第56話 Side-セス
廊下に出てすぐ、レクシーに手招きをされた。
招き入れられた場所は誰も使っていないはずの病室。
ひどく、嫌な予感がした。
2人で病室に入ると、レクシーは奥のベッドに腰掛け俺に椅子を勧めてきた。座る必要があるということにも嫌な予感しかしない。
「シエルのこと?」
「そーだよ」
何をどう考えてもそれしか思い当たらなかったのでそう聞くと、レクシーは即座に頷いた。
「だから俺、ヨハンに追い出されたのか?」
「違うよ。ヨハンがセスに身内切りをさせないだろうことが分かってたからあたしが待ってたの」
「…………」
正直、レクシーは苦手だ。
ヨハンが危ない状態だった幼いレクシーを連れて来た時、シャルロットの幼少期の姿と重なって我を忘れるほど必死になったことを覚えている。
俺にも親心のようなものがあったのか、それとも罪滅ぼしのつもりだったのか自分でも分からないが、そんな俺を見たヨハンは"少しは人間らしいところもあったんだな"と訳の分からないことを言って、20年の主従関係を解消した。
それ以来、子供にはどうにも弱い。
デッドラインで出会った3班の子供たちを柄にもなく守りたいなどと思ったのも、きっと同じ年頃だったシャルロットの愛に応えてやれずにこの手にかけた罪滅ぼしのつもりだったのだろう。
まぁ、レクシーはもう子供ではないが子供みたいなものだし、そのくせいきなり核心を突いて来たりするので本当に苦手だ。
「……それで?」
いつまでも口を開かないレクシーに先を促すと、彼女はフッと俺から視線を外した。
いい話でないことは間違いないだろう。気が重くなる。
「シエルがエルナーンにいる時に、ずっとシアに痛めつけられてきたことは知ってるよね」
再び俺を真っ直ぐに見てレクシーが言った。
憂いを帯びた表情と告げられた内容が痛いほど胸に突き刺さる。
「うん」
「シエルにはさ、その時の傷痕が全身に残ってるんだ」
その言葉に、ドクン、と心臓が大きく鳴り響いた。
「……あたしが何言いたいか、分かる?」
「…………」
静かにそう聞くレクシーの顔を、俺は見ることができなかった。
心臓が痛い。
呼吸が苦しい。
シアに痛めつけられてきたという話を聞いた時、正直そこまでは考えていなかった。
治癒術の適性があるリュシュナ族にとって、身近な人間の怪我に対して傷痕を残すなんてことは普通はないのだ。ユイの体にそれが残っているかもしれない可能性など、頭にもなかった。
シアはそれを、あえて残したということか。
一生消えない傷痕を。
女性の体に。
――――俺への、復讐のために?
「ねぇ、セスは今どんな気持ち?」
不意にかけられた言葉で弾かれたように顔を上げた。
視線の先のレクシーは、憐れむような目で俺を見つめている。
そんな彼女を、俺はどんな顔で見つめ返しているのだろうか。
「シアが憎い? 自分が憎い? ……シエルが可哀想?」
「…………」
喉に何かが張りついてしまったように言葉が出なかった。
どれか、と聞かれれば全部であることに間違いはないのだが、それ以外にも形容しがたい何かが胸の辺りを渦巻いていて、言葉にできない。
「でもね、シエルが欲しいのはそんな気持ちじゃないよ」
そんな俺の気持ちを見透かしたように、レクシーが言った。
「……じゃあ、何?」
「それは自分で考えて」
掠れた声で何とか絞り出した問いは、残酷なほどすっぱりと切り捨てられた。
「…………」
無情だ。今ほど彼女を頼ったことなどないというのに。
「もちろんセスが後悔とか怒りとか憎しみとか、そういう気持ちを持ってしまうことは当然だと思う。でもね、そんな憐れみはシエルには酷だよ。シエルがどんな気持ちでセスに傷痕を塞いでもらう決断をしたのか、よく考えて。それだけ言いたかったの」
そう言ってレクシーが立ち上がる。
「待って。シエルがそれを望んだの?」
そのまま立ち去ろうとする彼女に声をかけると、悲しげな顔で振り返った。
「……本当はずっと隠しておきたかったはずだよ。でも結晶が体内にあるままだと良くないからって無理やり決断したんだ。だって、結晶を取り出した後に傷口を塞がないなんてこと、理由もなしにセスは納得しないでしょ?」
そしてそう告げると、俺の言葉も待たないまま、病室から出て行った。




