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21/2「アンサラー」

21/2「アンサラー」

 地球連合による対共同体反攻戦カタラーン戦線はその第一目標を共同正規軍の簡易要塞「フロンティア2」の無力化と定めて行動を開始した。

 その前段階としてフロンティア2周辺に散らばるコロニー群に対処する必要がある。カタラーン方面軍主力の第五艦隊は手始めに連合領域に接する小コロニー国家「ノイエス」に向けて進軍を開始した。連合正規艦隊に統合軍独立機甲師団を従える第11旅団という陣容は小コロニー群の攻略には完全なオーバーパワーだったが作戦部は武力による無力化に手段を限定していない。その威容によって戦わずして勝つことも視野に入れた編成だった。

「こいつらを守るために正規軍はいるのにそれゆえにターゲットになってしまうとは、皮肉なもんだな」

 周辺図を眺めながらボスコフが溢した。フロンティア2がカタラーン宙域に駐留するのは連合領域と接する共同体コロニーを防衛するためだろう、しかし今回の場合はその逆になってしまっている。

「まぁ防衛が6、監視が4ってところでしょうかね」

 また余計なことを。ソープの茶々にボスコフは気を悪くした。彼とてそれくらいは解っているが軍人としては口にするに憚るところである。フロンティア2は連合軍に対処するためにいる。しかしそれと同時に連合に近い小国家群が離反することを防止する意味合いもあるはずだった。

「で、相手はどう出るかな」

 ソープは珍しく考え込んだ。彼をしても今回ばかりはどうなるか読むことは難しい。それほど共同体とそれに属するコロニー国家の情勢は複雑なのである。

「ノイエスの本音がどこにあるか、どのタイミングでどの方向に覚悟するか。こちらと本格的にやり合う気があるとは思えませんが積極的に離反するにも正規軍の監視が厳しいでしょう」

 今現在、ノイエスを始めとした境界付近のコロニー国家首脳たちは極めて難しい判断を迫られているだろう。尖兵として地球連合軍と戦ったところで勝ち目はない。極めて甚大な被害を受けて降伏することになる公算が大と映っているはず。当然、これは共同体正規軍も解っていること。なので正規軍はノイエスの離反を警戒してそこに戦力を派遣するだろう。

「一つ確かであろうことは正規軍がかなりの数をノイエスに投入するであろうということです。最初から頑強に抵抗してくるでしょう。ま、こちらとしてもそれは折り込み済みです。共同正規軍に消耗を強いることができればいいわけですからね」

 当人たちの望む望まざるに関わらず、ノイエスは主戦場となるわけだ。彼らがどのタイミングでどちらの方向に選択をしようが犠牲は避けられないだろう。

「気の毒な立場だな」

 ボスコフの素朴な感想にソープは何の皮肉も付け足さなかった。


 今回の侵攻作戦においてエノー支隊は珍しく第11旅団と同行していた。半ば示威行為に近い今回の侵攻にエノー支隊の特性が必要な場面があるとも思えない。第五艦隊を刺激したくないという事情もあってルビエールは可能な限り目立たないつもりでいる。そうでなくとも今作戦では実力未知数の独立機甲師団をお客様に迎えている。場合によってはそちらのフォローもしなければならないのである。

 と、ここまでが用意された理屈だがもう一つ表にされない大きな要因がある。それは今回の作戦、ルビエールには全くやる気がないというのものである。

 連合軍はフロンティア2の攻略にあたって対処すべきいくつかのコロニー国家をリストアップしている。この対象にリーズデンが含まれていないことにルビエールは強い不満を持っていた。リーズデンは先の共同軍の奇襲によって呑み込まれた連合軍側のコロニー国家であり、ルビエールにとっては縁の浅からぬコロニーである。リーズデンは長らく共同体に属する隣国ベルオーネと長い紛争状態にあって疲弊していた。だからこそ鎧袖一触に占領されてしまったのだろう。これを取り戻したところで大勢に影響はなかろうし、リーズデンが即時に連合軍側として復帰、参戦できるものでもない。戦略上の価値を見出せないことは理解できる。しかしこの効率的な判断はリーズデンの市民たちに大きな失望感を抱かせることになっただろう。

 ルビエールは支隊が使用する通信回線の中の一つに「エノー派」のものを用立てていた。作戦中でもウェイバー、ジェニングスと内秘の会話をするためのものだが今のところは3人の雑談のためのチャンネルになっている。今の話題は機動遊撃艦隊。つまりカーターのことだった。

 カーターが新たに率いる部隊が方面軍に参加している。当然2人はこの話題に喰いついたがその部隊名を聞いた時の反応はルビエールと同様に苦笑いだった。

「あの人らしいと言えばらしいんですけど。実際のところ、それって栄達したって言えるんですかね?」

 ジェニングスの疑問にルビエールはすぐに答えを出せなかった。難しいところである。現在のカーターの立場は方面軍の中の1艦隊司令ということになる。以前のリーズデン戦区艦隊司令という立場の方が影響力の及ぶ範囲は大きかっただろう。ゆえに現在のカーターの立場は閑職に流されたとも見れる。カーターの扱いづらさを思えばあり得ない話でもないだろう。ただしこれは1部隊司令という立場を額面通りに受け取った場合になる。その理論で言うならハミルとて1部隊司令なのだ。

「ようは機動遊撃艦隊なる部隊がどういう隊なのか、長官派閥がそれをどう使う気なのか。それで話は変わってくるわね」

 方面軍司令部直下の部隊でも規模は大きめ。カーター率いる機動遊撃艦隊は現在第三艦隊と共に別の小コロニーに圧力を加えている。このポジションは旅団と共通している。少なくとも方面軍司令部が直接的に動かせる手駒というポジションにはあるだろう。それを任されるカーターはハモンドには信頼されていると見做せる。

 2番煎じとは言うがまさか役回りまで同じではないだろう。目立ちすぎる第11旅団をフォローするような形で組まれた戦力。というのが今のところのルビエールの見立てである。

「もちろん、あの人は現状がどうであれ自分で変えていくつもりでしょうけど」

 ルビエールの結びに2人は同意した。

「当然、向こうもこっちには気づいてますよね。会ったんですか?」

 カーターなら間違いなく接触してくるだろう。ジェニングスの問いにルビエールは意地悪く微笑んだ。

「もちろん。気になる?」

 2人はそれぞれ考えた。自らの立ち位置をエノー支隊に置いたことに後悔はないがやはり思うところはある。それをどう表現すべきか。2人が迷う間にルビエールが答えた。

「あなたたちのことも気にしてたわよ。惜しい人材を取られたって」

「口ではそういうでしょうよ」

 むず痒そうにウェイバーがのたまう。もちろんカーターらがただの建前でそう言うと思っているわけではないだろう。ルビエールとジェニングスはそれぞれ肩を竦め、その反応にウェイバーはさらに顔を顰めた。

「ナカノさんはあなたのことをかなり評価しているみたいだけど」

 体よく送り出すための方便だろ。かつてのウェイバーならそう思っていたかもしれない。ただ結果としてウェイバーはエノー支隊に立場を作った。今となってはどうでもいいことだった。

「そんなことより目の前のことでしょ」

 露骨な話題転換に2人は苦笑しながら同調した。と、いっても語れることはさほど多くはなかった。

 今のところノイエス側がどう動くかは解らないが共同正規軍は動いてくるだろう。動かざるを得ない。これに対する第五艦隊の方針は正面展開でのごり押しだった。

「こっちの問題は相手より味方な気もするけど」

 ルビエールは2人にだけ嘆いた。第五艦隊と旅団の混合艦隊はこの方針を決めるまでにひと悶着をおこしていた。

 第五艦隊司令コノエは当初、第11旅団を先遣させて正規軍の釣り出しを行わせようとしていた。ところがハミルはこれを拒否、旅団の指揮下に入っている独立機甲師団もハミルに同調したことでコノエの方針は頓挫する形になったのである。

 この一連のやり取りで第五艦隊と第11旅団に不和が生じることになり、取りうる作戦も無難な選択肢となってしまった。ルビエールも当然その場にいたのであるが仲裁に入ることもなくその流れを傍観した。コノエの思惑は明け透けだった。状況を早く動かすために旅団を使おうとしたのである。彼の意識は第三艦隊との競争にある。そんなものに付き合う理はルビエールにも見いだせない。

 そもそも方面軍司令部はそこまで強引に状況を展開させることを求めていない。戦わずに相手の戦意を挫かせることができるならそれが最良で危険を冒す意味はない。ましてその危険を自分たちではなく、旅団に押し付けようとする相手の思惑になど誰が乗る気になるものか。ハミルはハモンドに念入りに言質をとっており、ハモンドもコノエの暴走を抑えることを狙って彼の個人的な野心に配慮する必要がないことを明言した。つまりこの不協和音は作戦部からもそれあり気で黙認されている状態になっているのである。

 味方相手にこのような根回しが必要になってしまうことにルビエールは失望感を抱かずにはいられないがハミルとハモンドの連携には舌を巻くしかない。

 ともあれ。第五艦隊はノイエスに接近し、正規軍が出てきた場合はこれを正面衝突で叩くという極めてシンプルな方針を選択。この方針そのものにはルビエールも異論はない。しかしこの悶着もあってルビエールはやる気をなくしていた。もちろんそれを表にはしないのだが2人にだけは投げやりな様子を見せる。

「相手が変なことをしなければ問題は起こらないし、向こうにもそんな気はないでしょ。今のところは」

 基本的に共同軍は大した強さではないし、こちらには強引に達成すべき目標もない。負ける要素はないはずである。ただし、何事か問題が起こった時、こちらの連携はそれに対処できるだろうか。

「心配することがあるとするならAABが出張ってくることくらいですかね」

 AABか。ジェニングスの指摘はルビエールの苦い思い出を掘り起こした。共同軍突撃機甲大隊。共同正規軍の一張羅とでも言うべき精鋭部隊。当然、動かされているだろう。しかしAABは共同軍が状況を動かすためのほとんど唯一の手札である。安易に投入されることは考えにくい。いずれはぶち当たるだろうが、それも今ではないだろう。

 できるならその前に叩いて挫いてしまいたいところだけど。ルビエールはそう思いながらも口にはしなかった。

 目下のところ連合軍にとって唯一といっていい懸念材料がAABによる強襲痛打である。この共同軍の強力な手札を先んじて叩ければ懸念を払しょくできる。それだけではない。共同軍だけでなくノイエスを始めとした共同軍陣営の戦意に大きなダメージを与えられる。

 しかしこれは自分たちの仕事ではない。

「第五艦隊より報告。所属不明艦隊発見」

 オペレーターの報告にルビエールたちは思巡を打ち切って自分の仕事に戻った。


 第五艦隊哨戒部隊によっていち早く発見された不明艦隊はまもなく共同正規軍であることが判明し、その情報は旅団に伝えられる。その数は凡そ連合側の6割程度。

「思ったより多いな」

「そして、思ったよりも早いです」

 ボスコフの意見にベレドセンが一言加える。ボスコフは頷いた。迅速な対応だ。やはり相手も待ち構えていたとみるべきか。

「何か仕掛けてくると思うか?」

「どうでしょうね。有効な策があるとは思えませんが」

 ボスコフ自身も顎に手をあててしばらく考えてみたが大した策は浮かばなかった。確かに数は思ったよりは多い。少なければ伏兵を警戒するところだが想定より多いことでその可能性もほぼない。つまりこれは。

「こっちも示威活動で、あっちも示威活動か」

 あくまで戦うという共同正規軍の意思表示。これはノイエスに対する鼓舞でもあり、恫喝でもある。つまるところ共同軍は連合軍側にまだ攻め気がないと読んで啖呵を切ってきたのだ。

 第五艦隊とやり取りをしていたハミルが告げる。

「手筈通りだ。このまま前進して必要なら一戦交える。適当なところで切り上げる。負けないことを優先だ」

「了解」

 請け負いながらボスコフはホッとした。彼から見ても第五艦隊、というよりもコノエは負けないことを優先するタイプには思えなかった。優位な場合はより多くを得ようとするタイプと見做していたのである。まぁこんな初戦には興味ないだけかもしれないが。

「さて、普段ならこちらが先鋒を務めるところだが」

 ボスコフらしくない気の回しにベレドセンは苦笑した。

「いいんじゃないでしょうかね。結果的にはお誂え向きな形になったようです」

 うん。ベレドセンの助け舟を借りてボスコフは自分を納得させる。今回の戦いは正面より脇を締めて置くことが肝要になる。ならばそれを自分たちが引き受け、正面舞台は新参のお客様に踊ってもらおうではないか。

「お手並み拝見だな」


「準備完了。命令あり次第動くとのことです」

 独立機甲師団との調整を受け持つジェニングスが報告してくる。先鋒に機甲師団をあてるという旅団側の意向にはルビエールも異存はなかった。これほどノーマルな役割はない。これでもたつくようなら今後の彼らの役回りを再考しなおす必要がある。幸いなことにケープランドはその役割を快諾した。彼らにとっても大規模戦闘を刃先で、周りを万全に固められた状態で行える機会はそうそうないはずだ。思う存分暴れて力を示してもらおう。

 ふと旧イージス隊のことを思い出してルビエールは苦笑した。なるほど。自分たちはこういう立場だったのか。自分が知らないだけで他にも色々と気を回させたのだろうな。

「こちらも動きます」

 コールが頷く。エノー支隊は独立機甲師団を後見するような形で前衛に参加する。

 カタラーン戦線の最初の戦いノイエス攻防が始まった。ノイエスに向けて進出してきた第五艦隊及び第11旅団と独立機甲師団の混成艦隊に対して共同正規軍はその周辺に配置されていた戦力の全て、つまり全力をもって阻止を図ってきた。ソープの予測は今のところ当たっているがそのなかにAABは含まれていなさそうだった。

 この戦いが歴史として語られることはほとんどない。侵攻側の連合軍と迎撃側の共同軍が戦ったというだけ。もちろんそれは大局として見た時の話であり、この戦いによって自らの歴史を終えることになった者達もいる。また、始めた者も。

 まもなく両者のHV戦力が交戦を開始。主戦の大部分は第五艦隊が担っていたがその中にこの戦いで事実上のデビューを果たす独立機甲師団の部隊も含まれていた。

 不安視された未成熟部隊は今のところ真っ当に機能していた。秩序だって行動しており、素人にありがちな突出もない。

「さすがにこの程度で乱れはしないか」

 戦闘前に統合軍に大規模戦闘の経験がほとんどないことを伝えられていたロックウッドはひとまず安心した。このままならケツを拭く羽目にはならなさそうである。

 共同軍側の動きはあくまで「阻止」にあると見える。真っ当且つ堅実。ゆえに突き崩すには工夫とリスクが必要なのだが、それを連合軍側は用意していない。する気もない。ならばこちらも危険を冒す必要はない。無理せず、それなりにやっていればよろしい。

 ロックウッドらは機甲師団の後見をしつつ、機を見て前進して彼らに休憩を提供するように動いた。最初の内は近距離での機動戦もあったのだが連合軍側の積極性の無さもあってか徐々に距離を置いた撃ち合いが主体となっていく。第五艦隊の方ではまだいくらか激しい応酬があるようだが、機甲師団の側ははやくも戦闘そのものが終息をはじめていた。

「えらくはやいな」

 ロックウッドは首を傾げた。お互いにやる気がない場合はよくあるパターンなのだがそれにしても早過ぎる。それに第五艦隊側とで状況が乖離しているのも気になる。

「隊長、気づいています?」

 作戦中の私語の起点、アドニスが話しかけてきた。いつもなら窘めるところだが、ロックウッドの持つ違和感と関係のあることかもしれないと受け入れる。

「何かあるなら言ってみろ」

「何って、統合軍の連中の機体ですよ」

 なんだ、そのことか。参加している統合軍の機体の一部に見たことのないタイプがいるのである。しかし敵でもあるまいし、今気にしてもしょうがない。どうせアディティがモニターしているだろうから作戦が終わってからじっくり吟味すればいい。

 期待外れの話題だったのでロックウッドは興味を無くした。しかしその新型機こそがロックウッドの違和感を生み出していた。それに気付いたのはエドガーだった。

「やべーのがいる」

 戦闘の最中、エドガーの呟き。その言葉からロックウッドは危険視するほどの強敵がいるのかと戦況を俯瞰した。必要ならば自分たちで対処することも考えていたが特段そのような敵は見当たらない。しかしエドガーの言うやべーのはすぐに見つかった。

 なるほど。こいつのせいか。ロックウッドは抱えていた違和感の正体を突き止めた。

「アイギス。隣のエリアにハウザーがいるはずだ。マークしてくれ」

「アファーム」

 すぐにアディティによって一機がマーカーされて支隊の全機に強調表示される。TACネーム「アンサラー」その名を知らぬパイロットはいない。統合軍最強、世界最強のパイロット。ルーシア・ハウザーの機体である。

「各機。アトミックハウザーの親征だ。邪魔するなよ」

「くわばらくわばら」

 支隊の担当エリアからそう離れていないエリア。その最前線。明らかに異質な機動をする機体がいた。遅いのである。機動戦闘においては速度を保ちながら、必要に応じての減速によって急激な機動を行い相手の隙をつく。緩急をつけるために速度を得る、ゆえにHVは高速で機動し続けることを原則とする。しかしその機体はその原則を無視していた。それこそがハウザーの機体だった。

「わざとやってるのか」

 ウィルフレッドが畏怖を込めて呟く。戦場をノロノロと動くその機体はトラブルでもおこしたようにも見え、周囲の敵機を誘引していた。実際ロックウッドにもお誂え向きのターゲットにしか見えなかった。あんな機動をしていては早々に死ぬ。しかし不可解なことに誘引された敵機はまともな戦闘機動を行うこともなく、その機体の射撃であっさりと撃墜される。まるで自ら撃たれにでも行ったかのように。

「バロールの魔眼」

 誰もがその異名を想起した。曰く、睨んだだけで死に至る。そのパイロットは敵機を狙って射撃しているのではない。死そのものを狙い撃っているという。ゆえに撃たれた方はその自覚もなく、自ら当たりにいったかのように被弾するというのである。

 言い過ぎだ。大抵の人間はそう思うし、思いたがる。しかし実際に目の当たりにしてそう切り捨てられる者はいなかった。偏差撃ちなどという次元の話ではない。相手が回避行動を取る前にその方向に向けて撃っているのである。

 当面の敵がいなくなったのか。黒色にマゼンタの差し色の入った機体は前線にありながら機動を停止して流れるに身を任せ始めた。あまりに傍若無人な態度だが敵にも味方にもそれを諫められる者はいない。その前線は1機のHVによって完全に制圧されていた。このバケモノの存在で相手は竦み上がって戦闘が小康状態になっているのだ。

 なんて奴だ。ロックウッドは口角が持ち上がるのを感じた。エースはその存在で優位な状況を導くというが、奴は単機で相手の戦意をへし折って状況を変えてしまっているのである。もはや一パイロットの所業ではない。エースという枠組みから外されて語られるのも納得である。

「何機墜としたんだ」

 ウィルフレッドが呆然と呟く。少なくとも彼らの見ている前で2機を撃墜しているが当然それ以上の敵機を葬っているはずである。それも一つのラインを制圧するほどの。後方ではアディティがモニターしていた情報を洗い出していたが弾き出された情報は信じられないものだった。

「16機だと…」

 アディティは自分の計算を疑った。一般的にHV戦闘のK/D比は3対1でも圧勝と評価される。パイロット基準でも一度の出撃で3機撃墜すれば大戦果。5機撃墜ともなれば銀翼勲章という勲章が授与される格別な戦果となる。ハウザーはそれの3倍を超える戦果を1戦闘で撃墜したことになる。戦闘艦1隻の積載に匹敵するHVをこんな短時間に、1機のHVの弾薬量で。あり得るのか、そんなことが。

 半信半疑ながらアディティはその情報を支隊のパイロットたちに伝えた。その反応はやはり懐疑的だった。

「中尉、聞いていいっすか?」

 アドニスが中尉と呼ぶとき、それはエドガーを指している。それ以上語らずとも聞きたいことは解った。一度の出撃での最高撃墜数。

「9機だ」

 一般的なパイロットであれば一度の出撃で2機撃墜することすら稀。複数撃墜を達成する者より被撃墜される者の方が多いのが現実である。エドガーの9機という数字は常識の範囲内で最上位と言える数字で普通なら驚愕される数字である。しかし今回の場合は比較対象があまりに非常識だった。

「なんかすいません」

 気まずい質問をしたと思ったのかアドニスは殊勝にも謝った。エドガーは気にしていなかったが何も言わなかったので通信は気まずい沈黙に支配された。

 どうせあいつと対峙したらとか考えてるんだろうな。ロックウッドはエドガーが以前に言っていたことを思い出す。

 撃墜数は環境依存の指標に過ぎない。機会がないだけで自分たち以上のパイロットがいてもおかしくはない。これは撃墜数の多少は相手の強さの指標としては片手落ちという趣旨である。撃墜数が少なくとも強いパイロットはいる。ところが今回の場合は逆である。ルーシア・ハウザーはこれまで機会の少ない環境で122機の撃墜を記録してきた。今回これに16機がプラスされる。つまりハウザーは122という撃墜数に納まりきらない化け物だという話になる。今後もハウザーにはさらに機会が与えられるだろう。その時、その数字がどれだけ伸びることになるのか。想像すると薄ら寒いを通り越して笑ってしまう。


 連合軍と統合軍の初の共同作戦となったこの戦いは2時間程度の小競り合いの後に終了した。結果は引き分け。勝敗がつくほどの被害は出なかった。元より初戦で状況を動かすことを考えていない第五艦隊は泥沼化する前に戦闘を切り上げた。万全の陣容を持つ連合軍、統合軍に対して共同軍はいずれじり貧に陥ることは確実である。連合軍側としては無理をする必要はない。共同軍としても大きな被害なく切り抜けたことは成果と言えた。

 双方の指揮者たちが「こんなものか」と考える中で胸を撫でおろしたのは実質的な初陣となった統合軍独立機甲師団であった。

 もっとも懸念されていた撤収も滞りなく済ませた機甲師団は提示されていた課題の全てをクリアした。ただしこれは満点で当たり前のテストでしかない。同行するエノー支隊の手際を目の当たりにしたケープランドは自隊の行動力はまだまだ不足していると評価していた。

 混成艦隊が安全圏に至ったところで独立機甲師団旗艦アルバトロスにエノー支隊から通信が送られてきた。ジェニングスではなく、ルビエール自身からであるためただの情報伝達ではない。疲労で緩んだ表情を引き締めるとケープランドは虚勢を張った。

「督戦ご苦労様」

 この人でも冗談は言うんだな。気の利いた言葉も浮かばずルビエールは苦笑で受け流した。

「お疲れ様です。まずは1戦。ですね」

「挨拶代わりと言ったところかしら。お互い喜べるような内容ではなかったわね」

 ケープランドの言う通り、今回の戦いはあまりに波風のない戦いだった。連合側としてはとりあえず戦ってみた程度のこと。旅団側としては機甲師団が最低限の動きはできることを確認できたが、ケープランドにとってはほとんど実のない戦いだった。

「それで本題ですが、司令部より混成艦隊は一度ミンスターへ戻れとの指示が出ました。このまま逆戻りということで、次の機会はまた先になりそうです」

「随分と早いわね」

 帰還するには早くはないか。混成艦隊は出撃前に2か月は行動できる物資を確保している。これだけの物資を積載するからには最低でも1か月程度の作戦行動を見越していたはずである。本来の予定にはない帰還だろう。

 ルビエールもこの帰還命令に違和感を持っていた。

「第三艦隊にも同様の命令が出ているようです。不可解ですね」

「予定にない何かが起こった。ということかしら」

 今のところそのような気配は前線にはない。後方で何かが起こったということか。となれば政治的な要因が絡んでいるのだろう。ルビエールとケープランドは同じタイミングで溜息をついた。

「覚えがありそうね。お互い」

 今度も返す言葉なく、ルビエールは苦笑いで受け流した。


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