焦燥
「また見てる」
「え?」
この星についてからの日課である空を眺めていたら、後ろから声をかけられた。驚いて振り向くと、シイラが作業の手を止め、鍬を立てその柄に手をおいて顎を乗せ、ジッと観察するようにソラを見つめている。
「シイラさん?」
「ソラさんって、よぅ飽きもせんと空を眺めてるやろ?」
「あぁ」
ソラはちょっと俯いて笑う。
「私はこのような綺麗な蒼い空を見たことがなかったので」
「は?」
シイラは訳が分からず首を傾げる。その様子にソラは思わず苦笑を漏らした。
「ここでは当然のことですけど、私の生まれた場所では、空は見えなかったんですよ」
「えー?! なにそれ?!」
シイラが驚いて大きな声を上げると、農作業をしていたほかの村人が集まってきた。
「何々? どないしたんや?」
「ソラさん、ここへくるまで空を見たことあらへんかってんて!」
シイラが興奮気味に話すと、村人達は一様に仰け反って驚く。
「えぇぇー! 空がないって何それ?!」
「空がなかったらお日さんもないの?!」
「あ! ホンマやん! ひなたぼっこして昼寝でけへんなんてもったいなーい!」
矢継ぎ早に聞いてくる村人達にソラは笑うしかない。
「正確には、空気汚染のためなんですよ」
「空気汚染のためって?」
「徹底した機械化のために、空気の汚染がひどくて、人々はドームに住んでいたのです」
「そんなにひどかったん?」
シイラが眉を顰めて聞くと、ソラはコクンと頷く。
「えぇ。特に私が生まれた場所は、様々な最先端の研究を行っておりましたので」
「えー? 最先端や言うたって、まっずい空気なんて作ってどないするねんなぁ?」
「せやせや」
「いえ、一応クリーンな空気をドーム内では発生させていましたけど」
ソラが言いかけるのに、村人達はさらに吃驚する。
「え? 空気作るのん? 美味しい?」
「お、美味しいって…あの…」
何故空気が美味しいと言う話が出てくるのか?ソラは判断が付かず、咄嗟に反応できなかった。
「せやでー? こうやって大きく息を吸い込んでー…」
そんなソラにかまわず一人がそう言うと、笑顔で皆が大きく息を吸い込む。ソラもつられて空気を吸い込んだ。
「そしたらさ、土のいい匂いとかー、草の蒼々とした匂いとかー、花のいー匂いとかー、あ…どっかがシチュー作ってるー」
ホンマや、うち今日の晩ご飯何やろーと皆で笑いあっている。ソラは吸い込んだ匂いの分析をする。確かに色んな香りがした。
「これが美味しいのですか?」
ソラが戸惑いぎみにそう聞くと、皆は夕食の話を中断して頷く。
「せやでー」
「日々色んな変化が分かるやろ?」
「変化…ですか?」
「そ。今日はどんなきれいなもん見れるやろーとか、美味しいもん食べれるやろーとか、先月芽を出したトマトの苗はもう植え替えてもえぇかなーとかさー。色んな匂いで色んな楽しいこと思い出すやろ?」
「記憶を再現するということでしょうか?」
「そんなかしこまったことちゃうってー」
そう言って、皆で笑っている。
「はぁ…」
困惑気味のソラの肩を、キリナがポンポンと叩いた。
「今日は今日でしかなく、明日は明日でしかあらしませんやろ」
キリナは驚いているソラにニコリと笑いかける。ほかの人間はもうさっさと違う話題、今年の作物のできなどを語っている。
「今日は今日でしかなく…ですか?」
ソラは呟くように聞き返した。キリナは大きく頷いた。
「そうですわ。せやって、怒ったり妬んだりとかってものすごい疲れますやんか?」
「は、はぁ…疲れる…ですか?」
ソラは曖昧に返事を返す。
「そう。例えば、悪口を言うのって相手の悪いところを一生懸命探すことですやろ?」
……。
ソラは思わず悪口ってそういうものだったかと思考してしまう。だが、キリナはそんなソラにかまわず続ける。
「そないなことする労力があるんなら、それこそ畑へ来て害虫を探すのに一生懸命になったらえぇと思いません? そうしたら、畑にプラス、自分にもプラスで万々歳」
キリナはそう言ってニッと笑った。
「…そういう…ものでしょうか?」
「そういうものですよ」
そう言って笑うキリナにソラは、以前から不思議に思っていたことを尋ねてしまった。
「死者の記憶を語ることには、何か意義があるのでしょうか?」
ソラの唐突な疑問にキリナは大きく目を見張る。だが、ソラの真剣な表情に、フッと目を細めた。
「ありますやんか」
キリナはそう言って胸に手を当てた。
「死んでしまったものは生き返らへん。せやけど、その悲しみで心が欠けた部分は、いつかゆっくりと色んな思い出で埋めてって過去にするんですよ」
「かけた部分…?」
「えぇ。例えば愛するものが亡くなった時」
キリナの言葉にソラは軽くうなずく。
「それはとても悲しく、胸が心が悲しみで引き裂かれそうになりますやろ? せやけど、思い出を語ることで、一つ、一つを過去にしていきますのや」
「それは過去にして忘れさるということなのでしょうか?」
ソラのその疑問にキリナは、笑いながら首を振る。
「ちゃいますて。自分の中で過去のこととしても、その引き裂かれた跡を埋めた跡は残りますやろ? その跡をなぞれば愛するものがそこにいたことをまた、実感できるんですわ」
「そこにいた証…ということですね?」
「そう。その埋めた跡は不格好でも、悲しみの思い出で埋めた跡、楽しい思い出で埋めた跡があるんです。でも思い出す時に悲しい思い出より楽しい思い出の方が、思い出す時にはえぇでしょ?」
「そういうものでしょうか?」
「そうですよ。死者からは言葉が返ってきやしませんから」
ソラはハッとしたようにキリナを見る。
「悲しい思い出で、返ってこない言葉を問いかけて悲しい思いをさらに増やしてしまうよりかは、楽しい思い出を楽しく思い出せる方がえぇでしょ?」
「そうですね…そうなのでしょう」
ソラは記憶から再生する。確かにブルー博士は亡くなった子供の話をする時には、とても楽しそうな話ばかりしていた。子供を亡くすということは悲しいことではないかとソラは記憶していたので、その疑問を問いかけたことがあった。ソラの疑問にブルー博士は不思議な笑みを浮かべるだけだった。だが、あれはもしかすると、悲しみから逃れるための…息子を過去にして永遠の悲しみから逃れるための作業だったのかもしれないとソラは思考する。
同時にやはり人とは複雑だとも思考した。