第65話
「大丈夫?」
咳き込んだ私を心配して、セスが尋ねた。
大丈夫、と掠れた声で答えて何とか呼吸を整える。
この世界には多種多様な種族が存在しているが、基本的には同種族同士でしか子孫を残せない。だから他種族との婚姻を認めていないのは何もリュシュナ族に限った話ではなく、割とよく聞く話だ。
そもそもこの世界において婚姻の定義も曖昧で、儀式のようなものをする種族もあれば、そのような関係ということにする、と口約束だけの誓約を結ぶ種族もある。
レクシーとジスランがまさにその口約束での婚姻で、法律的に夫婦と認められているわけでもなければ、儀式のようなものを行ったわけでもない。今日から夫婦になったから、と周りに示しただけの曖昧な関係だ。
リュシュナ族であるセスと、ヒューマである私も、レクシーたちと同様に曖昧な関係にしかなれない。だから取り立ててそういう関係になろうとか言う必要もないと思っていた。なのにまさかセスの口から出てくるとは。驚きすぎてひっくり返るかと思った。
「話を続けて大丈夫?」
「うん、大丈夫。ごめん」
「剣を捨てるか神術を捨てるかって話、どっちにするか決まった?」
「え?」
話を続けて大丈夫? と言っていたのにも関わらず、セスが聞いてきたことは先ほどとは全く関係のないことだった。"続き"という言葉の意味知ってる? と聞きたくなるくらい脈絡がない。
まぁ、素直に報告しに戻るつもりはないと言っていたので、先ほどの話題は終わったということなのかもしれないけど。
「あ、えーと、剣を捨てようかな。頑張って詠唱するよ」
正直、それをゆっくり考える時間なんてなかったが、利便性を考えれば神術一択な気がする。武術に長けているセスと組むにもバランスがいいし。
「そっか。じゃあ咄嗟に無詠唱で術を撃ったり、気を使わないように気を付けてね」
「……うん」
私の決断にどうとも言わず、セスは少し悲しげに微笑んでそれだけを返した。
最初に話をした時に、"できれば神術を捨ててほしい"と言っていたので残念に思っているのだろうか。
「じゃあ、アルセノのシャンディグラに行くための経路なんだけど」
「あ、うん」
その話はそれで切り上げ、セスは話題を変えた。
鞄の中から地図を取り出し、机の上に広げていく。
「エスタから船でネリスのディエンタに渡って、シャンディグラまで北上する経路で行こうと思う」
「あれ、エスタから直接ネリスに行けるんだっけ?」
20年前、セスと共にエスタに行くための経路を話し合った時には、ネリスからヘレンシスカに渡って北上するか、アルセノまで北上してからエスタに渡るかという選択肢しか示されなかった気がするんだけど。
「新しくできた航路なんだ。6~7年くらい前だったかな。今までこの2国間には国交がなかったんだけど、新しく貿易協定を結んだようだね」
「そうなんだ。分かった、そのルートでいいよ」
特に異論はないので素直に頷いておこう。
どのルートを通っても初めて足を踏み入れるところばかりだし。
「じゃあ後で船の運航スケジュールを調べて、いつ発つか決めようか」
「うん。……あ、そういえば、リッキーとライムはどうなったの?」
いつ発つか、というセスの言葉で唐突に前世で一緒に旅をしていた2頭のカデムのことを思い出した。
前世で初めてエスタに訪れた時に預けたのを最後に、2頭には会っていない。カデムの平均寿命が何年なのかは分からないが、あれから20年、どうなっているのだろうか。
「前世の君の死後、ヨハンが君の死を伝えにエルフの里に行った話は聞いた?」
「え? うん」
私の質問に対し、あまりにも予想外な質問が返ってきて驚きを隠せずに頷いた。
「その時にシスタスまでヨハンを送ったんだけど、途中に立ち寄ったカルナで2頭ともヒューイに返したんだ」
「え、そうなの!?」
その言葉にさらに驚いた。ヒューイに2頭を返した、という事実にもそうだが、セスがヨハンをシスタスまで送ったということにもびっくりだ。
「ごめんね、俺はどうしても……君の故郷に立ち入れなかった」
シスタスまで来ておきながら里にセスが行かなかったことに驚いていると思ったのか、彼は痛みを耐えるような表情で視線を落とした。




