第9話
2人の様子を、私はいつもガラス張りの部屋の外から眺めている。
悲鳴は各所からよく聞こえてくるが、普通の会話は廊下からは聞こえない。シアが私には決して見せないような優しい顔でルーチェと接しているのを、ただ眺めているだけだ。そんなシアと話しているルーチェも、柔らかい笑みを浮かべている。
初めて彼女の部屋の前に連れて来られた時、シアは少女の名と、この少女のことをとても大切に想っていることを私に教えてくれた。
以降シアはこの少女に会いに行く際、必ずと言っていいほど私を同伴させる。なぜか、と聞いてみれば、「お前には関係ない」という返事しかもらえなかった。
同伴させられると言っても、こうして部屋の外から2人を眺めているだけなので、当然私はルーチェと直接話をしたことはない。だが、時折私を気にしたルーチェと目が合う。そうすると彼女は決まって憐れむような目で私を見てくるのだ。
ここにいるということは彼女もまた治験に回された1人であるはずなので、私からすればここで日々拷問のような扱いを受けているルーチェの方こそ憐れに思うのに。
◇ ◇ ◇
「お前、変わったな。いや……戻ったのか」
これは夢だ。
夢で、ヨハンがセスに話しかけている。
夢の中のセスは腰に届きそうなほどその美しい髪を伸ばしていて、それがまるでシアのように思えてしまい、嬉しいはずの邂逅は恐怖で染め上げられていく。
それくらい、私の中でシアの存在は畏怖だった。
セスはただ冷ややかな表情でヨハンを見つめ返すだけで、ヨハンの言葉に何かを返すことはなかった。
それがさらにシアを彷彿とさせ、私は夢の中で狂ったように泣き叫んだ。
◇ ◇ ◇
「ぐっ……あぁっ……!」
左肩に鋭い剣先が埋め込まれる。
すぐにそれは引き抜かれたが、ドクドクと脈打つように激しく痛み、私は地面に蹲った。
「う、く……」
傷を押さえる手を、赤が染め上げていく。
15歳。
10年余りをシアと過ごすうちに、武術はかなりの上達を見せたと思う。前世で苦手としていた"気"を読むこともできるようになったし、"気"を使うこともできるようになった。
周りについていけないということはなくなり、そのことで私がシアから暴力を受けることはほとんどなくなった。単純にシアの下僕として、シアの命令に従って生きる日々だ。
主な役割としては、シアが教えている子供たちの練習相手になること。シアの稽古についていけなくて体罰を与えられていた私が、今は人に教える立場になっている。
だからと言ってシアへの畏怖が消えたかと言えばそうではなく、依然として自分の心はシアへの恐怖で支配されていた。
「すみません、私の力不足です……ぐっ……うぅっ……」
肩を押さえる手を、シアが硬い靴で踏みつけた。
手も傷も痛み、私はまた苦痛に体を丸めた。
私が教えた子供の出来が悪いと、シアはこんな風に私を痛めつける。
容赦なく、刃物を使って。
相変わらず逆らおうなどという気はまったく起きない。どうやったら痛めつけられないで済むかを必死に模索する日々だ。
私を見下ろすシアの表情は氷のように冷たい。
よくセスもそんな表情をしていた。
私の記憶からセスの優しい表情が抜け落ちてしまったくらいには、見慣れてしまっている。
◇ ◇ ◇
「はい、終わりです」
医術師のその言葉で上体を起こし、麻酔で感覚が鈍くなった左腕に血で濡れた軍服を通す。
ここにきてから治癒術師を見たことはない。軍事訓練で出る怪我人は、すべて医術師が治療している。
以前だいぶ常連になったこの場所の主にその理由を尋ねたことがあるのだが、治癒術師は紛争の前線に送り込まれているからだと教えてくれた。
「容赦ないですね、シア様は」
私を治療してくれた医術師が憐れむような目を向けた。
今の怪我だけではない。私の体には数多くの傷跡が刻まれている。それはほとんどシアによって付けられたものであり、それを知っているこの医術師は度々私を気遣う言葉をくれる。この軍事施設にいる数少ない私の理解者だ。
「……いつものことですから」
それでも平静を装って軍服のボタンを留めていく。
理解者だと言ってもこの人間は味方ではない。
この場所にいる人間に心を許すことは決してしてはいけないのだ。




