第84話 Side-セス
痛い。
痛い。
もう、死んでしまいたい。
どうしてアルディナは、天族に自死を禁じたんだ。
「セス……」
不意に温かい手が俺の頬をなぞった。
見上げると、目の前に少女が1人。
「……君、は」
黒い髪に、憂いを帯びた金の瞳。
「君は……」
知ってる。
俺はこの少女を知っている。
「セス……」
少女が跪き、俺の首に腕を回す。
温かい。
温かくて、優しい。
「……助けて」
思わず、縋るように抱き返した。
「助けて……ユイ」
「……っ!」
……夢か。
窓から光が差し込んで部屋の中が明るい。
眠っていた……眠れたのか――――朝まで。
隣から、規則正しい寝息が聞こえる。
夢から覚めた際に大きく体を震わせてしまった気がするが、起こしてしまわずに済んだようだ。
それにしても子供のころの自分がユイに助けを求める夢を見るなんて。
俺はどれだけ彼女に依存しているんだ。情けなくて泣きたくなってくるな。そう自嘲しながら感覚が鈍くなった左腕を彼女の頭の下から抜いて体を起こす。
ピリピリとした痺れを感じる手で彼女の肩口にある傷痕をなぞり、治癒術をかけた。
「…………」
消えない。
時間が経っている傷痕は、俺には消せない。
きっと、心の傷も――――。
「……ん……」
治癒術の温かさを敏感に感じ取ったのか、彼女は一度身じろいだ後、目を開けた。
「おはよう、ユイ」
「……!」
そう声をかけた瞬間、ユイは慌てふためいて毛布を手繰り寄せ、頭の先まですっぽりと潜ってしまった。
「……背を向けてるから服を着ていいよ」
初々しいその反応に毛布を剥ぎ取ってしまいたい衝動に駆られたが、そんなことをしたら嫌われてしまいそうなので床に落ちていたシャツを拾って羽織り、ベッドから抜け出す。
そして窓枠に両肘をつき、海に目を向けた。スルスルという衣擦れの音を聞きながら、波打つ水面をただ眺める。
部屋を闇に染めたからか、彼女は羞恥心に支配されながらも、思いのほか素直に肌を晒した。
夜目が利くせいで見えてしまうとも知らずに。まるで、その罪を見せつけるかのように。
それでも――――ユイの覚悟に託けて、縋るように立てられた爪の痛みで赦された気になって、貪欲に彼女を求めた。
満ち足りた思いすら抱いた俺は、なんて自分勝手なのだろう。
「き、着替え、た……」
ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さく呟かれたユイの言葉に振り返ると、ベッドの前に立つ彼女が顔を真っ赤にしてどこかよく分からない方向を向いている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
その様子に、もっと恥ずかしがらせてみたいという欲が沸き上がってくるのを感じた。
「誘ってるの?」
「なんで!? ち、ちがうよ!」
違うと分かっている上であえて聞いてみると、彼女は凄い勢いでこちらへと向き直り、声を荒上げた。
「何も言わないから恥じらいつつも待ってるのかと思って」
「〜〜〜〜っ! ちがう! 私、部屋に戻る!」
「待って。ごめん、待って」
踵を返して出口へと向かう彼女の手を急いで取り、強い力で引いた。
「……っ」
「ごめん。君があんまりにも可愛らしいから、からかいたくなったんだ」
そして倒れ込んできた体を受け止めて、耳元で囁く。
「セ、セスのバカ!!」
「……!」
ドン、と強い力で胸を押され、不覚にも1歩、2歩とたたらを踏む。
予想外だった。華奢な体格の割に力が強い。
「あ、ごめ……」
ユイの方も俺の体がよろめくことは予想していなかったのだろう。我に返ったようにしおらしくなって、下がった歩数分、距離を詰めてきた。
「結構痛かったから慰めてもらおうかな」
「……またそうやってからかう……」
そのままユイを抱きしめると、今度は抵抗を見せずに、控えめながらも背に腕を回してくる。
そんな彼女がどうしようもなく愛おしい。
――――あぁ、もう二度と手放したくない。手放さない。
「……っ」
そう思った瞬間、目の奥で光が弾け、脳裏にあの日の光景が浮かび上がった。
粒子となって空に舞う、彼女の姿が。
そこに彼女がいたのだと知らしめる、赤い剣の残像が。
初めから存在していなかったかのように跡形もなく消えた彼女と、残された赤。
何度も何度も見た悪夢。
ドクン、と心臓が大きい音を立て、呼吸が苦しくなる。
「……は、……っ」
焼き付いている光景をシャットアウトするように目をきつく閉じて、俺はユイを抱く腕に力を込めた。




