雪の日のリフレイン
桜が花を咲かせ、静かに散っていってからもう何日が過ぎただろうか? あの日も今日と同じように季節はずれの雪が降っていた。
私が学校から帰宅する途中だった。午後から降り始めた雪は次第に強くなっていった。街を行きかう人々も心なしか足早に通り過ぎていったのを覚えている。
駅からバスに乗り、入り口近くの席に座った。ここから家の近くの停留所まで約三十分。たってちょっと揺られていくには少し遠い距離であった。今日は幸運だったのかも知れない。私は一息つくと鞄から本を取り出して読み始めた。これでも来年は大学受験を控えている身だったからだ。
次から次へとバスに人が乗ってくる。昼過ぎから降り始めた雪のせいで、帰宅を急ぐ人が増えたからだろう。しばらくして満員になったバスは音の無い雪の街へと静かに滑り出していった。
私は集中して本を読んでいた。ふとそのそばから私を呼ぶ声がした。
「もしかして・・・、七瀬くんじゃない?」
その声は間違っていたらどうしようかという不安さを十分に含んだ声だった。私は読んでいた本から目をはずすと、その声の主を見上げた。白いブラウスを着た可愛い女の子がそこにいた。小柄で髪は長く背中まで届いていた。目はくりくりっとしてなかなか知的な子だったのだが、どうにも見覚えがなかった。
「やっぱり七瀬くんだ。私よ! 覚えていないかなぁ・・・? 私、理沙よ。秋月理沙。中学校の一年のとき一緒だった・・・。でも二年になったら転校しちゃったから忘れちゃったかもしれないけれど・・・。」
私は目を凝らした。記憶ではこんなに可愛い女の子と話したことはなかった。高校は男子校だったのでそういう機会が少なかったせいかもしれないけれど・・・。
私はわずかな糸のような記憶を手繰り寄せてみた。
「秋月・・・、秋月理沙かぁ・・・。あっ!」と言った瞬間、私はおぼろげに彼女を思い出した。
「思い出した・・・。もしかして確か眼鏡、かけてなかったか? 英語がすごくできて・・・。えっ! でもあの秋月が・・・? こんな可愛い子? 信じられない!」
当惑している私を見て理沙はくすくす笑っている。
「やっと思いだしてくれたんだ。良かった。そうあのころは眼鏡をかけてたし、ちんちくりんの不細工だったから・・・。今はあのころに比べるとこれでも背が伸びたし、コンタクトにかえちゃったりしたからね。でもうれしいわ。七瀬くんが私のこと覚えていてくれたのは・・・。」
私は当惑を通り越し、既に呆然の域に達していた。あのガリ勉だった秋月がこんなに変わってしまうなんて・・・。女の子というのは成長すると本当に変わってしまう恐ろしいものだと実感した。
私はその可愛くなった理沙におどおどしながら席をゆずった。 それからしばらくの間、いろいろな話をした。そのうちふと理沙が言った。
「七瀬くんと初めて話をしたのもこんな季節はずれの雪の日だったわ。私が家に帰る途中、雪に滑って足をくじいてしまい、歩けなくて困っていたの。そんなときに通りかかったのが七瀬くんだったわ。困っている私に傘をさしかけて肩を貸してくれて、家まで送ってくれたっけ? お母さんが男の子に担がれてきたってびっくりして・・・。おまけに『彼氏なの?』なんてとんでもないことを言い出すから、私恥ずかしかったわ。でもね、とってもうれしかったの。『早く冷やしてゆっくり休みな!それでも明日歩けなかったら迎えにきてやるよ。』なんて言ってくれたっけ・・・? あのときの言葉、まだ耳に残っているわ・・・。」
理沙は照れくさそうに言った。
そういわれれば・・・、確かにそんなこともあったかもしれない。でもそのなんとも言えないような、くさすぎる台詞は流行のテレビドラマの影響だったのかもしれない。それを今更のように言われると、何とも恥ずかしい限りである。
私は話題を変えようとした。
「秋月、ところで今はどうしているの?」
「ええ、ちょっと病気しちゃってね・・・。一年間学校をお休みしてたの。でもね、だいぶ良くなったんだ。学校に行けるようになりそうなのよ。それもこの近くの学校にね。ちょうどお父さんの仕事の関係でこっちに戻ってきたの。だからまた七瀬くんと会えるかもしれないね!」
理沙は私の顔色を見ながら言った。あきらかにそれは私の反応を見て楽しんでいるようであった。私は赤くなりそうになっている自分を必死で隠そうと努力していた。
外を降る雪は次第にその勢いを強めていった。
やがてバスは目的地に近づいた。そのことを告げて私は理沙に連絡先を尋ねた。
「意外だね。私もここで降りるんだ・・・。実は以前に住んでいたところのそばの家なんだ。今度のお家。」と理沙は舌を出しながら答えた。
二人は料金を払うと雪の街へと降りていった。
外は一面の銀世界、この地域ではまずここまで雪が降り積もることはありえないことだった。
傘を開こうとすると、理沙が傘を持っていないことに気がついた。何気なくさしかけてあげると彼女はにっこり微笑んだ。
「あの日もこんな風に傘をさしかけてくれたっけ・・・? ありがとう。」
そういうと理沙はいきなり私の腕につかまってきた。私は彼女の突然の行動にまた戸惑ってしまった。
「ちょっ、ちょっと、秋月・・・。」
「いいじゃない・・・? それとも私とじゃいやなのかなぁ? 誰か彼女でもいるの?」
理沙はまた私の顔を覗き込むように言った。今度はからかい半分な顔をしていた。
「いいや、そんなことはないよ・・・。」
「じゃあ、いいよね・・・。もう少しこうさせてよ。」と彼女はうれしそうにいった。私も悪い気はしなかった。いや、むしろうれしかったのかもしれない。
私たちは雪の降る中をゆっくり歩き出した。あの日と同じように・・・。
降る雪は次第にその勢いを強めて、もう歩く先が見えなくなってきた。そのときこの世界には理沙と私しかいなかった。
「私ねぇ、七瀬くんを入学式のときからずっと見ていたんだ。どうしてかなぁ・・・、それはわからなかったんだけど何か気になっていたんだよね。そんなときあの日が、あの雪の道で七瀬くんと出会ったの。あれからずっとね、好きだったんだ。でもあれから逆に意識しすぎちゃって、話づらくなっちゃったの。そのうちにてんこうしちゃったんだよね・・・。あの頃もっと素直になっていればよかったのにって何度も思った。でもね、それが今日偶然に七瀬くんに会えた。これも運命なのかも。だからこの想いを伝えなくちゃって思ったの・・・。」
理沙はうつむきがちに、恥ずかしそうにいった。そして私の腕にぎゅっとしがみついた。
その気持ちに私は胸がつまった。彼女がそんな風に私を見ていたなんて・・・。こんなに可愛い子になるならもっとしっかり見ておくべきだったと、不謹慎な後悔をした。 でもこんな素敵な子が彼女だったら・・・。一瞬そう思った。
しばらく歩くうちに道が二手に分かれた。私の家はその左手で、彼女が前に住んでいたところは右手のほうだった。
「秋月の家、どの辺? 送っていくよ。」
あの日と同じように理沙のことを気遣って言った。今日の出来事にまだ未練もあった。
「ありがとう。大丈夫。もうこの近くなんだ。ここからは走っていけるから大丈夫だよ。七瀬くんの家って前のままだよね? 電話番号とかも変わっていないんでしょ? 中学の名簿見ればわかるから、すぐに連絡するね! 今日はありがとう。」
理沙は私の手を離すと、静かに微笑みながら「バイバイ」と手を振って、右手の道を早足で歩いていった。
「うん、連絡まってるよ。」
理沙は途中で一回立ち止まり、振り向くと、もう一度その美しい微笑みを見せてうなずいた。
理沙が視界から消えた・・・。その瞬間今まで降っていた雪が突然、嘘のように消えた・・・感じがした。
私は何とも言えない切なさを感じていた。それを抱きながら自分の家に戻った。
その後一日、二日たっても彼女からは連絡がこなかった。
そして・・・、一週間が過ぎた頃、彼女の母親から私に電話があった。
理沙は一年前から重い心臓病を患っていて、入退院を繰り返していた。最近は少し回復したようで自宅で静養していたが、ちょうど一週間前のあの雪の日に私と偶然出会った夢を見たそうだ。それはまさにあの日私が体験した夢と寸分と違わない話だったのだ。彼女はそのことを家族に楽しそうに話したのだ。元気になったら勇気を出して会いに行ってみよう、とも言っていたそうだ。理沙は医者からも「もうすぐよくなる、学校に行けるようになるよ。」といわれていたので、その夢をきっと予知夢のように思っていたのかもしれない。母親にも中学時代の名簿を探して欲しいと頼んでいた。
ところが数日前、病状が急変した。すぐに再入院したが、翌日他界したとのことだった。
理沙の母親は私のことを覚えていてくれた。しかしもう何年も昔のことなので彼女の話をするかどうか迷ったそうだ。でも彼女の最後の思いを伝えなければいけないと思い、電話をしてきてくれたのであった。
私は話を聞いて言葉がでなかった。ただその思いの深さに涙が止まらなかった。
そして・・・、あれからまた何年かが過ぎた。でも彼女は今でも胸の中で生き続けている。
季節はずれの雪を見るたびに私は理沙の姿を探すようになった。また、いつかどこかで逢えるかもしれない彼女の姿を・・・・。そしてその時は言ってあげたい言葉が私にはある・・・。
「僕は君がすきなんだ・・・。」と。
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で米国滞在記のエッセイを掲載しています。(外人名:Alfordです。)お読みくださいませ。