第93話
美しい水の街を歩く。
結局、昨日はお昼ご飯を食べた後もごろごろして過ごした。
そう、本当にごろごろした。
2人でベッドに横になって、静かにお互いの鼓動と体温を確かめ合っていた。
ただ、それだけ。
それが思いの外、心地よかった。
眠気がくればまどろんで、目が覚めればぽつりぽつりと言葉を交わして、ゆっくり流れる時間の波に身を任せて。
こんな自堕落な日もたまにはいいかもしれない。そう呟けば、彼は笑って"たまにと言わずにいつでもどうぞ"と返してくれた。
何もせずにごろごろしているのは好きなのだそうだ。
別々の部屋を取っていた時は、そういう風にして過ごす時間も多かったのだと言う。
何だか意外に感じた。気が付けば1人でどこかに出かけたりしていたから、あまりそういうイメージを持っていなかった。
でも、誰からも干渉されなかった彼だけの時間に招かれたことは素直に嬉しい。私だけが特別だと、認識できるから。
「何か食べたいものある?」
不意にセスから言葉をかけられて、思考が中断する。
それとほぼ同時に正午を知らせる鐘が鳴った。
ディエンタについて3日目の今日、私たちはこの街の観光を兼ねてぶらぶらとしている。
買い物は出発の前日でいいし、それまで特にやることもない。ということでノープランで街に繰り出しているのだが、もうそんな時間だったか。
「お魚さんが食べたい」
「魚、か」
ここは水の都。ならば当然ここでは魚料理も豊富であろう。そう思ってセスに提案してみると、彼は立ち止まって考えだした。
そんなに考え込ませてしまうことだったか。それは申し訳ないことをした。そう思いながら水路を挟んで向こう側の道を歩く人たちを眺める。
その中でふと目についた、白い鎧を纏ったべリシアの男性騎士。
1人で歩いているその人物が目に入った瞬間、ドクン、と心臓が大きく鳴り響いた。
「あれ、は……」
似ている。私が知っている人物に似ている。
「……ユイ?」
セスの疑問の声と同時に、私はとっさに走り出した。
橋を渡って対岸に行き、白の鎧を着た人物を追いかける。
「フィリオ!」
そして少し離れたところから、その人物の背に向かって呼びかけた。
彼は、突然背後から聞こえた声に振り返って立ち止まり、驚きに目を丸くする。
間違いない。フィリオだ。3班で苦楽を共にした仲間の、フィリオ。
もし違う人物なら、一度は振り返ったとしても自分のことじゃないと思ってまた歩き出すはず。
「……確かに私はフィリオですが、すみません、どこかでお会いしましたか?」
彼は私との距離を詰め、目の前まで来てからそう問うた。
あぁ、丁寧な物言いも変わらない。
顔だってあまり変わってない。あの時の面影そのままに大人となった彼がそこにいる。
変わったのは私だ。あの時とは別人なわけだから。フィリオに分かるはずがないのに、考えなしで行動してしまった。
「……あの、えーっと……」
なんて言おうかと考えながらしどろもどろになっていると、フィリオの視線が私から後ろの方に移った。
「…………」
再び、フィリオの目が驚きに見開かれる。
その視線を追うように振り返ると、私を追いかけてきたセスの姿が目に入った。
まだ少し離れた場所にいるセスも驚いた表情をしている。ここにいるのがフィリオだと彼にも分かったのだろう。
時が止まる。フィリオもセスもお互いを見つめたまま動かない。
「……フィリオか。久しぶりだね」
状況を把握して、最初に動き出したのはセスだった。
驚きの中に穏やかな笑みを含ませて、私たちの元に歩いてくる。
「セス……ですよね。まさか、こんなところで」
フィリオは動揺を隠せない様子でそう呟き、はにかんだような笑みを見せた。
「ああ。あまり変わってないんだな、フィリオ」
「いえ……変わっていないのは貴方の方でしょう。私は年を取りましたよ。もう、38ですから」
セスの言葉にフィリオは苦笑いを返す。
そうか、もう38か……。そうは見えないくらい若々しいな。10は若く見える。
「……そういえば貴女は」
突然、思い出したようにフィリオが私を見た。
「あー……」
「彼女はシエルだよ。あの時一緒だったシエル」
視線を泳がせた私とは正反対に、セスは迷うことなくそう口にした。
「えっ……!?」
素っ頓狂な声が降ってくる。
あぁ、フィリオ、驚かせてごめん。




