第128話
「……っ!!」
赤く染まった視界が黒に切り替わった。
すぐに夢から醒めたのだと思い当たり、枕元の触媒に手を伸ばす。
ぼんやりと周囲が照らされたが、しかし隣にセスはいなかった。
「セス……っ!」
なぜセスがいない? もしかしてあれは、"今"起きていることなのか?
だって私は今日、ヨハンに会っている。お昼に集まって、アイゼンたちと別れたのだから。リアルタイムじゃないにしろ、少なくとも寝付いてから今までの間のどこかに起こったことでなければおかしい。
ましてや、今ここにセスがいない。それが何よりの証明に思えた。
「は……、はぁ……っ」
夢で視た光景が蘇り、呼吸がひどく苦しくなる。
震える体を奮い立たせてベッドから降り、壁に立てかけてあるセスの剣を取った。
何のためにローレンスがセスの体を乗っ取っているのか分からないが、やつはヨハンを殺すつもりだ。夢で視たことが確かならば、ヨハンはすでに怪我を負っている。あれこれ考える前に行かなければ。
ヨハンを助けて、ローレンスをセスの中から追い出す。
そのために、セスと戦うことになったとしても。
――――大丈夫、行ける。私が2人を助けないと。
呼吸を整え、気持ちを落ち着かせてから、廊下に出て少し離れた場所にあるヨハンの部屋を目指す。
幸い、床には柔らかい絨毯が敷いてあるので、走っても足音は煩く立たなかった。
「ヨハンさん!」
ノックはせず、勢いよく扉を開ける。
普通に考えたら大変失礼な話だが、そんなことを気にしている場合ではない。
もしあの夢がただの夢で、私の早とちりだったとしても、事情を話せばヨハンは分かってくれる。むしろ早とちりであってくれた方がいい。セスはただ気まぐれにどこか出かけているだけ。そうだと言って、呆れたように笑ってほしい。
「……っ!」
しかし扉を開け放った先には、残酷な現実が広がっていた。
「あれ? どうして君がここに?」
血に塗れた短剣を握ったセスが、穏やかな笑みを見せて言う。
それを無視して奥へと視線を巡らせると、彼から少し離れたところにヨハンが蹲っているのを確認できた。
「ヨハンさん!!」
「お前、なんで……っ!」
ヨハンが苦しげな表情を向ける。
腕と、肩、腹部が赤く染まっているが、意識はあるようだ。ひとまずその事実に安堵する。
「ちょうどよかった。こちらへおいで、ユイ」
セスが私に向かって手を差し出す。
いつものセスが見せる笑みで。優しく囁きながら。
だが目の前のセスはセスではない。セスはヨハンに対してこんなことしないし、ヨハンの前で私のことをユイとは呼ばない。
「魔王ローレンス……セスの中から今すぐ出ていけ……っ!」
ずしりと重い剣を鞘から抜いて、ローレンスへ切っ先を向ける。
すると彼は一瞬驚いたような表情を見せ、すぐに夢で視たあの時と同じゾッとするような笑みを湛えた。
「へぇ、今のやりとりを夢で視ていたのか。だいぶ力が安定してきたようだね。いい調子だ」
ローレンスのその言葉で、ぎくり、と心臓が凍り付く。
なぜ転生者を監視する夢を見ることがローレンスに知られている?
"力が安定してきた"とは?
何が、どうなって――――
「はは、驚いてるね。俺は転生した君の魂を監視するために、セス君の体を使わせてもらってるんだよ。悪いけど君がセス君に話したことは、全部知ってる」
「…………」
は? なんだって? 転生した私の魂を監視する? そのためにセスの体を使ってる?
ローレンスは一体、何を言っているんだ?
「だから君が転生者を監視する能力を有していることも知ってるよ。ミハイルを殺した君がその能力を継いだなんて、皮肉もいいところだね」
「…………」
ローレンスがにやりと笑う。
セスの顔で。セスの声で。
やめろ。その体を、使うな。
「もう少しその力が安定するまで様子を見るつもりでいたんだけど……この際だ、今君を連れていくことにする」
言い終わると同時にローレンスは私との距離を詰め、素早い動作で短剣を振る。
「……っ!」
「シエル!」
ヨハンの悲痛な声を聞きながら、私はそれを何とか剣で受け止めた。
短剣のはずなのにその一撃は重く、受け止める手がびりびりと痺れている。
「……ぐっ!」
それを受け止めるだけで精いっぱいだった私の体を、ローレンスが蹴飛ばす。
「シエル……っ!」
飛ばされた体は近くにあったベッドのヘッドボードに強く打ち付けられ、痛みで息が詰まった。
「ミハイルを殺した罪は、君がその代わりになることで許してあげる。でも俺がリリスに罰を受けた恨みは、そんなことじゃ許してあげられないな」
蹲る私の上から、冷たい声が降ってくる。
その言い方は本当にセスのようで、言い知れない感情に胸が締め付けられた。




