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第45話

「確かに君の知らない俺だったかもしれないね」


 私から視線を逸らし、セスが小さく笑う。


「でもそれはなってしまったわけじゃなくて、最初からそうだった。今まで機会がなかったから見えなかっただけで、君と初めて会った20年前の俺もそうだったよ。だって俺はシアと姉弟だから。血が、繋がっているから」


 シアと同じになってしまうのではないかという私の不安を見透かしたような言葉。


 しかし、そうか。そうなのか。最初からそうだったのか。


「じゃあどうしてそんなに遠くにいるの?」


「……遠く?」


 私の質問の意味が分からなかったのだろう、セスが一瞬の間を開けてから聞き返した。


「セスはここで私を待っていてくれたんだよね。私に来てほしいと……思ってくれてたんだよね?」


「そうだよ。待っていた。君が来てくれるのを……待っていたよ」


 セスは悲しげに笑う。


「じゃあどうして……どうしてセスの心はそんなに遠くにいるの?」


「…………」


 セスの顔から笑みが消えた。

 悲しそうな表情はそのままに、私から視線を逸らしてどこか一点を見つめている。


「待っていたと言いながら、貴方の心は来ないでとも言っている。そのままどんどん、離れていってしまいそうだ。お願いだから、行かないで……。もっと近くに来てほしい」


 ずいぶんと抽象的な言葉だったかもしれない。

 セスにしてみたら意味が分からなかったかもしれない。


 それでも彼は何かを決意したように一度目を伏せ、そしてゆっくりと開けてから私をまっすぐに見据えた。


「……いいの? 一度踏み込んだらもう引き返せないよ。君が俺をゆるし、受け入れると言うのなら……もう二度と、俺は君を手放さない」


「…………」


 返って来た言葉は予想外のものだった。


 予想外すぎて、思考がすぐには追いつかなかった。


「だからよく考えて。俺は一度君を殺した。そのせいで君は長い期間苦しめられてきた。君の心と躰を傷つけた元凶は俺なんだよ。その俺を君はゆるせるか?」


「…………」


「君が知らなかった俺を、受け入れられるか? シアと血が繋がっている俺を……君は受け入れられるのか?」


 真剣な表情だった。

 射抜くように私を見つめて、彼は真剣にそれらを問うている。


 引き返すなら今だと、そう言っている。


 でも。


「……受け入れるよ」


 そう言って立ち上がり、セスの傍まで歩いてきた私を、彼は縋るような表情で見つめている。


「私が知らなかったセスは最初からそこにいた。なら、今ここにいるのはあの時と何も変わらないセスでしょう?」


 手を伸ばし、セスの頬に触れる。

 その刺激に彼はわずかに体を震わせたが、拒むことはなかった。


「ねぇ、セスの方こそ私を受け入れられる? ここにいるのはあの時の私じゃない。貴方の知らない私だよ」


「……そうだね。俺の知らない君だ」


 頬に触れている手に、セスの手が重なる。


「だから教えて。君の全部を。どんな君でも俺は、受け入れるから」


 そして切なげに、儚げに笑った。


 あの時と変わらない顔で。あの時と変わらない、優しい声で。


「……じゃあお願い、また呼んで。貴方にあげた貴方だけの名前を。そして縛って。もう二度と離れないように」


「っ……ユイ――」


 私の言葉に彼は一瞬息を詰め、切なく名を呼んでから私の手を強く引き、抱き寄せた。


「……っ」


 抱き寄せられた勢いで全体重をかけてしまい、少し離れようと身じろいだが、それすらも許されないほどの力強い抱擁。


「もう引き返せないからね……。君は俺のものだ。誰にも渡さない……神にもだ」


 耳に届いたのは、絞り出したような掠れた声。


 痛くて、苦しくて、切ない声。


 それがどうしようもなく嬉しくて、閉じた瞳から涙が一筋流れ落ちた。


「……うん。私のすべてをあげるから私にもすべてをちょうだい。貴方の命も、心も、過去も未来も、何もかも」


 首に回した腕に力を入れて、ささめく。


「いいよ。俺も君のものだ。全部あげる」


 ずいぶんと狂気にまみれた言葉だったと思うが、彼は返す言葉に喜びさえ滲ませてさらに抱く力を強めた。


「……っ、セス……」


 苦しさで息が詰まる。


 それでも、抱きしめられた体に伝わるのは甘美なほどの喜び。


「ねぇ、セス、教えて。伝えたいことを。聞きたいことも。私も全部教えるから……」


「……うん」




 やっとここにたどり着いた。


 長い長い時間をかけて。



 私はやっと、帰って来た。

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