その65 あら、凡人?
「イブ様」
イブ様はびくんとした。
背後からかかる声に驚いたようだ。
初めてだ。
イブ様はいつも周囲の人間を把握している。背後だろうが、隣の部屋だろうが。
その彼女が後ろから近づいた私に気付かなかった。
普通の人なら当たり前の現象。だけど、イブ様がこうなることは今まで無かった。
田舎に暫く居て勘が鈍ったのだろうか?
キャンバスからヘラを離し、ゆっくりこちらを向く。
4年ぶりの再会。
思わず息を飲む。
すとんとした黒いワンピースに長い金髪。
そして細い顔に優しそうな大きな目。
そしてシミもシワも無い顔。
絶世の美女がそこに居た。
一瞬、誰だろうと思った。
イブ様に違いない。だけれども、最大の特徴の顔の傷がどこにもない。
今まで、綺麗な顔の右側を見て、怪我する前は美人だったろうと想像はしていた。だが、左側の醜い傷痕のインパクトが強過ぎて感じれなかった。
今目の前にいる彼女は綺麗だ。
エルザ様も美人だった。
だが、この美しさは遥かに上を行く。
かつて処刑された元親衛隊長のユキオ・9が無理矢理娶ろうとしたのも解る。彼は怪我する前のイブ様を見ている。確かに怪我して醜い顔になっていたが、怪我する前の顔を知っていると印象が変わる。
イブ様の顔に怪我をさせたセニン。
きっと彼は、手に入らない勇士の身体でなく、イブ様が手に入らない事に怒っていたのかもしれない。
勇士隊の選考条件に『容姿の良い者』とあったが、今なら解る。
彼女は美しいが故に人生を狂わせたのだ。
そして恋人のジンの人生も狂った。
「探しました。イブ様」
彼女は暫く呆けていたが、思い出したように口を開いた。
「ユリ、ユリなの?どうして此所へ?」
「貴方に会いに来たのですよ。会いに来ないなら私から尋ねるしかないでしょう」
「もう、忘れられたかと思っていたわ。随分月日が過ぎたから」
彼女は少し涙ぐんでいる。溜まった涙を右手で拭う。
あまりにも女性らしい仕草。柔らかい手つき。
そして彼女は私を抱きしめた。
私の首に絡む腕。
頬と頬が触る。
さらさらの髪。
あまりにも普通の柔らかい肌。
勇士のゴツい身体を思い出して身構えていたが、あまりにも普通の感触。
どういうこと?
考えても考えても解らなかった。
そして彼女は暫く離れなかった。
ー ー ー ー ー ー ー
私とイブ様は岩に座っていた。
目の前には美しい湖と、書きかけの風景画。
画材がジャージャー国の物とは違う。色が濃い。
青空で風はなく、標高が少し高い筈なのに寒く無い。
今は春なんだろうか?夏なんだろうか?
「帰る訳にはいかないのよ」
私の言葉に対するイブ様の答えは、セルゲイに聞いた物と同じだった。
支配者は国を離れられないと。
ひとり故郷を離れてストビアに居るなんて、寂しすぎる。
村に居ると聞いていたので、何人かと集団生活しているのかと思ったのに、ひとりぼっちとは。
この人の人生は奪われるだけの人生。
遂には人とのふれあいもなくなってしまったのか。
「確かに寂しいわね。でも、ジャージャー国とサリュートの安全の為なら仕方ないわ」
当たり前だ、寂しい筈よ。
イブ様は遠くを見る。
見ているのは景色なのか過去なのか。
彼女が願ったのは恐らくは、愛するジンの安全。
国はそのおまけだ。
戦争を終わらせ続ける。その為に居るのは仕方ない。でもあんまりではないか。
「いえ、それは駄目よ。ストビアには他の人は干渉しないで欲しい」
イブ様は他の者のストビアへの派遣を断った。
ジャージャー国に対してサリュートが不干渉なのと同じように、ストビアも鎖国を続けると言う。
行き過ぎたテクノロジーがジャージャー国の民を狂わせると言うのだ。
高性能な道具や武器を見せれば奪い合いの争いになると。
他の者がストビアに近づくなら攻撃することもあるという。
なら、どうして私は中に入れたのだろう?
「ユリだからよ」
解らない。
イブ様は今さっきまで私の接近に気付かなかった。
なのに国の外を歩いて来た私は見ていたと言う。
訳が解らない。
この場所での考えと行動と、国の管理での行動は別だがひとりでやっていると。だが、記憶は共有されないとか。
もうなんだかさっぱり解らない。
遥か後ろから声がする。
「 い ー ぶ ー ! 」
振り返ると朝の少女ジーナと黒豹が居た。
ジーナは降りて黒豹の首に抱きつき、肩をぽんぽんと叩いた。
すると黒豹は赤い霧に包まれて消えた。
不思議な光景だ。
黒豹は走って居なくなったのではなく、赤い霧の中に消えたのだから。
そしてこっちに歩いて来る。手には籐籠。
「はい」
ジーナがイブ様にギルドカードを渡す。
多分、借りていたのだろう。支払いに使ったのだろうと推測した。
「何買って来たの?」
「シットケーキ!」
「美味しそうね。お家で食べましょう」
「イブ様。その子は?」
「妹よ。ジーナっていうの」
ジーナは嬉しそうに座るイブ様の背中から抱きついていた。
似てる・・・・金色の髪と顔つき。声も。
でも、こんな歳の妹が居るなんて話は聞いた事が無い。
しかも、ここはストビアだ。
正直、正真正銘のひとりぼっちでなくてほっとした。
仲も良さそうだ。
「此所へ来るのに、その子が豹で送ってくれたんです」
「そう。ジーナ、ありがとう」
「ジーナちゃん、ありがとう」
ジーナは少し照れてイブ様の背中に顔を埋めた。可愛い。
そして私達は集落に向かった。
飲み物があるという。
あの家のどれかがイブ様のものらしい。




