第140話
扉をノックすると、すぐに中から「どうぞ」と返ってきた。
三日聞いていなかっただけなのにその声はひどく懐かしさを感じさせ、胸を高鳴らせつつ扉を開ける。
「……1人? グレゴリオは?」
「……!」
中にいたセスから開口一番問われた質問に、私は答えることができなかった。
セスの右目に、黒い眼帯が着けられていたから。
予想とは違うその姿に――――あの日見た赤の光景が一瞬で蘇り、体が震える。
「あぁ、これ? さすがにリュシュナ族の治癒能力じゃ失った視力までは回復できなかったんだ」
私の視線で心の内を察したのか、セスは苦い笑みを浮かべて右目の眼帯に触れた。
「もう治らない、の?」
三日ぶりに会うわけだし、罰を受けていたとも聞いていたわけだから、本当はもっと違うことを言うはずだった。だが現状を目にしてしまった以上、何よりもまずそれを聞かずにはいられない。
「治癒術に特化したセフィム族なら治せるだろうけど……別にいいかな、このままで」
セスもそれを気にした様子は見せずに私の傍まで歩いてきて、悲しげな笑みを見せる。
その笑みは幾度も見たはずなのに、なぜか私の胸に刺すような痛みを与えた。
「……どうして」
「こんなものより多くのものを……俺は君から奪ったから」
悲しげな笑みを崩さないまま、セスが私の髪を一房掬い取る。
視界に入った白い髪は、まるでその言葉の意味を知らしめているようだ。
「でもそのおかげで私は……私たちは、こうして生きている」
「…………」
私の言葉にセスはスッと笑みを消し、憂うような表情で私を見つめた。
「……そうは言っても、失われたものは多いだろう? 姿形もそうだし、元素を操る力もそうだ。老いることも、自ら命を終わらせることもできなくなった。俺が、身勝手に奪ってしまったから」
「……セス」
「でもね、ユイ」
「……!」
急に鋭い視線を向けて、セスは私を強引に壁へと押し付けた。
ドン、と顔のすぐ横に手が置かれ、彼の美しい顔が間近に迫る。
「俺は神に君を奪われるのも、君に死という選択肢を選ばせるのもごめんだった」
「…………」
「だってそうだろ? なぜ罪なき人間ばかりが犠牲にならなければならない。なぜ君1人がすべてを背負わされなければならない。なぜ俺たちが、共に生きる道を諦めなければならない……っ! そんなの……誰も報われないじゃないか!」
「……っ」
セスが私の肩をグッと掴む。
痛みを覚えるほどの力強さは、憤る気持ちの現れだろう。
「だから俺は……っ、こうしたことを謝るつもりはないし、赦されようとも思ってない。君に恨まれることになったとしても、神の意思に報復として殺されることになったとしてもだ!」
「セス……」
「ねぇ、ユイ。それでも結果として俺たちは死なずに済んだよね。それは俺からすれば幸運なことだったけど……君にはどうだった? こんな勝手なことをしてしまって、俺のこと……恨んでる?」
声を荒上げたと思ったら急に温度を下げて、セスは私の耳元で囁く。
その吐息は温かいのに、まるで冷気を伴っているかのように冷えて感じ、総毛立った。
「う、恨んでは、ないよ……」
震える声で何とか答える。
そう、恨んでなどいない。
私は別に死にたかったわけじゃないのだから。ただ神に囚われるくらいなら魂を滅したいと思っただけで。
「そうかな? 神の檻に囚われるよりはマシかもしれないけれど、アルディナだって立派な檻なんだよ。俺にも君にも、もう自由なんてないんだから」
「…………」
意図の読めない言葉に、口を噤む。
まるで"恨んでいる"と言ってほしいみたいだ。
もし私がそう言ったら、セスの中の何が変わるというのだろう。
「でも今なら一つだけ、この檻から出る方法がある」
「出る方法?」
セスから出た予想外の言葉に、思わず即聞き返してしまった。
一族に縛られる、ということをまだ理解しきれていないから、そこに感情は乗らなかったけれど。
「そう、君だけに用意された特別な選択肢だ」
言いながらセスは私からフッと離れ、背から短剣を取り出して私へと差し出した。
それはセスがいつも身に着けているものとは違う、豪華な装飾品がついた短剣。使うためというよりは、飾っておくためのもののような。
「……これは?」
受け取らずに聞く。
何も考えずに受け取ってしまったら、後悔しそうな気がして。
「天王ユージーンからの伝言だ。この短剣で俺を殺したら、君はリュシュナ族の檻から出てもいい――――だそうだよ」
「……は……?」
セスの言葉に思考が停止する。
いや、思考なんてずいぶん前から機能していなかったが、あまりにも唐突で予想外だ。
天王は何を考えている?
できないと分かっている上であえて私に選ばせて、一族の掟に従わせるつもりか?




