第135話
「私の顔を知っているのですか」
クルス、という名を聞いて、手前に立っている人物が意外そうに口を開いた。
地面につきそうなほど長い金の髪を持つ美しいその人は、声も顔も中性的で性別が判断できない。
「天族なら誰しも知っていると思いますよ。どの都市の聖堂にも……アルディナとクルスの肖像画はありますから」
そんなクルスを冷ややかに見つめながら、セスは淡々と答える。
いや、待って。クルスってあのクルス?
ミハイルに言葉を教え、最後に裏切ったという、あの?
"クルスの調べ"の術名に模された……神のような存在。確か、アルディナの元に魂を導く役目を持った人?
そんな人がなぜここに。私の魂を奪いに来たのか?
あぁ、もう……リュシュナ族になったとか、クルスが登場したとか、いきなりすぎて展開に全くついていけない。
「そうですか。この2000年余り、天王の前以外に出ることなどなかったので知りませんでした。これからも出る予定などなかったのに……貴方が我々の邪魔ばかりするから」
眉を寄せて、クルスが怒りを露わにする。
空気がびりびりと震えた気がした。
「……俺を生かしていたのは貴方たちではないですか。文句を言われる筋合いはありませんね」
それに怯むことなく、セスは冷静に返す。
煽っているとしか思えない言葉を。
「…………」
クルスの眉間のしわが深くなる。
空気の振動も激しくなる。
セス。セス、待って。やばい。この人はやばい。
怖い。
クルスが纏う何かが怖い。
膨大で、強大で、重圧で。
この何かの正体をはっきりと知っているわけじゃないけれど、分かる。これは……神力だ。
私を含め、セスにももう1人にも同じように纏わりつく何かを感じられるので、間違いないはず。ただ、クルス1人だけ桁外れのものを持っているだけで。
「こらこら、無礼にも程があるぞ、セス。すまないね、クルス。教育がなっていなかったようで」
クルスの後ろにいる人物が呆れたように首を振って言う。
銀の髪を腰ほどまで伸ばした美しい男性。見覚えはない。見覚えはないのに、なぜか懐かしい感じがする。自分に近いような……いや、同じ存在であるかのような不思議な感覚だ。
誰だろう。何者だろう。
セスと面識があることは確かなようだが……。
「そもそもお前を生かしていたのは我々じゃない、ローレンスだよ。あんなやつに任せるからこんなことになるんだ。シエルの傍にいたのは私の子なのだから、リリスも最初から私に任せてくれればよかったのに」
銀髪の男性が続ける。
私の子? セスを指している言葉のようだが、彼のお父さんはすでに亡くなっている。どういうことだろう。
「今さらそんなことを言ってもすべてが遅いのです。せっかくミハイルの穴埋めができると思ったのに、ここにきてシエルは転生者を監視する能力を失ってしまった。この怒りを鎮めるために、せめて貴方たちの命だけでももらっておきましょうか」
言いながらクルスが近づいてくる。
足を踏み出すたびに色とりどりの花が散ってクルスの周りを彩り、人離れした美しさをさらに助長しているような気がした。
「…………」
セスが剣を引き抜きながら、無言で私の前へと出る。
私を庇うように。
「セス……」
「私と戦うつもりですか?」
歩みを止めず、クルスが問う。
近づいてくるにつれて増すクルスの威圧感に、体が震えた。
「ええ。友が遺してくれた道を、諦めたくはないので」
しっかりとした口調でセスが即答する。
――――あぁ、そうか。
これがヨハンがセスに説いた"覚悟"の意味か。
きっとヨハンは知っていたのだ。リュシュナ族の秘石を私が取り込むとどうなるのかを。
だからセスに覚悟を説いて、道を示した。
こうすれば私はミハイルから継いだ能力を失うと。天王が来る前に覚悟を決めろと。
最期にそうやって、示してくれたのだ。
ヨハンさん、ありがとうございます。
狼狽えてる場合じゃないですよね。今はやるべきことをやらないと。
貴方が遺してくれた道を、最後まで諦めないために。
「私も戦うよ、セス」
「……ユイ」
「私も諦めたくない。ヨハンさんが指し示してくれた道を。だから一緒に戦おう、セス。最後まで」
驚きの目を向けるセスに笑顔で返しながら、私は立ち上がって震える手で短剣を強く握りしめた。
「ありがとう、ユイ。一緒に戦おう。最後まで……」
セスがそんな私の震える手を握る。
それはとても温かくて、優しくて、力強かった。
勝てるなんて思っていない。
相手は神にも等しい相手だ。現に体は恐怖で震えている。
でも諦めない。
それが、ヨハンへの恩返しだ。




