第18話
「くっ……あ……っ!」
首筋に深く食い込んだ牙がもたらす痛みと、血を吸い取られていくことによる脱力感に体は上手いこと動かず、出来得る限りの抵抗は何の意味も為さなかった。
「う、あぁ……っ」
気持ち悪い。
この感覚は2度目だ。1度目は、前世でリィンの餌になった時。
しかしその時とは比べ物にならないほど不快感が強い。まるで自分の中のすべてがカミューに支配されていくかのようだった。
「美味いな、シエル。吸い尽くしてしまいたくなる」
そう言いながらカミューが私を解放し、立ち上がる。
力を失った体は為す術もなく床に崩れ落ちた。
「……ある男はリビ大陸の現状を見て、吐き気がしたと口にした。この世界自体が狂っているのに、リビ大陸はさらに狂気に塗れている、と」
唐突にそんなことを語り出したカミューを、朦朧とした意識で見上げる。
不敵に笑うカミューは「王」の称号が相応しいほどに、凛として荘厳だった。
「それはそうだろうな。生まれた子供を強制的に国が取り上げ、ただの殺戮人形へと作り変えて戦わせる。この大陸以外で生きて来た人間にとっては狂気でしかないだろう。それが異世界と呼ばれるところから来た人間なら、なおさら」
「…………」
まるで、私が元いた世界がどういう世界だったのか知っているかのような口ぶりだ。
カミューは転生者に会ったことでもあるのだろうか。
「吐き気がした、と口にした人間も、そんな異世界から来た人間だった。自分の足でダダンへと降り立ち、惨状を目の当たりにして恐怖に震えたそうだ。名をイリヤ。この世界の医術を確立させるという偉業を成したにも関わらず、数多の人間に利用され逃げるように姿を消した————ダークエルフ」
「…………!?」
その言葉で朦朧としていた意識が僅かに覚醒する。
この世界の医術を確立したダークエルフ。それは……それは、きっとヨハンのことだ。ヨハンというは偽名だったのか。きっと姿を消した時に名前を変えたんだな。
「カミュー様は……その方に会ったことがあるんですか?」
「会ったことはある。やつは名を変えていて……確かヨハンだったか。エスタで売られていた奴隷のルーチェを最初に買い付けたのがやつでな。そのヨハンにルーチェを譲ってほしいと取引を持ちかけ、断られたから奪い取った。その程度の関係性だ」
何とか声を絞り出して聞くと、そんな答えが返ってきた。
やはりイリヤがヨハンで間違いはなかったようだ。
でもヨハンがルーチェを、奴隷を買い付けただって?
まさかヨハンがそんなことを?
しかしながら"奪い取った"という言葉は穏やかじゃない。
この男はルーチェを奪うため、ヨハンに手荒な真似をしたということだろうか。だとしたら許せない。
「ヨハンが今生きているのかは知らんし、生きていたとしてもエスタにいるのかも知らんが、もしやつに会えたならお前にとって大いなる味方となろう」
「……え……?」
思いもよらない言葉に思考が停止する。
その言い方ではヨハンを見つけ出して会いに行けと言っているように聞こえる。
「異世界から来たお前がここで生きるのは辛かっただろう。これが普通だと思って生きている人間の中で、異常だと知りながら普通を演じるのは」
「…………」
なぜ、カミューが私にそんな言葉をかけるのだろう。
理解できない。
そんな私の思惑は知らないとばかりにカミューが奥の戸棚の方へ歩いて行き、立てかけられていた私の剣と何かが入った皮袋を手に取って戻ってきた。
私はそれを、未だはっきりしない頭でぼんやりと見つめていた。




