第134話
セスが私の手を掴んだ瞬間、逆の手で握っていた何かを口の中に入れたのは分かった。
そして、それを私に口移ししたのも分かった。
でも――――なぜセスが私の言葉を拒絶したのか、分からなかった。
「ん……っ!」
口の中にある飴玉のような感触のそれを吐き出そうにも、セスに口を塞がれていて叶わない。
そればかりか、強引に押し込んでくる彼の舌の動きに抗えず――――攻防の末に私はそれを、飲み込んでしまった。
「う、……げほっ……セス」
僅かに残った喉の痛みに咽ながら見上げると、彼は悲痛な表情で私を見下ろしていた。
「セス、今の、は」
飴玉のような小さくて固い何か。
もしかしなくてもそれは、リュシュナ族の――――
「ごめん。君の意志は無視した」
表情を変えないまま、絞り出したような声でセスが言う。
「違う、待って。私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。今のあれは――――っ!?」
私の意志も何も、そもそも今の行動の説明すらされていない。そう思って詳しく話を聞こうとするも、突然胸の辺りに痛みが走って、言葉を続けることができなかった。
心臓を抉るような強い痛みに膝が崩れ、倒れるようにうずくまる。
「ぐ、ぅ、……は……っ」
息が苦しい。心臓が鼓動するたびに、痛みの範囲が広がっていく。
痛い。体が、痛い。
何が。何を。何で。
「セ、ス……っ」
縋るようにセスを見上げるも、彼はうずくまる私に何をするでもなく、ただ苦しそうな表情で見下ろしている。
「今君が飲み込んだのは、リュシュナ族の秘石だ。……それは君も、察してると思うけど」
「ぅ、あぁ……っ、……なん、で……っ」
「でもこれは、体内に取り入れたら不老になるなんて都合のいいものじゃない。ヒューマである君の体を、死に至らしめる劇物だ」
「な、……死……って、ぐ、うぅ……っ!」
告げられた言葉に衝撃が走ったが、襲い来る痛みに抗議することもできない。
でもこれはつまり、1人で死ねということか?
1人で死んで――――神に囚われろと?
なんで。
どうして。
どうして一緒に死んでくれないの?
もしかしてセスじゃないのか?
今目の前にいるのは、ローレンスなのか?
封力の首輪でいなくなったフリをして、私を欺いているのか?
魔王ともなれば、アルディナにだって干渉できるのか?
分からない。分からないけれど、今の私には確かめようがないし、時間もない。ここまで来たら……もうやれることは一つだけだ。
「くっ……!」
握った短剣を振りかぶる。
自分の魂を滅するために。
セスを連れていけないことは、心残りだけど。
「ごめん、やらせられない」
「……っ!」
しかし自分の心臓を貫くことはできずに、短剣がもぎ取られた。
目の前の、セスによって。
素手で刃を握ったせいで傷ついた彼の手から、血が流れ落ちる。
赤い。赤い、血が。その赤だけが、やたら鮮明に焼き付いた。
「あ、ああ……あああぁぁぁ……っ!」
意味のない音が、吐き出される。
怒りか、絶望か、悲しみか、あるいはその全てか。
自分を支配する何かの感情が、ただの音となって溢れ出した。
「なん、で……っ、なんで、セス……っ!」
「君はヒューマとしての死を迎え……リュシュナ族として生まれ変わるからだ」
「っ、……は……?」
突如告げられた言葉に思考が停止する。
行き場をなくして溢れた感情も、一気に凍り付いた。
今、セスは何て言った?
リュシュナ族として、生まれ変わる?
何がどうなったらいきなりそんな話になる? 全く意味が分からない。
「リュシュナ族の秘石を取り込むと不老になる……世界に広く伝えられているこの言い伝えは実は正しくない。正確には、魔族性のものが取り込めば死に至り、神属性のものが取り込むと不老になるんだ。そして例外的に……神属性のヒューマであった場合のみ、その体はリュシュナ族へと変質する」
淡々と言いながらセスは首に着けていた封力の首輪を外し、それを地面へと落とした。
「……これ、は」
この首輪は。
私が解くか死ぬかしないと外れないものだ。だって、確かに私が鍵をかけたのだから。
「これで信じられるかな? ヒューマであった君はもう……死んだのだと」
「…………」
事態に理解が追い付かない。
なのに、落とされた首輪が現実を突き付けてくる。セスの言葉が現実を突き付けてくる。
「……なん、で。なんで……?」
「なんでこんなことをしたかって意味? だってこうすれば君は天族となり、ミハイルから継いだ能力……転生者を監視する能力も消えるから――――そうでしょう? クルス」
「え……」
……クルス?
唐突に出てきた名前に驚いてセスを見るも、彼はこちらを見ておらず、私の背後へと視線を向けている。
その視線を追って振り返ると――――そこには、この世のものとは思えないほど美しい人が2人、立っていた。




