第104話
「息が苦しい……」
必要な物を買いそろえ、ルブラへのリンクと迷宮への入口があるという地下に降りたった瞬間、私は思わずそう呟いた。
「迷宮は魔力濃度が高いからね。俺も苦しい」
隣にいたセスがその呟きを拾って小さく笑う。
地上にいた時には感じなかったのに、一階降りるだけでこんなにも違うなんて。
しかし驚いたのはそれだけではない。ショッピングモール風だった一階とは雰囲気が全く異なり、目の前には場違いとも思えるような洞窟が広がっている。
ヴェデュールの地下洞窟に近いかもしれない。あそこから光源となっている苔をなくしたらこうなる気がする。
でも、だからと言って暗いわけじゃない。
向かって左側にある橙色の光と向かって右側にある青白い光が広いスペースを余すことなく照らすように輝いている。
それはデッドラインのリンクのように、壁に入った巨大な亀裂から発せられていた。
橙色をしたルブラへのリンクには、それを囲むように檻のようなものが設置されており、施錠された扉の前に2人の黒い鎧を着た人間が立っている。
地下に降りる階段の手前にリンクを通るための通行券が売られていたので、それを買って見せると通れるようだ。
一方、右側にある青白いリンクの前には何もなく、自由に行き来ができるようになっている。あれが迷宮への入口のようだ。
そして、空いているスペースのどこかしらに、時たま人が出現する。転移結晶石で迷宮内から出てきた人たちだろう。
「ここが、迷宮内ではぐれた際の集合場所だ。結晶石を使うとここに出る」
「なるほど」
セスの言葉に手の中の結晶石を見る。
握った拳の中に隠れるほど小さいそれは、先ほど国が運営しているブースで買ったものだ。
一つ金貨3枚。
ヴェデュールの地下洞窟への入場料と同等の金額だが、脱出用としての役割を持っているのなら安いものだ。
しかしアルセノはアルディナやルブラへの通行料だけでなく、こんな形でも収益を得ているのか。そりゃあ強国にもなるだろうな。
しかし、それよりも値段に驚いたのが地図である。
一枚白金貨1枚。日本円にして10万円。びっくり。
いや、まぁ、この迷宮内のリンクがどこに繋がっているのかが記載されているわけだから、安いと言った方が適切なのかもしれない。が、ランダムリンクが存在する以上、地図があったところで道を把握することなんて難しい気がするのだが。
「光の触媒は取り付けた?」
「うん」
セスの言葉に左腕に付けた光の触媒を確認する。
リンクの周辺ならそこから出る光で明るいらしいのだが、そうじゃない場所では周りが見えないくらい暗いらしい。まぁ、地下だしな。
迷宮探索用に、ちゃんと腕に巻きつけられるようなベルトがついている。さすがだ。
「ヨハンも準備はいい?」
「ああ。いつでもいいぞ」
「じゃあ行こうか」
「……?」
その言葉と共にスッと差し出されたセスの手に困惑する。
「忘れたの? リンクに触れるときは全員一緒に、だ」
「あ……ごめん、そうだった」
困ったように笑って告げられた言葉にルールを思い出し、左手でセスの手を握る。
「姫、俺の手も握ってくれるか?」
反対側からヨハンが手を差し出した。
「えっ」
「"えっ"て何だよ。俺だって野郎と手を繋ぐよりかは、レディと繋ぎたいんだが?」
思わず上げた驚きの声に、ヨハンは苦い笑みを見せた。
言わんとしていることは分からないでもないが、対処に困る。何も言わず手を差し出してくれれば、私も何も言わずに握ったのに。
「姫とかレディとか柄じゃないんでやめてください……」
「おーおー、ずいぶんと可愛らしい反応するじゃねぇか」
顔が赤くなっている気がして空いている右手で両目を覆うと、からかうようなヨハンの声が降ってきた。
「そろそろ黙れよ、ヨハン。これ以上シエルを困らせたら野郎と手を繋いでもらうからな」
「はいはい、黙って姫と繋がせてもらいますか」
氷のように冷えたセスの言葉に呆れたように笑って、ヨハンは両目を覆っていた私の右手を引き剥がした。
目の前には妖艶に笑うヨハン。
亀裂から発せられる光を背に私を見下ろす彼もまたセスに負けず劣らず美しく、心臓が跳ねる。
……こういうのやめてほしい。切実に。




