第35話
「お前……本当に連れて来たのか」
ルーチェと共に診療室に入るなり、セスの処置をしていたヨハンが驚いた様子でそう口にした。
「貴方は……この人、は……」
一方のルーチェもヨハンとベッドに横たわっているセスを交互に見て驚きを表した。
50年前に一度自分を買ったヨハンのことを覚えていたのだろうし、ベッドに寝かされている人物がセスであることも見てすぐに分かったのだろう。一度に与えられた情報量の多さに混乱しているようだった。
「……久しいな。あの時助けてやれなくて悪かった」
ルーチェの視線が耐えられないとばかりに、ヨハンが難しい顔をして視線を逸らした。
「ヨハンさん、セスは……」
「あぁ……ちと危ねぇな……」
50年ぶりの邂逅に水を差すのも悪いと思ったが、今はそれよりもまず優先してもらわなければならないことがある。急かすように聞くと、ヨハンは悲しげな瞳で私を見つめてそう返した。
「…………」
「でもルーチェを連れて来たってことは、その血液をセスのために提供するつもりと受け取っていいんだよな?」
言葉を失った私と未だ困惑の色を隠せないルーチェを交互に見比べてヨハンが問う。
助けてほしい相手がセスであることはルーチェに伝えていない。先ほどは首を縦に振ってくれたルーチェだが、それを知ってもなおそうしてくれるだろうか。
「ルーチェ様、見ての通り、助けてほしい人はシア様の弟であるセスです。どうか助けてください。私は貴女を……傷つけたくない」
ルーチェに向き合って真剣な表情で告げる。
半ば脅しだ。これで首を横に振れば傷つけると暗に言っているのだから。
「いいよ。私はいいけど……これがシアに見つかったら……」
それでもルーチェは予想外にすんなり頷いた。
しかしもし見つかったら。見つかったらどうなるのだろう。ルーチェに手を出したら許さない、とシアは言っていたが、連れ出した上にセスを助けたとなったら、さらに激昂させることは間違いない。
「……そうですね。だから急いでお願いします」
「見つかったらどうなるんだよ」
「……どうなるんでしょうね。いいことは起きないと思いますが」
私とルーチェの会話に割り入って来たヨハンの言葉に、私は曖昧に濁すしかなかった。
「まぁ、もう来ちまったもんは仕方ねぇ。急いでくれ。こっちもこっちで時間がない」
それ以上何も聞かずに、ヨハンは準備に取り掛かった。
◇ ◇ ◇
ルーチェの血液を採取している間、私は血に塗れた自分の服を洗い、混合術で乾かした。
迂闊に別の服に着替えでもしたらシアに不審がられる。なるべく証拠は隠滅しなければならない。
「終わったよ、シエル。早く帰ろう。シアに見つかる前に」
ちょうど乾かし終わった時に、ルーチェが声をかけて来た。
もう終わったと言うのか。ずいぶんと早い。
「これでセスは助かる。ありがとな。後は俺の仕事だ。安心しろ」
忙しなくセスに処置をしながらヨハンが言った。
「ヨハンさん……ありがとうございます。お願いします」
「……早くルーチェを帰して来い、シエル。そして戻って来い。もうシアの元にいる理由なんて、お前にはねぇんだから」
「…………」
それはセスが許してくれれば、の話だ。
私はセスを殺しかけた。その私を、セスは許してくれるだろうか。
「……そう、ですね。戻ってきます。そしてちゃんと、謝らないと……」
でも逃げてはいけない。犯した罪から目を逸らしてはいけない。
「ああ、そうだな」
掠れた声を絞り出した私に、ヨハンは悲しく笑って頷いた。
◇ ◇ ◇
宿までの道を先程と同じように走って戻る。
さすがにもうシアは話を終えてしまっただろうか。焦る気持ちからルーチェの手を強く引いてしまったと思うが、ルーチェは何も言わずに必死についてきてくれた。
「すみません、無茶をさせて。セスを助けてくれてありがとうございます」
宿に戻って息を整えているルーチェに声をかけながら荷物を纏める。
ルーチェは苦しげな息の元、小さく「大丈夫」と返してくれた。
早く戻らなければ。シアに見つかる前に。
「私、行きますね。何もお礼ができずすみません」
そう矢継ぎ早にルーチェに告げて扉を開けた瞬間、そこにシアがいた。




