第129話
「君がミハイルを殺したせいで、俺がどれだけリリスに痛めつけられたか知ってる? 知らないでしょ? あんなに悲鳴を上げたのは生まれて初めてかもしれないな」
冷たい目で嘲笑いながら、ローレンスが言う。
「…………」
それを聞き流しつつ、考えを巡らせる。
とりあえず、ローレンスの目的は私の魂を利用することと、ヨハンを殺すこと、というのは分かった。細かい事情までは分からないが、今はまずその2つを阻止して、セスの中からローレンスを追い出さなければ。
どうすればセスの中からローレンスを追い出せる? 私たちの声はセスに聞こえているのだろうか?
「だから俺も君を痛めつけることにした。必要なのは君の魂であって、器じゃないわけだし……ねっ」
「……っ!」
突然投げつけられた短剣を、かろうじて剣で弾く。キィンと甲高い音が室内に響き、弾かれた短剣がヨハンの近くへと落下した。
危ない。ヨハンに当たらなくてよかった。
「よく防げたね」
若干の驚きを見せつつ、ローレンスは背から2本目の短剣を抜いてすぐに放つ。
「くっ……!」
驚くほどのスピードで迫ってきたそれを、今度は体をずらして避ける。
短剣は私の左の二の腕を掠って、背後のヘッドボードへ吸い込まれるように刺さった。
いつものセスなら、背には多分まだ数本短剣を隠している。ローレンスもおそらくそれを知っているのだろう。先ほどと同じように自然な動作で3本目の短剣を背から抜いた。
「てめぇ……っ、やめろ!」
その瞬間、ヨハンが自分の近くに落ちた短剣を拾って、ローレンスへと向かって走り出す。
「っ、ヨハンさん!」
想定外の行動に焦る。
そんな風に動ける傷ではないはずだ。
「セスの中から出てけよ……っ!」
「まだそんな元気があったのか」
突くように繰り出されたヨハンの剣撃を、ローレンスはわずかに体を反らして避けた。
そして短剣を突き出した動作によって空いたヨハンのわき腹を切り裂く。
「……が、ぁ……っ!」
「ヨハンさんっ!!」
転がるように倒れ込んだヨハンにそれ以上の追撃がいかないよう、私も剣を握ってローレンスへと向かった。
重い剣を取り落とさないように、両手で強く握ってやつの腹部を狙う。
「……っ!?」
しかしローレンスは防御する素振りも避ける素振りも見せずに、ただ佇んだまま不敵な笑みを浮かべた。このままではセスの体を斬ってしまう、そんな考えが瞬時に頭をよぎり、思わず手が止まる。
セスを傷つける一歩手前のところで。
「甘いね、シエルちゃん」
「うっ……!」
その手を容赦なく切りつけられ、剣が手から落ちる。
痛みに悲鳴をあげかけたが、間髪入れずに繰り出された追撃をかわすため、歯を食いしばって後方へと飛んだ。
「ヨハン君みたいに本気で来なきゃダメだよ、シエルちゃん。セス君の体を傷つけたくない、なんて甘い考えでいたら、俺からセス君を取り返せないよ?」
「…………」
切り裂かれた傷が、熱いような冷たいような、よく分からない感覚を生んでいる。
力が入らず、ひどく震える手は、まるで自分のものではないような気さえした。
それでもずきずきと身を苛む痛みが、これは現実なんだと知らしめている。
傷つけることを恐れていてはすべてを失うと、警鐘を鳴らしている。
「はぁ……はぁ……」
自分の呼吸が煩い。
自分の心臓の音が煩い。
体が震える。動かない。
セスとヨハンを助けるなんて豪語しておいて、蹲って呻いているヨハンに声すらかけられず、私はただ無力に立ち尽くしている。
何をしている。何をしに来た。私がしっかりしなければ、大切なものを失ってしまうのに。
「はは、いい顔をしてるね、シエルちゃん。絶望を感じている顔だ」
私が落とした剣を拾って、ローレンスが笑う。
「もっともっとその顔を歪ませてみせてよ。かわいい声で啼いてさ」
――――黙れ。
「愛する人の手で恐怖と痛みを与えてあげるから」
やめろ。セスの顔で嗤うな。セスの声で紡ぐな。
「そうして絶望の底まで堕ちて、神の檻へと行くがいい」
セスを、穢すな。
「黙れっ!」
セスの声をかき消すように叫んで、私はヘッドボードに刺さった短剣を勢いよく引き抜いた。




