2.饅頭と友情 ②
急に光り出したKURAGEの眩しさに目を閉じていた晶は、頬を撫でる暖かい風を感じて、そっと目を開けみてみた。
目の前に広がる、茅葺屋根の街並み。道行く人々は薄汚れた着物を着て、草履を履いて歩いている。古い井戸から水を汲み上げて、洗濯をしている女たちの姿もある。
「……1年前ではなさそうだな」
星斗がチラリとKURAGEを見る。
『あれえ~? ……失敗ですねっ♪』
明るく言うKURAGEに、晶と星斗は少し不安げ。
「大丈夫? KURAGEちゃん…」
『大丈夫ですよ~。天使、誰でも最初は失敗するものです!』
アンタ天使だっけ? と突っ込みを入れる前に、KURAGEはまた眩く光り出した。
今度は爽やかな草原のような香りが鼻をくすぐった。そして、その風に混じって、何やら生臭い風が……。
ゆっくりと目を開ける。
どす黒い赤色が見えた。鋭そうな黄ばんだ牙に、そこから滴る水……。ゆっくりと目線を上げていくと、晶の顔くらいはありそうな、大きな目玉と目が合った。
「……」
少しずつ、少しずつ横に視線を動かすと、もうひとつ、大きな目玉が晶を見ていた。茶色で、硬そうな皮膚に覆われたその生き物は……。
「き、き、恐竜───!!!!!」
晶が叫ぶのと同時に星斗に引っ張られ、ぐんと空高く飛んだ。ほぼ同時に、恐竜は大きく開けていた口をガシン、と音を立てて閉じた。
「くっ、くっ、食われるトコだったああああ~!!!」
悲鳴を上げる晶。そして星斗は後ろを飛んできたKURAGEを思い切り睨みつけた。
「くぅ~らぁ~げえええ!!!」
『きゃ~、ごめんなさい、ごめんなさい、怒らないでえ~!! ほんのかわいらしい失敗なのですからぁ~!!』
星斗にしがみ付き、必死に謝るKURAGE。
「あわわわわ」
空を飛んだ晶たちを見上げて、地団駄を踏みながら咆哮する恐竜に、ガクガクと震える。思い切り星斗にしがみついたら、目の前を白い羽根が飛んでいくのが見えた。
「あれ?」
顔を上げると、星斗の背中から大きな白い羽根が2枚現れて、鳥のように羽ばたいていた。
「あ……れっ、星斗、羽根あるんだ?」
「あ? そりゃ、天使だからな」
「だってさっきまでなかったじゃん」
「普段はしまってある。これ出すと一気に体力消耗するからな」
「そうなの?」
「ああ。今度出し方教えてやる。──っつーか、早く跳べ、KURAGE!」
『はいですぅ~!』
KURAGEは泣きそうになりながら、また眩く光り出した。
それから。
とんでもなく未来に跳んでしまったり、宇宙に跳ばされたりしながら、ようやく1年前の菓子屋にたどり着く頃には、全員ぐったりと疲れてしまっていた。
「これ、何回か行ったり来たりしないと、ちゃんと時間通りに跳べないの……?」
『KURAGEの時空間移動の記録は、管理局で回収していますぅ。それを元に修正されていくはずですから、それまでお二人にはご迷惑をおかけすることになりますぅ~』
「はぁ……いつになったら成長出来るんだか……」
晶は溜息を吐きながらお菓子屋の前に座り込む。
「まったくだ」
同じく溜息をつく星斗の声に、KURAGEは『ごめんなさい、ごめんなさい』と、潤んだ瞳で許しを乞う。
「……で? ここに死神が現れるの?」
入り口にかけられた暖簾がヒラヒラと風に揺れる、こじんまりとした店舗を眺めながら、晶はKURAGEに聞いた。
『はいっ、今度こそ間違いありません! 今から1分後に現れます』
「そう……」
『それより、お2人ともっ!』
急に瞳を輝かせるKURAGE。
「どうしたの?」
『これを空にかざして下さい』
KURAGEは、2人にペンライトのようなものを渡した。
「何、これ」
『それを、このように、空にかざすんです』
KURAGEは短い紐の腕を、思い切り上に伸ばした。
「……こう?」
晶はKURAGEの真似をして、腕を高く挙げた。
ペンライトがカッと光る。
『ばば~ん! ちゃんちゃかちゃ~ん! ちゃんちゃかちゃらら~ん!』
間抜けなKURAGEの歌とともに、晶の体の周りを風が駆け抜けていく。
「な、なに~? 何なの~!?」
頭上からキラキラと光が降ってきて、ぱあん、と弾けた。驚いて目を閉じるも、すぐに風も治まり、変な歌も止んだ。
「な……何?」
星斗を振り返ると、目と口をぱかりと開けた、かなり間抜けな顔で晶を見ていた。そしてKURAGEは頬を紅く染めて、瞳をキラキラ輝かせた。
『きゃー!! 晶さん格好いいですぅ~!』
「は? 格好いい?」
お菓子屋のガラス戸に映った自分の姿を見て。
「なんじゃこりゃあ~!!」
と、松○優作バリに叫んだ。
頭にはウサ耳のカチューシャ。黒を基調とした超ミニワンピースの上に、白いフリフリのエプロン。足は白のハイソックスに、黒のパンプス。どこかのオタク街で『お帰りなさいませ♪』なんて言ってそうな格好である。
『時空守護天使、戦闘服です♪』
「どこが戦闘服だああ!!」
『あっ、星斗さん! 何で変身してないんですか! 早く手をかざしてください!』
「激しく遠慮する」
どんな格好にされるのか大体予想のついた星斗は、ペンライトを投げ捨てた。
『あっ、何てことをするんですか! これはミカエル様からのプレゼントなのにぃ~!』
ピクッと星斗の眉が吊り上がる。
『晶さんと星斗さんのために、ヨナベして作ってくださったんですよお~! それを投げ捨てるなんて……上司命令違反として、即刻上層部に報告いたします』
急にキリッとした表情になったKURAGEを見て、星斗は焦る。
「待て! 上司命令……上司命令、だな!」
苦虫を噛み潰したような顔でペンライトを拾い、手を振り上げる。
すると晶の時の様に、KURAGEのBGMを背に星の光に彩られた星斗は、全身光沢のある真っ黒なスーツに身を包んだ。スーツとはいっても、下は良い子の半ズボンである。そして頭にはウサ耳のカチューシャが。
「ぶははははっ!!」
たまらず吹き出した晶。
「うるさい、笑うな!」
顔を真っ赤にして怒鳴る星斗。
「くっ……あの方は、遊んでるんだ……!」
大失敗をして思い切り迷惑をかけられたので、ちょっと悪戯をしてやろうという考えなのだ……と星斗は思った。しかし半ズボンはないだろう。スーツで太腿まで見えるなんてこの年では許されない! ……穴があったら埋まりたい心境の星斗である。
『あっ、死神さんが来ましたよ!』
それでも、KURAGEの声に2人は自分達のおかしな格好も忘れ、店の中に飛び込んだ。ショーケースの前にいる店員たちは、晶達が入ってきても見向きもしない。
「見えてないの?」
「ああ。天使の姿は人間には見えない」
そう星斗が説明する間にも、空間が歪み、何か白い物体が飛び出てきた。それはポテッと床に落ちると、モコモコしながらゆっくりと移動し始めた。
「あれが死神だ」
「えっ、あんな大福みたいなのが? ……死神ってみんなあんななの?」
「いや。あれは……ペットみたいなものだな。でも力はあるから、気をつけろ」
「うん」
大福のように柔らかくておいしそうなそれは、パカッと大きく口を開けると、ベロ~ンと長い舌で小さな饅頭を一気に丸め込んだ。
「よし、現行犯だ」
星斗は大福に近づく。
「おい! 盗みは犯罪だ。死神がそんなことをして許されるとは思ってないだろうな?」
大福がこちらを振り返る。体の大きさのわりに小さな黒い目がテンテンとついていて、案外かわいい顔をしていた。
「何だ、結構かわいいじゃない」
晶は大福に近づいていき、つんつん、と突いてみた。大福は僅かに揺れるだけで、反抗する素振りはない。そこで、両手を広げて大福を抱えると、頭上に持ち上げた。
「捕まえたよ。これ、どうやって連れてくの?」
と、星斗を振り返ると、何やら上を指差していた。
「え?」
首を傾げると、星斗が叫んだ。
「上だ!」
言われた通り、上を見上げる。
ポタリ、と水滴が頬に落ちてきた。
ポタリ。ポタリ。
良く見ると──大福が大きく口を開け、そこからヨダレが滴り落ちていた。
「ぎゃああああ!!! いやあああ~っ、きったなあ~い!!」
「そういう問題かっ!」
言いながら、スーツの内ポケットに入っていた小さな棒を取り出す。棒は一振りすると1メートル程に伸びた。それを、今にも晶にかぶりつこうとしている大福に向かって投げつけた。
ぷすっ、と軽い音がして、大福にそれが刺さる。穴の開いた大福は、ヒュルヒュル音を立てながら店内を飛び回り、皮だけとなって床に落下した。
「このヤロウ! 脅かすんじゃねえよ!」
少し涙目になりながら、ヨダレをメイド戦闘服の袖で拭った。
『はい、では死神さんを連行しま~す』
KURAGEは皮となった死神を掴むと、眩く光りだし、時空移動を開始した。
その後、無事に帰って来たのは1時間後だった──。
死神を引き渡しにミカエルの執務室に飛び込んだ晶。
「おい! この戦闘服はやめてくれ!」
開口一番に、そう言った。
「おお……! 思った通り、凄く良く似合っているよ」
目を見開き、晶のかわいらしさにウットリするミカエルに、少々赤くなりつつ、更に怒鳴った。
「戦闘服なのにミニスカートってのがおかしい! おまけにメイド服だし! 何でウサ耳なのかも分からん!」
「だって……かわいいじゃないですか」
「これも!?」
と、星斗を指差す。
「おお! 星斗くん、素晴らしいよ! 君ほどウサ耳の似合う男の子はいないだろうね! 膝小僧もキュートだね!」
本心からの言葉なのか、そうでないのか。計りかねた星斗は、引きつりながら笑みを浮かべた。
「とにかく! 次回はもっと普通のにしてよね! 分かった!?」
「えぇ~?」
「えー、じゃない! こんな格好じゃ気が散って仕事どころじゃないよ!」
「む~ん……仕方ないですねえ」
ミカエルは悲しそうに溜息をつき、しかし了承してくれた。それを確認すると、来た時のように勢い良く執務室を出て行った。星斗も、一礼をして部屋を出て行く。
「……やっぱり、かわいいですね、あの子は」
誰もいなくなった執務室で、ミカエルはうっとりと呟く。
「さて。これで地獄側がどう出るのか……」
窓を静かに開け放ち、風に流れてくる花の香りを吸い込む。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた……。
「あー……疲れた……」
戦闘服を解除し、食堂のテーブルに顎を乗せる。
「お疲れさん」
トン、と目の前にマグカップを置かれる。漂う甘い香り。
「ココア?」
「ああ」
「……良くあたしの好きな物が分かったね?」
「別に知っていたわけじゃない。疲れたなら甘い物がいいかと思っただけだ」
「ふうん……」
晶は顔を上げ、両手でマグカップを包み込んだ。手のひらから温もりがじんわりと伝わってくる。
「あんたって、結構優しいよねえ」
素直に思ったままの感想を言ってみる。星斗はテーブルに腰掛け、晶とは反対方向を見ながら答えた。
「別に。お前には悪いと思ってるだけだ」
「……」
晶は表情ひとつ変わらない星斗の横顔を眺めた。
(ああ……。悪いと思ってたのか)
あまりにもふてぶてしい態度だったので、全然気付かなかったけれど。彼は彼なりに、晶に対して謝罪の気持ちを表していたのだ。
「ふうん。そっか」
何だか嬉しくなって、自然に笑みが零れる。手にしていたココアを一気に飲み干すと、元気良く立ち上がった。
「よし、今日は疲れたし、早めに寝よう!」
「あ、ああ」
急に元気になった晶に、少し面食らった様子の星斗。
「明日仕事なかったら、色々教えてよね」
「分かった」
「じゃ!」
「おう」
軽く手を挙げて、それぞれの寮に向かって歩いていく。途中で晶は振り返り、星斗の後姿を見て微笑んだ。
「やっぱ、いい奴だな」
初対面から遠慮しないで言い合える気楽さに加え、さりげなく気遣ってくれる優しさ。下界でこういう男子が傍にいたら、恋愛の蕾も膨らんだかもしれない。
そりゃあ、ミカエルのような超絶美形には無条件でトキめいてしまうけれども。それはもう、女子としての条件反射みたいなものだ。好みとは違う。
(でも、惜しい)
星斗は自分より身長が低い事を除けば、最高に好みのタイプなのだが。身長がコンプレックスの晶にとって、自分より身長の低い人は恋愛対象外。身長172センチの晶は、少しばかり溜息をついてまた歩き出した。
「いやいや、そんなこと考えてる余裕、あたしにはないよねー」
あはは、と一人笑い。
でも惜しいなあ、と思ってしまう。乙女心は複雑だ。