第42話
目が覚めたらヨハンの診療所にいた。
誰もいない部屋で、1人ベッドに寝かされている。
ゆっくり上体を起こすと、着ていた服とは別の服を着させられていることに気付いた。
血と汚れに塗れていたはずの体も綺麗になっている。
首元に手をやると、封力の首輪も着けられていなかった。
「あ、ああぁぁ……」
それを認識した瞬間、どうしようもなく涙が溢れた。
あれからどれくらいの時間が経過してしまったのだろう。
何がどうなったのか分からないまま、きっとすべてが終わってしまった。
何もできないまま、命が一つ、消えてしまった。
「うわあああああぁぁぁ――――っ!!」
溢れ出る感情が何か、分からなかった。
分からなくて、不安で怖くて、それを掻き消すように私は両手で顔を覆って泣き叫んだ。
狂ってしまったのではないかと思うほどに。
「シエル……」
不意にレクシーの声が聞こえてビクリと体が震えた。
顔を覆っていた両手を下げると、滲んだ視界の向こう側にレクシーの姿があった。
「う、ぁ、レクシー……レクシー……っ!」
「シエル……」
覆いかぶさるように、レクシーが私に抱き付いた。
温かくて、優しくて、苦しかった。
◇ ◇ ◇
「…………」
診察室に入ると、ヨハンは無言で椅子をくるりと回して私の方を向き、真剣な表情でこちらを見つめた。
私がここに連れて来られてから丸1日が経過したらしい。
しかしレクシーはそれ以上のことを、何一つ語らなかった。
それでも泣いている私に彼女はずっと付き添ってくれて、荒立っていた私の心はだいぶ落ち着きを取り戻すことができた。
「セスはどこですか」
「……ここにはいない」
開口一番に告げた私の言葉に淡々と答えながら、ヨハンは私の元に歩いてきて紙切れを手渡した。
紙には綺麗な文字でどこかの住所と、何かの名称、番号が書いてある。
これは、セスの字だ。
「セスはそこにいる。どうするのかはお前が決めろ」
私が持つ紙切れを指さして、ヨハンが言う。
「それは、行くか行かないかということですか?」
「それもそうだし、行って終わりというわけでもねぇだろ」
「…………」
セスは、私が最後に言った「いかないで」という言葉を聞いて、ここで待ってくれているのだろうか。
私が来るのを、待ってくれているのだろうか。
「シアはどうなったんですか? ルーチェは?」
「死んだ」
間髪入れずにそれだけの言葉が返ってきた。
「ルーチェも?」
「ああ。ルーチェがそれを望んだからな」
「……そうですか」
結局、ルーチェが何を思っていたのかはよく分からなかった。
私に素直について来てセスを助けてくれたのに、何故シアの後を追うように逝ってしまったのだろうか。
しかしそれをヨハンが容認したとは……ヨハンらしくないように思う。いや、私がヨハンの何を知っているというのだ。
「お前がシアに連れ去られた後、ルーチェは1人でここに戻ってきてお前を助けてほしいと懇願した。あの時ルーチェがここに来なかったら、おそらく今とは違う結末を迎えただろう」
ヨハンの言葉に、だからセスがルーチェを人質に取っていたのだと理解した。
助けに来てほしいとここにやってきたルーチェをセスが利用したのだろう。
「どうしてルーチェがそんなことを……?」
「さぁな。俺も疑問に思ってその意図を聞いてはみたが、答えは返ってこなかった。あいつもあいつなりに、シアの歪んだ心を何とかしたいと思ってたのかもな……」
「……なるほど」
歪んだ心。
そうだな。歪んでいた。シアだけではなく、誰も彼もが。
私も、今目の前にいる、彼さえも。
「……行ってきます」
「お前、俺に何か言いたいことがあるんじゃねぇのか?」
ヨハンの脇をすり抜けて扉へ向かった私の背に、ヨハンが問いかけた。
ヨハンに対して思うことはもちろんある。
しかし彼の行動には、彼なりの意図があったのだろう。今になって思えば理解できなくもない気がした。
それを、私が望んでいたかは別として。
「――――助けてくれてありがとうございました」
振り返ってそう告げた私を、ヨハンは苦しげな表情で見つめていた。




