第10話
昔、毎日毎日シアに体罰を与えられていた私に優しくしてくれた人間がいた。
シアの部下の1人で、同じように子供たちに武術を教えていた男性だった。
番号で呼ばれている人間なのに珍しく感情が豊かで、シアの下僕になってから初めて与えられた優しさに私は縋った。
しかし数日後、他人に甘えるなとシアからさらなる体罰を与えられることになったのだ。
シアに見えるところでやっていたわけではないのに何故、と思ったら、私に優しくしてくれたその人間が私の様子をシアに報告をしていたのだと聞かされた。
意味が分からなかった。
でもきっとこの世界では意味が分からないのは私のような人間の存在で、あの男のような人間こそ普通なのだろう。
以降、この場所にいる人間には誰1人として心を許さないと誓った。
◇ ◇ ◇
『ルーチェの所に行く。シエル、お前も来なさい』
医務室から戻るなり、シアが私に告げた。
私の治療の間に1人で行ってくれば良かったのに、と思うのだが、こうしてシアは毎回私を連れて行く。
連れて行かれたところで私がルーチェと話をするわけでもあるまいし、まったくもって意図が理解できないのだが、命令ならば仕方がない。
治験、という名の人体実験に回された人間の命はそう長くない。
毎日毎日安全性が確立されていない薬を投与されているのだからそれはそうだろう。そうでなくとも、拘束され、苦痛を与え続けられているうちに、体より先に精神が死ぬことだってある。
しかしルーチェは、そんな非人道的な実験を長い期間耐えていた。
そう、思っていた。
シアに連れられてルーチェの元を訪れるようになり数年経ってから、どうやら彼女は他の検体とは少し違うようだということに気付いた。
何年経っても少女のような外見が変わらなかったからだ。
それをシアに言ってみたら、ルーチェはクビト族なのだと教えてくれた。
前線で戦っている人間の怪我を癒すために、血液を採取されているらしい。
血で人を癒す力を持つ、クビト族。
ずいぶんと懐かしいその単語は、私の脳裏にヘルムートの姿を思い出させた。
◇ ◇ ◇
『セスがアルディナでどんなことをしていたか知ってる?』
ある日の夜、消灯前のベッドにくつろいで、唐突にシアがそう聞いてきた。
この12年、あからさまとも言えるくらいシアはセスの話をしなかった。そんなシアが自分から切り出してくるなんてひどく珍しい。
『暗殺者だったと聞きました』
『暗殺者……そうね、そういうことをしていた時期もあったけれど』
私の言葉にシアは僅かに笑みを含ませてそう返し、そこで一度言葉を切った。
『リュシュナ族はね、今でこそ何でも屋みたいなことをしているけれど、もともとは自死を禁じられた天族に死を与えるために今の稼業を始めたのよ。長い生に飽きた天族が死を求めた時に、お金と引き換えにその願いを叶えてあげるの』
長い寿命を持ち、なおかつ自死を禁じられている天族は、生に飽きたらそうやって自らの生を終わらせようとするのか。まぁでも、何となくその気持ちは分かる気がする。
『セスは長いこと、そうした"死を願う人間に死を与える"仕事をしてきていた。女を専門にしてね』
『…………』
女、という単語を強調させてシアが私の顔色を窺うように覗き見た。
セスが人を殺す仕事をしていたのは知っていたし、その対象が女性だったからといって別にどうとも思わない。
シアがそれを強調する意図は何なのだろう。
むしろ、少なくともその仕事をしている間は理不尽に命を奪っていたわけではなく、相手の望みを叶えるためにそうしていたということだ。逆にこの話を聞けて良かったとすら思う。
『ねぇ、シエル。生に飽きて、死を望んだ女が、セスを前にして最期に何を願うと思う?』
『……何を……?』
私の思考を遮るように問われた言葉の意味が分からない。
死を願って、それを叶えてもらえる瞬間にそれ以上何を望むというのか。
分からない。
『ほとんどの女が言うらしいよ、"最期に抱いて"って』
『…………』
さすがにその言葉の意味は分かる。
その言葉の意味が分かって、シアが女という単語を強調した意図を理解した。




