第17話
その人は、たまたまそこにいただけの人だった。
別に何か害を為してきたわけではない。
ただ、運が悪かっただけの人。
すれ違いざまに、私はその人に向かって石つぶてを放った。
きっとすれ違っただけの私がいきなりそんなことをしてくるなんて予想もしていなかっただろう。その人は「ギャッ」と短く悲鳴を上げて倒れた。
殺してはいない。殺してはいないが、これがバレたらただでは済まないだろう。
でもそんなことはもうどうでもよかった。
どうせこの後私は死ぬのだ。バレようがバレまいが、関係ない。
倒れた人間が腰に帯びていた剣を引き抜く。
これを使って、私はカミューに奇襲をかける。
◇ ◇ ◇
「入れ」
ノックをするとすぐに中からカミューの声が聞こえた。
扉を開ける前に私は剣を鞘から抜き、扉越しでもカミューが感じられるように、強い殺気を纏う。
中途半端は許されない。確実にカミューに返り討ちにされるよう、本気でかからなければ。
勢いよく扉を開けて、奥の執務用の椅子に腰かけていたカミューと一気に距離を詰める。
カミューは驚きの目で私を見つめている。
それでも勢いは緩めない。私はそのまま、カミューの胸元を狙って剣を横殴りに振った。
「ぐっ……!」
「…………っ!?」
しかしその剣は、予想に反して何の回避行動も取らなかったカミューの胸元を深く切り裂いた。
肉を断つ感触が、剣を握る手から生々しく伝わってくる。
「あ……っ」
剣が手から滑り落ちた。
カミューは机に突っ伏したまま動かない。
流れ出た血が、机の上に散らばっていた書類を赤く染めていく。
殺してしまったのか?
まさかそんな簡単に?
そんな簡単にここを陣取る人間を殺せるとでも?
こんな奇襲に為す術もなく?
「痛いじゃないか、シエル」
しかしそんな思考を打ち砕くかのように、カミューが体を起こした。
机を伝って床にポタポタと滴っていた血が、逆再生しているかのようにカミューの体へと吸い込まれていく。一度は赤く染まったはずの紙すらも、元の状態に戻っている。
「……ひっ」
その悍ましい光景に、私は思わず後ずさった。
「どこでその剣を手に入れたんだ? お前の剣は俺が持っているはずなんだけどな」
妖艶な笑みを浮かべてそう言いながら、カミューが椅子から立ち上がる。
裂かれた服の隙間から見える肌には、傷の1つも付いていない。
「…………」
「シアから聞いてなかったのか? 俺は吸血族っていう魔族なんだよ。って言っても、異世界から来たお前には分からないか」
驚きに目を見開いている私を見て、カミューが言った。
なるほど、吸血族。だからカミューも見た目が老いることがなかったというわけか。
リュシュナ族にクビト族に吸血族。
ずいぶんと多種多様な種族の人間が集まっていたものだ。
「……どうぞ、殺してください」
カミューの言葉には答えず、私はそれだけ言って膝をつき、両手を後ろ手で組んだ。そして頭を垂れて、首を切りやすいようにする。
カウンターで殺してもらうことには失敗したが、どちらにせよここまでの無体を働いた以上、カミューがこの場で私を殺すだけの理由は充分にできた。
「…………」
カミューが近づいてくる音がする。
やがて視界にカミューの磨き上げられた靴が映り、次に同じく膝をついたらしいカミューの足が目に映る。
「お前、死ぬために俺に剣を振ったんだろう」
そう言いながら私の顎をクイと持ち上げた。
カミューはイケメンなので、状況が違えばそれなりに胸を高鳴らせたかもしれない。
しかし今、ずばりと思惑を見抜かれ、私の胸はそれとは違う意味で高鳴った。
「…………」
視界を上げられたことで、不敵に笑うカミューと目が合う。
カミューは血のような真っ赤な瞳で私を真っ直ぐに見据えたまま、
「殺してなんかやらんぞ。お前は、俺のものになったんだからな」
そう、絶望的な言葉を吐いて、私の首筋に深く牙を突き立てた――――。




