第138話
赤い。
赤い。
セスが赤く染まっていく。
色とりどりの花が赤く染まっていく。
私の視界が、赤く染まっていく。
何が起きた。
この赤はなんだ。
私の頬を濡らす、この赤は――――。
「……っ!」
体がビクリと震えて目が覚める。
「はっ……はっ……はぁっ……」
夢か。
眠ってしまったのか。セスに会えるまで眠らないようにしていたのに。
セスが天王ユージーンに連れて行かれてしまってから3日。今どこにいてどんな状態なのだろう。
「シエルちゃん、大丈夫?」
「っ、……グレゴリオさん」
突然かけられた声に驚きそちらを見ると、ちょうど部屋に入ってきたらしい白髪の少年と目が合った。
彼の名はグレゴリオ。
見た目は若いがセスの上司だそうで、一時的に私の面倒を見てくれている。
「すみません、眠ってしまったみたいで……」
「いや、むしろ眠ってほしいんだよ。まだ体も辛いだろ」
「……すみません」
「責めてるわけじゃない。僕は君を心配しているだけなんだ」
悲しそうな顔をしたグレゴリオから、ハンカチが差し出された。
悪い夢を見た際にかいてしまった汗を、これでぬぐえということだろう。
「ありがとうございます」
受け取ったハンカチで額の汗をぬぐうと、花のような香りがした。
その香りを吸い込んで、気持ちを落ち着ける。
彼の言うように、確かに体は辛い。
地族から天族になったことで急激に変化した体に体がついていけなくて。
天族特有の他者の神力残量が分かるという能力が、半端なくしんどいのだ。
他人の神力がオーラのように感じられ、それが威圧感となって襲ってくる。
天族として生まれた者にとったら何てことないのかもしれない。が、今までそんな力などなかった私にしてみたら常に殺気を受け続けているようなもので、誰かが傍に来るだけで震えが止まらなくなるのだ。
そんな私にグレゴリオは"分かるよ、辛いよね"と頷いて、"自分はこの世界で一番最初に確認された、秘石を取り込んでリュシュナ族となった元ヒューマ"なのだと教えてくれた。
秘石を取り込んでリュシュナ族となった、元ヒューマ。
まさかこんなすぐに同じ境遇の人に会えると思っていなかったので驚いたが、私の心はそれで幾分か落ち着きを取り戻し、そこでやっと自分が今置かれている状況を確認することができた。
グレゴリオがその段階で説明してくれたのは四つ。
一族の掟として、他者に秘石を使うのは禁じられていること。よって禁忌を犯したセスは、罰を受けなければならないこと。
リュシュナ族となってしまったからには、私も今後は一族の掟に従わなければならないこと。
当面の間は、グレゴリオの管理下に置かれること。
分かりました、と言うしかなかった。
それ以外の選択肢など、今の私にはないのだから。
頷いた私を見て、彼は奥さんと2人で住んでいるという自宅へと招き入れてくれ、温かい食事と部屋を用意してくれた。
自由に使っていいと言われたこの部屋は、私の唯一の落ち着ける場所だ。
「今からセスのところに君を連れて行きたいんだけど……行けるかな?」
「……! は、はい、行けます!」
思考を遮って問われた質問に驚きすぎて椅子からずり落ちそうになったが、何とか体制を整えて答える。
この3日間、何度セスのことを聞いてもグレゴリオから明確な答えは得られなかったのだが、まさかこんないきなり会えることになるなんて。
「じゃあ支度ができたら来て。ゆっくりでいいからね」
「あ、はい!」
私の返答に柔らかい笑みを見せて、グレゴリオは部屋から去っていった。
「…………」
セスに会える。
今から。やっと。
支度も何もないけれど、一応身だしなみを整えるために鏡の前に立つ。
「…………」
リュシュナ族となったことで、実は外見にも変化があった。
黒猫のように真っ黒だった髪は雪のように真っ白になり、飲み込んだはずの秘石は胸に埋め込まれている。
そして、体中にあった傷跡が綺麗に消えた。まるで、本当に体が作り替えられたかのように。
髪が白くなったとグレゴリオに告げたら、それがヒューマからリュシュナ族になった者の特徴なんだと少し悲しそうに笑いながら教えてくれた。
傷跡が消えたのはよかったと思う。今までずっとコンプレックスだったわけだから。ただ、自分が全くの別物になってしまった気がしてどうも落ち着かない。
"器"なら何度も入れ替わってきたはずなのにな。




