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第37話

 振り上げられた短剣は力なく投げ出されていた私の右の手の平を貫いて、硬い床に深く埋め込まれた。


 痛みに体を捩ればそれが傷口を抉り、さらなる激痛を呼んだ。

 しかし声の限り上げた悲鳴に応える者などいない。

 きつく閉じた目を開くと、生理的に浮かんだ涙で視界はぼやけていた。


「セスに会えたんだったら、どうして馬鹿正直に帰って来たの? どうして素直にルーチェを送り届けたの? そのままルーチェを人質にすればよかったのに」


 嘲笑うような声が降り注ぐ。


 そうだな。どうしてそうしなかったのだろう。

 ルーチェがあまりにも素直に力を貸してくれたから、傷つけたくなかったのかな。ヨハンだってそれを提案してくることはなかったし、私たちはこの世界で何年生きていても結局は日本人の性というものに縛られているのだろうか。


「それとも、セスに拒絶された?」


「…………」


 クスクスと、笑い声が聞こえた。


 いいや、違う。拒絶したのは私の方だ。

 セスは私と話をしたがっていた。それを無理やり力で抑えつけたのは他ならぬ私だ。


 あの時素直に話し合っていれば、こんなことにはならなかったのに。


「まぁ、いい。お前の詰めが甘かったお陰で私は復讐を果たせる。お前をセスの目の前で殺してから、絶望に堕ちたあいつを殺してやる!」


「……!」


 不意に紡がれたその言葉に、カッと頭に血が上るのを感じた。


 力を込めて右の手の平に刺さった短剣を引き抜く。


「う、ああああぁぁぁっ!!」


 痛い。とんでもなく痛いけど、正直よく抜けたと思う。

 火事場の馬鹿力とはきっとこういうことを言うのだろう。


 痛みを堪えて、立ち上がりざまにシアに切りつける。

 それをシアは、面白いものを見るような表情でひらりとかわした。


「あはは。いいね、その目。獣みたいだ。セスが見たらどう思うだろうね?」


「黙れ! 殺してやる……お前を殺してやる!!」


 腹の底から唸るように叫んだ。

 こんなにも人を憎いと思ったことが今までにあっただろうか。


 地面を蹴ってシアとの距離を詰める。

 腹を狙って振った剣は、しかしいとも簡単に躱された。そのまま間を開けず再び距離を詰め、剣を振る。

 だがそれも舞うようしてに躱されてしまった。そういう仕草がどうしようもなくセスと似ていて、余計に憎らしい。


 二度、三度と剣を振るも、利き手ではない左手での攻撃はシアにとっては子供の遊戯と同じなのだろう。不敵な笑みを崩さず、わざと隙すら見せて戯れている。


「くそっ……馬鹿にしやがって……!」


 今まで使ったこともないような口汚い言葉を吐きながらグッと深く踏み込み、昂った怒りをぶつけるように短剣を振りかぶった瞬間、シアの姿がフッと消えた。


 私からは、そう見えた。


 それが誘い込まれたのだと気づいた時にはもう、私の体はシアの足によって蹴り飛ばされていた。


「ぐっ……あ……っ!」


 乱雑に置かれていた木材の塊に突っ込み、一緒に崩れ落ちる。全身を強かに打ち付けたせいで、体を起こすことは叶わなかった。


「うぐ……っ!」


 いつの間にか側まで来ていたシアに再び蹴り飛ばされ、固い床を転がった。


 握っていたはずの短剣が見当たらない。私はまた、すべてを失ってしまった。




 ◇ ◇ ◇




「うっ……! がはっ……!」


 喉からせり上がって来た何かを吐き出すと、赤いものが床を濡らした。


 どれくらいの時間が経過したのか分からないが、あれからシアはひたすら無言で私の体を執拗に足で蹴り続けている。

 なぶる。そんな言葉がぴったりなほど致命的な一撃は与えられずに、苦痛だけを与えられていた。


 視界がぼやけてはっきりしないのでシアの表情を窺うこともできず、恐怖心だけが煽られていく。


「ぐ、ぁ……!」


 蹴り飛ばされ、固い床に叩きつけられる。

 先程まで自分を支配していた怒りや憎しみは今はもう影すら見えず、ひたすらに終焉を願い続けるもその苦痛が終わることはない。


 痛い。


 辛い。


「う……ぁ……殺、して……もう、殺して……」


 思わずそう懇願する。そうしたところで殺してくれるはずがないことなど分かっているのに。


「殺して……うぅ……お願い……殺して……」


 それでも一度出てしまった言葉は止まらなかった。

 涙と共に溢れるように流れ出ていく。


 ぼんやりとした思考の中で浮ついたように繰り返し、やがて意識は闇へと沈んでいった。

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