第70話
気まずい。
でもそう思っているのはきっと私だけなのだろう。向かいに座るセスは普段と何ら変わりなく、淡々と朝食を口に運んでいる。
まさかあんな風に無理やり押し倒されるなんて思っていなかった。まだそんなに遅い時間でもなかったし、恋人同士なら部屋を訪ねるくらい普通にアリなのでは? と軽く考えていただけなのだ。
……いや、分かってる。そういう無防備な考えがいけなかったということは。あの時間帯の訪問が普通にアリなのは、そういう関係を結んでいることを前提としているということも。
昨夜から何度も何度も自分に言い聞かせているのだから。
「あのさ」
「ふぁい!?」
セスからかけられた言葉で突然思考を遮られ、変な声をあげてしまった。
「……ははっ、ずいぶんと意識してるね。ならあのまま事に及んでしまえばよかったかな」
挙動不審な私の態度に一瞬驚いた表情を見せてから、セスは妖艶に笑う。
いや、セスさん、言ってる意味が分からないです。
「かっ……からかわないでよ……。ちゃんと反省は、してる」
「いや、別に俺は本気だけどね? まぁ、反省しているのならそれはそれでいいことだ。で、ごめん。ちょっと別件で話があるんだけど」
「あ、はい……」
都合よくセスが話を切り上げてくれたので、私は素直に頷いた。
"本気"という言葉は今は考えないことにする。
「俺たちこれからシャンディグラの迷宮に行って、その後アルディナに渡ろうって話になったよね?」
「うん」
「アルディナに渡るまでの間だけ……ヨハンが同行しても構わないかな?」
「……え?」
何でそこでヨハンの名前が出てくるのかさっぱり分からず、私の思考は停止した。
「嫌かな?」
「あっ、ううん。そういう意味じゃなくて。一緒に行くのは全然構わないんだけど……何でヨハンさんが?」
驚き固まった私の態度が誤解を生んでしまったようで、慌ててそれを否定して問う。
別にヨハンが同行するということに対して否定的な意見はないが、全くその意図が分からない。
「終焉の旅に出ることを考えているようだから」
終焉の旅。
エルフであった頃、里で何度か耳にした言葉だ。
寿命の長すぎるエルフたちが死に場所を求める旅。最後は皆、そうやって散っていくのだと教わった。
しかしそれにしてもヨハンが。
1000年以上を生きていて、もうそろそろ、と思ってしまったということか。
寂しい。
でも、きっとそれを引き留めることはできないのだろうな。
「ヨハンさんは迷宮を死に場所にしたいってこと?」
「そういうわけじゃないよ。最終的にそれを目的とするのであっても、俺たちが一緒の方が別れる際にレクシーのショックが少ないんじゃないかと思って提案しただけなんだ。ヨハンが俺たちと一緒に来るかもまだ分からない」
「……なるほど」
「まぁ、その場合、ヨハンもすぐにとはいかないだろうから出発を延ばすことになってしまうと思うけど」
終焉の旅に出ることを考えているヨハンに、セスが提案したということか。それをセスから言い出したなんて、少し意外に感じる。でもそれだけヨハンやレクシーを想っているということなのだろうから、喜ばしいと思った。
しかし一体いつの間にそんな話をしたのだろう。私が麻酔で寝ている間にしていたとは思えないのだけど。
「私は全然構わないよ。急ぐ旅でもないし。むしろ、ヨハンさんが一緒に来てくれたら嬉しいな」
「……嬉しいの?」
「え?」
嬉しい、という言葉を予想外に問い返され、私の思考は停止した。
「嬉しいのか……そうか。それは何だか……面白くないな」
「えぇ!?」
どこか拗ねたような表情で呟かれたその言葉に度肝を抜かれた。
「え、そもそもヨハンさんを誘ったのはセスでしょ? 何で? ちょっと意味が分からないんだけど」
「うーん、そうなんだけど……。何だろうこれ。焼きもち?」
「…………」
知らんがな。




