6.真実 ①
灰色の世界の中で、晶が不安げな顔で辺りを見回している。
ふいに、その足が動き出した。向かう先には、魑魅魍魎の蠢く闇が。
(だめだ!)
星斗は思い切り手を伸ばした。けれど、その手は一向に彼女には届かなくて。
(晶!!!!)
喉が破裂するほど叫んだ声は、闇の洪水に押し流されて──
「げほっ!?」
顔に冷水を浴びせられて、星斗は飛び起きた。目の前には、極上の笑みを湛えたミカエルの顔があった。
「星斗くん、目が覚めましたか?」
「ミカエル様! ……え、天国!?」
辺りはどこまでも続く蒼い空と、下に続く真っ白な雲の二色に染まる世界。
「……霊界、ですか」
天国の前にある世界、霊界。死人は皆ここを通って天国へと向かう。
『星斗さああん!』
KURAGEが星斗の顔に飛びつく。
『晶さんがああ、晶さんがあああっ!』
「──どうした!?」
『晶さんがいないんですうぅ!』
「何っ!?」
KURAGEを顔から剥がし、ミカエルに視線を向ける。ミカエルは軽く頷いた。
「ルシフェルが来ましたからね。おそらく、地獄に連れて行かれたのでしょう」
その言葉に星斗は愕然とする。あの時、死神は確かに全滅させた。けれど、まさか地獄の王が自ら赴いてくるなんて──。
先程の夢が現実となっていることに、目の前が真っ暗になりそうだった。
「星斗くん。いかなる時も逃げる余力だけは残しておきなさいと教育されているはずですよ。リングパワー、2回も使ったでしょう。それで死神は確かに全滅しました。でもね。その後で不測の事態が起こることもあるのです。……今回の事は、いい勉強になったでしょう」
「……はい。すみません」
星斗は素直に頭を下げた。
「まあ、今回は仕方ないのかもしれませんが……。一目ぼれした女の子、危険に晒せなかったんでしょう?」
ミカエルの顔が悪戯っぽく微笑する。
「エッ!!」
星斗の顔が一気に真っ赤に染まる。
『きゃあああ! そうだったんですかあ~? きゃああ、イヤ~ン♪』
「黙れ!」
耳元で騒ぐKURAGEをベシッと叩く。
「ミ、ミカエル様、何言うんですか……」
「おや、私が何も知らないとでも?」
ニタリ、とミカエルは笑う。
「一目ぼれしちゃって魂リストもちゃんと確認出来なかったくせに。初恋なんですよねぇ? だから自分でもどうしたら良いのか分からないくらい動揺してしまったと」
星斗の顔が引きつる。
「まさか天使が人間の女の子に一目ぼれなんて……私もビックリです。何しろ前例がありませんからね。晶ちゃんが特級ランクだったせいもあるのかもしれませんね。興味深いことです。今後の参考にさせていただきます」
「いや、その、はい……」
「まあ、分かりますよ~。晶ちゃんかわいいですからねえ。でもだからと言って間違って死なせちゃあいけませんねえ。しかも君、和泉神楽と仲がいいことにヤキモチやいて、最初晶ちゃんにもんっのすごく態度悪くしてたでしょう。和泉神楽に未練があるから重いんだろうと勘違いして、苛々しちゃって、まあ。……君は思春期の子供ですか」
「……申し訳ありません」
星斗、もはや返す言葉もない。ミカエルの言うことは、全てその通りだったのだから。
「でも、晶ちゃんをちゃんとフォローしようと気持ちを切り替えたのは偉かったですよ。それに、晶ちゃんを和泉神楽のところへ連れて行ったこともね。いやあ、あれは凄い覚悟だったでしょうねぇ。ヤキモチを押し隠して、好きな子が他の男の元へ行くのを見守る……涙なしには語れませんね!」
『うっきゅ~、胸がきゅんきゅんしますぅ~』
何を言われても星斗はグッと我慢した。どう言い訳をしても、揶揄われても、晶を間違えて死なせてしまったことに間違いはないから。
「まあ、だからこそ、行きますよね?」
ミカエルはスッと立ち上がる。
「えっ?」
「地獄へ」
「──はい!」
星斗も立ち上がる。力強い返事に、ミカエルはにっこりと笑う。
「では行きましょうか」
「……ミカエル様も行くんですか!?」
「ええ。ルシフェルが相手では、私が行かないわけにはいきませんからね。……ああ、KURAGE、私に変身して執務室で待っていなさいね。他の大天使に見つかるとまずいですから」
『はいっ!』
KURAGEは敬礼すると、ボンッと白煙を巻き散らかしてミカエルに変身した。
「KURAGEって変身出来るんですか」
「そうですよ。便利な機械でしょう?」
「はい。ですが……」
変身したKURAGEは、目が点で、口はしまりなく笑っていて、肌は機械のようにテロンと光っていた。しかも体の線がちょっと丸い気がする。
「……バレないですか?」
「大丈夫ですよ。そっくりじゃないですか」
「……そうですか」
星斗は深く突っ込まない事にした。
そして、このふざけた顔のミカエルに不審がる者は1人もいなかったという。天使とは、不思議な目を持っている生き物だ。
かくして、星斗とミカエルは晶救出のため、地獄へ向かったのであった。
薄闇に包まれた、ホワイトハウスに良く似た建物内。そこに、晶はいた。ぐるりと見渡すと、まず飛び込んでくるのは豪華なシャンデリア。しかし飾りなのか、それ自体は光を灯していない。
灯りとして置いてあるのは、金魚鉢のような形をした花だ。それがいくつも散らばっていて、部屋の中を幻想的に照らし出していた。
値段の高そうなアンティークの調度品に目を奪われていると、後ろから足音がして、晶は振り返った。
「なんだ、座っていなかったのか? 立ったままでは疲れるだろう」
穏やかな笑みを浮かべ、やってきたのはルシフェル。先程羽織っていたローブを脱ぎ捨て、黒いシックなドレスに身を包んでいた。体にフィットしたデザインで、ハッとするような綺麗なボディラインが浮かび上がっている。
「その……落ち着かなくて」
晶は素直にそう言う。ここは敵の本拠地だ。ゆっくり座ってなどいられない。
「ハハ、そうだな。こんな状況では落ち着けぬか」
ルシフェルは晶の向かいのソファに座る。晶にも目で座るよう訴えるが、晶は軽く首を振った。
──あの時。
星斗とKURAGEを逃がした後、晶はプツリと意識を刈り取られ、その間に地獄へと連れられてきてしまっていた。それからは何をされるでもなく、ただこの豪華な部屋に通されて、花の描かれたカップで紅茶まで出されて、今に至る。
ルシフェルは、何を考えて晶を地獄へ連れてきたのだろうか。それがまったく分からなかった。
「ねえ。どうして天国を攻撃しようとしているの?」
性格上、黙ったままではいられない。危害を加えられる気配はないので、直球で質問を投げかけてみた。
その問いに、ルシフェルは少し微笑み、目を閉じた。
「さて……」
ゆっくりと目を開き、晶をまっすぐに見つめる。
「何故だろうな」
「……何それ」
晶は眉を顰める。
「ミカエルからは何も?」
「…ん、聞いてないよ」
「フッ、ミカエルらしい」
ルシフェルは目を細めて笑う。その表情はとても穏やかで、とても死神たちを先導し、戦争を起こそうとしているとは思えなかった。
「それにしても、その格好」
ルシフェルは晶のゴスロリ戦闘服に目をやった。
「あっ、これはミカエルに無理やり着せられてっ……」
「とてもかわいいぞ。良く似合っている」
晶の言葉を遮り、ルシフェルはそう言った。
「……」
間違いない。
間違いなくこの人はミカエルと仲がいい! しかも相当の間柄だと晶は踏んだ。
「なんで貴女はこんなことをするの?」
もう一度、聞いてみた。
ルシフェルが口を開きかけたその時。バタン、と扉の開く音がして、才蔵が部屋に飛び込んできた。
「ルシフェル様! 天使軍が侵攻してきました!」
ルシフェルと晶の顔に緊張が走る。
「数は?」
「はっ、それが、確認されているのは、僅か2名です」
その報告を聞き、ルシフェルは徐に立ち上がった。
「ミカエルだな」
ニイ、と妖しい笑みを浮かべ、ルシフェルは扉に向かって歩いていく。
「待って!」
晶が追いかけようとすると、ルシフェルは右手を挙げてそれを制した。
「そなたはここで待っているがよい。いずれ決着が着く。その後で迎えを遣そう」
「待っ……」
晶が声を上げる間もなく、扉は閉じられた。
また部屋の中に1人、取り残される。
しばらく突っ立ていた晶は、意を決したかのように大股に歩き出した。そして、ドアノブをそっと回してみる。カチャリと音を立てて、それは回った。どうやら鍵はかけられていないようだ。ゆっくりと扉を開ける。
「よし」
長く続く廊下を見渡し、誰も居ないことを確認すると、絨毯の上を音もなく走っていった。




