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3/1「嵐の後」

3/1「嵐の後」

 帰艦してきたXVF15を迎える整備員たちの熱狂はすさまじかった。

 この戦いにおいてXVF15は中心的な役割を果たし、現行機でも最強クラスの性能とパイロットを誇るAABのCLZ01を相手に立ち回り、無傷で帰還を果たしたのである。これは実戦におけるXVF15初めての実績と言え、内容的にも申し分のないものだった。この時ばかりは普段の不和など忘れて民間組もパイロットたちを囃し立てた。

 モーリはその喧騒の輪に入ることができず、遠目に眺めているだけだった。最初は不承不承ながら足を向けていたのだが、視界に引っかかったものを無視することはできなかった。喧噪の向こう側、空のHVハンガーの一角に呆然と座り込む整備スタッフ。

 帰ってこない護衛小隊3番機の担当スタッフだった。XVF15の担当スタッフと違って現行機のVFH11を担当するスタッフは整備員の中では二線級の者であったためモーリにはあまり馴染みはない。しかしモーリの豊かな想像力は自分の担当機が未帰還になった場合を想起していた。それを思うと祝勝の輪に入っていこうなどという気にはなれなかった。

 思えばなんと悠長なことを考えていたのだろう。モーリはもみくちゃにされながら苦笑しきりのエリックに視線を移した。戻ってくる保障なんてどこにもない。彼らはそういうところで戦っている。

「仲間が死んだってのに、いい気なものね」

 はっとしてモーリは声の方に振り返った。エリカが微笑みを張り付けて立っていた。その表情に本能的に恐怖を覚えてモーリは後ずさった。

「あの様子じゃルーティンは後回しね。後でちゃんとやるように手配をお願いね」

 モーリにそう命じるとエリカはさっさとその場を後にした。去り際に座り込む整備員に向けた視線にモーリは慄然とした。

 冷たかった。

 この時モーリは初めてエリカのパイロットという人種に抱く感情が整備員ならではの嫉妬や羨望に類するものとは全く違うものなのだと感じた。ほとんどそれは「憎悪」と言っても間違いないように思える。そしてその感情はパイロットたちに組するような者に対しても等しく向けられるのだ。

 モーリは自分の抱き始めた感情もその対象に含まれるだろうことを思って心を震わせた。それと同時にエリカの感情に対する反発も生じていた。

 エドガーの言葉を思い出していた。

 パイロットたちはそれを忘れたり軽視しているわけではない。彼らは生き残るために内と外を切り分けることによって意識を保っているのだ。内でも外でも、それを抱え続けろというのは随分と酷な話ではないだろうか。


 帰路のブリッジはハンガーほどの興奮にはなかった。作戦そのものは成功したとはいえ、その過程の大部分をどう逃げるかに費やした感があって勝ったという実感を上回っていた。実際、連合軍側の被害の大部分は後退時のもので、なんとか逃げきった、と大多数の者は思っていた。

 その逃げ切りの立役者であるルビエールは落ち着きなく膝を揺すっている。その顔は蒼白と言ってよかった。まるで取り返しのつかないことを仕出かしたことに気付いた子供のような顔。それが祝辞を述べようとするスタッフの足を止めさせた。

「少尉」

 呼ばれてリーゼは歩を進めた。周囲の誰もが指揮官の次の言葉に耳をそばだてた。

「ウィテカー曹長の戦死報告をまとめておいてほしい。後は任せてもいいか?」

 リーゼが応じるとルビエールは危うい足取りでブリッジを後にした。

 護衛小隊3番機ローランド・ウィテカー曹長。試験小隊初の戦死者が今になって指揮官を動揺させているのだと想像するのに無理はなかった。

 マサトはほとんど離れていない席でルビエールの様子を観察していた。あの指揮官には初めての成果より初めての損失の方が応えた様子だ。

 その脇に老齢の艦長が足を進めてきた。

「適切なフォローを感謝いたします」

 コールは視線を戦術画面に固定したまま独り言のように呟いた。

「さて、何のことやら」

 然したる意味もなく、マサトはとぼけてみせた。コールは意に介する風もなかった。

「老兵の戯言と受け流して貰っても結構です。できれば今後ともあの指揮官殿のお力になっていただきたい」

「僕にですか?」

 誰に言ってるんだ、とマサトは皮肉気味に口角を釣り上げた。自分は言ってみれば闇・影の側の人間で、それをその不自然な少年の容姿で示している。

 しかし老兵は少年の居姿の物語る全てを意図的に無視していた。目的のためなら些事なこととでも言うようであった。

「自分は規格の内側にあって、そこからでることのない小さな船乗りに過ぎませんが、長い経験からいろんなものを見てきました。規格の外にいる者、規格の内から飛び出ようとする者。軍というものは規格に従うべき存在ではありますが、それに甘んじていいわけではありません」

 滔々と話すコールの話をマサトは訝し気に見ていた。その表情に気付いてコールは気恥ずかしそうに苦笑した。

「いやはや、老人は話が回り道してしょうがありません。彼女は規格に影響を与えるでしょう。それは多くの仲間を助ける。その可能性の芽を私は大切にしたい。そう、老人ながらに思った次第です」

 マサトは表情を崩さなかったが、老兵の想いを理解していないわけではなかった。

「随分と公私混同なことを仰る」

 容赦のない言葉に老兵はくくっと笑いを溢した。

「清廉潔白な軍人も退役前となると後を濁したくなるのかもしれません。自分にできなかったことを誰かに託したいのか、あるいはその一助に」

「気持ちは、わからなくもないですが」

 そうでしょうとも、とでも言うようにコールは頷き、マサトは拗ねたように視線を切った。

 コールは解っている。そもそもマサトに助け舟を出す義理はないのにそうした理由を。

 ルビエール・エノーには類まれなる資質と、それとは裏腹に妙な危うさがある。思わずこちらの手を差し出さねば壊れてしまうような。白磁の陶器。それが一種の庇護欲のようなものを抱かせるのかもしれない。

 コールも多くの指揮官、その成長を見守ってきたがルビエールのもっとも際立っている特徴は鋭い洞察力、ではなく、それに比して不釣り合いな未熟さにあると捉えている。年を得て、老兵は未熟さを成熟の対義と考えないようになっていた。未熟さの生み出す大胆な発想の転換は規格に捉われ、また足元を掬われること少なくない軍に活性化をもたらす。

 退役を間近とし、然したる目的もない老兵にとってルビエールはある種の天啓であったかもしれない。そこまで大袈裟ではないにせよ、十分に刮目し、助力するに値する対象と映ったのである。

 まぁつまり、純粋に老兵は興味をそそられたのだ。この指揮官はこの先、何者に成って、何事を為すのだろうかと。


 どうもおかしなことになっているな。独語してマサトはブリッジの天井を見上げた。

 自分はルビエールの側に立つような人間ではない。コールとて同じことだ。深入りするほどの義理はない。しかしそういう風に場は流れている。これは一体何を暗示しているのだろうか。

 マサトは縁起や因果を信望するタイプではなかった。それでも薄気味の悪さを感じていた。思ってもいないことになるかもしれない。その可能性はいつどこにでもあるものだが、予兆というものは確かにある。


 プロジェクトスタッフの執務室で企業人の代表である男はただの疲れ果てた中年となって椅子に深く身を沈めていた。

 エディンバラの心境は複雑極まりなかった。結果だけを見れば最高だった。しかし過程はどうだろう。終わりよければ全てよし、などという言葉で片付けるべき問題ではない。そも終わりとはなにか。この結果すら過程の内に過ぎないだろう。

「ご心労多大に見えます」

 意外な来客にエディンバラは目を剥いた。リーゼ・ディヴリィ少尉は執務室にいる他2人のスタッフを目線で示した。その意を察して人払いをすると執務室は試験小隊における民間と軍の両ナンバー2のものとなった。

「先ほどの戦闘はご苦労さまでした。最高の結果に本社も喜ぶでしょう」

 社交辞令的な言葉にエディンバラの警戒が滲んでいた。リーゼとエディンバラには接点がない。民間組と軍人組の不和の仲にあっても不思議と衝突もない。それはむしろ好都合なことで、不干渉であれるならそれに越したことはない。それはお互いに承知のはずだ。

「ええ、今回の件でXVF15と試験小隊は大きく名を上げることになりました」

 リーゼの切り出しにエディンバラは片眉を釣り上げた。その口調には不吉さと皮肉を滲ませている。

「現在が有事であることはあなたも身に染みたことと思います。はっきり申し上げるなら、今後は迂闊に口出しされることは控えた方がよろしいかと思います」

 軍人らしい言いざまにエディンバラの覚えた反感は相当なものだった。リーゼは企業人であるエディンバラに解らせるために殊更に軍人然を振りかざしている。それがわかるからこそ反感は強かった。

 何ならこの女はエディンバラと一緒にルビエール・エノーの行動に苦言を呈していた側ではないか。今になって主導権を握ろうというのか。

「プロジェクトを私物化されては困ります」

 エディンバラのようやく絞り出した言葉は抗議というよりは嘆きに近く、リーゼには全く響かなかった。

「今後、小隊が越えるべきハードルはどんどん上がっていくでしょう。それは軍部だけでなくクサカ本社からも突き付けられるものでしょう。その時になってプロジェクトがどうこうと言っていられますか」

 そう言われてエディンバラは怯んだ。エディンバラのロジックは軍とクサカが違う目的で動いている場合を想定している。クサカ上層部に軍と協調して事にあたれと言われてしまえば企業人であるエディンバラには為す術がない。

 それにエディンバラは見てしまった。先のピレネーにせよ、今回の戦いにしても。戦場とは双方にとって思い通りに動くようなものではないことを。

「で、あれば。あなたはやり方を変えなければならない」

 リーゼの転回にエディンバラは顔を上げた。

「大尉の戦術能力はあなたも目撃なされたはず。あの方は試験小隊に華を沿える飾りではありません。大いに活用なさることがあなた自身のためでもあると考えます。如何か」

 エディンバラは不思議なモノを見るような顔でリーゼの言葉を反芻した。

 ロジックとしては真っ当だ。だが、エディンバラはどこか引っかかりを覚えていた。エディンバラの持っているリーゼ・ディヴリィという人物のイメージとは違う。このようなことを言うタイプだったか、この女は。

 何か裏でもあるのか?という疑心が生まれた。しかしその深層に気付けるだけの理解をエディンバラは持っていなかった。その疑問に踏み込む理由も。


 私室に閉じこもったルビエールはとにかく何かに没頭しようと試みた。

 本を読もうとし、書類作業をしようとし、部屋の掃除をしようとし、ゲームをしようとし、ついには寝ようとした。そのどれも成功しなかった。

 とにかく落ち着かない気分だった。考えを巡らそうとしても堂々巡りを繰り返すだけで先に進もうとしない。

 皮肉なことにルビエールには人の死に関することに経験がなかった。身内は健在であるし、幸か不幸か士官学校時代の同期の訃報にも触れていない。ルビエールにとって初めて向かい合う死こそローランド・ウィテカー曹長のKIAだった。

 ルビエールはウィテカーのことを知らない。何度か顔を合わせただけの存在だ。だが彼は確かに存在し、ルビエールの指揮の下、戦い、そして死んだのだ。

 その実感が湧かないことに言い様のない不安を感じていた。KIAの報を受けたときのことをルビエールは覚えていない。自身の戦術の根回しに意識を奪われていたのだ。

 それでいいのか?何か決定的に間違っているような気がしてならない。一般論として自分の部下のことなのだから惜別の念を持つべきであったし動揺するはずである。実際には何の実感もなかった。自分は人としておかしくなっているのではないか。自問自答を繰り返すが、意識は結論を出すこと恐れるように深く考えることを拒否する。

 ルビエールは自らの境遇を呪ってきた。ノーブルブラッドという自分を。周りの人間の特別視を。それは自分という存在を勝手に定義されることだった。この枠組みをルビエールは呪っている。

 それはエノーの家系にあって異端というべき発想だった。ルビエールもまた通常の流れの中で教育を受けていればそれを受け入れられただろう。しかしルビエールは中等部までの実業家としての教育方針を切り替えられて軍に入隊することになる。その時点でルビエールは存在の再定義をされることになった。皮肉なことにそれはルビエールの規格・枠に対する強い嫌悪感を育むことになる。

 それまでの積み上げを勝手に取り上げて、別のものを勝手に押し付けられた。そのことの反発がエノー家以外の者に対する強い関心を生んだ。それを埋めたのは急遽ルビエールに軍事的教育を施すことになった教育係だった。

 その男は規格の外側にいた。それまでエノーという規格を定義するパーツの一つでしかなかったルビエールはその男の思考に惹かれ、その教えを瞬く間に吸収していった。周りの人間は規格に捉われた古い人間に見えた。外の世界を知っているという妙な優越感が芽生えた。

 それでこのざまか、自分を上等な人間だとでも思っていたのか?

 気づけばルビエールは士官休憩室にいた。

 そこでルビエールは自分の有様に心当たりを見つけて自嘲した。なるほど。エリック・アルマスの気持ちがわかる。

 あの時と同じ場所に座ると少しだけ落ち着くのを自覚した。何気なく休憩室に飾られている絵に目を留めるとルビエールは変人教育係の教えを思い出した。

 物事には正解なんてないことがほとんどだ。題名を知らない絵を見て、そこに何を見出すかは人それぞれだ。見る時、心境によっても変わる。それら全ては、ただ「その時感じたこと」でそれ以上でも以下でもない。事実を相手取って、それを正しいだの間違っているだのと論じるのは大変に滑稽なことだ。

 偏屈な理屈だと思っていた、でもなるほど確かに今の自分は滑稽な存在に思える。何かを理解したような気になって、実は何も理解していない。

 自分は人の死を実感することができない。それで全てではないか。他に付け足すものはない。

「未熟者め」

 自分を罵る。そうすると口惜しさが全身を支配し、ルビエールは嗚咽を漏らした。ウィテカーのためにではなく。


 エリック・アルマスは自分の間の悪さを自覚しはじめていた。

 後回しになっていた作業をやっと処理し終えたパイロットたちは休憩室に向かっていた。その先頭になっていたのがエリックだった。

 ドアが開くなり蹲っているルビエールを目にしてエリックは思わず後ずさった。状況を把握できたわけではなかったがマズいものを見たことは直感的に理解してエリックは後に続いていたエドガーに全力で頭を振った。

 エドガーは怪訝な顔を浮かべたものの持ち前の機微の良さを発揮してくれた。他の者だったら部屋を覗くまでの流れは止められなかっただろう。

「先客がいるらしい」

 そう言うとエドガーは続く集団を制して民間組の使用する休憩室に残りの皆を誘導したのだった。

 この時ばかりはエリックもエドガーの機転に感謝した。ほっと一息をつくと確認するようにルビエールの方を見た。これがマズかった。ルビエール・エノーが顔を上げて恨みがましくエリックを睨みつけていたのである。


 脱兎の如く逃げていくエリックを見送ったルビエールに思わず笑みがこぼれた。

 マズいところを見られたという気恥しさはあるが、それより指揮官の醜態を目撃する羽目になったエリックの方も気苦労多いことだろう。

 奇妙な縁を感じる。あの時のエリックも似たような状況にあったのだろう。

 そしていくらかの時間を経て、脈絡を整理したルビエールはいくつかの問題を棚上げにして自分のやるべきことを導き出した。

 ローランド・ウィテカー。その男はどんな人生を歩んできたのだろうか。知りたかった。知らなければならない。

 そうして彼の人生を胸に刻もう。いつか、その意味を語れるように。


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