第46話 Side-セス
シエルという人間は何とも不思議な人間だった。
本当に、何から何まで不思議だった。
不自然な神力量、やけに女性的な思考や気遣い、斜め上を行く行動、不思議すぎてこの人は一体何なんだろうと事あるごとに頭を悩ませていた。
やたらと俺を気に掛けてきたことも不思議だった。一線を引いていたはずなのに、なぜそこまで俺に構うのか理解ができなかった。
別にシエルに限ったことではなく、3班のみんなは誰しもが俺に損得ない感情を向けてきたが、その中でも群を抜いて俺に踏み込んでくる彼のことは一番理解ができなかった。
それでも悪い気はしなかった。
俺のことを考えて、俺のために感情をぶつけてくれたのが純粋に嬉しかったからだ。
今思えばこの時から俺はすでにシエルの人間性に惹かれていたのだろう。
彼が転生者だと打ち明けて来た時、なるほど、と思った。
だから彼はアンバランスだったのか。彼の中にいる"誰か"はきっと女性なのだろう。そう思うとすべての辻褄があった。
しかし彼、いや彼女はそのことを俺に伝えてはこなかった。
受け入れてほしいだの殺してほしいだの、明らかに俺を特別視していながらなぜそれを言わないのだろうと不思議だった。
でも、それでよかった。彼女がそれを望むのなら、俺にとっても都合がよかった。だからシエルが女性だろうという意識を、俺は頭の片隅に追いやった。
仲間でいい。
それ以下でもそれ以上でもなくていい。
彼女が俺に寄せる想いはすべて仲間としてのものであって、俺が彼女に寄せる想いもすべて仲間としてのもの。ただ、それだけ。
ただそれだけだと言い聞かせるために、俺は薬で錯乱する彼女が伸ばした手を掴めなかった。
怖かった。
その手を取ってしまったら、俺たちの関係性が変わってしまう気がして。
彼女は俺に助けを求めていたのに。
彼女は俺の名を呼んでいたのに。
助けに行くと言ったのは……俺なのに。
裏切ってしまった。傷つけてしまった。
裏切られる前に。傷つけられる前に。
彼女はそんなことをする人間ではない。そう思っているはずなのに、どうしようもなく怖かった。
彼女の気持ちがいずれ嘘になるかもしれないのなら、初めから受け入れない方がいい。
だって彼女は闇を知らない人間なのだから。その時そこに残るのは金のための嘘ではなく、本物の嘘だ。――――真実だ。
そうなったら俺はもう二度と立ち上がれなくなる。
ゆえに、彼女の手を取るのが怖かった。
それが出来なかったから、彼女は絶望という名の深い闇へと堕ちていったのだろう。
昏々と眠り続ける彼女を見ていると、自己嫌悪でどうにかなりそうだった。せめてもの償いとして俺の手で楽にしてあげようか、そういう考えすら浮かんだほどに。
だからちょうどいいと思った。
ルブラから彼女を脱出させるために自分の命を懸けるのは。そうしてすべてを終わらせるのがお互いのためだろうと、そう思った。
なのに、まさか彼女に命を懸けられるなんて。
彼女を信じきれなかった罰なのか、彼女から逃げてしまった罰なのか、彼女に命を賭せば赦されると思っていた罰なのか。
何にせよ、どうしようもない絶望と後悔で死にたくなった。が、救われた命を捨てることもできなかった。
彼女の想いは嘘じゃなかった。口で伝えてくることすらなかったのに、こんなにも本物だった。もし彼女を信じて想いを返せていれば、ルブラで一緒に死ぬことができたのだろうか。そういう思いに打ちひしがれて、長い間あそこから動くことが出来なかった。
立ち直るまでは時間がかかった。いや、結局のところ、立ち直れはしなかった。
今まで誰かの死に対してこんなにも心を揺り動かされることなどなかったのだ。立ち直り方など知らなかった。
きっと俺は、シエルの中にいた"誰か"をどうしようもなく愛していたのだ。
いつからなのかも分からない。
名前すら分からない。
顔も知らない。声も知らない。
でも、その"誰か"をどうしようもなく愛していた。
正直、ロッソで彼女に再会したあの日のことは、今でも夢だったのではないかと思う。
彼女が生きていたことも、彼女が全てを告げて来たことも、自分の想いを伝えたことも。
互いに、狂おしいほどの愛に溺れていたことも。
クルスの調べの扉を、彼女に渡したことも。




