第117話 Side-セス
20年前、なぜ俺とヨハンは生かされたのか、と議論をしたことはあった。
知ってはいけないはずのことを知ってしまった上に、俺は神の計画を破綻させた。何をどう考えても彼らに恨まれていないわけがない。なのに生かしたということは、何か理由があるのだろう、と。
しかしながら考えたところでその理由は分かりようもなかったので、あの日にローレンスから聞いたことは口に出さないようにする、としかやりようがなかった。
それが、まさかこういうことだったなんて。
だめだ。俺はここで死なないと。
俺がローレンスの目であり耳であり……手足であるというのなら、ユイの元に帰ったらだめだ。帰ったら……彼女はミハイルと同じように神に囚われてしまう。
――――永久に逃れられない神の檻に。
そんなこと、させてたまるか。
しかしクルスの調べの扉には手が届かないし、転移石を使って死ぬことも今の状況では不可能だ。どうするか。
「驚きすぎて何も言えなくなっちゃった?」
「…………」
その問いかけでローレンスに視線を移すと、彼は嘲笑うかのような表情で俺を見つめていた。
「あぁ、安心していいよ。君が寝ている間に何度か体を使わせてもらったけど、ユイちゃんと話したのは一度だけだから。それに閨事に関しては覗き見てもない。だってあの子、体に」
「黙れ!!」
「おっとぉ……」
紡がれた言葉に脳内の温度が上がり、衝動的にコートの内側から短剣を抜いて振る。が、短剣を握る手をローレンスに掴まれ、動きを封じられてしまった。
「下衆が……っ! 汚らわしい口でその名を呼ぶな!!」
「おぉ、怖い」
大げさに肩を竦めながら、ローレンスが俺の手首を握る手に力を込める。
「ぐっ……!」
ゴキ、という音を伴って、手首の骨が折れた。痛みで短剣を取り落とし、全身から嫌な汗が噴き出す。
「ねぇ、ユイちゃんの何がそんなにいいの? 能力を除いたら普通の子じゃん。君がそこまで執着する理由が分からないなぁ」
「……っ、その名を呼ぶなって、言ってるだろ……っ!」
「はは、何ムキになってんの?」
「ぅ……ぐ……っ! はっ……はぁっ……!」
折れた手首を捻られ、肩へと突き抜けるような痛みが走る。出そうになった悲鳴を何とか噛み殺し、必死で息を整えた。
「本当に我慢強いね、セス君。もっと啼いてほしいんだけど。俺、君の啼き声聞きたいなぁ」
「黙れよっ……悪趣味、が……っ!」
「うわ、蹴るなよ」
渾身の力を込めて目の前のローレンスに蹴りを入れると、やつは俺の肩と手首から手を離し、後ろへと下がった。
「……!」
その隙に立ち上がり、駆け出す。
扉を。扉を拾いさえすれば。
その思いだけで痛む体を無理やり動かした。
「させないよ」
「……っ!」
しかし数歩も走らないうちに足に何かが絡まり、転ぶ。
見ると、床に流れ落ちた血液が鎖のように変化して伸び、俺の足へ巻き付いていた。
「くそっ……!」
覇気を使うも、相殺できない。
「そんな体でよく動けるねぇ。でもこれ以上無駄な足掻きをされて死なれたら困るんだよ。君には生きて戻ってもらわないといけないんだから」
「くっ……これ以上、神に利用されて……たまる、か……っ!」
「おぉ、すごい神気だ」
今できる最大限の神気を放出するも、同等の力で相殺される。
「でもだーめ。殺してあげないよ」
ローレンスに覇気を使わせて死のうとした考えは、さすがにすぐ見抜かれたようだ。やつは気持ちの悪い笑みを浮かべて俺の傍へと歩いてくる。
「さぁ、戻るがいい。そうしてまた俺の目となり耳となり、手足となれ。シエルちゃんを神に捧げる、その日まで」
そして倒れる俺の横に跪いて、耳元で囁いた。
その言葉は呪いのように、俺の心臓を締め上げる。
「いや、だ……いやだ……っ! やめろ……俺を、死なせてくれ……っ!」
「……誰も君を待ってくれてなかったら、死ねるかもね」
縋るようにローレンスを見た俺の両目を、冷たい手が覆い隠した。




