけですね」
WOZがフラットラインの戦いのログを統合軍に渡したのもその効力を見せつけるためなのではないか。そして統合軍はALIOSを無視できなくなった。その力を得るために、そして対抗するために危険を冒してでも導入せざるを得ないだろう。
それは当然連合軍にも波及する。統合軍での採用によってALIOSの普及は爆発的に加速するだろう。シミズ・マサト・リューベックがそれ自体を目的にしていることを知る3人はそれが進むことに不安を覚えずにはいられない。
「それで、こっちはどうするんです?」
「どうって?」
ルビエールのあっけらかんとした言い方にウェイバーは呆然とする。
「いや、なんかこう、あるでしょう。対抗策を考えるとか」
言われてルビエールはしばし首を傾げた。そんなものを考えてどうするのだ。
「あたしたちがそんなもの考えてどうするのよ」
立場を忘れてはいけない。そう付け足すとウェイバーは顔を思い切り顰めた。
「じゃあなんのためにこんなもの手に入れてきたんです?」
そんなことを言われてもな。欲しいと思ったから取ってきただけでその時点では何も考えていなかった。ルビエールが改めてケープランドとの交渉を思い起こすとそこにはまさにぴったりな表現があった。すまし顔でルビエールは答える。
「納得は全てに優先する」
ジェニングスが笑い声をあげる。ウェイバーは何か言おうとして諦めてがっくりと肩を落とした。
ハヤミがマサト・リューベック一派として活動を始めて数週間が経った。その間にもハヤミは未知の状況、仕事に見舞われてウンザリし続けていたのだが本質的な部分は全く変わることがなかった。
その日、ハヤミはISE社の所有する工廠兼試験場コロニーに出張っていた。マサトの指示で作ることになった実戦部隊のパイロット候補たちのテストを行うためである。基本的なシミュレーターテストの後にハヤミ自身が相手となっての演習を行ったのだがその結果は全くの予想外で芳しいものではなかった。
「よう、ハヤミ。やっとるかね」
一通りの人員のテストを終えた段階で同じく工廠の方に出張っていたエディタが顔を見せに来た。不服気なハヤミの顔を見てエディタの顔はニヤけた。
「聞いたよ。無双したんだって?」
「したというか。できてしまったというか」
テストの結果は悲惨ものだった。シミュレーターではそこそこの結果を出したパイロット候補たちはハヤミとのテストマッチで全く歯が立たなかったのである。この結果に誰より困惑したのはハヤミ自身である。
何でこうなる?いくらALIOSの経験に差があるとはいえここまで一方的になるのはおかしいだろ。
「んまぁ言っちゃあれだけど、相手は軍人崩れなんでしょ。ハヤミみたいに前線で戦うことを諦めちゃった面子なわけで。そもそも本職でもハヤミより経験のあるパイロットなんてそうそういないじゃない」
そもそもレベルがあまり高くないわけか。つまりこの先確保できそうなパイロットの質もたかが知れてるということになる。それはそれで暗澹たる気持ちになる。
「ま、あんたに勝つことが前提条件なわけでもないでしょ。鍛えるなりすればいけるのもいるんじゃない?」
それはまぁそうなのだが。自己の能力に確信がないハヤミにしてみれば自分にすら勝てないで生き残れるとは思えない。そんなパイロットを選んで死なれでもしたら一生引き摺ることになるだろう。ハヤミは候補リストを細目で見返す。
「今のところ2、3人ってところですねぇ」
「何人必要なんだっけ?」
「俺含めて最低でも12人は必要でしょ。全然足りないっす」
「んー。なら結局のところ軍に泣きつくしかないかなぁ」
それができるなら最初からそうした方がいい。ハヤミは今すぐこの作業を投げ出したかった。嘆くハヤミにエディタは慰めのつもりか。新しい情報を提供する。
「まぁまぁ気落ちしなさんな。上手くいかないところばっかり見ててもしょうがない。たまには順調に回ってるところにも目を向けようじゃないか」
「例えば?」
エディタは鼻を鳴らすと目線をコロニーの外側に向けた。釣られてハヤミも視線を転じると暗い宇宙の闇に白い艦影が赤色灯をきらめかせているのが見えた。
「ほら、あれ。あれがあんたたちの使う艦だよ」
工廠ドックに入港してくる艦にハヤミは目を瞬いた。一般的に軍用艦艇は視認性を抑えるために考えられた塗装を施すのが常識で相応に近づかねば判別し難いものである。しかしその艦はかなり離れた場所でもはっきりとその姿が見えた。最初のうちハヤミは小型艦だと誤認したほどである。徐々に近づくにつれてその艦の異様が露わになりハヤミは口をあんぐりと開けた。
「ヘルメス。ALIOSで運用することを前提に設計された史上初の対ロウカス用戦闘艦さ」
それは軍用艦艇の無骨さとは真逆の優美な外観をしていた。さすがに客船のように社名やスポンサーがでかでかと貼られているわけではないが船体は視認性などどこ吹く風の真っ白。さらに艦体のあちこちに金色の装飾が施されている。大理石のモニュメントが飛んでいるような異様である。目立ちすぎてしょうがない。
「あの何のタクティカルアドバンテージもなさそうな装飾はなんすか?」
「ああ、あれねぇ。9割方マサトの趣味だわね。あとは、人間と戦うつもりで作ったわけじゃないって意思表示でもあるかな」
なるほど。そういう表明の仕方もあるのか。あの艦は、あれでいいのだ。いいんだろうが。正直なところ乗るのは御免被りたい。これで何の取り柄もないならマサトに抗議するところである。
「で、具体的に通常の戦闘艦と何が違うんすか?」
「まず最初に言ったようにALIOSを運用することを前提にしている点。艦だけでなくHVを含めた部隊運用システムが効率化されてる。複雑なシステムを簡略化できてるからストレージ、出力に余裕ができてその分を艦船としての基本的な性能向上に回せるようになってる。ヘルメスの場合は母艦としての機能に振ってるって話だよ」
母艦機能の向上か。それなら従来艦と変わらない形で運用できそうだが。
「あのラウンドナイツってのも搭載してんの?」
「もちろん。そもそもヘルメスに搭載するために作られたシステムだからね。その気になればWOZ軍の旗艦にもなれるよ」
ラウンドナイツ。SE社(現ISE社)の開発した統合管制システムは管理下にある並列接続されたALIOSユニットそれぞれが持つ情報と要求をラウンドクラウドに持ち寄り、やり取りすることで有機的に連携するシステムである。末端それぞれは必要とする情報を直接的に受け取り、伝えるべき情報を送信することを可能とし、中央はそのやり取りを完全に網羅することが可能となる。言ってみればそれぞれの場所で専門的な作業を行っている数多の頭脳を一つにまとめてしまうような代物だった。
ハヤミはそのラウンドナイツの仕組みを半分も理解していなかったがその効力はよく理解していた。組織間の意思疎通。末端神経から頭脳へ、またはその逆。その神経回路は組織が大きくなればなるほど複雑且つ迂遠になる。ラウンドナイツはその神経網をどこからも常に一定の距離に、つまりラウンドにしてしまうのだ。この機能を持つ艦艇によって構成された艦隊は従来の艦隊とは隔絶した連携力を発揮する。その効果は既にフラットラインの戦いで実証済みである。
しかし言い換えてみればそれだけだ。ハヤミは溜息をついた。
「エディタさんにだけ言うんですけどね。俺は正直なところ矛盾を感じずにはいられないっすよ」
「矛盾?」
「本当の敵ってのは今んところ影も形もなくって、その敵のために用意した武器は人間にしか向けられてないじゃないっすか」
ALIOSにしてもラウンドナイツにしても今のところ人間同士の戦争でしか使われていない。むしろ人間同士の戦争の方にこそ有用なのではないか。マサト自身もそう言っていたのでこれは折り込み済みなのだろうがフラットラインの戦いでの圧倒的な戦果はそれが本来必要なものだったのかハヤミには解らなかった。それに今ハヤミが取り組んでいる社内実戦部隊にしても人間同士の戦いのために用意されるものだった。
今のところハヤミの眼にはマサトのやっていることは戦争の助長以外の側面しか映っていないのである。
「ああ、そういうことね」
目を細め、異形の艦を眺めたエディタはハヤミの言を否定しなかった。
「気持ちは大いに解る。エリカなんか特に忸怩たる思いをしてたタイプだわね」
エリカ・アンドリュース。クサカ社のエースエンジニアとはいい思い出がないハヤミは一瞬誰のことか解らなかった。
「うわ、あの人と一緒すか」
「そんな嫌な顔しなさんな。気難しい人ではあるけど。同じ志と相応の覚悟を持って挑んでる仲間だよ」
そうか。あの人も一応は同志になるのか。今にして思えばエリカの軍人への態度も今のハヤミの心象に共通するものがあったのだろう。とはいえ、仲良くはできないだろうし、そもそもそんな機会もなさそうだが。
「ふむ。んじゃ駄目元だけどちょっと聞いてみようか」
誰に、何を?
「ちょうどアレに乗ってるのさ視察でね」
だから、誰が?ハヤミの疑問には一切答えずエディタは歩いて行った。ついていった先はコロニーのドック。ちょうどヘルメスが係留されたところだった。間もなく接続したタラップを小柄な男が降りてきた。
「出迎えではなさそうですね」
WOZ軍参謀総長オガサワラ・ナガトキは待ち受けていた2人に眉を傾げた。
「いやぁ、うちの新入りがそっちの大将に伺いたいことがあるってね。ちょっと時間あります?」
横目でチラリとハヤミの方を伺ったオガサワラには特に否定的な様子はなかった。
「いいでしょう。あまり時間はありませんが、いずれはハヤミさんにも紹介しなければいけませんし」
言うとオガサワラは続いて降りてきた人間を振り返った。珍しいことにハヤミはその人物を知っていた。会ったのは初めてだが。黒いスーツに軍用外套を羽織った男。その後ろに控えている女はギガンティアで一度会ったことがある。確かリリウム・テレジアとかいったか。いかにも上位将校らしい黒外套にリリウム・テレジア。そして参謀総長オガサワラ。これで察せないほどハヤミはボンクラではない。
コウサカ・レオノール・ホロク。WOZ軍務局代表。マサトの協力者。その名はマサトからも度々聞かされる。尊敬以上の畏敬を持って。しかしハヤミが抱いた最初の印象は「割と普通」だった。活力と言うべきかエネルギーを感じないのだ。一国の軍を率いる立場の人間はオーラとでもいうべき威容を纏う、感じさせるものとハヤミは思っているがその男の眼はただウンザリといった疲労を映すのみだった。言ってはなんだがここ最近のハヤミに近い。強いて言うなら、その普通さこそが異常だろうか。
エディタに小突かれてハヤミは背筋を伸ばした。
「ハヤミ・シロウです。お初に御目にかかります」
男は僅かに苦笑すると名乗った。
「レオノールだ。コウサカをやってる」
妙な名乗りだな。思いながらそこには突っ込まずハヤミは次の言葉を探したがその役割はエディタが代わった。自分の個人的なわだかまりを初見のVIPに披露するのは如何なものかと思うがここまで来て誤魔化してもしょうがないだろう。一通り事情を説明するとエディタは核心となる問いを投げた。
「あたしたちの敵に関してだけど。新しい情報は入ってますかね?」
あたしたちの敵。その意味するところを即時に理解したレオノールはタラップを降り切るとついて来いと示した。ほぼ同時にリリウムが遮音機を起動する。歩きながらレオノールは前置きした。
「悪いが新しい情報はないぞ。接触が前倒しになるって情報があったくらいだ。それくらいは聞いてるな?」
2人が頷くのを確認するとレオノールは言葉を続けた。
「ただし、この先の動きならある程度解る。接触が前倒しになると判断したってことはつまりプロメテウスは帰還する判断をしたってことだ」
「プロメテウスは外宇宙探査隊のことね」
エディタの捕捉にハヤミは驚いた。そりゃそうだ。敵を知るために調査をしているチームはいるはずだ。しかしそんな探査隊の話は聞いたことがないぞ。
「それってどこに所属してるんです?」
ハヤミの問い返しにエディタは目を泳がせた。言いづらいのではなく、解らないらしい。レオノールが説明する。
「セカンドコンタクトの後に当時のモノ好き共の出資を受けて進発した民間調査隊だ。進発したのは凡そ100年前。その後は成果なしで20年くらいが経過したところで音信不通になった。遭難全滅したんだろう、そう思われていた。その頃には誰も興味を亡くしていたからそのまま忘れ去られた。今となっては出資元もほとんどが姿形を変えてまともに残ってない。ところが20年前、数少ない残った出資者に断片的な情報が送信されてきた。ロウカスを発見した、と」
いやいやいや。ハヤミは手を突き出して話の中断を要求した。どこから突っ込めばいいんだ?
「100年前に出発した探検隊がどうして活動できるっていうんです」
100年前だぞ?もうとっくに死んでるか、生きてても3桁越えのご高齢だ。この疑問にレオノールはあっさりと答えた。
「開拓船団と同じで世代跨ぎで活動してたんだろ。外宇宙に飛び出すならそれくらいの準備と覚悟はする」
いや、それでも今まで音信不通だったのが今さら復活したのも怪しい話じゃないか。そんな怪しい情報が全ての発端だったて言うのか?
「まぁそうなるな。とはいえ、それを本気にした連中が連中だからな」
言われずともその連中が誰なのか。ハヤミには解ってしまった。
「つまり、その残った数少ない出資者にWOZが入ってるわけですか」
「厳密にはギガンティアだがほぼ正解。あとはジェンス社とプロヴィデンス辺りも含まれてるだろうな」
そこでジェンス社か。ハヤミの頭の中で質の悪いシナリオが描かれる。
「なるほど、そこが全ての始まりなわけだ」
レオノールは僅かに間を置くことで肯定を示した。
「自称プロメテウスはそれからも細々と情報を送信してきた。極少ない情報は徐々に多く、詳細に、そして間隔も短くなっている。それはプロメテウス自体が地球圏に接近しつつあることを意味してもいる」
もっと言うなら、ロウカスと共に。虚言にしては手が込んでいるが真実だと思うにはぶっ飛びすぎている。自称と言っている辺りレオノール自身もそこまで信用していないらしい。ハヤミは思い切ったことを聞く。
「それって本当なんですかね。そのプロメテウス自体が偽物だってことも十分考えられるでしょ」
レオノールは首を傾げてから真顔で冗談ともつかないことを言った。
「嘘だとするなら20年越しの虚言ってことになるな。そこまで壮大な冗談なら引っかかってやってもいい気がしてくる」
な、なるほど。ハヤミは頷きながらも口の端を痙攣させた。ああ、やっぱこの人も普通じゃないわ。そう思いながらもハヤミはレオノールの考え方に共感も抱いた。そう思うことでこの人は納得しているのだ。
「いずれにせよ。近いうちにプロメテウスは地球圏に帰還する。そこで初めて俺たちは答え合わせができるというわけだ。楽しみだな」
自分たちの準備がただの徒労だったのか。それとも手遅れだったのか。皮肉気味に言うレオノールにハヤミも釣られて皮肉に口元を歪める。
しかしハヤミは益々解らなくなった。つまり現時点ですらロウカスの襲来に確信が持ててはいないということになる。マサトは、いやマサトだけではない。ジェンス社にしてもWOZにしてもどうしてそのあやふやな情報にそこまでの全賭けができるのか。
「暗中疾走もいいところだろ」
ボヤキにレオノールは微笑んだのだがハヤミはその理由が解らず首を傾げた。
「で、俺に言えるのはそんなところだが、少しは役に立ったか?」
十分だ。答えが出たわけではない。しかし答えのある場所は解った。ようはそのプロメテウスを待つしかないのだ。それが解っただけでも儲けものだろう。ハヤミは清々した気分で頭を下げた。
「かなりすっきりしました。ありがとうございます」
「それは結構。まぁ俺に言わせれば状況はここ数か月で充分過ぎるくらい動いてるんだがな」
ハヤミがこの件に関わり始めてたかが2か月程度。数年単位で関わっている人間からすれば劇的に変化している。それは解るのだが。
「それは思った方向に動いてるんですかね?」
「いい質問だ」
それだけ言うとレオノールは黙ってしまった。拒絶の言葉と認識してハヤミも黙った。そのまま5人の歩みはドックを横断して既に係留されていた出迎えの軍用艦に到達した。エディタらの送迎に礼をしてその艦に足を踏み入れる。その段階になってレオノールは思い出したように答えた。
「思った方向に動いたことなんてないだろうな。いつも少しズレてる。だからアイツのやってることは修整と調整だらけだ。その道も常に蛇行しまくってる。傍からは近づいてないように見えるかもな」
レオノールは目を細めて純白の艦艇を眺めた。その疲労を映す眼には確信はなく、ハヤミと同じように迷いを宿している。少なくともハヤミにはそう見えた。それでも次の言葉は確固たるものだった。
「だが、確実に近づいてはいるさ。届くかどうかはともかく、な。止まる時はないんだ。待とうが待つまいがその時は来る。それまではあいつは足掻く。それだけは俺が保証してやる」
疲れた眼の男は最後にハヤミを真っすぐ見据えて微かに笑うと艦の中に姿を消した。
その言葉はハヤミの背中を押した。言葉の意味によってではない。確信を持っていない男のそれでも信じ、手を貸すという覚悟。それこそがハヤミの欲していたものだったかもしれない。
にわかにやる気を取り戻したハヤミに苦笑しながらエディタが声をかける。
「んじゃ、仕事に戻りますか」
「おー、やりますか」
「シロウ・ハヤミのこと、どう思いましたか?」
新型艦艇の視察を終えてオガサワラはその新型艦を差し置いてノーバディとの邂逅を話題にした。
問われたレオノールは保留して自らの副官を巻き込んだ。
「リリィ」
急に話を振られたリリウムは睨み返しながらもじっくり時間をかけてから答えた。
「レオノール様の名乗りに違和感を持ったようです。かなり敏い方とお見受けしました。それと疑問の内容を鑑みるに単純にシミズ様の思想に共鳴したのではない様子ですね」
リリウムの分析にオガサワラはどこか嬉し気に頷いた。
「概ね同感です。で、レオノールは?」
時間を提供されながらレオノールの言葉は端的だった。
「いかにもあいつが気に入りそうなやつだが」
「何か気になる点でも?」
「ミスターノーバディにはない。だが、今まで一人で周りを引き摺ってきた男が急にあんなのを傍に置き始めたのが気になるところだな」
言い終わると疲れた眼の男はそのまま思案に沈み込み。2人はその邪魔をしないように口を慎んだ。