第137話 Side-セス
――――ミハイルが死んだ。お前が、クルスの調べであの子を殺したせいで。
「……ス、セス……セス」
「…………」
誰かの声に目を覚ます。
夢を見ていた。
あの日のことを。
前世のユイを殺した後、初めてアルディナに帰った日の夢を。
「セス、大丈夫か。しっかりしろ」
誰かが俺を呼んでいる。
聞き覚えのある声だ。これは、グレゴリオか。
その姿を認識しようと目を開けたけれど、視界が赤く滲んで何も見えなかった。
「だいぶひどくやられてるな。待ってろ、すぐに助けてやるから」
グレゴリオは早口にそう告げ、そのまま去っていく。
「…………」
待って。
そう言いたいのに、声が枯れて言葉が出ない。
当然か。
懲罰と称してユージーンから手酷く痛めつけられ、時間の感覚がなくなるほど長い時間叫び通したのだから。
夢に見たあの日と同じように。
実は、ユイがミハイルを殺したことはヨハンから聞く前にすでに知っていた。
報告に戻るべき時分から数年経ち、任務放棄でそろそろ処分対象になっているかもしれないと予見してアルディナに帰ったら、その日にユージーンから聞かされたからだ。
今まで、ユージーンと接点はなかった。
天王と名が付くくらいの人間だ。
リュシュナ族を取りまとめる長ではあるが、下々の者と関わることはほとんどない。普段どこにいるのか全く分からないほどだ。
だから、青い顔をしたグレゴリオから「ユージーン様がお呼びだ」と聞かされた時は、間違いなくミハイル関連の話だと思った。
神の計画を破綻させたのだ。天王であるユージーンの耳に入っていないわけがない。
きっと殺されるのだろう。もともと、処分と称して殺してもらえればいいと思ってアルディナに戻ったのだ。名目は違えど、行き着く先が同じならばそれでいい。そう考えて素直に呼び出しに応じてみれば、しかしユージーンは俺を殺さなかった。
俺のせいでミハイルが死んだのだと責め立てて、拷問のごとく痛めつけて、痛めつけて、治癒してまた痛めつけて。殺してくださいと懇願しても、なお痛めつけて。
終わらない苦痛に精神が崩壊しかけた頃、グレゴリオが床に額を擦り付けながら許しを請うてくれ、彼の顔を立てる形でようやく俺は解放された。
そうしてグレゴリオから再びシアの捜索と母の秘石の回収を命じられた俺は、その後すぐにミトスに降りることとなる。
今になって思えば、俺がローレンスの術中にいることを知っていたユージーンが、やつの計画に加担していたから許されたのかもしれない。が、そんなことなど全く知らないこの時の俺は、とにかくすべてが憎かった。
神が。魔王が。天王が。そして何よりも、自分自身が。
ユイと共に死ぬことができなかった自分が。グレゴリオに頭を下げさせた自分が。そうやってまた生き永らえてしまった自分が。
――――それでもユイを恨めず、想いを募らせる自分が。
だからミトスでも暗殺の仕事に手を染めた。
そうすれば、心を殺せるから。何も感じなくなるから。
何も感じないうちに、誰かに殺してほしいから。
あぁ……なのにどうして俺は、ヨハンの元へ通ってしまっていたのだろう。
レクシーの纏う香りが罪悪感を責め立ててきたのに。
心配そうに俺を見つめるヨハンの目が、殺したはずの感情を揺さぶってしまうのに。
彼の元に行きさえしなければ、こんなことにはならなかったのに。
ヨハン、貴方のせいだ。貴方が俺の中で、他人とは違う特別な存在になってしまっていたから。
なんで別の世界から来た人間は、俺の心をこんなに掻き乱すんだ。
「起きたか」
「…………」
目を開けたらグレゴリオが覗き込んでいた。
懲罰房と呼ばれる場所にいたはずなのに、いつの間にか場所が変わっている。あれだけ痛めつけられていたのに体の痛みもない。ずいぶん長いこと意識を失っていたようだ。
おそらくここはセルナ。
アルディナ語で金色を意味する組織の治癒部門、所謂病院だ。
「……また俺を助けてくれたんですね。ありがとうございます」
「いや、違う。ただお前がユージーン様に許されたというだけだ」
「……そうですか」
それが本当なのか建前なのか分からないが、ここは素直にうなずいておこう。問い詰めたところでそれ以上の返答は来ないだろうから。
「セス、シエルちゃんのことだけど」
「……!」
シエル、という言葉に心臓が跳ねる。
ユージーンはクルスが去った後、ユイをグレゴリオに一任して俺を懲罰房へと連れて行った。
少なくともここでは一番信頼できる人間であったので、俺もひとまずは託したのだが……。
「彼女の様子はどうですか?」
「まだ精神的に少し不安定ではあるけど……状況は理解してくれてる。後で連れてくるよ」
「ありがとうございます」
突然こんなことになって不安に思っているだろうな。
俺が……彼女の意志も確かめずに秘石を取り込ませてしまったから。
「それと、秘石の回収任務はこれで終わりで……お前はオルシスに異動だそうだ」
「……っ」
オルシス、という言葉に思考は中断し、再び心臓が大きな音を立てる。
なぜ。どうして。一度オルシスを抜けた人間が戻ることなんて普通はないのに。
くそ、オルシスに属してたらユイの傍にはいられないじゃないか。
どういうつもりだ、ユージーン。それも罰だと言いたいのか?




