第47話 Side-セス
"貴方は口笛一つで私を殺せたのに"
それが、ユスカの最期の言葉だった。
クルスの調べという術の詳細を知っている地族は少ない。
天族が自死を可能とする術、ということだけはそこそこ知られているようだが、その術を実際に目にした者はほぼいないだろう。
ミトスに来てまで自死をする天族などそういないだろうし、そもそも使える人間が少ないからだ。
だから初めて扉を目にしたユスカがそれを欲しがったのは、単に俺の持っているものを自分のものにしたいという欲求から来るものだと思っていた。
"ねぇ、これ頂戴"とねだる彼女の声を、俺は今でも覚えている。
その時だけじゃない。幾度となく彼女は扉を欲しがった。
だめだと何度言っても諦めなかったから、これは持っているものを殺すための触媒なんだと伝えた。そう言えば諦めると思った。なのに、"じゃあなおさら欲しくなった"と思いもよらない答えが返ってきて俺は驚きを隠せなかった。
"これを持っていれば私の命は貴方のものってことでしょう?"
そんな俺を意に介さず続けられた言葉で、俺の心は傾いた。
後々になって、クルスの調べで秘石ごと肉体を消滅させないために扉を俺から離しておく必要があったのだと気づいたが、そうと知らないその時の俺は嬉しかった。
だから渡した。それでユスカのすべてを手に入れられるような気がして。
何とも滑稽な話だ。
ユスカは最初からそれがクルスの調べの扉であることを知っていたというのに。
すべては俺を欺くための演技だったというのに。
ヨハンから、女の死体があった場所にこれだけが残されていた、と扉を渡されたのは、彼に従事するようになってから実に1年が過ぎた頃だった。
ヨハンにはそれがクルスの調べの扉だとは分かっておらず、ただ単に俺が彼女に贈ったアクセサリーだと思っていたようだ。見ると辛くなるかもしれないからと1年ひた隠しにしていたのだと彼は語った。
この扉は術式を組み込んだ俺の神力にしか反応せず、触媒自体にそこまでの価値はない。ユスカの死体を回収した組織の人間からしたら、持ち帰るほどのものではなかったのだろう。
正直、ヨハンに助けられてすぐの時に渡されたら、即刻使ったかもしれない。
その時の俺の中にあったのは絶望と、確実なる憎しみだったから。
それはユスカに欺かれた俺自身に対してでもあったし、最後の最後で俺を殺すことに失敗したユスカに対してでもあったし、頼んでもいないのに勝手に俺を助けたヨハンに対してでもあった。
すぐにでも死んでしまいたいと思うほどにそれらは深く、黒く渦巻いていた。
でもそれから1年経った頃の俺には最早どうでもよかった。
俺はリュシュナ族だ。ミトスでは誰からも狙われる。今までだってそうだった。人を信用した自分が悪い――――。そう考えると早々に諦めがついた。
だからネックレスが何なのかをヨハンに説明することもなく、俺は黙って受け取ってまた首にかけた。
それを"目に見える愛"だと称してユイに渡したのは、別に彼女の命を預かりたかったからじゃない。
今度こそ大丈夫だと思いたかった。
ユイはユスカとは違う。それを自分の中で確かなものにしたいだけだったんだ。
使うつもりなんてなかった。
殺すつもりなんてなかった。
何よりも大切なんだとやっと気づいたのに。
俺には、彼女が必要だったのに。
神が、世界が彼女の存在を悪だと言うのなら、閉じ込めて誰の目にも触れさせなかったのに。
でも、そんな彼女は帰ってきた。
前世の記憶を持ち合わせたまま、姿だけを変えて。
そんな話は聞いたことなかったし、にわかには信じ難かったが、ヨハンが嘘を言っているとも思えず、また彼女の動揺具合もそれを証明していた。
本来なら、あんな邂逅になるはずなかった。
だって俺は変わらず彼女を愛していたし、彼女だって俺に会うためにヨハンの元にいたのだから。誤解なら、すぐに解けるはずだった。
だから許せなかった。
彼女を壊したシアが。
俺の唯一の大切な人を壊したシアが。
その時俺の中にあったのはどうしようもない嗜虐心。
シアと血の繋がりがあるのだと思い知らされるほどの強い嗜虐心だった――――。




