第52話
若干迷いながらも、行きほどの時間はかからずにヨハンの診療所に辿り着いた。
「1人で帰ってきたのか? セスには会ったんだよな?」
診察室に入るなり、ヨハンが椅子をくるりと回して振り返った。
「はい。セスは髪を切りに行くらしいので、明日来ると」
「……へぇ。ってことは、元に近い関係に戻れたってことでいいのか?」
「そうですね……はい」
そりゃ何よりだ、と呟いてヨハンは再び私に背を向けた。
「ヨハンさん、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「何だ?」
私の問いかけにこちらを振り返ることなく、ヨハンが答えた。
何か書き物をしているようだ。カルテの整理だろうか。
彼は忘却がないという特殊能力を有しているというのに、紙に記録することを欠かさない。
なぜか、と以前聞いてみたら、セスやエルンストが来た時に情報を共有するため、との返事が返ってきた。彼らに患者を引き継ぐことがあるからなのだろう。
「セスに私のことをどこまで話しているのか聞きたいんです」
「……どこまでって?」
少し間を開けてからまた振り返り、ヨハンが尋ねた。
「ヨハンさん、」
そのヨハンに言葉を投げ掛けようとしたところで診療所の扉が開き、先を続けられなかった。
「あぁ、シエル、今回は大変だったね。無事で何よりだ」
入ってきた人物が私を見るなりそう言った。
「……ジスランさん」
きれいな紫色の瞳をした男性。手には大きな箱を抱えている。
彼の名はジスラン。ここに薬品を卸している業者であり、レクシーの旦那様だ。もちろん私も幾度となく顔を合わせたことがある。後ろで一本にまとめた艶やかで長い黒髪が印象的だ。
20代中ごろに見えるが、彼はリオニ族という魔族で、結構長い年月を生きているらしい。ヨハンとは古くからの付き合いなんだそうだ。
「これからはやっとセスと一緒にいられるのだろう。よかったな」
ジスランが手に持っていた箱を床に下ろして、私に優しく微笑んだ。
ジスランはもちろんセスとも知り合いだし、今回のこともすべて知っている。私のためにと自分の奥さんであるレクシーを診療所に泊めさせてくれたのも彼の心遣いだ。
「はい、ありがとうございます。ジスランさんにも色々と迷惑をかけてしまってすみませんでした」
「いや、迷惑だなんて思っていない。むしろ、何の力にもなれなくて申し訳なかったね」
「いえ……」
彼ならばレクシーを任せてもいいとヨハンが思ったのも頷けるくらい、ジスランはできた人間だ。そんなに長い期間接してきたわけではないけれど、いい人だという印象しかない。
「シエル、話は夜でもいいか? 俺もお前に話したいことがあるんだ。うちに泊まるんなら夕飯作ってくれ」
「あ、はい」
そう矢継ぎ早に告げてヨハンはジスランと薬について話を始めてしまったので、私はそんな2人を横目に診察室を出た。
◇ ◇ ◇
「俺がセスにどこまで話したのか、だったな」
夕食が並んだ食卓に着くなり、ヨハンが口を開いた。
「はい」
「それは、お前がミハイルの能力を引き継いだかもしれないことをセスに話したかって意味か?」
私が何か言葉を続けるより早く、ヨハンが言った。
話が早い。
まさしく私が聞こうとしていたことの一つはそれだ。
「そうです。セスは私がヨハンさんに話したこと、私がここに来てからのことを全部ヨハンさんから聞いた、と言っていましたが、その全部がどこまでを指しているのか判断できなくて」
「夢のことは話してない。お前からも言わない方がいいんじゃねぇかと思う。前世の時に分からなかったお前の特殊能力は、前世の記憶を持って転生できることで、ミハイルの能力を継いだことじゃねぇと思うんだよな」
私の言葉にヨハンは眉を寄せて答えた。
「それが何の要因でそうなったのかは分からねぇが、言うことによって状況が悪くなることはあっても、良くなることはねぇだろ」
「確かに……」
ヨハンの言うことは最もだ。
しかし前世の時そうやって隠したせいであんな結果になってしまったので、セスにだけは話したいと思っていた。




