第136話
殺意を持って私たちに向かってきていたクルスが突然歩みを止めた。
震え上がるほどの殺気を消して。驚きに目を見開いて。
「……?」
その行動の意図を汲み切れないまま、それでも私とセスは剣を構える。
「…………」
しかしクルスは動かずに、私たちを驚愕の目で見つめ続けていた。
静寂。
クルスも銀髪の男性もその場から微動だにせず、まるで時が止まったかのようだ。
どうしたのだろう。勝ち目がないのに戦意を表す私たちに呆れているのだろうか。
「……あぁ」
長い静寂を経て、クルスが小さく声を漏らした。
それと同時に、その瞳から涙がこぼれ落ちる。
「……!?」
え、何? なぜ突然泣き出したんだ? 訳が分からな過ぎて対処に困る。
セスも同様なのだろう、戸惑っているような雰囲気が伝わってきた。
「私を前にしても貴方たちは生を諦めないのですね。死に抗うのですね。素晴らしい。それこそが、我が主が求めているものだ」
「……え」
「至高なる存在として主に創られた天族は、まさしくこうあるべきなのです。なのに……なのに民たちはいつも死ぬ方法ばかりを考えているから!!」
美しい顔を憎悪に歪めてクルスは叫ぶ。
突然張り上げられた声に驚き、びくりと体が震えた。
「リュシュナ族! 貴方たちはその筆頭だ……っ! 貴方たちは、使命と称して主の与えた命を数えきれないほど奪ってきた!!」
クルスは勢いよく後ろを振り向いて、銀髪の男性を指さす。
「…………」
指をさされた男性は、それでも微動だにしなかった。
表情も変えず、言葉も発さず、ただ静かにクルスを見つめている。
でもそうか、あの男性はリュシュナ族なのか。
同じような感じがするのはそういうことだったのかな。
「挙句の果てに"クルスの調べ"ですって!? そのような……主の意志に逆らうような術を創り出しておきながら、それに私の名を使うなど……っ! 私は……っ、私はまことに遺憾だ! 主だってお怒りになっている!」
泣いている。
クルスが泣いている。
声を荒上げ、激しく感情をむき出しにする様子は、クルスが本気で嘆いていることの表れだろう。
「…………」
突然のことすぎて思考はいまいち追い付いていないが、まぁ、言いたいことは分かる。
クルスの立場からすれば、憤りたくなるのも仕方がないのかもしれない。
でもそれは……ひどく勝手だと思ってしまった。
天族は、気が遠くなるほどの長い生を与えられているにも関わらず自死を禁じられているのだ。独りになったとしても、生きる理由を失くしたとしても、自らの手でその生を終わらせることはできない。
だったら……誰かに終わりを求めたくなるのも当然のことなのではないか。
そんな願いに応えるものが現れるのも、当然のことなのではないか。
それを悲観するのは間違っているのではないか。
"今の"私は……そう思う。
「貴方たちこそ真の天族だ! 主が望まれた姿だ! 生きるがいい。主から与えられた生を!」
再びこちらを見て、クルスが声を高らかにする。
「…………」
色とりどりの花に囲まれて嬉々とするその姿は、異様で恐ろしかった。
何かに陶酔しているような……そんな感じにも見える。
「ユージーン! 私は主の元に帰ります。彼らの命は尊いものだ。決して絶やさぬように」
「……承知した」
ユージーンと呼ばれた銀髪の男性が返事をした瞬間、クルスの姿が消えた。
その際に舞ったたくさんの花びらが、茫然とする私の視界を埋め尽くしていく。
「命拾いできてよかったねぇ、君たち」
近づいてくるユージーンの言葉に、ハッと我に返る。
そうだ、ひとまず助かったのだ。クルスはもういなくなった。私はミハイルの能力を失い、彼らに狙われる理由もなくなった……のか?
「初めまして、シエル。私はユージーン。リュシュナ族の始祖であり、天王と呼ばれている1人だ」
「あ……初め、まして」
話しかけられ、思考が中断する。
リュシュナ族の始祖。天王。
連なって出てきた言葉に心臓が高鳴る。
「セス」
そんな私に柔らかい笑みを見せたユージーンは、すぐにセスへ鋭い視線を向けた。
「……はい」
ユージーンの方を見ずに、セスは苦い顔で返事をする。
「……っ!」
その瞬間、セスの右目にユージーンの指が深く突き刺さった。
「ぐっ……あぁ……っ!」
ユージーンの指が引き抜かれるのと同時に、セスは苦痛に呻いて地面へうずくまる。
「……セ、セス!」
右目を強く押さえるセスの手の隙間から、血が流れ落ちていく。
赤い、赤い血が。止めどなく。
一瞬だった。
一瞬のことすぎて、何が起きたのか分からなかった。
「ずいぶんと勝手な真似をしてくれたね、セス。クルスの命令があるから命までは取らないが、それなりの罰は受けてもらうよ」
冷たい声が降り注ぐ。
冷たい視線が降り注ぐ。
凍てつく殺気に、体が震える。
「罰は、甘んじて受けます……っ! でもどうか、彼女は……っ」
懇願するような目でユージーンを見上げて、セスは苦しげに声を絞り出す。
「セス……」
「もちろんだよ、セス。それは安心していい。彼女には何もしないさ。我々は、リュシュナ族となったシエルを歓迎しよう」
ユージーンはセスの血で濡れた手で私の頬を撫でながら、慈しむような目でそう紡いだ――――。




