第116話 Side-セス
「…………」
「はは、驚いてるね」
突然目の前に現れた男が俺を見下ろして笑う。
「……なんで……貴方が……っ、ここに……」
やっとの思いで言葉を吐くも、男は何も答えずにしゃがみこみ、俺の首にかかっているクルスの調べの扉を冷たい手で引き出した。
「……っ!」
俺が驚いたことに満足したかのように笑みを深めて、男がチェーンを引きちぎる。
「なん、のつもりだ……魔王ローレンス……っ!」
「…………」
その名を呼ぶと、目の前の男はスッと真面目な顔になり、手の中の扉を遠くへと投げ捨てた。
「君にはまだ死んでもらうわけにはいかないんだよ」
「……っ、ぐ……!」
そして最初と同じことを口にして、俺の肩口の傷に手を当てる。
その瞬間、流れたはずの血液が吸い込まれるように体へと戻ってきた。
「ぅ、あ……やめろっ……」
ぞわりと悪寒が走り、ローレンスの手から逃れようと身じろぐも、体はうまく動かない。
「迷宮の下層になんか行くからこうなるんだよ。知らなかったようだから教えてあげるけど、エンドリオンは天族を見つけると餌としてルブラの巣に持ち帰るんだ。昔は迷宮に転移なんて出来なかったんだけど、ある日突然迷宮とここの波長が合ってね。自由に行き来ができるようになってしまった」
そんな俺に構わずローレンスは語る。
「……はぁっ……はぁっ……はっ……」
左肩から流れた血がすべて戻されたようで、体が少し楽になる。傷が癒えたわけではないので痛みは変わらないが。
「だからここにミトスに繋がるリンクはない。エンドリオンはそんなものなくても迷宮に行けるからね」
「はぁ……っ、はぁっ……」
聞いてもいないのにローレンスはペラペラと喋る。
俺の行動はすべて無駄だったとでも言いたげだ。
いや、ここにリンクがないのなら、実際に無駄であったことは事実なのだが。
「んー、どうしようかなぁ。血は戻せても傷は治せないから、ミトスに戻した後に処置してくれる人がいないと死んじゃうね。君のお仲間はちゃんと待っててくれてるかなぁ?」
「くっ……何が、目的だ……。なぜ俺を……っ、助けようとする……!」
「俺の目的? シエルちゃんだよ」
「なっ……」
さらりと告げられた言葉に、戻ったはずの血の気が引いていく。
「あの子、ミハイルの能力を継いでるんでしょ? ミハイルを殺されちゃって困ってたけど、殺した本人がその能力を手にしてくれてよかったよ」
「……っ」
心臓が激しく高鳴り、苦しい息がより苦しくなった。
ローレンスから吐き出された言葉が信じられなくて、頭が考えることを拒否する。
「何でそれを、って顔してるね。君は20年前のあの日から俺の駒だから。君を通して全部視たんだよ」
「な……なん……俺が、貴方の駒……? 視た、って……」
「あの時俺は君にある術をかけた。シエルちゃんと同じ魂を持つ者に会った瞬間に発動する術だ。ほら、覚えがあるだろう?」
「…………」
頭痛。
今世のユイを初めて見た時に酷い頭痛に苛まれたのを思い出す。あれが、ローレンスのかけた術が発動した合図?
「思い当たったようだね。あれはね、シエルちゃんと同じ魂を持つ者に会った瞬間に、君の体を支配する術なんだ。でも君、ずいぶんと強い抵抗力を持っていたから2回も失敗しちゃったよ」
「…………」
「君が頭の痛みに悩まされたのは3回だけで、最近は全くなかっただろう? 3回目で、俺はやっと君の体を手に入れられたんだから。今は君の目も、耳も、手も足も、全部俺のものだ」
確かに最近は全くなかった。
だから誰にも言わなかったし、原因も追求しなかった。それが何の要因であったとしても、正解が導き出されるわけではないから。
「君を通していつもシエルちゃんを視ていたよ。あの子が危険因子となりそうな素振りを見せたら、君の体を操ってすぐに自死に追い込めるように」
「…………」
「そしたらミハイルの能力を継いだなんて面白いこと言うからさぁ。もう少し力が安定してきたら、シエルちゃんの魂をもらおうと思ってるんだ。ミハイルがいなくなった穴を埋めてもらわないとね」
「…………」
ローレンスは何を言っている?
魔王の放つ言葉が理解できない。理解したくない。認めたくない。現実を、受け入れられない。




