4.対決 ①
むかーしむかし、ある所に、それはそれは聡明で見目麗しい天使様がいらっしゃいました。ゆるく流れる髪は眩しいほどの光を放ち、透明な白い肌は肌理細やか。幼いながらも、深海を思わせる慈愛に満ちた青い瞳は的確に物事を捉え、他の者達を付き従えていました。
その幼子の名は。
大天使ミカエル、といいました。
ミカエル様がいつものように天国を散歩していると、小道から少し奥まったところにある花畑の中に倒れている少女を見つけました。
何だろうと近寄ってみると、それは長く美しい黒髪の少女でした。滑らかな光沢を放つ黒髪に縁どられた白く小さな顔は花のように愛らしく、また物語の眠り姫のように美しく。ひっそりと眠る少女を、ミカエル様は一目で気に入ってしまいました。
少女は真っ白なローブを羽織るミカエル様とは対照的に、真っ黒な服に真っ黒なローブを羽織っています。
「おやあ、珍しい、地獄の方ですか」
ニコニコと微笑んで、ミカエル様は少女の傍らに座りました。相変わらずすうすうと寝息を立て、無防備に眠る少女の髪をそっと撫で……愛らしいお顔にますますウットリしました。
「ん……」
気配を感じたのか、少女がうっすらと目を開けました。髪の色と同じ、黒曜に輝く瞳がミカエル様を捉えます。
自分の姿が映った美しい瞳を、ミカエル様は顔を紅潮させ覗き込みました。
「……」
しばらく、少女はミカエル様を見つめていました。
そして。
目にも留まらぬスピードで、鉄拳を飛ばしました。それは見事にミカエル様の鼻っ柱に命中し、ミカエル様の体はスローモーションのように美しく、花畑の中に沈みました。
少女は素早く起き上がり、ミカエル様を見下ろします。すると、ミカエル様も素早く起き上がり、少女に向かって笑いかけました。
「いやあ、元気のいいパンチですね。……ところで、君は誰?」
何事も無かったかのようなミカエル様に、少女は驚愕します。
「私のパンチで目を回さないとは……貴様、何者だ」
「あ、申し遅れました。私は天界第一層の管理を預かる、ミカエルと申します」
「えッ!?」
少女は目を丸くしました。それから、少し気まずそうにしながらペコリと頭を下げました。
「失礼した。痴漢かと思って殴ってしまった」
「あはは、まあ、近いかもしれませんねえ」
「は?」
「いえいえ。で、貴女のお名前は?」
「地界第一層管理者、ルシフェルだ」
それを聞いて、今度はミカエル様が目を丸くされました。
「君が……! そうか、今日は定例会議のためにここに来てたのかい?」
「そうだ。まあ、先代が代わりに出席しているが……」
「ああ、私もです。管理者なんて名ばかりの、ただの子供ですから」
「まあな」
ミカエル様とルシフェル様は、互いの素性を知った事ですっかり打ち解けたようです。ニコニコと笑顔を交わします。
「かわいいですねえ」
「何が?」
「貴女が」
「……そ、そうか?」
ルシフェル様は少しだけ顔を赤らめ、ミカエル様から視線を逸らしました。
「ええ。地獄の王である方がこんなにかわいらしい方だなんて……」
その言葉に、ますます顔を下に向けるルシフェル様。そんな愛らしいお姿を見て、ミカエル様はにへぇ~っと、顔を崩されたのでございます……。
「……で?」
晶は片眉を吊り上げ、不機嫌そうに腰に手を当て、仁王立ちになった。
「地獄の王、ルシフェルはとても愛らしい方だったと……」
「誰がてめぇの初恋話を聞かせろと言った!!」
バアン、と執務机を叩く。その反動で、重々しい机が数センチ浮き上がった。目の前で怒り狂う晶に、ミカエルは変わらず落ち着いた笑みを浮かべて椅子に腰掛けている。
「あたしは、普通の服をよこせと言ったんだけど!?」
と、ふんだんにレースのあしらわれたピンクのワンピースの裾を抓む。さすがに何日も同じ服ではいられない……と、已む無くクローゼットの中の洋服に袖を通したのだ。
「晶! ミカエル様に向かってその口の聞き方はなんだ!」
後ろから星斗に怒鳴られるが、晶の怒りの矛先はミカエルに向いたまま。
『晶さ~ん、そのお洋服、とってもお似合いですよ~?』
KURAGEはキューキュー言いながら晶の頭上を旋回する。
「あたしにも好みがあるんだ! 自分で選ばせろ!」
「え~、そのお洋服、着せたかったんだもん」
だもん、って!
それでもこの天国を治める大天使様か! と突っ込みたい。見た目だけなら文句のつけようのない美形なのに、中身がロリショタ疑惑のある危ない野郎だと分かってきたので、だんだんとミカエルへの態度が硬化している晶である。
「あの、ミカエル様……。その発言は、ちょっと、セクハラな気がします……」
星斗が控えめに窘めてくれた。ミカエルは少しだけ、拗ねた顔をする。
「だってね……。かわいかったんです、ルシフェルは。あんな真っ黒なお洋服じゃなくて、そういうお姫様みたいな格好をさせてあげたかったんです」
「なんであたしに着せる!!」
「似てるから」
「……は!?」
晶、星斗、驚いて口を開ける。
「いや~、初めて逢った時は驚きましたよ。ルシフェルの若かりし頃の姿、そのままで……」
スッと椅子から立ち上がり、晶の目の前に立つ。そして、そっと頬に触れた。
「その長い髪、意志の強そうな力強い瞳、ちょっと男勝りな口調。そして」
さらりと髪を耳の後ろに流してやると、晶はビクッと身を固まらせた。哀しいかな、ロリショタ野郎だと分かっていても、美形男性への免疫がない晶はどうしても初心な反応をしてしまう。
「このかわいい反応」
ニコッと笑うミカエルに……晶は素早く鉄拳をお見舞いした。見事、鼻っ柱にヒットさせ、ミカエルは机の上に引っくり返った。
「それがセクハラだっつーの!」
ちょっぴり頬を染め、晶はくるりと踵を返した。
「仕事行くよ、星斗、KURAGEちゃん!」
「お、おう……」
『はーい!』
バタン! と勢い良く扉が閉まった後、ミカエルは仰け反った体を腹筋だけで元に戻した。
「う~ん、そのパンチ力もそっくりですねえ」
うっとりと目を細めてから、ミカエルは窓の外に目をやる。
「……そろそろ、来ますかね」
その頃、薄闇に包まれた地獄では──。
同じように窓の外から闇色の空を眺め、不気味に微笑んでいる女性が立っていた。
「ルシフェル様」
名を呼ばれた女性は、長い黒髪を揺らしながら振り返る。
「天国より書簡が届きました」
ルシフェルは小さく頷くと、無言で差し出された手紙を受け取った。ペーパーナイフで封を切る。すると、目の前に真面目そうな天使の姿が映し出された。内容は地獄に対する抗議だ。
「マンヂュースキスキマンは掴まったか」
その声に、傍に控えていた死神たちがどよめく。マンヂュースキスキマンとは、晶たちが捕まえた、大福に良く似た死神ペットのことだ。
「ルシフェル様、ではあちらもタイムマシンを……」
「開発に成功したようだな。さすがミカエル」
ルシフェルは美しい面差しに、冷たい微笑を浮かべる。
「才蔵、茜」
「はっ!」
名前を呼ばれた忍者装束の死神が2人、前に出てくる。
「今から一斉攻撃を仕掛ける。……覚悟は良いか?」
「いつでもこの身、ルシフェル様のために捧げる覚悟です」
その言葉に、ルシフェルは優しい笑みを返す。
「そんなに気負うな。指揮はお前たちに任せるぞ」
「はっ!」
才蔵と茜は立ち上がると、パチン、と指を鳴らした。
すると。
『お呼びですか、ご主人様!』
ボンっと空中に煙が立ち上がり、そこから丸くてピンク色の物体が飛び出した。直径は30センチくらいだろうか。全体がピンク色に染められ、程よく輝いている。そこから両脇に一本ずつ伸びる紐のような手。下の方には同じく紐のような足。後ろには死神の証とも言える黒い羽根がパタパタと羽ばたいていた。前面には目と思われる黒い丸が、愛らしく付いている。その物体はKURAGEと瓜二つであった。違うのはボディの色と、頭にはおさげの代わりに赤いリボン、それに天使の証のリングが黒い羽根に変わっているところだけだ。
「YUKINON、ルシフェル様のご命令だ。過去へ飛ぶぞ」
才蔵が言うと、YUKINONと呼ばれたタイムマシンは、クルクルと回転した。そしてピタッと動きを止めると、ビシッと敬礼した。
『了解であります! 才蔵様、茜様!』
YUKINONは眩く光ると、才蔵、茜、その他の死神たちを連れ、過去へ飛んだ……。