第142話
魔王ローレンスが死去した。
そんな情報がアルディナ中に出回ったのは、私が天族となって一年が経ち、正式にセルナの所属となってからだった。
魔王の死去という前代未聞の出来事は天族にとっても衝撃が大きいものらしく、誰も彼もがその話で持ちきりなのは非常に印象的だ。
しかしどうしてローレンスは死んだのだろう。あの出来事から一年以上経った今になって。
二度目の失敗でいよいよ神に消されたのだろうか。だとしたら、少し哀れに思う。彼も別に好きで私を狙っていたわけではないのだし。
そんなことを思ってるなんてローレンスが知ったら、"蔑むな"と言われそうではあるけれど。
◇ ◇ ◇
「またわざと怪我してきたね?」
「いや、右目が見えないから感覚が掴めなかっただけだよ」
例のごとく"怪我をした"とセルナを訪れて来たセスに睨みをきかせると、彼は私の視線を気にも留めずに穏やかな笑みを浮かべてそう返した。
……血だらけで。
「あのねぇ……」
会うのは二ヶ月ぶり、といったところだろうか。
そろそろ来てくれるかな、と思ってしまっていた自分がいるのも事実だが、さすがに毎回同じパターンで来られるとこちらも居たたまれない。
「ねぇ、ユイ。今日の夜、会えないかな?」
「え?」
とはいえ追求しても無駄なことは分かっているので半ば諦めつつ治癒術をかけていると、セスから思いもよらない言葉が発せられた。
「何か予定あった?」
「いや、ないけど……え、会える、の?」
この一年強、セルナの外でセスに会ったことはない。事あるごとに彼がこうして会いに来てくれなければ、一度たりとも会うことはなかっただろう。こんな風にお誘いを受けるなど、誰が想像できようか。
「うん、会おうか。後で君の部屋に行ってもいい?」
「えっ、部屋に!?」
部屋に行ってもいい? という言葉に驚きすぎて、思わず治癒術をかけていた手が止まる。
いや、別に寮だからと言って誰かを招くことが禁じられているわけでもないし、アルディナに来るまで同じ部屋で寝ていた関係なのだが、一年以上こんな生活を続けていたせいで妙に恥ずかしく感じてしまう。
「だめ?」
「あ、いや、そういうわけじゃなくて……」
何だかとても可愛らしい感じに問いかけられ、心臓がさらに早鐘を打つ。
セスはベッドに腰かけているので私よりも視線が低く、上目遣いになっているのも要因の一つだ。
「じゃあいいってことだよね。よかった。後で部屋の番号教えて?」
「う……うん、分かった」
有無を言わさないくらいの満面の笑みに押され、反射的に頷く。
ここで否とでも言ったら、捨てられた子犬のような顔をするに違いない。そんな顔をされたら居たたまれないどころの話ではなくなってしまうからな。
◇ ◇ ◇
「シエルちゃん」
「……! グレゴリオさん!」
セスが帰ってしばらく経った頃、不意に現れたグレゴリオに声をかけられ、驚きから持っていた書類を取り落しそうになった。
「久しぶりだね。元気?」
「あ、はい。おかげさまで。グレゴリオさんもお元気そうで何よりです。サリタさんに会いに来たんですか?」
見たところ怪我はしていない。となると、奥さんであるサリタに何か用事でもあるのだろうか。そう思って尋ねると、しかしグレゴリオは首を振った。
「いや、君に会いに来たんだよ」
「私に……?」
私に会いに来た、と笑顔で告げられ首をかしげる。
グレゴリオの管理下を離れてからサリタを通じて食事に招かれることは何度かあったけれど、こんな風に直接会いに来ることはなかった。何だか今日は珍しいことが続くな。
「渡したいものがあってね。これなんだけど」
そう言ってグレゴリオから手渡されたものを受け取る。
「……宝石?」
それは、手の平サイズの水晶のようなものだった。セスの瞳の色のように青い色をしていて綺麗だ。
「それはね、神力の一部を切り取って結晶化したものなんだ。神力の持ち主が死ぬと壊れるから、任務でミトスに降りる人間の生存確認に使われている」
「……!」
グレゴリオのその言葉で、昔セスが"一族に生死を把握されている"と言っていたことを思いだした。それを聞いた時、どんな方法で把握されているのだろうと疑問に思ったからか、今でも記憶に残っていたようだ。
グレゴリオがそれを私に渡してくるということは……。
「これはセスの、ということですか?」
「ご名答」
「でも、どうして……」
セスがミトスに降りている間、グレゴリオはこれでセスの生存確認をしていた、ということは分かる。が、なぜそれを私に渡してくるのかは、さっぱり分からない。
「あいつはもう僕の部下じゃないからね。不要ということさ。君ももしいらなかったら壊すといいよ。生存確認ができなくなるだけで、持ち主に影響はないから」
「……はぁ……」
確かに今のセスはオルシスに属しているので、グレゴリオがこれを持っている意味はないのだろう。だからと言って私に渡すというのも、意図がよく分からないわけだが。
「じゃあね、シエルちゃん。――元気でね」
呆然とする私にそう声をかけて、グレゴリオは去って行った。
穏やかな笑みの中に、少しの物悲しさを含ませて。




